原題 | Gli equilibristi |
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制作年・国 | 2012年 イタリア・フランス |
上映時間 | 1時間47分 |
監督 | イヴァーノ・デ・マッティオ |
出演 | ヴァレリオ・マスタンドレア、バルボラ・ボブローヴァ、ロザベル・ラウレンティ・セラーズ |
公開日、上映劇場 | 2014年11月22日(土)~12月5日(金)第七藝術劇場、12月6日(土)~12月19日(金)神戸アートビレッジセンター、12月20日(土)~1月2日(金)京都シネマ にて公開 |
~新貧困層・ひたむきに求めた家族の幸せ~
“新貧困層”という言葉を聞いたことがあるだろうか?定職がありながらも生活苦に追い込まれる人々のことをこう呼ぶらしい。
誰も居ないローマ市役所の倉庫。迷路のように入り組んだ突き当たりの一角で一瞬の情熱に身を任せる一組の男女が映っている。それはまるで袋小路にはまってゆく未来を暗示しているかのようだ。
夫婦に一男一女、どこにでもいる平凡な4人家族が夫の浮気からバラバラになってゆく。設定は珍しくないが、中流家庭から一人転落してゆく夫の変化には圧倒される。幼い息子や思春期の娘の無限の可能性を感じさせる世界との対比が鮮やかで、さらに凄みが増す。
一人家を出ることになった夫(ヴァレリオ・マスタンドレア)に対し“北部の女は頑固”を地でゆく妻(バルボラ・ボブローヴァ)は取りつくしまもない。前半ではこの妻の頑なさには「そこまでしなくても」と思わせるものがある。しかし、後半になってくると、夫の優しさが弱さにも見えてくる。“チャオ”という陽気な挨拶が夫婦の間では陰鬱に響く。重苦しい展開に唯一光を当てるのが娘の存在だ。ちなみにこの母娘を演じる二人は2008年の「ココ・シャネル」で年代別にそれぞれがココを演じた。
この映画、とにかく怖い。その根源は日常が生み出すサスペンスという点にある。小さなつまずきが徐々に傷口を広げ取り返しのつかないところまでいってしまう。人生は選択の連続だ。“どこで間違ったのだろう”行き場を失って街をさまよう彼の頭の中ではこの問いが駆け巡っていたにちがいない。
この恐るべきリアルさの影にはドキュメンタリーを得意とする監督の手腕がある。マッテオ監督は新聞記事に着想を得、丹念に取材を重ねると共に、実在する団体、協会などの協力を得て撮影に当たった。旅行者から観るローマは魅力あふれる憧れの街だが、生活者の視点ではけっして甘いものではないようだ。映画のなかで登場する配給場所や緊急避難所のリストは実際に配布されているものだという。この新しいタイプの貧困問題はイタリアだけに限ったものでなく、日本にもその波は迫っていると監督は言う。たしかに日本でも格差社会が叫ばれて久しいが、こんなことが日本でも起こり得るのかと背筋が寒くなる。
監督の強い思いと俳優陣のたしかな演技力によって社会の今を切り取った力強い作品が生まれた。映画は時代を映す鏡とよく言われるが、ニュースだけでは掴みきれない空気や人々の息遣い、思いといったものを巧みに取り込んでそれ以上のものを訴えかけてくる。この世のなかで幸せの定義ほど曖昧なものはないだろう。それも衣食住足りてこそ、と思うところだが、それを極限まで削っても家族のために骨身を惜しまぬ人間の姿は、ただただ尊い。その背景にあるものは紛れもなく愛なのだ。
(山口 順子)