映画レビュー最新注目映画レビューを、いち早くお届けします。

『ハクソー・リッジ』

 
       

Hacksaw-550.jpg

       
作品データ
原題 Hacksaw Ridge  
制作年・国 2016年 オーストラリア・アメリカ
上映時間 1時間19分
監督 監督:メル・ギブソン  脚本:ロバート・シェンカン、アンドリュー・ナイト  撮影:サイモン・ダガン
出演 アンドリュー・ガーフィールド、サム・ワーシントン、ルーク・ブレイシー、ヒューゴ・ウィーヴィンス、テリーサ・パーマー、ヴィンス・ヴォーン
公開日、上映劇場 2017年6月24日(土)~TOHOシネマズ梅田他、全国ロードショー
受賞歴 第89回(2017年)アカデミー賞録音賞受賞

 

★地獄の沖縄で75人も救った“兵役拒否者”がいた!

 

メル・ギブソンといえば『マッド・マックス』、『リーサル・ウェポン』などで知られるハリウッドの人気アクションスター。だが、すでに知られる通りそれは俳優としての看板ではなかったか。監督業に進出してからは思い切りイメチェンした。スコットランドの実在の英雄を描いてアカデミー賞作品賞、監督賞など5部門に輝いた『ブレイブハート』('95年)がファンを瞠目させたのに続いて『パッション』('04年)では十字架にひかれていくイエス・キリストをひたすら打ちすえて騒然たる話題を呼び、大ヒットさせた。


監督としての力量は誰もが認めるところだが、新作の戦争映画『ハクソー・リッジ』もまた実在の知られざる英雄を取り上げて問題作に仕上げた。正直、メル・ギブソンって一体何者や?

Hacksaw-500-di-2.jpg


 

★自らの限界と可能性を見越していた人気スター

 

もっぱら“国内専用”の映画記者だったが、メル・ギブソンには一度、直接取材する機会があった。ヒットシリーズ『リーサル・ウェポン4』'(98年、リチャード・ドナー監督)のハリウッド・ワールドプレミア取材に招かれて行った。スポーツ紙の共同取材だったが、自分でひとつは質問を、と考えてぶつけた。


この映画の共演女優、レネ・ルッソと並んだ取材の場で「アクション俳優として何歳までやれると思いますか?」。本人を前に少々大胆な質問だったが、その場の雰囲気で気軽に答えてくれた。当時、すでにシルベスター・スタローンがその懸案に答えを出していて、メル・ギブソンも「50歳ぐらいが限界じゃないか」と言った柔らかい表情が印象的。気さくな人だった。 その5年前、彼は『顔のない天使』('93年)で監督に転身し、'95年の『ブレイブハート』で大成功を収めた。足かけ12年続いた『リーサル・ウェポン』シリーズ('87年~'98年)が4作目で終わった時、41歳。すでに彼は“次なる展開”を見越して新天地に乗り出していたのだった。


 

★「助けるために死力を尽くした兵士」の実像

 

『ハクソー・リッジ』は第二次大戦末期、連合軍の沖縄上陸の凄まじい激闘、日本軍の絶望的な抵抗戦をものすごい物量とリアリティーでつぶさに描く。日本人にはつらい局面で、見るに耐え難い描写も少なくない。


Hacksaw-500-2.jpg私事で恐縮だが、小中学生時代は友人たちと同様、見てスカッとする西部劇や戦争映画大好き少年だった。小6で見た『荒野の七人』('60年、ジョン・スタージェス監督)にはワクワクしっぱなしだったし、中学時代、初めて前売り券を買って梅田東映パラスへ見に行った『史上最大の作戦』('62年)では第二次大戦の全体像を学んだ。


圧倒的優勢だったナチス・ドイツに対して、連合軍が反撃に転じたノルマンディー上陸作戦を総合的な視点から描いた映画。“連合軍側”の中学生は勇気付けられた。負傷して車椅子に乗りながら連合軍を率いたジョン・ウェインが実に頼もしかった。映画ではレジスタンスが果たした役割もしっかり描かれていたのを覚えている。


このノルマンディー上陸作戦をスティーヴン・スピルバーグ監督がテーマを変えて描き直した『プライベート・ライアン』('98年)も印象深い。スピルバーグ監督らしく、圧倒的な物量と、何よりもリアルそのものの描写で『史上最大の作戦』と同じ戦闘とは思えないリアルさに息を飲んだ。 本作もまた“痛快な戦争映画”とはほど遠い生々しい描写のある映画だ。だが、それより、戦争の悲惨さや戦争によって失われるものの大きさを家族や周囲との人間関係によって実感させる、ヒューマンドラマとしても心に響く。


Hacksaw-500-3.jpg『ハクソー・リッジ』の主人公は、“良心的兵役拒否者”であるデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)。ハリウッドの戦争映画で兵役拒否者が主役になるのは珍しい。戦争映画で活躍する米兵は良心的で正義感にあふれ、勇敢で命知らず、というのが定番だった。ところが・・・。


デズモンド青年はヴァージニア州の豊かな自然に囲まれた町で育ち、野山を駆け回る少年だった。だが、彼は家族に問題を抱えていた。父親トム(ヒューゴ・ウィーヴィング)が第1次世界大戦で心に傷を負ったことから酒に溺れ、母親バーサ(レイチェル・グリフィス)とケンカが絶えなかった。また、子供時代から「汝、殺すことなかれ」という教えを大切にしてきた。こうした宗教的理由も多くのアメリカ人の背景にあると分かる。出征時に、家族の切ない思いとは裏腹に「立派に死んでこい」などという日本のバカげた風潮とはかけ離れている。「銃を持たない」デズモンドも「衛生兵なら国に尽くすことができる」と陸軍に志願する。


Hacksaw-500-5.jpg彼はグローヴァー大尉(サム・ワーシントン)の部隊に配属され、ジャクソン基地で上官のハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)から厳しい訓練を受ける。体力に自信がある彼は泥道を這いずり、障害物にも苦もなくよじ登れた。だが、狙撃訓練が始まった時、彼は銃を取らず、銃に触れることさえ拒絶する。


デズモンドは、軍服や軍務には何の問題もなく彼は「人を殺せないだけです」と主張する。グローヴァー大尉は「戦争は人を殺すことだ」と呆れ、「命令に従えないなら除隊しろ」と通告する。野球やアメフト、といった仲間意識の強い“戦う集団”、まして命さえかかった軍隊では到底許されないこと、そこからみ出したデズモンドがどんな仕打ちを受けるか、は想像に難くない。以来、上官や仲間の兵士たちから無視され、執拗な嫌がらせも受ける。だが、彼の決意は揺らぐことはなかった…。


Hacksaw-500-4.jpg1945年5月、デズモンドはグローヴァー大尉に率いられて沖縄に出陣する。仲間内で悪名高いハクソー・リッジ(のこぎり崖)は、味方の凄まじい艦隊砲撃を持ってしても、先発部隊が6回登って6回撃退された末に壊滅した“魔界”。悪魔のような激戦場で、銃を持たないデズモンドはいかに戦うのか、それはまさしく「神が与える試練」にほかならなかった。


太平洋戦争末期、それも沖縄戦は多くの日本人にとってまさに悪夢。終戦直後に何度も映画化された女学生たちが主役の“ひめゆり部隊”は戦争の無残さの象徴でもあった。


Hacksaw-500-1.jpgそんな文字通り地獄の戦場で、銃を持たないデズモンドは、宣言通り、ひたすら兵隊たちを救うことに全身全霊を注ぐのだった。    切り立った崖の上で、傷ついた仲間たちを救うため、懸命にロープを操るデズモンドが描かれる。こんな男が本当にいたのか。感嘆の思いに打たれる。日本軍が民間人を巻き込んで、集団自決などの悲劇を生んでいる時、彼の行動は単に「ヒューマニズム」で片付けられない、精神の高みに達していると思う。


結局、6月23日に終結した沖縄戦では、米軍側は戦死1.4万人(負傷7.2万人)、日本側犠牲者は18.8万人、うち半数の9.4万人が民間人だったという。民間人の犠牲者が大きく際立った悲劇。その背景には、東條英樹陸軍大臣が指示した「捕虜になるなかれ」というバカげた「戦陣訓」の影響が大きい、と見る向きが多い。


日本では“良心的兵役拒否者”は出てくるはずもなく、米国内でも嫌われたが、デズモンドは終戦後、兵役拒否者としてアメリカ史上初めての名誉勲章が授与された。1995年の終戦50周年を記念して沖縄県が建立した「平和の礎(いしじ)」にも祀られた。極めて例外的だったとはいえ、戦闘中でも敵味方を超え、日本兵さえ手当てしたという彼の行いは、アメリカでも日本でも高く尊崇される“神の御業”に違いなかった。こんな実話に光を当てたメル・ギブソンという男は凄いと思う。


(安永 五郎)

公式サイト:http://hacksawridge.jp/

© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

カテゴリ

月別 アーカイブ