原題 | Grace of Monaco |
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制作年・国 | 2014年 フランス |
上映時間 | 1時間44分 |
監督 | オリヴィエ・ダアン(『エディット・ピアフ 愛の讃歌』) |
出演 | ニコール・キッドマン、ティム・ロス、フランク・ランジェラ、パス・ヴェガ |
公開日、上映劇場 | 2014年10月18日(土)~TOHOシネマズ有楽座、TOHOシネマズ(梅田、なんば、二条、西宮OS)、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、OSシネマズミント神戸、ほか全国ロードショー |
~グレース・ケリーの華麗なる転身、モナコ救って“喝采”!~
1956年、人気絶頂だったハリウッド女優グレース・ケリーは、26歳という若さでモナコ公国のレーニエ大公と結婚。わずか4~5年の女優業の間に、アカデミー賞主演女優賞を受賞した『喝采』(‘54)をはじめ、『真昼の決闘』や『ダイヤルMを廻せ』『裏窓』『泥棒成金』『上流社会』などに出演し、類い稀な気品に満ちた美しさとエキセントリックな魅力でハリウッドを代表する大女優となる。さらにロイヤルウェディングまで成就するという、世界中の女性が夢見るシンデレラストーリーを実現させた女性だった。
ところが、結婚して26年後、52歳という若さで事故死。今まで結婚後の彼女の人生について語られる機会は少なかった。本作は、世紀のロイヤルウェディングの6年後、1962年にモナコ公国が大国フランスから国としての存続を脅かされる一大事に直面した際、世界に愛されたグレースだからこそ為し得た功績と、彼女の結婚後の生活ぶりが描かれたとても珍しい作品となっている。ロマンチックなシンデレラストーリーではなく、大女優グレース・ケリーとしての真価を発揮した、ひとりの女性の活躍を鮮やかに甦らせたヒューマンドラマである。
グレース・ケリーといえば、ファッションアイコンとしても世界の注目を集めてきた。妊娠したお腹を隠すために使われたエルメスのバックが、後に「ケリーバック」と命名されたお話は有名。ディオール社のマルク・ボアンやクチュリエのジェーン・デセスなど、当時のトップデザイナーがこぞってグレースのためにドレスを作った。今回グレース・ケリーを演じたニコール・キッドマン(現在47歳)が着こなすドレスは、当時のモード界を再現しているだけでなく、ヴィンテージもののエルメススカーフやカルティエの宝飾類など、どれもこれもため息が出るような豪華さ。中には、グレース自身が使用した小物もあり、フランスやイタリアでのロケ地もあわせて、1シーンも見逃せない逸品ぞろい!
【STORY】
人気絶頂の26歳で女優業を辞めてモナコに嫁いだグレース・ケリー。特に、ブロンドのクール・ビューティを愛したアルフレッド・ヒッチコック監督にとっては大きな痛手だったに違いない。6年後、彼が新作『マーニー』の出演依頼でモナコ宮殿を訪れるシーンから始まる。「やつれたね」というヒッチの心配通り、アメリカ育ちのグレースが宮殿で暮らすには何かと苦労が多かった。一男一女をもうけた今でも疎外感や孤独感で心の休まることはない。晩餐会やパーティなどで自分の意見を述べようものなら、ゲストに皮肉を言われたり、夫レーニエ大公(ティム・ロス)にもたしなめられたり。その都度夫婦の溝は深まっていった。
1962年、隣国フランスのド・ゴール大統領が、アルジェリア内戦で困窮した経済再建のため、水道・ガス・電気のライフラインをフランスに依存していたモナコから税金を徴収しようと圧力を掛けてきた。カジノと観光で国費を賄ってきたモナコは基本無税の国だった。そのためフランス企業の多くが本社をモナコに置いて税金逃れをしていたのだ。ド・ゴール大統領は、フランス企業の税金だけでなく、モナコ企業の税金もフランスへ納税するよう要求。それを拒否したモナコに対し、軍事行動も辞さないと国境封鎖に踏み切る。
そんな危機的状況を救ったのは、いまだに世界的人気を誇るグレースだった。フランスとの対話を求めて開催した晩餐会だったが、ド・ゴール大統領暗殺未遂事件(『ジャッカルの日』(‘73)を参照)によって絶望的となり、レーニエ大公がグレースの前で初めて人間らしい弱みを見せる。それからというもの、大公から全幅の信頼を得て、モナコ公妃としてのグレースがとっておきの切り札を使って国を救うことになる。はたして、その切り札とは?
当時のモナコ公国では、ギリシャの海運王オナシスもレーニエ大公を支える重要なブレーンの一人として政治に参画していた。その頃オナシスが付き合っていたマリア・カラスが様々なシーンに登場するが、なんといっても、クライマックスの舞踏会でプッチーニの「私のお父さん」を歌うシーンは圧巻! マリア・カラスのナマ歌の後、グレースが壇上でスピーチするのだが、見ているこちらも緊張して手に汗してしまった。グレースが、女優としての人気だけでなく、モナコ公妃として正式に国内外に認められた瞬間でもあった。
カンヌ国際映画祭で出会った7歳年上のレーニエ大公と恋に落ち、ロイヤルウェディングを果たしたものの、宮殿のしきたりや貴族としてのマナーやフランス語に至るまで、誰も教えてくれる者が居なかったというから驚きだ。お妃教育というものはなかったのだろうか。自己アピールがモットウのアメリカ育ちのグレースは、さぞや場違いな振る舞いやひんしゅくをかうことも多かっただろう。それでも、孤独な宮殿生活の中で女優としての特技を活かし、夫のためモナコ国民のために果たした功績は大きい。いま改めてスポットライトがあてられることによって、グレース・ケリーが再び輝き出す。
(河田 真喜子)
公式サイト⇒ http://grace-of-monaco.gaga.ne.jp/
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