原題 | Dheepan |
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制作年・国 | 2015年 フランス |
上映時間 | 1時間55分 |
監督 | 監督・脚本:ジャック・オディアール 共同脚本:ノエ・ドブレ、トマ・ビデガン |
出演 | アントニーターサン・ジェスターサン、カレアスワリ・スリニバサン、ヴァンサン・ロティエ、カラウタヤニ・ヴィナシタンビ |
公開日、上映劇場 | 2016年2月12日(金)~TOHOシネマズシャンテ、大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ二条、TOHOシネマズ西宮OS、シネ・リーブル神戸 ほか全国ロードショー |
~暴力のしがらみから脱し、家族の再生を!~
戦争、移民・難民、格差社会、貧困、犯罪、暴力、差別と偏見……。世界に蔓延する〈負のキーワード〉がこの映画の中に凝縮されている。それらをドキュメンタリー風に、かつフィルム・ノワール(犯罪映画)の雰囲気をはらませて描き上げていた。フランス映画界の鬼才ジャック・オディアール監督が計算し尽されたスリリングな映像でぐいぐい引き込ませ、最後は見事、再生のドラマとして終わらせていた。傑出した演出に脱帽だ。
物語を動かすのが、スリランカから逃れてきた元戦闘員のディーパン(アントニーターサン・ジェスターサン)。「インド洋の真珠」と呼ばれる島国スリランカで、多数派シンハラ人(主に仏教徒)を優遇する政策に反発する少数派タミール人(主にヒンドゥー教徒)が分離独立を求め、1983年から内戦が始まった。反政府側の拠点だった北部エリアを政府軍が完全制圧した2009年までの26年間にわたり泥沼状態が続いた。そのとき反政府派の主力となったのが「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)。ディーパンはその兵士(実態はゲリラ)だった。
内戦最中の1990年、古巣新聞社の記者をしていた時、大阪で開催された『花と緑の博覧会(花博)』の連載取材のためにスリランカを訪れたことがある。中心都市コロンボや各地の街には武装した兵士が立っており、全島で厳戒態勢が敷かれていた。タミール人が暮らす北部に行こうにも、立ち入りが禁止されており、思うように取材がはかどらなかった。スリランカはシンハラ人、タミール人、ムーア人(イスラム教徒)が混在する多民族国家だが、どの民族であれ、ぼくが出会った人はみな穏やかだった。なのにひとたび反目すると、武器を手にしてガチンコで戦う。パレスチナ、北アイルランド、印パ(インド・パキスタン)しかり、世界で起きた(起きている)紛争は大英帝国の旧植民地ばかり。つくづくイギリスは罪作りな国だと思う。
冒頭で、スリランカ内戦のおぞましい映像が映し出されていた。まるでドキュメンタリー映画を観ているようだった。キャンプに集まって来たあまたのタミール人難民が国外脱出を図ろうとしている。その中で、妻子を内戦で亡くし、すっかり闘うことに嫌気がさしたディーパンが赤の他人の若い女性ヤリニ(カレアスワリ・スリニバサン)、少女イラヤルと家族になりすまし、国を去る。単身よりも家族の方が海外移住しやすいためだが、あっという間に3人が偽装家族にさせられる展開には驚かされた。
一転、フランスはパリ郊外のアパートに舞台が移る。スリランカとフランスという関わりが意外だった。旧宗主国のイギリスならわかるのだが……。そのアパートは、紫外線があふれる熱射の故国とは対極的に陰鬱な空気に覆われている。貧しいアラブ系移民や低所得者層が暮らしており、見るからにすさんでいる。一階の一室が麻薬の密売所。その存在をだれもが知っているのに、みな見て見ぬふりを貫く。密売に関わる若い連中もフランス全体から見れば、少数派だ。まともな職に就けない現状の中、手っ取り早く金儲けをするには犯罪に手を染めるのが一番。先進諸国が直面する厳しい現状をここで突きつけてくる。
パリと言えば、「花の都」で通っているけれど、周辺部にはこの映画に出てくるような集合住宅が点在している。一度、パリ市内の北郊にある考古学博物館にメトロ(地下鉄)で行ったとき、興味本位で途中下車したら、ヤバイ雰囲気が充満しているアパート群があり、ドクロの刺青を腕に入れた少年たちが近づいてきたので、あわてて駅に駆け戻ったことがある。
スリランカで少数派だった3人は、ここでもそうだった。ヒンドゥー教徒のタミール人は普通、コミュニティーを作るものだが、彼らはアパート内では完全に「孤立」している。それでも、ディーパンにとって銃声が聞こえない世界は、それだけでもう十分、居心地が良く、アパートの管理人として粛々と働く。小学校でフランス語を学ぶイラヤルは思いのほか生活に順応するが、子どもを育てた経験がないヤリニはその子とうまく接することができず、悶々とする。しかもイギリスにいるいとこ宅で暮らしたがっているだけに、フラストレーションが募る。とはいえ、戦場にいないという境遇の有り難さを3人は肌身で感じており、だからこそ肩を寄せ合ってつましく生きている。
彼らがいかに絆を強めていくのか、ひょっとしたら離散し、偽装家族が破綻するのではないか。3人の行く末を気にさせる辺りは、家族ドラマそのものだった。オディアール監督はしかし、それだけに終わらせない。犯罪をクローズアップさせ、主人公に再び銃を取らせるのである。裏社会から足を洗い、堅気として生きていこうとするヤクザが、結局は元の木阿弥に……。そんな映画の主人公とディーパンの姿が重なったけれど、分離独立という大義によって闘ったスリランカ内戦時とは異なり、こんどは家族を守るという理由から、単身で立ち上がるのである。そこには暴力にまみれた世界を駆逐してやるんだという自分なりの使命感もあったのかもしれない。
状況や規模は違えども、暴力が渦巻くところは「戦場」に変わりはない。彼が白線を引いた「発砲禁止区域」は、戦場での「非武装地帯」と同じである。ディーパンは元戦闘員だけに、いざ銃火を浴びせられるや、がぜん凄味を増す。そこらのチンピラとワケが違う。この人物に扮した男性は演技経験ゼロのずぶの素人で、現在、作家活動をしているが、16歳から3年間、実際にLTTEの少年兵として戦場に繰り出していたそうだ。道理で銃を手にする構えが決まっていた。
麻薬密売グループを率いるブラヒム(ヴァンサン・ロティエ)の翳りがとりわけ印象深かった。自らの人生の可能性を閉ざし、犯罪にまみれた狭い空間でしか生きられない哀しみと諦観がにじみ出ていた。この男が、家政婦として雇っているヤリニとの間で交わす、言葉の通じないほほ笑ましい「会話」から、実は優しい人間であるという素顔をのぞかせる。それだけにやるせない。
混迷深まるヨーロッパ社会の断片と病巣をこの映画はシャープに浮き彫りにしていた。ディーパンに怒りの炎をたぎらせたものは何なのか、そこが映画のテーマのように思える。昨年のカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞作に値する濃密な作品だった。
武部 好伸(エッセイスト)
公式サイト⇒ http://www.dheepan-movie.com/
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