原題 | JASON BOURNE |
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制作年・国 | 2016年 アメリカ |
上映時間 | 2時間03分 |
原作 | キャラクター原案:ロバート・ラドラム |
監督 | 監督・脚本:ポール・グリーングラス 共同脚本:クリストファー・ラウズ |
出演 | マット・デイモン、ジュリア・スタイルズ、アリシア・ヴィキャンデル、ヴァンサン・カッセル、トミー・リー・ジョーンズ |
公開日、上映劇場 | 2016年10月7日(金)~全国ロードショー |
~殺人マシーンに少し感情が芽生えてきた……?~
秘密兵器が次々に登場し、時折、ウォッカ・マティーニで喉を湿らせながら美女をはべらせるジェームズ・ボンド。スパイ映画の王道ともいえる007シリーズを見慣れてきた身とあって、2002年に『ボーン・アイデンティティー』のジェイソン・ボーンを目にしたときは人生観が覆されるほどに吃驚した。何せちゃらちゃらしたところが全くなく、ストイックの塊なのだから。色恋沙汰とも無縁で、にやけ面を見せない。それに常に孤独。ボンドも単独行動だが、ボーンはとことんローン・ウルフ(一匹オオカミ)を貫く。
そうなんや、エンタメ系の007シリーズと比較したらあかんねん。そう頭を切り替えた。アクション重視のスパイ映画といえども、テイストから作り方から何から何まですべて対極にある。平たく言えば、東映の時代劇と黒澤時代劇、あるいは任侠映画とヤクザ映画の実録路線。そんなふうに受け止めればいいのだと理解した。その意味で、ジェイソン・ボーンはエポック・メイキング的な存在だと思う。
原作はスパイ冒険小説で知られたアメリカ人作家ロバート・ラドラム(1927~2001年)の小説。映画化作品は、前述した『ボーン・アイデンティティー』、『ボーン・スプレマシー』(2004年)、『ボーン・アルティメイタム』(2007年)の三部作に続き、ジェイソン・ボーンが写真だけでカメオ登場した『ボーン・レガシー』(2012年)が作られた。そして今回の『ジェイソン・ボーン』が(おそらく)新たなシリーズの第一弾としてリリースされた。
それにしても、何でこうも英語のタイトルをそのまま日本語表記の題名にするねん。『ボーン・レガシー』は言いやすいとしても、三部作はどれもまどろっこしくて、舌を噛みそう。第一、英語の意味を解する人がどれだけいるのか? 「アイデンティティー(identity)」は「自己同一性」、つまり「自分が自分であること」。「スプレマシー(supremacy)」は「優越性」。まぁ、ここまではええとしても、「アルティメイタム(ultimatum)」となると、もうお手上げ。意味は「最後通牒」のこと。誰が分かんねん、ほんまに。マメな人なら、辞書で調べるかもしれないけれど、そこまでして映画を観ません、普通は。「レガシー(legacy)」は「遺産」。これも分からん人は分からん。本作の『ジェイソン・ボーン』はもろにそのもの。非常に分かりやすい。Good~!!
ひと昔前の洋画タイトルはどれも味がありましたわ。『慕情』、『哀愁』、『お熱いのがお好き』、『愛と青春の日々』、『明日に向って撃て!』……。『Love is a many splendored thing』を『慕情』、『Waterloo Bridge』を『哀愁』と日本語の題名にしたその感性を高く評価したい。それが、『スター・ウォーズ』(1977年)辺りから英語の原題をそのままカタカナ表記するようになってしまった。その方がカッコよく映るからか? そろそろ原点回帰してもええのではないかと。かえって新鮮に感じられそうだから。この愚痴、ひょっとしたら、以前にも述べていたかもしれません。最近、とみに忘れっぽくなりましたので~(笑)
またまた脱線してしまった。ジェイソン・ボーンである。CIA(米中央情報局)が暗殺者育成プロジェクト(トレッドストーン計画)によって、最強の工作員に変身させられた男だ。何でも自分から志願したという。洗脳と人格改造がなされ、過去の記憶を消されている。とにかくめちゃめちゃ強い。感情は一切出さず、ロボットのように思える。まさに殺人兵器(マシーン)だ。ジェームズ・ボンドを10人集めても勝てそうにない。シン・ゴジラ級と言ったら、言い過ぎか。
そのボーンをマット・デイモンが体当たりで熱演してきた。9年ぶりに復活した彼は今や45歳(10月8日で46歳)。中年街道まっしぐら。初登場のころに比べると、確かに「おっさん化」しているけれど、胸板が厚くなり、さらにマッチョになっている。拳銃を握る掌がぶ厚くなったと思ったのはぼくだけかな……。単なるむくみかもしれないけれど~(笑)。
ボーンはCIA工作員として忠実な国家公務員を続けていたが、やがて「抜け忍」ならぬ、「抜けCIA」となり、自分は一体、何者なのかとひたすら「自分探し」をする。だから、基本的にはずっと1作目『ボーン・アイデンティティー』の精神を維持させている。本作ではCIAの元同僚ニッキー(ジュリア・スタイルズ)がCIA本部のサーバーをハッキングし、その中にボーンの素性がわかる機密事項が盛り込まれていたことから、いっそうその思いが強くなっている。父親と自分の本名が浮かび上がるところがキーポイント。
ボーンを組織の裏切り者と見なし、その存在を疎ましく思っているCIA長官ロバート・デューイ(トミー・リー・ジョーンズ)が天才ハッカーの女性エージェント、ヘザー・リー(アリシア・ヴィキャンデル)を接近させ、さらに凄腕の殺し屋(ヴァンサン・カッセル)を差し向ける。常に命を狙われているという展開はスパイ映画の定石だ。しかもネットによってすべての個人情報が筒抜け状態になっているというテーマを添えているのが、非常に今日的である。
金融危機で揺れ動くギリシアの首都アテネで、ニッキーと待ち合わせたボーンがいきなり襲撃され、混沌たる民衆デモの最中、大アクションシーンが繰り広げられる。手持ちカメラと目まぐるしく転換するカッティングによって、臨場感満点の映像をこれでもか、これでもかと畳みかけるようにぶつけてくる。
ボーンが何とか危機を乗り越えても、市街地や空港の監視カメラなどと連動させたCIAの追尾網でつぶさに行動がわかる。果たしてこういうことは可能なのだろうか? いまなら十分、ありえるかもしれない。そして場所を変え、再び追走劇が始まる。この繰り返し。だから単調と言えば単調だが、ポール・グリーングラス監督の煮えたぎった演出が加速度的に映像を熱くさせ、全く飽きさせない。この映画に限らず、CIA長官が悪者扱いにされているパターンが事のほか多いのは、よほどCIAという組織の実体が不透明だからなのだろう。
レイキャビック(アイスランド)、アテネ(ギリシア)、ベルリン(ドイツ)、ロンドン(イギリス)、ラスベガス(アメリカ)。国際的なスケールで舞台がどんどん移っていく。世界を股にかけるスパイ。この手の映画はこうでないとあきまへん。JR大阪環状線の内側だけで撮ろうなんて、そんなチマチマしたスパイ映画は考えられない~(笑)
それと殺し屋の執拗な追跡とクライマックスの一騎打ちも不可欠な要素だ。ジェイソン・ボーンはゆめゆめ“喋り”ではないので、セリフは極めて少ない。それに輪をかけて少なかったのがカッセル扮する殺し屋。何せ、「Copy that(了解)」のセリフしか発しないのだから。それゆえ不気味さが尋常ではなかった。それにしても、どうして殺し屋というのはあんなに頑強で、しつこい(粘り強い)のだろう。そんじょそこらの攻撃ではへこたれない。猛烈にタフで強運の持ち主なのだ。そしてラストには素手による取っ組み合い。これも決まり事だ。世の中、いくらデジタル化しようとも、やはり超アナログ的な〈肉体のぶつかり合い〉が映画の重しになる。
この映画を野球で例えるとしたら、時速160キロの剛速球を軸にピッチャーが完投する試合のような感じ。変化球はほんのわずか。その数少ない変化球……、それは終盤、ボーンが少し人間らしい感情を持ち始めてきたように思えたところ。自己(自分の正体)に一歩近づいた証しだろうか。次回作ではどうなっているのか楽しみだ。まさかボーンが弁舌豊かに喋りまくり、セリフのオンパレードになっている……。それだけは勘弁してほしい。
(エッセイスト:武部 好伸)
公式サイト⇒ http://bourne.jp/
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