原題 | The Look of Silence |
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制作年・国 | 2014年 デンマーク、インドネシア 他 |
上映時間 | 1時間43分 |
監督 | ジョシュア・オッペンハイマー |
公開日、上映劇場 | 2015年初夏~テアトル梅田、シネマート心斎橋、京都シネマ、元町映画館 にてロードショー |
★虐殺者は権力者、被害者たちは今…
フレデリック・フォーサイス原作のサスペンス映画『オデッサ・ファイル』(74年、ロナルド・ニーム監督)で、主人公が活動開始するのは「過去の亡霊を見た」ことがきっかけ。ユダヤ人を虐殺したナチス親衛隊SSが今も健在で秘密組織を結成していると知り、ジャーナリストとして組織に潜入する。
ナチスはヒトラーの自殺で滅び、逃げ延びた残党もモサドの活躍で世界中で追い詰められたのは知られる通り。“悪魔”と恐れられた重要戦犯アドルフ・アイヒマンも逮捕され裁判にかけられた。
ユダヤ人虐殺は70年前のことだが、インドネシアでは50年前の“虐殺事件”がまだ片付いていない。1965年、クーデター未遂事件が勃発(通称9・30事件)。軍部のスハルト少将(後に大統領)らは「背後に共産党がいる」として、少なくとも50万人、一説では100万人以上もの“共産主義者”を虐殺した。あの時代「敵対勢力はみんな共産主義者」とされた。加害者たちはその後も権力の座に就き続けているというから殺された側はたまらない。ナチスの悪行はすでに世界的に断罪され、当のドイツも過去を反省を示しているが、いまだ正されていないインドネシアの人々はどんな思いか。
ジョシュア・オッペンハイマー監督はドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』(12年)で虐殺に関わった者たちがカメラの前で当時を再現する手法で“加害者の本音”を赤裸々に描き出し、世界中で絶賛された。続く『ルック・オブ・サイレンス』では“被害者の声”も合わせて捕らえた。この映画で監督に同行しインタビュアーを務めた“主役”のアディは、兄ラムリが虐殺された後に生まれた被害者家族。彼は危険も省みず“眼鏡技師”として加害者のもとを訪ね、無料で視力検査をしながら、冷静に彼らの所業を聞き出していく。怯えながら暮らす母親のためにも…「虐殺者に罪を認めさせたい」。真剣な表情と眼差しに強い意志が滲み出る。
母親はアディにも、殺された兄への思いを封じ込めてきた。加害者が今も村の権力者であることから沈黙を守ってきた。加害者が近くにいる恐怖はいかばかりか?『アクト・オブ~』でも聞いたように、加害者は多数の人を殺したことが誇らしげだ。虐殺の司令官は「国際的な問題を解決した。ほうびが欲しいぐらいだ」と言い、コマンドのリーダーは虐殺の功績で昇格し自分の行為をイラスト入りで本にした。
アディの叔父もまた、強制収用所で看守として働いていたことが発覚、兄ラムリも見殺しにした。「私は誰も殺していない。見張りをしていただけだ」。中でも「頭がイカれないように、犠牲者の血を飲んだ」という自慢話はそら恐ろしい。もはや責任感や反省などは皆無。人間はどんな残虐行為にも慣れ、感覚がマヒしてしまうものか。心理学者は「虐殺者は犠牲者たちを殺害する前に、自らの良心を殺害した」と指摘する。ナチス・ドイツもベトナムでの米軍も同様だったのだではないか。
日本も過去の残虐行為から逃れられない。“加害者を断罪”したドキュメンタリー映画では、原一男監督『ゆきゆきて、神軍』(87年)という痛烈な傑作がある。戦争責任を追及し続けるアナーキスト奥崎謙三が、終戦前後にニューギニア戦線で起きた兵士射殺事件の真相を探るため、当時の上官5人を訪ね歩く。命懸けで加害者に迫る記録映画は“当事者”の迫力に満ちていた。
虐殺後に生まれたアディの静かな問いかけは生きてきた時の差か。過激ではなくとも“断罪”する姿勢と気合いは同質と言えようか。製作総指揮を務めた鬼才ヴェルナー・ヘルツォークは「深遠で洞察力があり、見事な映画だ」と絶賛する。
中国や韓国に対する歴史認識で苦慮し、戦後70年談話で迷う首相には“真摯な反省”は感じられない。
(安永五郎)
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