原題 | Janis: Little Girl Blue |
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制作年・国 | 2015年 アメリカ |
上映時間 | 1時間43分 |
監督 | エイミー・バーグ |
出演 | サム・アンドリュー、ピーター・アルビン、デイブ・ゲッツ、クリス・クリストファーソン、カントリー・ジョー・マクドナルド その他大勢 |
公開日、上映劇場 | 2016年9月10日(土)~ ヒューマントラストシネマ有楽町、9月24日(土)~第七藝術劇場、順次~京都シネマ、元町映画館 他全国順次ロードショー |
★魂震えた時代の叫び“ジャニスの歌”
映画『ジャニス~』は、“音楽史上最高の女性シンガー”が激動の時代を全速力で駆け抜けた姿に迫った貴重なドキュメンタリー。 監督は『フロム・イーブル~バチカンを震撼させた悪夢の神父』(06年)がアカデミー賞ドキュメンタリー賞にノミネートされたエイミー・バーグ。ジャニスが亡くなった年に生まれた監督はまず「彼女を探す旅に出た」。「彼女の歌はなぜこんなにも多くの人の心をつかむのか。何がそこまで彼女を駆り立てたのか…」。遺族の協力を得て、家族や恋人宛の手紙も開封して伝説に閉ざされていたジャニスの姿が見え始める。
映画の中で、演技派女優ジュリエット・ルイスがいみじくも証言している。「彼女は自分の体を切り裂いて、内臓をさらけ出し全身全霊で歌っている」。この言葉がジャニスの歌を言い表している。容姿にコンプレックスを抱えた少女時代、自分の居場所を求めて放浪の旅を続けた青春時代、そして仲間たちとの嵐のような日々…ジャニスという「凄過ぎる女性シンガー」の全体像を知れば、ソウルフルなボーカルはより迫力を増す。
★奇跡のロックフェス『ウッドストック』
『ウッドストック』は団塊世代には“魔法の言葉”だ。もう半世紀近く前に開かれ、伝説になったロックフェスティバル。当時の人気ロックグループ、フォーク歌手ら30組以上が出場し、詰めかけた観客は40万人を超えた。ロックの原点であり“聖地”にもなった。 1969年8月15日から3日間、ニューヨーク郊外ウッドストック「ベセルの丘」で開かれた『ウッドストック』は、単なる音楽イベントを超え、全米で盛り上がった“ベトナム反戦運動”の壮大なモニュメントになった。
あの頃、花開いた音楽、通称“ニューロック”が目いっぱいに奏でられたかつてないロックフェス。ビートルズが登場し、若者たちが“自作自演”で自己主張を始めてから約10年、様々なスタイルで花開いた百花繚乱“若者音楽”の祭典だった。
オープニングのリッチー・ヘブンス『フリーダム』の心揺さぶるシャウトに始まり、ウッドストックで注目され“ラテン・ロック”を確立したサンタナのほか、一躍時代のヒーローになった面々は数多い。
日本公開は翌70年。デニ・スホッパー監督、ピーター・フォンダ主演『イージー・ライダー』(69年)がヒットして“アメリカン・ニユーシネマ”が潮流として話題を集めていた時、ウッドストックも新しい波の“音楽代表”として注目された。
学生時代、大阪・梅田の東映パラス(廃館)で行われた試写会に馳せ参じ、大音響による最新アメリカン・ロックに引き込まれた。ビートルズやローリング・ストーンズらイングリッシュ・インベイジョンとは異なる“新しいアメリカ”を体感し、ヒッピー文化=フラワームーブメントを目の当たりにした。
★サンタナ、CCR、CS&N…百花繚乱の宴
“フォークの元祖”ウディ・ガスリーの息子アーロ・ガスリー、フォークの女王で“反戦歌手の象徴”だったジョーン・バエズ、2日目にはカントリー・ジョー・マクドナルドが登場、ジョン・セバスチャンも飛び入り参加して会場を沸かせた。その後のサンタナ登場の時には雨が降りだしたが、観客はかえって盛り上がり、素っ裸で水に飛び込む泥だらけの若者たちが“自由”を実感させた。キャンドヒート、マウンテン、グレイトフル・デッドといった重厚組のあとには、カントリー・ロックと呼ばれた3人組クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)といった“並び”も絶妙。
そのあとに登場したのがジャニス・ジョプリン。歌は「ピース・オブ・マイ・ハート」。ジャニスはしばらく組んでいたビッグ・ブラザーから離れ、ブラス・セクションを加えた「コズミック・ブルース・バンド」を率い、よりソウル・ミュージックを意識した編成と言われた。このバンドは映画で名を上げたものの、すぐ解散。『ウッドストック』のジャニスは本人の生きざま同様“一瞬の輝き”だった。
ジャニスの後、コンサートはスライ&ザ・ファミリー・ストーン、ザ・フー、ジェファーソン・エアプレインと続き、さらに盛り上がりを見せていく。3日目はジョー・コッカー、ザ・バンド、クロスビー・スティルス&ナッシュ(ニール・ヤング欠場でCS&N)ら“ビッグネーム”が登場する。個人的に「最高」だったのは“スーパーバンド”と言われたCS&Nの「組曲・青い瞳のジュディ」。3枚組(5000円)のサントラ盤(2枚目)は50回以上聴いて暗譜するほど惚れ込んだ。
てんこ盛りだった3日間の大トリ、ジミ・ヘン登場時、夜明け時とあって観客はほとんど睡眠不足で寝ていた、という逸話も残っている。当時、フェスに駆けつけたメンバーたちに意識はなかっただろうが、彼らは『ウッドストック』という伝説に名を連ねることで“ロック史”に名を刻んだのだった。
★“記念碑の象徴”ジャニス&ジミ・ヘン
前述のようにきら星のごとく伝説が並ぶ中、ナンバーワンを挙げるとすれば、男は大トリを務めたギター&ボーカルのジミ・ヘンドリックス。アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」を騒音まみれのギター・ソロで“アメリカの歪み”を訴え、ヒット曲「紫の煙」へと繋いで盛り上げた。女性はズバリ、魂の歌声で会場を震わせたジャニス。“ロック史に残る輝かしい一頁”ウッドストックの象徴はこの二人、ジミ・ヘン&ジャニスにほかならなかった。奇跡的に大きなうねりとなったアメリカ60年代末の“高揚期”を締めくくったのはまばゆいばかりの二つの宝石だった。
奇しくも二人は翌70年、ともにドラッグ禍で短い生涯を閉じた。その生きざまと死にざまもまた伝説として“フラワームーブメントの象徴”になった。
ベトナム戦争は、こうした国内情勢に動かされて終息へ向かう。73年1月和平協定成立、3月米軍ベトナム撤退、そして、75年4月サイゴンが陥落し、ベトナム戦争終結。ベトナムの独立、南北統一が実現する。 二人はそれを見届けることは出来なかったわけだが「権力に反抗する」ことのはかなさを表してもいた。
★ジャニスからレディー・ガガまで
パワフルな女性シンガーは“時代の元気”を表してきた。パンチ姐御タニヤんことタニヤ・タッカー、「キャン・ザ・キャン」と叫んだスージー・クワトロから「ハートブレイカー」で大ヒットを飛ばしたパット・ベネター、ステージ・パフォーマンスで度肝抜いたランナウェイズのシュリー・カーリー、ブロンディもまたまずはステージで驚かせた。
フリートウッド・マックの美形ボーカル、スティーヴィー・ニックスはロック界の妖精”と言われファンを魅了したが、魔女さながらのダミ声で悪魔を思わせた。マドンナ、シンディ・ローパー、ビヨンセから最近のレディー・ガガまで、迫力あふれる女性ボーカルは常にロック・シーンにインパクトを与え続けてきた。そんな女性シンガー史の原点にして頂点に立つのがジャニス・ジョプリンにほかならない。シンガー・ジャニスの説明は不要。一度、彼女の歌う姿、声を聴いたら誰もが納得するはず。ソウルフルという言葉は彼女のためにある、ということが分かる。
(安永 五郎)
公式サイト⇒ http://janis-movie.com/
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