原題 | Queen of the Desert |
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制作年・国 | 2015年 アメリカ・モロッコ合作 |
上映時間 | 2時間08分 |
監督 | 監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク |
出演 | 二コール・キッドマン、ジェームズ・フランコ、ロバート・パティンソン、ダミアン・ルイス、ジェイ・アブド |
公開日、上映劇場 | 2017年1月21日(土)~新宿シネマカリテ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 ほか 全国順次ロードショー |
~砂漠に生きた気高き英国の才女~
『アラビアのロレンス』ならぬ、『アラビアの女王』。この邦題にまず惹かれた。主人公は英国人女性ガートルード・ベル(1868~1926)。考古学者であり、冒険家・登山家、そして英国政府の情報員として知られていた。さらにイラク王国建国の立役者でもあった。そんな著名人なのに、ぼくは名前くらいしか記憶に留めていない。どんな内容の映画なのだろう。しかも主演がニコール・キッドマン、監督がドイツの鬼才ヴェルナー・ヘルツォークときている。心がそそられないはずがない。
ベルはイングランドの鉄鋼王のお嬢さん。何不自由のない暮らしの中で生まれ育ち、オックスフォード大学では女性で初めて首席で卒業したというとびきりの才女。この経歴からして、普通の男なら、あまりにも引け目を感じて敬遠するだろう。彼女はしかし、世間知らずの気取った箱入り娘ではなく、進取の気性に富み、自由を希求する気持ちが並はずれて強かった。当然、堅苦しい上流社会に嫌気をさしていた。というか、狭い島国の英国にはそぐわない人物だった。
19世紀後半という時代を考えると、かなり進歩的な女性といえる。叔父がテヘラン駐在公使を務めるペルシア(現在のイラン)へと飛ぶや、よほど乾いた大地が肌に合ったのか、いろんなしがらみを断ち切り、自分らしく生き始める。未知なる世界と出会った彼女の悦びが銀幕からビンビン伝わってきた。
そのベルに扮したニコール・キッドマンが素晴らしい。いかにも英国人の独特な気品をかもし出しながらも、その一方で現地の民衆、文化、風土に溶け込もうとするひたむきさもしっかり表現していた。この人、米国ハワイ生まれのオーストラリア人女優。アメリカのちゃらけた娼婦やジャジャ馬娘を演じたかと思えば、イギリスの女流作家をソツなくこなす。英語のアクセントもきちんと操り、本当に器用な女優さんだと思う。それにべっぴんさんやし!(笑)。ぼくはサスペンス『冷たい月を抱く女』(1993年)のしたたかでクールな悪女に扮した彼女を見たとき、ホンマもんやと思った。49歳。果たしてメリル・ストリープのようになれるのか。これからが正念場!
ベルが壮年に達するまで英国にはヴィクトリア女王(1819~1901)が君臨しており、世界に冠たる大英帝国の威光が輝いていた。女王の晩年から次第に翳りが出てくるが……。石油採掘の利権を求め、英国はアラブやペルシアに力を注いでいた。映画を観ると、慇懃無礼で自信にみなぎった英国人(大半がイングランド人)がこれ見よがしに映されている。同じ植民地帝国を築こうとしていたフランスを揶揄するセリフも見受けられた。デヴィッド・リーン監督の『インドへの道』(1984年)に象徴されるように、この時代の英国植民地を舞台にした映画では、英国人と現地人とのギャップの大きさがことさら強調される。全く異なる2つの世界観の歪な共存。それが植民地の実体だったのだろう。
アラブやペルシアに触手を伸ばしていた大英帝国の前に立ちはだかったのがオスマン帝国。600年間も存続する老大国で、もはや寿命が尽き果てようとしていた。英国は第一次世界大戦(1914~18)で、部族社会で成り立っていたアラブを結束させ、弱体化したその帝国を骨抜きにしようと画策していた。こうした時代背景を踏まえて観ると、理解度がグンと高まると思う。
英国の野望の片棒を担がされたのが「アラビアのロレンス」こと、トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)だった。英国陸軍の将校でありながら、砂漠の民ベドウィンにべっとり寄り添う姿がデヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』(1962年)で活写されていた。その行動は本心からなのか、それとも命令に従っていただけなのか、真相はわからない。
大戦中、ベルも政府から委嘱されて諜報活動に当たっていたとき、20歳年下のロレンスと接点があった。そのことをこの映画で知り、吃驚した。彼女は中東情勢やイスラム社会について造詣が深く、ベドウィンとの人脈も多岐にわたっていた。そこから得た有益な情報をロレンスに提供していたそうだ。考古学研究者として発掘に取り組んでいた若き日のロレンスと一度、会っていたこともわかった。同じジャンルに身を投じた同志だったのだ。この映画では、ベルを前にすれば、ロレンスがいかに小者であったかが窺い知れる。
ベル&ロレンス。第一次大戦の混沌としたアラブを背景に彼ら2人に的を絞れば、きっと刺激的な映画になるはず。誰もがそう思うだろう。ヘルツォーク監督はしかし、あえてそうはしなかった。何と愛の物語に仕上げたのである。映画史上、さん然と輝くスペクタクル大作『アラビアのロレンス』と同じベクトルで撮れば、比較されるに決まっている。ならば変化球でと思ったのかもしれない。恋の相手はロレンスではない。大戦前、ペルシア滞在時に心を交わした英国の三等書記官ヘンリー・カドガン(ジェームズ・フランコ)。大戦中、現在、内戦で悲惨な状況に陥っているシリアのダマスカスで出会った英国の上級外交官リチャード・ダウティ=ワイリー(ダミアン・ルイス)。ベルが愛した2人の男性との悲恋が猛烈に切なく、かつ壮大に描かれる。あゝ、男運のない女性だった……。
『アギーレ/神の怒り』(1972年)であっと驚く想定外の映像を銀幕にぶつけたヘルツォーク監督も今や74歳。ええ塩梅に角が取れ、見違えるほど映像が柔らかくなった。本作では、実にオーソドックスに仕上げている。この監督を知る人にとっては物足りなく思うかもしれない。それでも、54年前の『アラビアのロレンス』を多分に意識したのであろう、ヒロインを魅惑的に引き立たせる砂漠の映像はこだわり抜いていた。
夕陽に染まる赤茶けた砂の大地。そこをラクダに乗ってゆるりゆるりと横断する一行をシルエットで捉えたシーンは、とりわけ息を呑み込まんばかりの美しさ。ラクダの乗り手はやはりピーター・オトゥールやキッドマンのような大柄な人間でないと、絵にならない。ぼくのような小柄な人間ではラクダに負けてしまう。ベルがオアシスで野外風呂に入る場面にはハッとさせられた。服を着たままというのが妙に艶っぽい。
往復2500キロの砂漠横断の旅を敢行したガートルード・ベル。砂漠に拠り所を求めた彼女の気持ちはいかばかりか。アラビアで燃え盛った「愛の炎」……。あまりにも儚げで、まるで蜃気楼のようだった。「砂上の楼閣」という言葉をヘルツォークが熟知していたのかもしれない。
1921年、現在のイラクとシリアの国境線を引いたのがベルだった。地図を見ると、シリア内戦とIS(イスラム国)によって荒廃しているエリアだ。まさかこんな惨状になろうとはベルもロレンスも想像だにできなかっただろう。この映画を観て、作品のテーマとは別に複雑な気持ちに包まれた。
武部 好伸(エッセイスト)
公式サイト⇒ http://gaga.ne.jp/arabia/
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