原題 | Simindis kundzuli |
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制作年・国 | 2014年 ジョージア・ドイツ・フランス・チェコ・カザフスタン・ハンガリー合作 |
上映時間 | 1時間40分 |
監督 | ギオルギ・オヴァシュヴィリ |
出演 | イリアス・サルマン、マリアム・ブトゥリシュヴィリ、イラクリ・サムシア、タマル・レヴェント |
公開日、上映劇場 | 2016年10月8日(土)~テアトル梅田、順次~京都シネマ、元町映画館、など全国順次公開 |
自然の恵みの中、静寂を切り裂く銃声。
人間の営みの儚さと愚かさと…。
珍しく、コーカサス山脈南側の国、ジョージア(旧グルジア)の映画2本がこの秋公開されている。ソ連邦崩壊後独立を果たしたジョージアだったが、西部の黒海に面したアブハジアと中央北部にあたる南オセチア(北オセチアはロシア領)地方が、それぞれロシアの支援を受けて独立を主張し紛争が勃発。『みかんの丘』(ザザ・ウルシャゼ監督)と『とうもろこしの島』(ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督)の監督は二人ともジョージア人で、1992年のアブハジアとジョージアとの内戦時の人間ドラマを描いている。紛争が拡大しつつある現代人にこそ響く「人間と戦争」という普遍性を浮き彫りにした傑作である。
『とうもろこしの島』は、2014年の東京国際映画祭で上映作され、筆者が観た中でも一番印象に残った作品。内戦状態の中、習慣に従って川の中洲で夏の間だけとうもろこし作りをする老人と少女の悠然さとは対照的に、人間がひき起こす紛争の非情さに胸が痛んだ。衝撃的なラストシーンのダイナミックな撮影にも驚かされる35ミリフィルムで撮った大作は、『放浪の画家ピロスマニ』やセルゲイ・パラジャーノフ監督の数々の名作を生んだ国・ジョージアの映画文化の再興を実感するものとなった。
アブハジアとジョージアとの境を流れるエングリ川は、コーカサス山脈の雪解け水を源に肥沃な土壌をもたらす一方、春になると氾濫を起こしていた。アブハズ人の農民は、水浸しになった農地を諦め、新しくできた中洲でとうもろこしを作る習慣があった。今年も中洲に老人(イリアス・サルマン)が小舟でやってくる。習慣では中洲に一番乗りした者が小屋を建て、とうもろこしを作ることができる。老人が中洲の土壌を確かめようと少し掘ってみると、パイプのような物が出てくる。(エピローグでも同じようなシーンがあるが、それを頭の片隅に置いてご覧頂きたい。)
老人は内戦で両親を亡くした孫娘(マリアム・ブトゥリシュヴィリ)を連れてくる。ようやく思春期を迎えようとしている少女だが、丸太を運んだり小舟を操って物資を運んだり、親代わりの老人を健気に手伝う。小屋を建て、土地を耕し、種をまき、中洲が流されないよう保護柵を作る。自然が創った小さな中洲で、川の流れる音や鳥のささやき、森の木々のざわめきや風の音が、黙々と農作業に励む老人と少女を包み込む。だが、そんな平穏さを切り裂くように、時折両岸の森の中で銃声が響く。
アブハジア側とジョージア側の兵士たちが川を挟んで戦っているのだ。まだ幼さの残る美しい少女をからかう兵士もいれば、両軍のパトロール隊に睨まれることもある。ある晩、ひとりの負傷兵が中洲に逃げ込み、緊張が走る。農民にとって敵味方など関係ない。傷付いた者がいれば介抱し助ける。歴史的にもロシアとトルコという大国に挟まれ紛争の絶えなかったコーカサス地方だが、人々は人間性を失わず、天から授かった命を大切に生きてきたのだ。若い兵士に興味を持った少女の輝きと、ラストの老人と孫娘が見つめ合う姿に、いつまでも胸の奥が締め付けられた。
セリフを極力省き、美しい映像と自然の音で状況を表現。たまに発せられる言葉に、少女の成長や、アブハゼア語とジョージア語の違いで立場の違いを感じさせる。老人役のイリアス・サルマンはトルコの俳優で、孫娘役のマリアム・ブトゥリシュヴィリはジョージア中の村を回って探し出した演技未経験の子だという。少女の眼差しの先に幸あれ!と、紛争地域に生きる子供たちの将来に想いに馳せらせずにはおられなかった。
(河田 真喜子)