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『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』

 
       

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作品データ
原題 The Eichmann Show 
制作年・国 2015年 イギリス 
上映時間 1時間36分
原作 監督:ポール・アンドリュー・ウィリアムズ  脚本:サイモン・ブロック
監督 マーティン・フリーマン、アンソニー・ラパリア、レベッカ・フロント、ゾラ・ビショップ
公開日、上映劇場 2016年4月23日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA、テアトル梅田、京都シネマ、5月7日(土)~シネ・リーブル神戸 他全国ロードショー!

 

★“600万人を殺した男”に迫るTVマン!

 

“ユダヤ人600万人を殺した男”アドルフ・アイヒマン。その裁判をテレビ中継したテレビマンたちは何を考え、何をしたかったのか…。人類が忘れてはならない“歴史遺産”映画だ。  極悪人アドルフ・アイヒマンが戦争中、どんなことをしていたか、ほとんどの人は知らなかった。戦後、ナチスの残虐行為が明らかになるにつれて浮かび上がってきた悪夢の名前、それがアドルフ・アイヒマンだった。


eichmann-500-3.jpg同じアドルフでも、ヒトラーに比べて知名度は格段に低い。アイヒマンはユダヤ人の最終的解決=絶滅計画(ホロコースト)を押し進めたナチ親衛隊の将校にして強制収用所に移送した責任者。世間は知らなくても、その所業は捕虜収容所では“悪魔”として知られていた。戦後、一度は米軍に拘束されるが、偽名を使って収容所から脱出、'50年に親ナチだったファン・ペロン政権下のアルゼンチンに逃れ、家族と潜んでいたところを、モサド(イスラエル諜報機関)が執念で拘束に成功、イスラエルへ移送し、エルサレムの法廷で裁くことに。戦後15年経った1960年のことだ。


当時、小学生だった記者にも「アイヒマン逮捕」の新聞見出しは記憶に鮮明だ。名前は知らなかったが、悲惨な目にあったユダヤ人の執念の追跡劇は、さながら映画を見る思いがした。もっとも、映画はアイヒマンの所業ではなく、彼の裁判の模様をテレビ放送するという“歴史的仕事”を成し遂げたテレビマンを描く。衛星放送などなく、テレビのネットワークも整備されていない当時には誰も考えつかない“前代未聞の英断”だった。


eichmann-500-4.jpg主人公は、エルサレムの革新派TVプロデューサー、ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)と、マッカーシズムで10年もホサれていた米ドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパグリア)の2人。ミルトンは総理大臣に直訴し、大手テレビ局に先んじて放送権を獲得。彼が監督に指名したのがレオだった。レオは、全米中で吹き荒れていた反共主義のマッカーシズム(アカ狩り)により満足に仕事ができなかったのだが「ナチスの戦争犯罪人の素顔を暴くためには一流のスタッフが必要」というミルトンの要望で抜てきされた。


あの頃、国家的なマッカーシズム旋風に映画人は誰も抵抗出来なかった。そんな風潮に真っ向から挑んだミルトンの“闘う姿勢”が分かる。 「ナチスがユダヤ人に何をしたのか、世界に見せよう。そのためにテレビを使おう」。こんなテレビマンの気概は今の時代にも必要なはず。TVコメンテーターの経歴詐称で大騒ぎしているようでは情けないというしかない。


eichmann-500-1.jpg政治の壁やナチス・シンパからの脅迫状など、圧力は増す一方だったが、予定通り放送が始まる。だが、映画でも描かれたようにあの当時、世界はガガーリン(ソ連)の宇宙飛行「地球は青かった」と、米ソ冷戦による「キューバ危機」に注目が集まり、騒然としていた。アイヒマン裁判は、当初はさほど注目されなかった。TVスタッフの間でも疑問視する声が出たが、ミルトンは「証人喚問が始まれば世界中が見る」と確信していた。


思惑通り、証人の悲惨な体験談や実録映像はホロコーストの真実を暴露。TVは世界37カ国で放送され、大反響を呼んだ。ドイツでは人口の80%がこの放送を見たという。こうして、世界はナチス・ドイツの極悪非道を知ったのだった。
 


 

★ハリウッドの“永遠の敵役”ナチス


ユダヤ人を大量虐殺したナチスは、ハリウッド映画では“これ以上ない悪役”。戦争映画と言えば一時、敵役はほとんどが残虐ナチス。憎っくきナチス相手ならいくら殺しても文句はない、と安心出来るほど“最高の敵役”だった。’60年代ならベトコン、現代ならアルカイダかイスラム国が敵役になるのだろうが、第2次大戦時のナチスの凶悪さには世界中の映画ファンが納得したものだ。  映画史的には古典的名作『チャップリンの独裁者』(‘40年)が燦然と輝く。ナチス・ドイツがヨーロッパ諸国に侵攻を開始した年にいち早く、チャップリンはヒトラーの正体を看破し、映画でおちょくっていたのだから凄い。


ユダヤ人少女の逃亡記『アンネの日記』は('59年)ジョージ・スティーヴンス監督版(主演ミリー・パーキンス)をはじめ、何度も映画化されているし、’60年代の“第2次大戦映画”ブーム時には立て続けにナチスが“大活躍”した。戦争映画の最高傑作と目される『ナバロンの要塞』(‘61年)、ノルマンジー上陸作戦をまるごと描いた大作『史上最大の作戦』(‘62年)、シネラマ大作『バルジ大作戦』(‘65年)。空では英国空軍の活躍を描いた『空軍大戦略』(‘69年)があり、地上の英雄を描いた『パットン大戦車軍団』(‘70年)は主演のジョージ・C・スコットがアカデミー賞も取った。


アメリカは絶対悪ナチスと戦っている限り、正義の味方でいられた。だが、時代が移り、朝鮮戦争になると「正義の戦い」も危うくなる。’60年代のベトナム戦争では、全米で反戦運動が盛り上がり、映画でも『ディア・ハンター』(‘78年、マイケル・チミノ監督)や『地獄の黙示録』(‘79年、フランシス・フォード・コッポラ監督)といったアメリカの“戦争の意義”を問う映画も登場。そこには苦渋も色濃く滲んだ。『アイヒマンショー』は改めてナチスの原罪をとらえ直す作品と言えようか。


アイヒマン裁判も一度、映画で描かれている。独仏合作『ハンナ・アーレント』(‘12年)はホロコーストを生き延びたユダヤ人女性哲学者ハンナ・アーレントが裁判を傍聴した記録で「アイヒマンは命令に従っただけの小役人」と結論付け、ユダヤ人組織の指導者がアイヒマンに協力していたことも暴露して、ユダヤ人社会から激しくバッシングされた。


eichmann-500-5.jpgアイヒマンは極悪人か“普通の小役人”か…。「アイヒマンショー」のテレビ中継では、悔恨の情を見せることなく、淡々と罪状を否定する様子が映し出される。112人もの証人が“ホロコースト体験”を生々しく語っても、その表情には、何の変化もない。この世のものとは思えない実録映像が証拠として流されても表情を変えないところが悪魔のようにも見えた。


『ハンナ・アーレント』が結論づけたように「命令に従っただけ」の小役人だったのかも知れない、と思わせる。だけど一見、普通の男が何百万人もの人間を平気で強制収用所に送り込める、それこそが人間の底知れない恐ろしさなのではないか。自主性などとは無縁。人から言われた命令や指示を自ら判断することなく聞いてしまう、どこにでもいる“あやつり人間”がアイヒマンの正体だとしたら、それは誰にでもひそむ人間の危うさだろう。


映画に使用された実際の裁判のモノクロ映像。死体の山をブルドーザーで動かすといった強制収用所内の衝撃映像が、70年経った今でもぐさりと胸に突き刺さる、貴重な“映像遺産”に違いない。

  (安永 五郎)

公式サイト⇒ http://eichmann-show.jp/

(C)Feelgood Films 2014 Ltd.

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