制作年・国 | 2016年 日本 |
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上映時間 | 2時間09分 |
原作 | 磯田道史『無私の日本人』所収「穀田屋十三郎」(文春文庫刊) |
監督 | 監督:中村義洋、脚本:中村義洋 鈴木謙一、音楽:安川午朗 |
出演 | 阿部サダヲ 瑛太 妻夫木聡 竹内結子 寺脇康文 きたろう 千葉雄大 橋本一郎 中本 賢 西村雅彦 山本舞香 岩田華怜 重岡大毅(ジャニーズWEST) 羽生結弦(友情出演) /松田龍平 草笛光子 山﨑 努 |
公開日、上映劇場 | 2016年5月14日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか全国ロードショー |
~江戸時代版、〈食いつないでいく方法〉~
一、 ケンカや言い争いは、つつしむ。
一、 “この計画”について口外することを、つつしむ。
一、 寄付するときに、名前を出すことを、つつしむ。
一、 道を歩く際も、つつしむ。
一、 飲み会の席でも上座に座らず、つつしむ。
これ、守れる人っていますか? ぼくは上から2つは何とかできそうだが、あとは無理かもしれない。特に最後の「飲み会ルール」は絶対に不可能。最初のうちはちょこんと座っておとなしく飲んでいるけれど、ええ塩梅に酔ってくると、上座もへったくれもなくなり、大概、無秩序状態になる……。
こんな「つつしみの掟」をしっかり順守し、金欠状態の宿場町を救ったケースが実際に250年前の江戸時代(1766年)にあったという。奥州は仙台藩での話。その方策とは、村人が出し合って集めたお金を財政逼迫の藩に貸し与え、利息で食いつないでいこうというもの。元金が千両。現在の価格に換算すると、3億円になるらしい。よくもまぁ、こんな奇抜な発想を思いついたものだ。この計画を成就すべく、8年間にわたって村人たちが涙ぐましく奮闘する様子をこの映画は面白おかしく描いている。
いわばエンターテインメント時代劇。昨年公開された『超高速!参勤交代』と似通ったテイストだが、「藩VS幕府」とは異なり、こちらは「村人VS藩」。最初から勝負にならないほど格差があり、しかもお金がテーマになっているだけに、ぼくの「食いつき度」ははるかに本作のほうが高かった。〈弱者〉が〈権力〉に立ち向かう、その構図にまず惹きつけられた。よほど反逆性を胸に秘めているのか……、ぼくは(笑)。
思えば、時代劇も随分、変遷してきたものだ。ぼくの幼いころ、片岡千恵蔵や市川歌右衛門が仰々しく立ち回りを演じ、ラストには必ず日本晴れが映し出される東映の健全なチャンバラ劇が何とか持ちこたえていた。ところが、「バシッ!」「シュバッ!」という刀の刺殺音を効かせ、血がドバーッと噴き出る『用心棒』(1961年)や『椿三十郎』(1962年)のリアルな黒澤時代劇が登場するや、東映時代劇があっ気なく吹き飛び、その間隙を縫って、大映スター市川雷蔵の『眠狂四郎』シリーズ(1963~69年)が誕生した。斜に構え、翳りのある凄腕剣士、眠狂四郎はニヒリズムの権化だった。円月殺法の所作が何とも艶っぽかったなぁ。ほんまに大好きでしたわ! そのうち時代劇はバタッと姿を消した……。
東映のオールスター映画ともいえる『柳生一族の陰謀』(1978年)で一時的に息を吹き返したものの、その後は鳴かず飛ばず。時折、市川崑監督の『四十七人の刺客』(1994年)といった秀作も世に出たが……。それが藤沢周平の原作を映画化した山田洋次監督の時代劇三部作、『たそがれ清兵衛』(2002年)、『隠し剣/鬼の爪』(2004年)、『武士の一分』(2006年)で再び脚光を浴び始めた。そう言えば、『るろうに剣心』三部作(2012~14年)は大掛かりなアクション仕立てもさることながら、江戸時代ではなく、明治維新の時代劇という設定に興味を引かれた。あれっ、本題から外れ、時代劇通史をつらつらと綴ってしまった。いつもながら脱線ばかり。Sorry~!!
何とか話を戻す。時代劇といえば、チャンバラ(立ち回り)が命だったのに、ここ数年、刀を抜かない、人を殺めない〈穏やかな時代劇〉が目立ってきた。『殿、利息でござる!』も『超高速!参勤交代』もそうだし、故森田芳光監督の『武士の家計簿』(2010年)もしかり。正直、斬り合いがないのはちょっと物足りないのだが、こうした作品から歴史の隠された裏面を垣間見ることができ、ぼくのお気に入りのジャンルになってきた。しかも本作は時代劇の主役を張り続けてきた武士(侍)ではなく、一般庶民に光を与えたところが斬新な点だった。
江戸時代の村はどこも貧しかったが、藩の直轄領に属しておれば、それなりに藩から助成があったらしい。しかし映画の舞台となった吉岡宿は藩領から外れており、重い税に苦しみ、藩のための荷役もすべて自前でやらねばならなかった。それが村人には大きな負担となり、村を出ていく者が後を絶たず。原因は違えども、現在の疲弊している地方の実情とよく似ているなと思った。
宿場町の衰退に歯止めをかけた9人の面々。人間っぽく描かれた彼らの言動が2時間9分のドラマを心地よく引っぱっていく。クールでキザっぽい村一番の知恵者、茶師の菅原屋篤平治(瑛太)が発案者だ。搾取される側(村人)が搾取している側(藩)からお金を取る。何という逆転の発想‼ この突拍子もないアイデアに共感した造り酒屋の穀田屋十三郎(阿部サダヲ)が持ち前の行動力と使命感を活かし、同志を募っていくプロセスが前半の軸となる。猪突猛進ぶりをこれでもか、これでもかと前面に打ち出す阿部サダヲの存在感が際立つ。こういう役どころはこの人しかできない。必死で訴える眼差し。この目つき、弱いんですわ、ぼく。何とかしたらなあかんと思うてしまうから。
十三郎の弟で大店の造り酒屋と質屋を兼業するケチでしみったれた浅野屋甚内(妻夫木聡)、心根の優しい叔父の味噌屋(きたろう)、計算高い両替屋(西村雅彦)、優柔不断な雑穀屋(橋本一郎)、仕切り好きな肝煎〈きもいり=村人の代表役人〉(寺脇康文)、武士になりたがっている大肝煎〈各村の肝煎をまとめる役人〉(千葉雄大)。参集した同志はみな多彩なキャラクターの持ち主。そこに何かとサポートする呑み屋の女将(竹内結子)や冷徹な藩の財務担当(松田龍平)らが絡み、次第に群像ドラマの様相を見せてくる。
まずは元手となる千両を用意せねばならない。貧しい村なのに、そんな大金が集まるのか。それがみな結構、お金をそこそこ貯め込んでいたのだ。これには吃驚した。見返りを求めるのが人の常なのに、私欲を捨て、村の将来のために動く。間接的な投資ともいえるが、実質的には寄付行為だ。それも冒頭の「つつしみの掟」を厳守しつつ……。はて、ぼくならどうする? いまだに答えが出ない。そんな彼らの潔さを中村義洋監督は手堅く、それでいて〈遊び心〉を散りばめさせながら、軽やかに演出していた。この手の物語は変にシリアスに描くと、息苦しくなる。だからコミカルタッチでええ塩梅なのである。
仙台藩の7代目藩主、伊達重村に扮したのがフィギュアスケート界のプリンス、羽生結弦君。映画初出演ながら、なかなか堂に入った上品なお殿様を演じていた。さすが背筋がピーンと張り、やたら姿勢がいい。部屋を退出するとき、クルッと回転してくれたら大受けしたのになぁ。当然、その期待は裏切られたけれど。強いて言えば、セリフがややたどたどしかった。あれ以上、セリフを増やさないでよかったと思う。それにしても、どうして羽生君に白羽の矢を立てたのか、その理由を知りたい。
1つ気になった点がある。この映画だけでなく、これまでの時代劇のほとんどに言えることだが……。江戸時代の呑み屋(居酒屋)は縁台か揚がり座敷で客がお酒を飲んでいた。しかし映画やテレビの時代劇では現代と同じようにテーブル席が映っている。こういう形式になったのは明治時代から。それとお酒は徳利(とっくり)ではなく、チロリか柄のついたお銚子で供されていた。本作では、思いのほかきれいな徳利だった。宿場町の大衆呑み屋であんな立派な酒器が出ることはまずあり得ない。ぼくはゆめゆめ時代考証家ではないけれど、細部はきちんと押さえてほしいなと思うのです。だから呑み屋のシーンではそのことが気になって気になって仕方がなかった~(笑)。
寄付金が思うように集まるのか、有志9人の結束は保たれるのか、この計画をつぶそうとする反対派が現れないのか、村人の意向が藩にちゃんと通じるのか……。どんな顛末になるのか最後までワクワクしながら観ることができた。困難な事態に直面したら、とにかく頭を柔軟にし、だれも思いつかない超変化球的なアイデアを考案し、即、行動に移すべし。この映画から大事なことをぎょうさん学びました。
武部 好伸(エッセイスト)
公式サイト⇒ http://tono-gozaru.jp/
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