原題 | The Magnificent Seven |
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制作年・国 | 2016年 アメリカ |
上映時間 | 2時間13分 |
監督 | アントワーン・フークア( 『トレーニング デイ』『イコライザー』『サウスポー』) |
出演 | デンゼル・ワシントン(『トレーニング デイ』『イコライザー』)、クリス・プラット(『ジュラシック・ワールド』)、イーサン・ホーク(『6才のボクが、大人になるまで。』)、イ・ビョンホン(ターミネーター:新起動/ジェニシス』)、ヴィンセント・ドノフリオ(『ジュラシック・ワールド』)、マーティン・センズメア、マヌエル・ガルシア=ルルフォ |
公開日、上映劇場 | 2017年1月27日(金)~全国ロードショー |
★甦った“黒澤時代劇”正義と興奮
早撃ち自慢のガンマンと命懸けの勝負を迫られたナイフ使いの“決闘”は、ナイフの方が一瞬早く、ガンマンの胸に突き刺さった。ナイフ使い=イ・ビョンホンの表情に、遠く『七人の侍』の宮口精二、そして『荒野の七人』のジェームズ・コバーンの面影を見た。これが“歴史的映画”の深みか。『七人の侍』(1954年)→『荒野の七人』(1960年)から今年の『マグニフィセント・セブン』にまで続く“見事な達人”の技。見せたくはないが「やむを得ない」、これがマグニフィセントセブン(崇高な七人)の精神だった。
“源流”は62年前にまで遡る。知らない映画ファンはいないだろう、黒澤明監督の傑作時代劇『七人の侍』(54年)。巨匠が心血を注いだ3時間を超える大作は、日本映画はもちろん、スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスら世界的なフィルムメーカーにまで強い衝撃を与え、世界中の映画人の“教科書”にもなった。この作品で名を上げた主演の三船敏郎は後にアカデミー賞名誉賞を受賞している。6年後の1960年にはジョン・スタージェス監督が『荒野の七人』のタイトルでハリウッド・リメイク。これも黒澤時代劇の精神を受け継いだ痛快西部劇だった。
原題『マグニフィセント・セブン』そのままに、“黒澤フリーク”のアントワーン・フークア監督が甦らせた新作もまた、黒澤魂を脈々と受け継いでいて、心弾む思いがした。『七人の侍』、『荒野の七人』は集団時代劇だが、黒澤監督は七人の侍たちの個性を豊かに描き込んで見る者を惹き込んだ。序盤の仲間集めのシーンは、「その時代に行って撮ってきたような」アクチュアリティに満ちている、とある評論家が評した。
侍の頭目、志村喬とやんちゃな“バッタ侍”菊千代=三船敏郎が二枚看板だが、強者揃いの中でもとりわけ凄い“剣の達人”を演じたのが宮口精二。物静かでいながら度胸満点な凄腕剣士に、やんちゃな菊千代も惚れ込む。その達人を『荒野の七人』で引き継いだのが“ナイフ使い”のジェームズ・コバーン。「拳銃より速い」ナイフの電光石火の早業で驚かせた。頭目はユル・ブリンナー、その相棒は人気者スティーヴ・マックィーンが務めたが、コバーンの技と個性が光った。
新作の舞台は1879年、アメリカ西部の町、ローズ・クリーク。開拓者たちが苦労して築きあげたこの町を、横暴で非道な資本家ボーグ(ピーター・サースガード)が乗っ取ろうと画策する。えげつないやり口で財産を築き、金の採掘でさらに富を膨らませようと企むボーグは、保安官を買収して住民に立ち退きを迫る。 荒らくれ手下たちを連れて町に来ては逆らう者に死の制裁を加え、神をも恐れず教会に火を放つ。ローズ・クリークには絶望感が漂った。
お尋ね者を追う治安官チザム(デンゼル・ワシントン)は、ローズ・クリークから来た未亡人エマ(ヘイリー・べネット)に「町の用心棒になってほしい」と頼まれる。少ないながら町民からかき集めた全財産を持って。町の苦境を知らされ、その敵が悪名高きボーグと知って、チザムは頼みを引き受ける。全財産といっても貧しい村のこと、大した額ではないはずだが、それでも引き受けたのはなぜか? “賞金稼ぎ”の気まぐれか、開拓者に残っていた正義感か、そこに“七人の侍”の精神がある、と思う。
★小6時『荒野の七人』、大学1年時『七人の侍』
私事で恐縮だが、記者が兄に連れられて『荒野の七人』を初めて見たのは小学6年(昭和35年)の時。今はない「なんば大劇場」だった。ミナミで一番の大スクリーンと、エルマー・バーンスタインの軽快なテーマ曲、マックィーンやコバーンのカッコよさに圧倒された。「こんな面白い映画はない!」としばらく興奮覚めやらなかった。以後、今日まで映画三昧の日々を送るようになったのも、この映画が原点だった。
ところが映画子供も成長し、大学1年時に東宝の名作リバイバル2本立て(ロードショー番組)で“元祖”『七人の侍』を見た。ビデオもDVDもなく、過去の遺産を見るのは難しい時代だった。あんなに手に汗握った『荒野の七人』がリメイクと知って呆然。「上には上がある」と映画の深みに感心した。すでに語り尽くされている『七人の侍』をあえて表現すると「七人の食いつめ侍」たちの“無私の戦い”に要約出来るだろう。 頭目・志村喬は仲間を集めるにあたって「報酬」がないことを明かし、農民たちから「腹一杯飯を食わせる」ことが報酬、と聞かされていた。中には「何かほかに隠し財産があるはず」と憶測する者もいたが、侍たちも「食うに困って」集まったのだった。
『荒野の七人』も同じ。「村には金塊がある」と信じ込んで加わった者もいたが、どちらも“薄謝”レベルだったことは間違いない。つまり、腕に覚えのある侍(またはガンマン)たちが「やむにやまれず」自ら立って悪どい無法者集団と対決したのが『七人の侍』、『荒野の七人』という伝説映画のコンセプト。このシチュエーションは、NHK大河ドラマをはじめ様々な時代劇に何度か踏襲されている。
戦国時代や西部開拓時代、ひっそりと隠れているが“あったかもしれない”男たちの正しい戦いが、巨匠の手でフィルムに刻み付けられた奇跡。それが『七人の侍』だった。闘争手段を持たない農民たちが「戦闘集団を雇って防御する」。この考えは当時、日本に起こっていた再軍備の動きを予感したものとの見方もあり、実際この年、警察予備隊(後の自衛隊)が発足している。それほど重い命題は無縁、農民たちが「あんなに弱く無抵抗だった訳がない」という指摘もあったが「義を見てせざるは勇なきなり」というべき「正義の戦い」には感動したものだ。『七人の侍』を見て「映画監督を志した」フークア監督は「この映画は自分のDNA」と公言まで公言する。監督もまた、侍たちの“正義の戦い”に惚れ込んだのだ。
アメリカ映画は今、コミック・ヒーローが全盛。特殊能力を持つ特別なヒーローが乱立している。“マグニフィセント・セブン”には特殊能力はない。あるのは「経験と技術」そして、何よりも大事な男気だった。 ラスト、農民たちが収穫を祝って賑やかなお囃子とともに踊る。死んだ5人の侍たちの“土盛り”をバックに、生き残った頭目が相棒にポツリとつぶやく。「また負けいくさだったな」。勝ったのは戦った侍たちではなく「土に根ざした百姓たちだった」という、時代劇には珍しいシーンに黒澤監督の思いが込められていた。
『マグニフィセント・セブン』はトロント、ヴェネチアの国際映画祭で熱狂的に迎えられ、全米ナンバーワン・ヒットを記録した。フークア監督が共感したのは「侍たちが正しいことをする」ことだった。悪の存在が見えにくくなり、正義でさえ揺らいでいる時代、だが、黒澤監督が誇り高く謳いあげた半世紀前の“サムライ・スピリッツ”は、時代も国境も超えて不滅だった。
(安永 五郎)
公式サイト⇒ http://www.magnificent7.jp/