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『聖(さとし)の青春』

 
       

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作品データ
制作年・国 2016年 日本
上映時間 2時間04分
原作 大崎善生(角川文庫/講談社文庫)
監督 森義隆(『宇宙兄弟』『ひゃくはち』)  脚本:向井康介(『クローズEXPLODE』『リンダリンダリンダ』) 
出演 松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、安田顕、柄本時生、北見敏之、筒井道隆、竹下景子、リリー・フランキー
公開日、上映劇場 2016年11月19日(土)~大阪ステーションシティシネマ他 全国ロードショー

 

★天才・羽生追い詰めた“西の怪童”

 

7冠独占という将棋史上初の快挙を成し遂げた羽生善治さんを知らない者はいない。私事ながら、からきし弱いヘボ棋士の当方も一度だけ“羽生さんの偉業”に関わった。スポーツ新聞在籍36年、最後はデスク業務に就き、歴史的な『羽生7冠』誕生の日、1面作りに“当番”として携わった。


ご存知の通り、スポーツ新聞の1面はまず野球。近年はサッカーやラグビーも台頭し、春と秋のG1シーズンには競馬紙面になる。だが「動きが少ない」将棋や囲碁が1面を飾ることなどかつて一度もなかった。「あり得ない」ことをたった一人で実現したのだから、どれほどの偉業だったか分かろうというものだ。普段は“異論続出”する出稿会議でも反対はなく、すんなり1面が決まった。入社して初めてどころか、その後もたえてない“空前絶後”の歴史的偉業、と社内全員が認めた。もちろん1紙だけではなかった。


satoshi-500-1.jpg実際、羽生さんは“100年に一人の天才”と呼ばれ、将棋界に革新の風や世代交代をもたらし、NHK朝ドラ「ふたりっ子」(96年~97年)のモデルにもなり、ブラウン管にそっくりさんが登場したこともある。  だが、それほどの輝ける大スター羽生さんのすぐ近くにこれほどドラマチックな棋士がいたとは不覚にも知らなかった。“西の怪童”と呼ばれた村山聖(さとし)さんだ。


「将棋が無類に強かった」村山さんは、神童と称せられ、地元広島では“強者”として知られていたが、5歳の時に難病ネフローゼにかかり以後、何度も入退院を繰り返した。入院生活の中で出会った将棋の深い世界に自分が進むべき人生を見出だしたのだった。


satoshi-500-2.jpg主演の松山ケンイチは“病に苦しむ天才棋士”という難役を“乾坤一擲(けんこんいってき)”の気迫で画面に描出した。20キロ増量を目標にした役作りで、病気によりむくんだ体型を表現。死と背中合わせに、勝負の世界を捨て身の気構えで生きる男…松山の役者魂に感動出来る稀有な青春映画でもある。松山自身、撮影終了後に「自分にとって一生に一本の作品になると思う」と語っている。


体が重く、すぐ発熱する難病を抱えて、極めて繊細な勝負である将棋など平静に打てるものじゃない、と思う。それはヘボ棋士の戯言だったか、村山さんは大きなハンディに苦しみながらも、ひたすら将棋道に精進し“天才的なひらめき”という誰にもない才能を開花させていく。遊びたい盛りに運動を禁じられ、白い病室に閉じ籠ってベッドで一人将棋盤を前に研究に打ち込む姿には鬼気迫るものがあった。

 

★「打倒・羽生、谷川」を夢見た怪童

 

村山さんの天才ぶりはよく知られている。13歳で森四段と運命的に出会い、弟子入り。放蕩無頼風のこの師匠(リリー・フランキー)が“純粋な田舎の少年”村山さんの育成にぴったり合ったようだ。16歳で初段、翌年四段に昇段しプロ棋士に。入ることも難しい「奨励会」をわずか2年11か月の奇跡的スピードで通り抜け、18歳で「C級1組」に昇級したのは奇しくも天才・羽生さん(東出昌大)と同時だった。  倒れたり入院したり、難病を抱えながらもこれほど目覚ましい成績を残すことなど至難の技、およそ考えられないことだ。


satoshi-500-3.jpgこのころ、将棋界は世代交代の波が押し寄せ、村山さんの台頭直前、谷川浩司さんが名人位に就き「高速の寄せ」で棋界を席巻していた。病身の村山さんは、そびえるほどの高い目標を見据えて自分を奮い立たせた。「いつの日か名人になる」。燃える野望こそが村山さんになくてはならない“カンフル剤”だった。


「東の羽生、西の村山」と注目を集めた92年、「王将リーグ」で羽生三冠を2度も破りながら“宿敵”と見据えた谷川王将に4連敗を喫して夢は一度散った。敗れた時は病が重くなり、立ち上がることも出来ない状態だったが、母親・トミ子さん(竹下景子)の献身的な看護と“名人への夢”に思いを馳せることで村山さんは文字通り、地を這うように前進し続けたのだった…。

 

★“東の名人”に挑んだ西の阪田三吉

 

将棋映画には伝説的な先輩がいる。明治時代、素人の将棋指し(アマ)として大阪で有名になった破天荒な棋士・阪田三吉。彼もまた“大阪名人”の教えを受け、エリートと目された東京の関根八段に挑んで数々の伝説を残した。この実在のヒーローは北条秀司の戯曲で有名になり、伊藤大輔監督が3度も映画化(主演は阪東妻三郎、辰巳柳太郎、三國連太郎)ほかに勝新太郎主演作(73年)まで5度も映画化されている。それほど天衣無縫の素人棋士は大衆の心を惹き付けた。


三國連太郎主演作(62年)で村田英雄が歌った主題歌「王将」(船村徹作曲)が大ヒットして阪田三吉の名は日本中で知られるようになった。村山さんとは時代も状況も異なるが“西の型破り棋士”対“東の名人”という図式には共通するものがありそうだ。歌の「王将」で言えば♪明日は東京へ出ていくからにゃ、何がなんでも勝たねばならぬ~の精神は今も変わらない。


satoshi-500-4.jpg阪神大震災で内弟子を亡くし、ショックで入院するが病院を脱出して対局へ向かう。村山さんには嘘偽りなく「死か名人か」という命懸けの二者択一だった。  後進の棋士に「君は命懸けじゃない」と激しくたきつける村山さんに悲劇が待ち受けていた。羽生さんが7冠を達成した翌97年、膀胱がんが再発「余命半年」と宣告される。手術を拒否する彼を両親や師匠が懸命に説得し、8時間半の大手術を受け膀胱摘出。それは生きるためではなく「再び戦うため」にほかならなかった。奇跡的にA級復帰を果たしたものの、無情にもがんが再発。誰にも告げず、NHK杯決勝で羽生さんと対戦し、冴え渡った指し手で羽生さん自ら「投了を覚悟する」までに追い詰めた…。


刻一刻と迫る“命の期限”と競うように満身創痍で将棋を打ち続ける村山さんの姿は、痛々しさを通り越して神々しくさえある。「僕の命は長くない」と覚悟していた村山さんは98年死去。享年29歳。素朴でピュアな人柄で多くの人に愛された天才の、あまりにも早すぎる死だった。夢にまで見た名人位には届かなかったが“7冠羽生”と互角に渡り合った事実が村山さんの力を示している。


(安永 五郎)

 ★公式サイト⇒ http://satoshi-movie.jp/

(C)2016「聖の青春」製作委員会