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『健さん』

 
       

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作品データ
制作年・国 2016年 日本 
上映時間 1時間35分
監督 監督:日比遊一/エグゼクティブ・プロデューサー:李鳳宇/音楽:岩代太郎/写真提供:遠藤努 今津勝幸 立木義浩 操上和美 高梨豊
出演 マイケル・ダグラス/ポール・シュレイダー/ヤン・デ・ボン/ユ・オソン/チューリン/ジョン・ウー/マーティン・スコセッシ(50音順)阿部 丈之・真子/石山 希哲・英代/今津 勝幸/梅宮 辰夫/遠藤 努/老川 祥一/川本 三郎/佐々木隆之/澤島 忠/関根 忠郎/立木 義浩/中野 良子/西村 泰治/降旗 康男/森 敏子/八名 信夫/山下 義明/山田 洋次/中井 貴一(語り)
公開日、上映劇場 2016年8月20日(土)~渋谷シネパレス、K’sCinema、第七藝術劇場、シネ・ヌーヴォ、京都みなみ会館、元町映画館、9月17日(土)~塚口サンサン劇場 ほか全国ロードショー

 

★背中からにじむ“男の哀愁”

 

kensan-240-3.jpg俳優・高倉健はもうずいぶん前から“神格化”されている。これほど長い間、第一線で活躍したスターを1本の映画で語り尽くすことなど出来ないと思うが、ハリウッド・スターや監督らに付き人、マネージャー、写真家など“脇役”の証言で人物像を浮き彫りにするドキュメンタリー映画、タイトルもずばり『健さん』が登場した。ファンとしてはうれしいことに「世界が健さんを認めている」と実感出来る。


長いこと記者として映画に携わってきた中で、一番の思い出と言えば駆け出し時代、京都・太秦にある東映と大映(閉鎖)の京都撮影所を担当し、現場取材出来たことだ。もう1か所、松竹撮影所もあったが当時、もっぱらテレビドラマ「必殺」シリーズの撮影中心だったため、足を向けることは少なかった。まだ京都の撮影所が“夢の工場”として活気に満ちていた時代。映画担当と言っても新米のこと、社内事情で“撮回り”を拝命し、週に何度か撮影所に通った。


いろんな現場取材を経験した中で「健さんを生取材した」「勝新太郎さんと膝突き合わせて話を聞けた」、もう一人、新人時代の松田優作さんを取材したことが忘れられない。映画記者のスタートが撮影所だったことが、今はほとんど出来ないことだけに、なんと幸せだったことか。


至近距離で見上げた健さんは、まるで最前列でスクリーンに見入るような、まさに“どアップ”だった。嘘みたいな至福感。「これは実物だ、健さんのリアル・クローズアップだ」…。  1973年、東映は10年続いた任侠映画から傑作シリーズ『仁義なき戦い』をはじめとする実録映画に主力を移し始めていた。この年、健さんは“任侠風作品”『現代任侠史』(石井輝男監督)に主演。橋本忍脚本で、健さんも武器を長ドスから拳銃に替え「劇中で珍しく殺される」というので東京本社(日刊スポーツ)の依頼もあり、取材に駆けつけた。“健さんの殺されっぷり”に注目が集まった。


kensan-500-1.jpg当時、撮影所での取材は原則「セットの隅で撮影の合間に囲み取材」で、本番の生々しい雰囲気を感じたものだ。健さん初取材は、映画の質問はなぜか覚えていないが、記憶鮮明なのが「ある人の思い出話」。直前に健さんが会ったのだろう、作詞家・岡本おさみ氏(故人)について熱く語った。フォーク歌手・吉田拓郎作曲の歌詞を手掛け、その頃「旅の宿」などがヒットしていた。岡本氏独特の感性をしきりに「素晴らしい」と絶賛していた。


後にエッセイ集などで、健さんが無類の人好きだと知ったが、初取材で“人褒め”の本領を発揮したのだった。健さんは「気に入った人」=影響を受けた人に惚れ込み、研究して“滋養”として取り入れていたのだろう。「人への惚れ込みぶり」は最後の作品『あなたへ』で共演したベテラン俳優・大滝秀治氏まで続いたようだ。
 


 

★「鶴田・高倉・藤純子」に熱狂の日々


1960年代、全盛を誇った東映任侠映画に熱狂した。鶴田浩二、高倉健、藤純子の三大スターの看板シリーズ作品は“場末の小屋”まで追いかけて、全作見た。ミーハー任侠映画ファンだった。“男の我慢”を体現した鶴田浩二にしびれたこともある。作家・三島由紀夫氏が絶賛した『博奕打ち  総長賭博』('68年、山下耕作監督)は任侠映画の最高傑作だろう。そこには、任侠の世界だけじゃない、どうにもならないがんじがらめの世界で「意地を貫き、筋目を通す」日本人ならではの“我慢の美学”が貫かれていた。


かたや粋でいなせな健さんのキリリとした表情と立ち居振舞い。これも日本人の理想像を描いた現代日本の“虚構の空間”だった。  映画『健さん』で言及していたが、東映任侠映画の第一作は63年『人生劇場  飛車角』(沢島忠監督)。鶴田・高倉の共演でヒロインは佐久間良子。東映時代劇の人気が陰ってきた時期に、これが当たった。『人生劇場』は3作まで作られ、いずれも大ヒットして「東映任侠映画」は軌道に乗った。


このジャンルで「両雄並び立った」のが鶴田・高倉だ。鶴田浩二には『博奕打ち』シリーズが、前述のような傑作もあり、人気を集めたが、任侠映画シリーズで爆発的な観客動員を見せたのが健さんだ。『人生劇場』の翌年、1964年に『日本侠客伝』第一作がスタート。監督は“任侠映画の父”マキノ雅弘。主演は中村錦之助(後に萬屋錦之介)、配役の二番手が高倉健だった。


戦後から'50年代まで全盛を誇った東映時代劇は、幕引きを飾るように1961年から毎年1本ずつ、巨匠・内田吐夢監督、中村錦之助(後に萬屋錦之介)主演で吉川英治原作の時代劇大作『宮本武蔵』全五部作を送り出した。この映画で武蔵の宿敵、佐々木小次郎を演じたのが高倉健だった。

時代劇の終焉を飾ったのが『宮本武蔵』なら、健さんの『日本侠客伝』は東映任侠映画の船出。“時代劇の花形スター”中村錦之助から“任侠の華”高倉健へのバトンタッチでもあった。


続いて、'65年には石井輝男監督で北海道・網走刑務所を舞台にした『網走番外地・望郷篇』がスタート。これが放送禁止になった同名主題歌とともに恐るべき大ヒットを記録する。同年にはもうひとつの任侠シリーズ『昭和残侠伝』も始まり、健さんは3つの看板シリーズで人気を不動のものにする。シリーズ作品に休みなく出続けるのは当時の映画スターの宿命だった。東映任侠映画を簡単に総括出来るものではないが、任侠映画は確かに高倉健の大きな部分を形成している。“やくざの健さん”は代名詞でもあった。


kensan-500-2.jpg映画『健さん』でも指摘する通り。時代は敗戦国・日本が焦土から立ち直りを見せ、高度経済成長がピークに達する1963年。それを象徴したのが'64年の東京五輪だ。前年に始まった任侠映画は、高度成長に背を向けるかのように、古い義理人情の世界に材を取り、折り目正しい渡世人の生きざまを描いた。それは、高度成長によって失われつつある、日本人の慎ましい有り様への感慨だっただろうか。一部アウトローの生きざまにそれを見いだした任侠映画。時代の第一人者として体現したのが高倉健というスターだった。
 


 

★スコセッシ、ダグラス、ジョン・ウーが絶賛!!!

 

『健さん』を撮ったのは著名なカメラマン、日比遊一監督。映画監督としては写真家で映像作家ロバート・フランクのドキュメンタリーを製作している。元は俳優だった日比監督が「カメラの裏側に惹かれて」職業変え、日活撮影所で松田優作と会ったことから「勧められて」ニューヨークへ行き、『ブラック・レイン』の撮影現場に顔を出したことが映画『健さん』に繋がった。「健さんの映画や本で勇気と元気をもらった」日比監督が昨年、旧友の李鳳宇プロデューサーと再会し「映画俳優・高倉健の実績をきちんと残す作品を作ろう」と意気投合した。


海外で“日本の俳優”と言えば、黒澤明監督作品で知られる三船敏郎が群を抜いて有名だ。だが、日比監督は「三船さん以外に、こんな俳優がいる、と伝えたかった」という。健さんにも海外進出作品は数本ある。最初は'70年のロバート・アルドリッチ監督『燃える戦場』。'74年ワーナー映画『ザ・ヤクザ』(シドニー・ポラック監督)ではハリウッド・スター、ロバート・ミッチャムと共演。京都撮影所で撮影もした。新米“撮回り記者”はこれも取材に行き、ミッチャムと健さんの決闘シーンで日本映画との瞬発力の違いを感じた。


'76年の『君よ憤怒の河を渉れ』(佐藤純彌監督)は、“鳴り物入り”の割りには興行的に不発だったが、中国で大ヒットし、健さん人気に火が着いたという。海外決定打は何と言っても'89年のパラマウント映画『ブラック・レイン』だ。リドリー・スコット監督で、マイケル・ダグラス共演。大阪で長期ロケを行ったハリウッド映画でもある。


kensan-500-3.jpgあのゲッコー(映画『ウォール街』)ことマイケル・ダグラスが、ミナミの黒門市場で「うどんを食べる」シーンのエピソードを披露した。さりげない会話を交わしながら、健さんが“ダーティーコップ”(汚れた警官)とマイケルを真っ向批判。マイケル刑事は「偽札の原版」を刑事・健さんに返すシーンにつながっていく。  「うどんを食べながら、さりけなく話を変えていく健さんは素晴らしい」と褒め称えた。


kensan-500-4.jpg健さんに、外国の映画人も同じように尊敬の念を隠さない。アルドリッチ監督の『燃える戦場』を見て「健さんに好感を持った」マーティン・スコセッシ監督は「健さんが私の『レイジング・ブル』が好きで何度も見ていると聞いて嬉しかった」。ポール・シュレーダー監督は「香港のブルース・リーが亡くなり、代わりは日本のヤクザがいい」と考えて『ザ・ヤクザ』を作った。


kensan-500-6.jpg「健さんをひと目見て虜になった」ジョン・ウー監督は「私にとって男の中の男です」。『男たちの挽歌』『レッド・クリフ』などで知られるジョン・ウー監督。作品の主演スターたち、チョウ・ユンファやニコラス・ケイジ、トニー・レオンらに演技をつける時「健さんのスタイルを意識した」そうだ。「彼らの演技に落ち着きがあるのは健さんの影響です」という。なんと…。


健さんの“珠玉の言葉”が溢れる。「一生懸命生きる男を演じたいと思います。映画はエンターテイメントだから声高に訴えるのではなく、感じてもらえる映画にしたいと身をよじっております」。かつて“理不尽”に単身斬り込んでいった健さん。「泣いてくれるなおっ母さん」というセリフとともに、全共闘の学生たちにも熱く支持された勇姿が蘇ってくるようだった。 

 
(安永 五郎)

公式サイト⇒ http://kensan-movie.com

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