制作年・国 | 2015年 日本 |
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上映時間 | 2時間01分 |
監督 | 呉美保 |
出演 | 高良健吾、尾野真千子、池脇千鶴、高橋和也、喜多道枝、富田靖子 |
公開日、上映劇場 | 2015年6月27日(土)~テアトル梅田/京都シネマ/シネ・リーブル神戸、他全国ロードショー! |
~ええ塩梅に過ごしたい。
そう思っている人へのささやかな助言~
あのベッピンさんとこのけったいなオッチャンはきっとどっかで結びつくんや。自分勝手に「シナリオ」を作り、それが的中した時、やった~と心の中で手を打つ。群像ドラマの醍醐味はその辺りにあると思っているのだが、『きみはいい子』は趣が異なっていた。なにせ、幼児虐待、育児放棄、いじめ、引きこもり、痴呆、独居老人、学級崩壊……と現代の社会問題がてんこ盛りとあって、群像ドラマであることを忘れてしまいそうになった。
空回りしながらも、それなりに真摯に児童と向き合う新米小学校教師(高良健吾)、ほんの些細なミスすら許せず、3歳の娘に暴力を振う若いママさん(尾野真千子)、認知症の兆しがあり、買い物をするのもままならぬ独り暮らしのおばあさん(喜多道枝)。程よい距離感を保ち、3人の生きる姿と彼らの周辺で起きる出来事を重層的に浮き彫りにしていく。
みな何かしら痛みと自分だけ取り残されているという不安を抱いており、だからこそ他者との関わりを求めている。観ていて辛い場面が少なからずあったけれど、登場人物すべての状況をすくい取れる、そんな垣根のないありのままの現実が映し出されていて、すんなり物語に入っていけた。
放課後、いつも校庭の片隅にある鉄棒にぶら下がっている男の子と新米教師とのエピソードがとりわけ心に残った。勇気を振り絞って子どもの家庭に近づき、そこで想定外(ある意味、想定内?)の事態に遭遇して、自分の無力さを嫌と言うほど知る。この時、こわばった表情の中に得も言われぬ哀しみを切り取った呉美保監督の慧眼に驚かされた。
寄り添う。この言葉が映画のキーワードになっていた。おばあちゃんと自閉症児、神経症的なママさんと闊達な母親、先生と教え子たち。一方通行ではなく、互いに結びつきたいと願っている。そこには打算とは無縁の優しさが欠かせない。「家族に抱きしめられてくる」という宿題はその象徴的なものだったと思う。無垢な子どもには寄り添える力が満ちあふれている。でも、大人が「ややこしいこと」をすると、間違いなくその力が萎えてくる。
この手の映画は、とかく説教がましい内容になりがち。本作はしかし、観終わってから、人としての在り様をさり気なく考えさせてくれた。まだ40歳にも満たないのに、前作『そこのみにて光輝く』で十二分に「人」を描いた監督の力量を改めて思い知らされた。これ見よがしに社会派映画にしなかったのもよかった。ただ、強いて言えば、笑える場面をもう少し盛り込んでほしかった。
それにしても、人生、思うようにはいかへん。せやけど、何とかして思うようにしようと奮闘する。それもまた人生かもしれへんなぁ。エンドロールを追いながら、ふとそんなことが頭をよぎった。
(エッセイスト・武部 好伸)