原題 | Born to Be Blue |
---|---|
制作年・国 | 2015年 アメリカ=カナダ=イギリス |
上映時間 | 1時間37分 R15+ |
監督 | 【監督・脚本】:ロバート・バドロー |
出演 | イーサン・ホーク、カルメン・イジョゴ、カラム・キース・レニー |
公開日、上映劇場 | 2016年11月26日(土)~Bunkamuraル・シネマ、シネ・リーブル梅田、12月3日(土)~シネ・リーブル神戸、12月10日(土)~京都シネマ ほか全国ロードショー! |
~黒人になりたかった白人ジャズマン、チェット・ベイカ~
少し眠気を催す、抑揚に乏しい脱力系のヴォーカル。中性的というか、女性の声のようにも聞こえる。低音は女性歌手ジュリー・ロンドンと驚くほどよく似ている。はて、巧いのかどうか……。よくわからない。ただ、気だるいムードに妙に癒やされる。歌い終えると、トランペットがメロディアスな旋律を奏でる。重苦しさは微塵もない。軽やかで明るく、だからその音楽と真剣に向き合うにはやや物足りなく思ってしまう。BGMにはうってつけ。何度、聴いても飽きない。どういうわけか、アイリッシュ・ウイスキー(ジェイムソン)のロックと程よくマッチする。
チェット・ベイカー(1929~88年)が1954年と56年に吹き込んだアルバム『Chet Baker sings』を今、聴いている。学生のころはLPレコードを持っていたが、金欠時に売り払ってしまい、数年前、CD盤を買った。チェット・ベイカーの素顔に迫った映画『ブルーに生まれついて』を試写で観てシネマエッセイを書くので、久しぶりに彼のサウンドを耳にした。このアルバムの録音時が全盛期。歌える白人ジャズ・トランペッターとして一世を風靡していた。
しかし、『ジャズ・レコード・ブック』や『有名ジャズメン』などジャズ関連の書物を開いてみても、チェット・ベイカー単独ではほとんど紹介されておらず、添え物的に記述されている。つまり、ジャズ界(史)においてはあまり評価が芳しくないということ。脂がのっていた時期が短く、強烈なジャンキー(ヘロイン中毒者)であったことが原因なのだろうか。いや、それなら、ひと昔前にはそういうジャズマンは他にもごろごろいた。むしろ麻薬に手を染めていない人の方が少なかったのかもしれない。
ならば、音楽的にレベルが低いのか……。ヴォーカルはさておき、トランペット奏者としては飛び抜けて才能があるとは思えないけれど、独特なトーンで味のある音を聴かせてくれる。ぼくが思うに、上記の理由に加え、ジャズの本拠地ニューヨークを中心とした東海岸ではなく、ウエスト・コースト(西海岸)派の白人ジャズマンであったことが多分に影響していたのではないかと。言い換えれば、複合的な要因で日陰的な存在になったような気がする。
ぼくは高校のときにビートルズ、ロック、ポップスにどっぷりハマっていた。ところが大学に進学するや、そういう白人音楽から離れ、ジャズやブルースといった黒人音楽に傾倒していった。(「アフリカ系アメリカ人の音楽」という表現は馴染まないので、ここでは「黒人」で通します)。今でも一番好きな音楽のジャンルはと問われれば、ジャズと即答する。学生時代、「ジャズ=黒人の音楽」と頑なに信じていたので、当然、白人は論外、黒人のジャズしか聴かなかった。いわゆるジャズ原理主義。怖い、怖い。
しかし大学4年生になると、少しは大人になってきたようで、ストイックな聴き方がむしろしんどくなってきた。「黒人であれ、白人であれ、ええ音楽やったら、何でもええやん」。そう思うようになり、少しずつビル・エヴァンスやジェリー・マリガンといった白人ジャズマンやフランク・シナトラ、アニタ・オディら白人ヴォーカリストの音楽も聴くようになり、世界がグンと広がった。その中にチェット・ベイカーがいたのである。
映画ではことさらチェット・ベイカーのドラッグとの闘いが軸になっていた。冒頭はイタリア公演時にヘロイン使用で逮捕され、留置場に収監されていたシーンだった。1960年代の初めころ。そこから自伝映画の出演話が転がり、にわかに好転していくところが描かれていた。映画化を進めた実際のプロデューサーはハリウッドの映画人ではなく、『道』や『カビリヤの夜』のフェリーニ作品、『セルピコ』などを手がけたイタリアの大物製作者ディノ・デ・ラウレンティス(1919~2010)だったといわれている。映画は企画の段階で頓挫したので、撮影は行われていなかったはず。
この人が人気絶頂期にジャズの殿堂、ニューヨークの「バードランド」に出演し、大御所のマイルス・デイヴィスとディジー・ガレスピーに出会ったことが挫折につながった。敬愛していたマイルスに何とか認めてもらおうと懸命にトランペットを吹いたのに、酷評されるのならまだしも、無視同然の態度を取られ、「(ここで演奏するには)まだ早い」と一蹴された。マイルスの冷徹な眼差し。これは堪える。映画の中でもこの場面が前半のクライマックスになっていた。ウエスト・コーストの白人という「コンプレックス」がベイカーの心の中でさらに強まった瞬間。ぼくにはそのように思えた。
このあと泥沼のヘロイン地獄に堕ちる。その過程でドラッグ代絡みで売人に襲われ、前歯を折られるという災難に遭う。自業自得とはいえ、トランペット奏者としては致命的なダメージ。運に見放された、そんなだらしないダメ男を駆け出し女優の恋人ジェーン(カルメン・イジョゴ)が献身的に支える。母親のような慈愛に満ちた彼女の温かさに包まれ、少しずつ立ち直っていくところが映画のメインストリームになっていた。ジェーンが黒人というのも、ベイカーの黒人志向の顕著な表れと思っていいだろう。皮肉なことに、入れ歯の影響で、誰にも出せない「ベイカー・サウンド」を生み出した。
それにしても、チェット・ベイカーになり切ったイーサン・ホークが素晴らしい!! 彼の演技に喝采を送りたい。体重を落とし、こけた頬を際立たせ、トランペットを口にする姿は限りなくベイカーに近い。風貌だけでなく、デカダンな雰囲気がそっくりなのだ。「ほんま、あかん奴ちゃなぁ」。どうしようもなくそう思わしめるのだから、凄い。この人の最高の演技ではないかとぼくは思っている。
驚いたことに、代表曲『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』と『アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー』の2曲を自ら歌いこなしていた。それがプロはだしのヴォーカル。聴かせる。ベイカー本人よりも巧いかも。レコーディングとステージで歌っている姿が何ともカッコいい。参った、参った。マイルス・デイヴィスに扮した俳優(ケダー・ブラウン)もそっくりさんだった。
ベイカーは必死になって黒人のジャズに近づこうとし、マイルス・デイヴィスにも認めてもらえるようになった。そのためにしかし、大きな代償があった。アホな奴や……。人生最大の決断を迫られる演奏シーンはかなりディフォルメされているとはいえ、十二分に観させる。アメリカでジャズが廃れてきたという理由もあっただろうが、ヨーロッパに活動の場を見出したのは、ひょっとしたら、黒人ジャズからの決別だったのかもしれない。「白人のジャズを貫こう」。どうにもならない壁に気づき、そう開き直っていたような気もする。
テナー・サックス奏者デクスター・ゴードンが主演した『ラウンド・ミッドナイト』(1986年)、天才サックス・ジャズマン、チャーリー・パーカーの生きざまを追ったクリント・イーストウッド監督作品『バード』(1989年)、狂気の世界に引きずり込まれるジャズ・ドラマーの物語『セッション』(2014年)……。これまでジャズマンを描いた映画が数多く作られてきた。その中で本作は忘れ難い1作になった。
今、CDアルバム『Chet Baker sings』が全曲、終わった。もう一杯、アイリッシュ・ウイスキーのロックを作り、今度はリラックスしながら曲に身を委ねてみよう。イーサン・ホークに乾杯~!
武部 好伸(エッセイスト)
公式サイト⇒ http://borntobeblue.jp
(C) 2015 BTB Blue Productions Ltd and BTBB Productions SPV Limited.ALL RIGHTS RESERVED.