映画レビュー最新注目映画レビューを、いち早くお届けします。

『ラスト・ナイツ』

 
       

his-last-550.jpg

       
作品データ
原題 LAST KNIGHTS
制作年・国 2015年 アメリカ
上映時間 1時間55分
監督 紀里谷和明(『CASSHERN』『GOEMON』)
出演 クライヴ・オーウェン、モーガン・フリーマン
公開日、上映劇場 2015年11月14日(土)~大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条、西宮OS)、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、ほか全国ロードショー

 

★“忠君愛国”は世界に通用するか?

 

思慮深そうな封建領主バルトーク卿(モーガン・フリーマン)が、悪徳大臣ギザ・モット(アクセル・ヘニー)から賄賂を要求されるが、横行する不正を憂える卿は「一枚の布」を贈る。「バカにされた」と激昂したギザに罵倒され、殴り付けられたバルトーク卿は、たまりかねて刀に手をかける…。
この場面でピンとくる。ここは“江戸城・松の廊下”だ。「殿中でござる」と止める味方の武士はいない。側近に取り押さえられて皇帝(ペイマン・モアディ)の前に引き出され、とがめを受けることに。


last-500-4.jpg武士道と騎士道の違いは詳しくは分からないが「切腹がない」のが大きな違いか。その分、脚本作りで苦労した様子がうかがえる。忠臣蔵の浅野内匠守は家来の前で切腹して果てるが、バルトーク卿は皇帝から「家来が首を切り落とせ」と無茶な処罰を言い渡される。武士道=『忠臣蔵』にはあり得ない筋立てになった。


last-500-3.jpg卿は直前、騎士団隊長ライデン(クライヴ・エーウェン)を呼んで自らの後継者に指名。「何かあった時は頼む」と後を託していた。ライデンは皮肉なことに皇帝から“首切り人”に指名され、バルトークから「使命を果たせ」と強く諭されて断腸の思いで主君の首を切る。彼の復讐の念はいかばかりか…。
ギザの非情な仕打ちは続く。領地没収、妻子も追放され、城には火が放たれて、騎士団は解散。大石内蔵助の指揮の元、一族が整然と城を明け渡した「忠臣蔵」とはエラい違いだ。由緒正しいバルトーク家は崩壊する。


討ち入りまでの細かいドラマは省略されている。家老(大石内蔵助)に代わって、復讐団のリーダーを務める騎士団隊長C・オーウェンの“耐える表情”が侍の“我慢”を感じさせる。

仇役“吉良上野介”ギザは当然、仇討ちを警戒して城に鋼鉄製の門を取り付け、迷路を築造するなど強化したほか、部下の護衛官イトー(伊原剛志)にライデンの動向を監視させる。1年後、ライデンは酒色に溺れ、騎士団のメンバーも刀を捨てた、と報告を受けたギザは「仇討ちなし」と判断する。このあたり、遊女に溺れる内蔵助のエピソードを踏襲していてニヤリとさせる。


last-500-2.jpgギザ側の護衛官が日本人俳優・伊原。忠臣蔵で言えば、吉良の家来、清水一角になろうか。クライヴの「内蔵助」と伊原の「清水」の対決が最後の見どころになる。

 



 

 ★戯曲『忠臣蔵』の変遷


「中世を舞台にした騎士道物語」と聞いていたが、ハリウッドに活動の場を移した紀里谷監督の新作が日本人が大好きな“忠臣蔵”だったとは…。徹底した時代考証でオリジナルの魂を忠実に受け継いだ、という。紀里谷監督は「民族や宗教、国籍、出自に関わらず、誰もが分かると確信した」と自信も。騎士道に置き換えた“忠臣蔵”を世界に向けて発信したのは“日本人ならではの技”だろう。
 

last-500-1.jpg 歴史上、有名な「赤穂浪士の復讐事件」。今さら言うまでもないが、浪人四十七人が秘密裏に集まり、艱難辛苦の末、主君の仇を討つ物語。江戸時代から歌舞伎の人気狂言「仮名手本忠臣蔵」として愛された。

岩波書店「講座・日本映画第8巻“映画の忠臣蔵”」(佐藤忠男氏・御園京平氏)によると、早々と明治40年(1907年)に映画会社・吉沢商店が第一号『忠臣蔵~五段目』を製作。以来、大手映画会社が毎年、競うように作って軒並み大当たりを取った。


下火になったのは戦後、GHQ(連合国占領軍)が時代劇、とりわけ“仇討ちもの”を禁止した時期ぐらいで、映画百年にあたる1995年には東宝『四十七人の刺客』(市川崑監督)、松竹『忠臣蔵外伝四谷怪談』(深作欣二監督)が競作されている。
もっとも、この競作以後は文字通りワーナーブラザース製作『最後の忠臣蔵』(10年、杉田成道監督)を最後に途絶えている。時代の流れか、人気低下のせいか?
 

テレビでも『忠臣蔵』は様々な形で登場し、NHK大河ドラマにも何度かなって人気をさらった。日本ならではの国民的大衆ドラマ。“日本人にしか分からないもの”と思っていた。

時代劇は黒澤明監督『羅生門』(50年)以来、外国人に受けるものだが、『忠臣蔵』に関しては名匠・溝口健二監督『元禄忠臣蔵・前後編』(41、42年)が評価された以外、海外でさほど評判になっていない。

紀里谷監督の挑戦『ラスト・ナイツ』がどのような評価を受けるのか、実に興味深い。
 


 
★“仇討ち否定”でも牽かれる赤穂の義挙

 

個人的な思想・信条から言えば『忠臣蔵』の仇討ちは否定したい。主君の無念を晴らすため、四十七人もの家来がお家のために命を投げうって怨みを晴らす“義挙”は本当は馬鹿馬鹿しいことだと思う。現代から、江戸時代の事件を批判するのは無意味ではあるが、このような“お国のため”思想が後の太平洋戦争にまでつながる、と思うと、手放しで賛美出来るものではない。
 

にもかかわらず、個人的にはNHK大河ドラマ第2作「赤穂浪士」(64年)を1年通して見て以来、忠臣蔵に惚れ込み、映画も新作に無関心ではおれない。忠君愛国はともかく、男たちが自らの命を顧みず宿敵に報復するドラマは“映画の原点”と言えるのではないか?

大河ドラマ「赤穂浪士」は大佛次郎原作で戦前からの映画スター、長谷川一夫の大石内蔵助ほか、滝沢修、宇野重吉ら名優が数多く出演。とりわけ、大佛次郎の創作、堀田隼人なる登場人物(林与一)が仇討ち物語に一風変わった味を付け加えていた。もう一点、芥川也寸志によるボレロ風のテーマ曲は今でも口ずさめる、それほど強烈な印象だった。


過去の数々の『忠臣蔵』(タイトルは様々)は機会あるごとに見た。“仇討ち”否定の精神もどこへやら、どんなに苦労しても最後は首尾よく復讐を果たす、痛快集団ドラマの原形に違いない。


なぜ忠臣蔵は多くの人の心を打つのか? 「たった一人の反乱」などで知られる作家・丸谷才一「忠臣蔵とは何か」(講談社刊)によると、赤穂義士伝説(崇拝)は室町時代の仇討ち逸話「曾我物語」に裏打ちされている、という。
「非業の最期を遂げた者」は怨魂が祟って災厄をもたらすという“御霊(ごりょう)信仰”が背景にあり、この日本人の古代信仰「曾我物語」が元禄時代に芝居小屋で大盛況だったと論じている。


丸谷氏の分析では①社会縦断する書き方②二つの時代の重ね合わせ③作劇術④儀式性の要素⑤地理への関心⑥歳時記性⑦呪術性と御霊信仰と“人気の要素”を列挙している。“忠臣蔵人気”を証明するどれにも納得だが、つまるところ“憎っくき仇”への鬱憤晴らしという「永遠のテーマ」に尽きるのではないか。
 

近年の映画やドラマでは、浅野内匠守の切腹は「けんか両成敗」と定めた幕府の定法に外れた「片手落ち」処罰で、赤穂浪士たちは「幕府への命がけの抗議」を行ったとしている。『四十七人の刺客』の大石内蔵助=高倉健は、そうはっきり理由を叫んで、討ち入りに踏み切った。強大な幕府権力に対する抗議となれば当然、日本はもとより、騎士道の西洋でも共感を得られるに違いない。 

(安永 五郎)

公式サイト⇒ http://lastknights.jp/

©2015 Luka Productions

カテゴリ

月別 アーカイブ