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『日本のいちばん長い日』

 
       

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作品データ
原題 英題:THE EMPEROR IN AUGUST  
制作年・国 2015年 日本
上映時間 2時間16分
原作 半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文庫刊)
監督 監督・脚本:原田眞人
出演 役所広司、本木雅弘、松坂桃李、堤 真一、山﨑 努
公開日、上映劇場 2015年8月8日(土)~大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか全国ロードショー

 

~悪夢の歴史を繰り返さないために、胸に刻みたい“日本のいちばん長い日”~


ほぼ半世紀ぶりに“再映画化”された『日本のいちばん長い日』で最も驚いたのは“主人公”だった。終戦の責任を取って切腹した阿南惟幾陸相(役所広司)や鈴木貫太郎首相(山崎努)らの“主役級”を、言動と存在で圧倒したのは他でもない昭和天皇。1967年の傑作、東宝・岡本喜八監督版もほぼ同じ内容だったが、この映画で画面にちらりと映る後ろ姿だけだった昭和天皇が、今作では正面からのアップあり「玉音盤」の録音ではセリフもある。明確に「民族存続のために」終戦を決意され、抵抗する陸軍の本土決戦派を抑える“ご聖断”を下された。この歴史的事実を、昭和天皇(本木雅弘)“主演”で映画化した終戦秘話は、格調高く重い。


戦況が絶望的になった1945年(昭和20年)、終戦内閣になる鈴木貫太郎内閣が発足、あろうことか、もうすぐ参戦するソ連を介して和平交渉に乗り出し、無駄な期待をかけるが、返答がないまま、7月に連合国から「ポツダム宣言」受諾を迫られる。“日本に無条件降伏を求める共同宣言”は、本土決戦を叫ぶ陸軍には到底受け入れ難いものだった。


nihonno-550-1.jpg首脳会議では「静観」と決定、新聞発表では「重要視しない」から「黙殺」へエスカレートする。阿南陸相はもちろん「断固反対」。こうした日本の反応が、海外では「拒絶」と報じられる。その“回答”がどれほど悲惨な事態を招いたか、日本人はみんな知っている。
 

~“終戦を決めた”昭和天皇のご聖断~


nihonno-pos.jpg“決断”に手間取るうちに8月6日、広島に原爆投下、8日には中立条約を破ってソ連が参戦、翌9日には長崎に2発目の原爆…。そんな日本の窮状を一番理解されていたのは昭和天皇だった。8月14日の御前会議、陛下は「これ以上、戦い続けることは無理。私自身はいかようになろうとも」と「終戦」のご聖断を下される。強硬一筋だった陸軍も、阿南陸相が「これ以上、反対はできない」とし「自分の責任で陸軍を抑える」と誓う。陛下ご自身が「マイクの前で国民に呼びかける」と言われた強い決断に、重臣たちは誰も反対出来なかった。


戦争中、天皇陛下は神と崇められたのは周知の事実。終戦直後に人間宣言され「皇室」も民主的に開かれ、憲法では「国民の象徴」と位置付けられている。それでも“映画の主役”など考えられないことだった。  天皇が登場する映画で、最も有名なのは昭和32年の、新東宝『明治天皇と日露大戦争』(渡辺邦男監督)。戦後まだ12年、日本人の常識を覆して、主人公は明治天皇。演じたのは鞍馬天狗の当たり役で知られる大スター、アラカンこと嵐寛寿郎。この映画が当時、どれほど世間を騒がせたか、小学生だった筆者にも強烈な記憶が残る。果たして、映画は記録的大ヒットになり倒産の危機にあった新東宝がこの一作で蘇った。それほど天皇陛下の“ご威光”は大きかった。


昭和天皇は、渥美清主演『拝啓天皇陛下様』(63年)と『続・拝啓天皇陛下様』(64年)で、当時まだタブーだった“軍隊喜劇”のタイトルにだけ登場されたが、これも話題を集めた。昨年の『終戦のエンペラー』で歌舞伎俳優・片岡孝太郎が天皇を演じたのは記憶に新しい。


『日本のいちばん長い日』は半藤一利原作だが、先頃刊行された「昭和天皇実録」を参考に作られたという。半藤氏による座談会「でも参加者の一人が「終戦のときのことは天皇陛下が本当のことをいわれないと分からない。陛下は黙っておられるから分からない」(終戦時、衆議院議員)と語っている。


「昭和天皇実録」の出版で御前会議での陛下のご発言が明らかになり、歴史の大きな節目がようやく正確に描けたのだった。今となっては、陸軍が主張する“本土決戦”などは夢まぼろし。“ポツダム宣言拒絶”が2発の原爆とソ連参戦を招いた、という説は後に間違いだったとされるが、沖縄戦で散々に敗れた日本軍に“本土決戦”の余力はなく「2000万人特攻すれば勝てる」と叫ぶ強硬派の声は“時代の狂気”というしかない。

nihonno-500-1.jpg陸軍は「国体護持」の確約を連合国に求め、反乱部隊が全陸軍の決起を促す。歴史上「一度も負けたことがない」神国神話はそれほど根強かった。天皇のご聖断後も、陸軍の強硬派が師団長を暗殺、命令書を偽造して宮城を占拠。一部将校はNHKで職員を脅して「徹底抗戦」の放送を迫り、天皇の玉音盤奪取を企てもする。懸命な「終戦阻止」のクーデター。“いちばん長い日”の攻防は手に汗握るサスペンスだ。だが、こうしたあらゆる動きを封じ込めたのは昭和天皇のご聖断にほかならなかった。


「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」御前会議の陛下のお言葉は、そのままマイクから流れ、有名になったが、このお言葉は国民以上に、武装解除を求められる陸軍に向けたものと思われた。阿南陸相は責任を取って切腹して果て、反乱も終息した。


改めて明らかになったのは「戦争を終わること」がいかに困難だったか、という痛恨の事実。とんでもなく困難な道をたどってようやく手に入れた平和。悪夢の歴史を繰り返さないために…戦後70年の節目に胸に刻むことが何より大切だ。

(安永 五郎)

公式サイト⇒ http://nihon-ichi.jp/

©2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

 

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