原題 | JACK |
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制作年・国 | 2013年 ドイツ |
上映時間 | 1時間43分 |
監督 | 監督:エドワード・ベルガー 脚本:エドワード・ベルガー、ネル・ ミュラー=ストフェン |
出演 | イヴォ・ピッツカー、ゲオルグ・アームズ、ルイーズ・ヘイヤー、ネル・ ミュラー=ストフェン、ヴィンセント・レデツキ、ヤコブ・マッチェンツ |
公開日、上映劇場 | 2015年9月19日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、9月26日(土)~T・ジョイ京都 ほか全国順次公開 |
~子どもから大人へ、新しいページをめくる瞬間~
子どもと大人の境界線はあいまいで、ある面では大人びてきたようでも、ある面では幼さが残っていたり、波打ち際のように寄せては返すもののよう。でも、何かをきっかけにページをめくるように変わることもある。それは、はじめて自分で何かを選び取ったときかもしれない。
2014年のベルリン国際映画祭をはじめ様々な映画祭で注目を集めた作品。ドイツはベルリンのアパートメントの一室。幼い兄弟が懸命に生きている。自分自身もまだ母親に甘えたい年頃の兄ジャック(イヴォ・ピッツカー)が、幼い弟マヌエル(ゲオルグ・アームズ)の面倒を見ている。慣れた手つきで手早く朝食を作り、洋服を着替えさせる。ありふれた朝の風景だがそこに母親の姿はない。こんな危うい日々がある日崩れる。弟を入浴させようとして誤って火傷を負わせてしまったジャックは児童養護施設へと送られるのだ。
母親と息子の関係は恋人同士に似ているが、相思相愛とは限らない。この母親(ルイーズ・ヘイヤー)にとって息子たちは2番目の恋人である。だから、一定の愛情はあっても本命が現れると家庭のことは文字通り、お留守になる。自分が一番でないことに子どもは敏感だ。そうして、大人になれない親の子どもは早くに大人にならざるを得なくなる。けれども、この映画の見どころは、何よりジャックの持つ生き抜く力が存分にスクリーンにあふれ出ているところだ。施設を抜け出し、母親を探すジャックのしたたかさには舌を巻く。知人に預けられた弟を引き取りに行き、家に入れず寝ぐらを探す様子。お金がなく、店員の目を盗んで逃げる様子。初めは優しくても段々と態度が変わっていく大人たちへの対応も実にリアルだ。
ジャックにはモデルとなった少年がいた。エドワード・ベルガー監督は偶然出会った息子の友だちの、帰省先から施設に戻る姿が忘れられなかったという。その一瞬の出会いから得たインスピレーションをすべてスクリーンに焼き付けて、この作品が生まれた。数百人の中からオーディションで選ばれたピッツカーの最大の魅力はその目にある。ある種の諦めと何ごとにも屈しない闘志の両方を宿している。この眼差しを脳裏に浮かべるとき、今もうっすらと涙が滲んでくる。しかしその涙は、同情や憐憫という名の、外から作用するものではなく、内なる感情に呼応してのものだ。何かから卒業するとき、次のステージに上がるとき、喜びや不安とともに湧き上がる惜別の思い。選択とは痛みを伴うもの。しかし、やがてその痛みにも慣れてゆく。それを繰り返し、人は大人になる。私たちはジャックの中に自分の人生の一端を見るのだろう。
ひたむきさと疾走感に満ちたエネルギーの塊を見たとき、人は一瞬で心を奪われる。最後にジャックが下した決断はあまりにも切ないのだが、同時に潔く清々しい。だからこそ、この物語の背景にある、現代社会が抱える子どもを取り巻く問題を超えて、ジャックの踏み出した一歩が心に沁みる。そして、ジャックとピッツカーと、この映画に関するすべてに喝采を送りたくなるのだ。
(山口 順子)
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