原題 | BHAAG MILKHA BHAAG |
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制作年・国 | 2013年 インド |
上映時間 | 2時間33分 |
監督 | ラケーシュ・オムプラカーシュ・メーラ『デリー6』 |
出演 | ファルハーン・アクタル『人生は一度だけ』、ソナム・カプール『デリー6』、ディヴィヤ・ダッタ『スタンリーのお弁当箱』 |
公開日、上映劇場 | 2015年1月30日(金)~TOHOシネマズ シャンテ、TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条、西宮OS)、OSシネマズ神戸ハーバーランド ほか全国ロードショー |
~“虐殺の記憶”超えた裸足のランナー~
ミルカ・シンが映画で初めて走るシーン、スタートダッシュよく、宿敵(軍の英雄)を抜き去るが、途中で裸足の足に何かが突き刺さり、失速する。このシーンでローマ五輪(1960年)マラソン金メダリスト、エチオピア、アベベ・ビキラ選手を思い出した。 陸上トラック競技のミルカと違い、アベベは“陸上競技の花”マラソン。だが彼は靴など不要と、裸足で42・195キロを走り抜いた。アフリカ黒人として初の金メダルという快挙を成し遂げた“裸足のアベベ”に感嘆した。哲学者的風貌も感動的だった。
ミルカと違ってアベベはローマ五輪前は無名。スタート当初は最後方、競技場を出ても後方のままだったが、15キロ過ぎから先頭集団入り、30キロでトップに立つと「あれは誰だ」と関係者も首をかしげた。そのままトップを譲ることなくゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ると、報道関係者が騒然となった。「こんな凄い人がいる。世界は広い」と子供心にも感じた。
ローマ五輪は、体操の「カラカラ浴場」など会場が歴史を感じさせたが、施設以上に歴史だったのが“裸足のアベベ”だった。
マラソンは古代ギリシャで、勝利を知らせるためにマラトンからアテネまで兵士が走ったのが発祥とされる。距離は36・75キロ。その時代、兵士は当然、裸足だったはず。円盤投げや砲丸投げなど古代五輪から続く競技はいくつかあるが、アベベは図らずも“古代の再現”だった。アベベが世界を驚ろかせた同じローマ五輪、陸上トラック競技400㍍でインドの英雄ミルカ・シンは国民を落胆させた。五輪直前に世界記録を樹立、当然「金メダル確実」と期待を集めていたのに…。
スタートダッシュから快走していたミルカがあろうことか、ゴール直前に後ろを振り向く、信じられないミスで4位に沈む。インド中をがっかりさせた彼は以後、家に閉じ籠る。彼に後ろを振り向かせのは何だったのか? ミルカは次の仕事に、インド、パキスタン友好親善試合でインド側副団長を務めるよう政府から要請されるが、頑なに固辞する。
彼は、幼少期に体験したインドとパキスタンの国土分断、一家離散という悪夢に今もさいなまれていた。ゴール直前、ミルカを襲ったのは“暴徒の幻想”だった。甦った心の闇に苦しむ彼にパキスタンとの友好親善など到底無理だった…。 ミルカ・シンとアベベにはダブる部分が多い。物静かな哲学的風貌までそっくりだ。アベベも貧農の家に生まれ、小学校には1年通っただけで家業手伝い。19歳で入隊し才能を開花させる。アベベはまだ小さかったが、エチオピアはイタリア軍に侵略された過去があり、アベベの優勝にエチオピア国民は熱狂した。英雄になった彼は帰国後、ハイレ・セラシエ皇帝に拝謁、勲章を授与される。
複雑な民族問題は理解しにくいが、歴史的な“インパ紛争”は日本人にも知られる。ミルカの民族問題はもっと複雑で重かった。彼はイスラム教徒の多いパンジャーブ地方の生まれ。1947年にインドとパキスタン両国が独立すると「イスラム教地域はパキスタン」、「ヒンドゥー教地域はインド」に分断される。パンジャーブ地方はパキスタンになり、混乱の中でミルカは両親を失う。彼は二つの宗教とは別の“シク教徒”だったが、命からがらインド・デリーの難民キャンプに逃れる…。
複雑な民族問題に苦しむ少年が、スプリンターとしての才能を磨き、成長していく姿は“分断の悲劇”を乗り越えようとするインド国民の理想でもあった。映画『ミルカ』には彼の疾走する姿に平和への希望が脈打ち、見る者の胸を打つ。故郷喪失という深くて重いトラウマを癒したのは、懐かしい故郷の地と空気だった。
(安永 五郎)
公式サイト⇒ http://milkha-movie.com/
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