原題 | PARIS CAN WAIT |
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制作年・国 | 2016年 アメリカ |
上映時間 | 1時間32分 |
監督 | 監督、脚本:エレノア・コッポラ |
出演 | ダイアン・レイン、アルノー・ヴィアール、アレック・ボールドウィン |
公開日、上映劇場 | 2017年7月7日(金)~TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズなんば、シネ・リーブル神戸、近日~京都シネマ 他全国ロードショー |
~瀟洒なフランス男の「魔力」にぞっこん!?~
アメリカ男は気さく(何も考えてない?)、イギリス男はダンディー(慇懃?)、イタリア男は女たらし(ただのスケベ?)、スペイン男はひたすら情熱的(単細胞?)、ドイツ男はクソ真面目(面白くない?)、ロシア男はウォッカ三昧の酒呑み(絡み酒?)、日本男は……、知りまへん(笑)。で、フランス男はやはり瀟洒(カッコつけ?)。まぁ、世界各国の男性のイメージはざっとこんなところかな(あくまでもイメージです!!)。
本作はアメリカ映画界の御大フランシス・フォード・コッポラの妻で、ドキュメンタリー映画作家のエレノアが80歳にして初めて手がけた長編映画。しかも彼女自身の実体験をもとに自ら脚本化した作品とあって、非常に興味がそそられる。当然、女性に観てもらいたい映画であり、女性のための映画である。しかしぼくは男なので、あえて男性視線で見据えてみようと思う。
映画プロデューサーのジャック(アルノー・ヴィアール)は絵に描いたような典型的なフランス男。前述したように、洒脱で物腰が柔らかく、ちょっと浮世離れしているとでも言おうか、何とも緩い印象を与える。要はヒトラーと真逆のタイプ!?(笑)。とりわけ女性に対してはどこまでも優しい。豊富な話題と柔軟性(大らかさ?)を存分に生かし、相手を飽きさせない。ニヤケた表情もまた愛嬌だ。本当に人生を謳歌しているように見える。そんなジャックが美貌の人妻と1泊2日にわたって行動を共にする。その過程で彼のキャラクターが浮き彫りになってくるところが面白い。
ジャックはカンヌ映画祭の会場にアメリカ人の同業者マイケル(アレック・ボールドウィン)と連れ立って来ていた。現地の世話人みたいな感じ。マイケルは同伴していた妻アン(ダイアン・レイン)と一緒に映画祭のあとに久々のバカンスを楽しむつもりだったが、急きょ、仕事が入り、ハンガリーに行かなければならなくなった。アンは仕方なく帯同しようとするも、耳の具合が悪くなり、飛行機に乗れない。そこでジャックが年代物のマイカー(プジョー)で彼女をパリまで送っていくことになった。ここから刺激的なドラマが始まる。
アンにとって、ジャックは夫の仕事仲間。全く赤の他人ではないけれど、それほど近しい間柄ではない。しかも素顔がわからない。やはり気を遣ってしまう。それでも南仏コートダジュールのカンヌからパリまで7時間ほどのドライブなら、何とか「耐えられる」と思ったのだろう。一番の決め手となったのは、夫が信頼を置いている人物で、危なそうな男に見えなかったことだろう。
ジャックの方は、アンが仕事仲間の奥方とあって、それなりにきちんとエスコートする義務がある。一見、このことは誠実で親切な行動のように思うけれど、彼女がきっとタイプの女性で、ちょっと惹かれているから、ドライブを提案したのだろう。ぼくはひと目ぼれしたと見た。でないと、アンを鉄道駅まで送ってオサラバとなる。それならドラマになりまへんがな(笑)。もちろん、頭から「モノにしたる」(品のない表現でごめんなさい)なんてことは考えていなかったと思うが、ちょっぴり「下心」を匂わせ、色気たっぷりなところがいかにもフランス男らしい。
この人、女性と絶妙の距離感を保つのが得意で、相手の心のなかを見透かす能力にも長けている。アンは50歳前後。大和撫子さながら、これまで自分を殺し、夫のために精一杯、尽くしてきた。冒頭シーンを観ると、彼女はマイケルの「便利屋」みたいに使われていた。ところが、今や娘が高校を卒業し、子育てから解放された。はて、これまで通り夫に従属していていいのか? もっといろんなことにチャレンジしたい。そういう彼女の焦る気持ちをジャックが見事なほどすくい取るのである。
そのうえ聞き上手だ。運転しながら、食事しながら、さり気なくアンからうまく現状を聞き出す。というか、彼女がごく自然に胸の内を吐露してしまう、そんな雰囲気を作ってしまう。そこには必ずユーモアが添えられ、場の空気が和らぐ。さらに博学な面がアンに〈ダメ押し〉の一打を与える。「人生」、「料理とワイン」、「フランスの歴史と文化」、そして立ち寄った「町のエピソード」などなど。こうした知識をこれみよがしに披露するのではなく、さり気なく会話に溶け込ませる。インテリジェンスは目立たせたらあきまへん。これ、万国共通の鉄則~(笑)
博学ぶりに嫌味がないから、アンはスーッと聞き入り、自分の考えを口にする。会話は言葉のキャッチボール。ジャックはきちんと相手の言葉を受け止め、やんわりと投げ返す。しかるにマイケルとアンの会話は一方通行だった。全然、ちゃいます。これは見習わなあかんと思った次第。ただ、気になるのは、ジャックは自分のプライベートなことを一切、口にしなかったこと。どこかミステリアス……。それがドラマの伏線になっていた。
それに気配りがある。これも「ちょか」(落ち着きのない、がさつ)で「イラチ」(せっかち)なぼくに欠けている点。すべて相手の身になって物事を考える。一番、象徴的なのは、カンヌを発ってからすぐにランチを共にしたこと。最初は多少なりとも互いに緊張しているはず。それを少しでも解きほぐそうという心意気が感じられた。しかも極上のワインと料理。いっぺんに距離感が狭まってしまう。ぼくがアンなら、この段階で信頼度が100%に達してしまう。
このあとグルメという武器を大いに活用し、数回、おススメの郷土料理とワインを振る舞う。やはり「一緒に食べること」は人間関係を密にさせる。こうして相手を安心させ、居心地よくさせ、どんどん自分に接近させる。彼女が目に留めた物体の細部をカメラで丁寧に撮影しているのを見て、その感性の鋭さを褒める。プラス面をことさら評価する。これは女心、いや男女問わず、人の心を射止めるには最高の術だと思う。
投宿したローヌ川沿いの町ヴィエンヌでのプチホテル。一瞬、同じ部屋かとアンは身構える。さらにジャックは現金を持ち合わせておらず、カードも不具合になっているとの理由で、費用はすべて彼女持ち。ちゃっかりしている。詐欺師? こんな感じでちょっぴり警戒感を与えながら、実はきちんと事を為すところがニクイ。これも女心に食い入る術なのかな。とことん遊び人かと思ってしまうが、時々、仕事の電話が入る。公私をきちんと分けている。
一番、アンが驚いたのは、リヨンにあるリュミエール研究所を訪れたとき。そこは世界で初めて映画を発明したリュミエール兄弟ゆかりの場所。ぼくも数年前、見学したことがある。所長が大柄な女性。ジャックはその所長と事もなげに別室に入り、しばらくしてすまし顔で出てくる。シャツを整えているあたり、非常に微妙だ。その様子を目撃したアンの心中はいかばかりか。おそらく2人は「ええ仲」なのだろう(あるいは「ええ仲」だったのだろう)。でも、大人なんやから、別にええやん。しゃあない。
アンは夫のマイケルを愛している。そうでなければ、最初のランチを取ったところで、ジャックにグッと寄り添ってしまっていただろう。その夫からしばしば電話が入る。そのつど、「用心しろよ。あいつ(ジャック)はフランス人だから」と半ば冗談気味でアドバイスされる。アメリカ人から見ても、フランス男はドンファン的に見られているみたい。
ジャックはいろんな人生訓・人生哲学をアンに聞かせた。その中で印象深かったのがこれ。「フランス人はきちんと結婚生活を守り、エンジョイしている。でも恋愛感情が芽生えたら、それを優先する」。確かこんなことを言っていた。さすがおフランスですわ。大人ですなぁ。もちろん、それを実行に移せば、ややこしいトラブルが起きるのは目に見えているのだが……。だからフランス人は同棲が多いけれど、あまり結婚しないんや。納得。
ドライブのルートが素晴らしい。カンヌから北上、古代ローマの水道橋ポン・デュ・ガールを経て、ローヌ川沿いに車を走らせ、美食の町リヨンからサンティアゴ巡礼の出発点で、サント・マドレーヌ大聖堂で知られるヴェズレーへ。そしてゴール地点のパリに到着。ぼくは「ケルト」の取材旅行ですべて訪れたことがある。映画のように、車ではなく、列車とバス、時にはヒッチハイクで。リヨンでアンとジャック、リュミエール研究所の所長の3人が会食したレストランはよく覚えている。そこでハンバーグ様の料理を味わった(それが美味しくなかった!)。パリでのエンディングが何とも大人っぽかったなぁ……。ええ塩梅でした。
人生は1回限り。状況が許せば、それを謳歌しない手はない。ジャックはしっかり実践している。そんな男性と2日間、べったり一緒におれば、感化されないはずがない。アンは間違いなく心がよろめいたと思うが、倫理観と自制心が歯止めをかけた。それでも見失っていた自分を見出すことができただけでもシメタもの。この映画は男性も大いに役に立つ。女性への接し方・扱い方の「虎の巻」なんだから(笑)。観終わってから、ぼくは心に誓った。来世は絶対、フランス男になる~~と!!
武部 好伸(エッセイスト)
公式サイト⇒ http://bonjour-anne.jp/
©American Zoetrope,2016