『蜩ノ記』(ひぐらしのき)
制作年・国 | 2014年 日本 |
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上映時間 | 2時間09分 |
原作 | 原作:葉室 麟「蜩ノ記」(祥伝社刊) |
監督 | 監督:小泉尭史 脚本:小泉堯史、古田求 |
出演 | 役所広司 岡田准一 堀北真希 原田美枝子 青木崇高 寺島しのぶ 三船史郎 井川比佐志 串田和美 |
公開日、上映劇場 | 2014年10月4日(土)~全国ロードショー |
~名誉を捨てて武士が守った「義」とは…~
味わい深い本格時代劇だ。葉室麟の2012年直木賞受賞作の映画化『蜩ノ記』。メガホンは黒澤明監督の愛弟子・小泉尭史。『雨あがる』『明日への遺言』など慈味豊かな映画で定評ある小泉監督が日本映画界のエース役所広司、ただいま旬の岡田准一の顔合わせで描きあげた端正な物語。「武士は、人間はどうあらねばならぬか」という基本的な命題に切々と問いかける。現代人が失ったつつましさや、守るべきは断固守る、といった人としての生きざまにまで及ぶ。
城内で友人と刃傷沙汰を起こした檀野庄三郎(岡田)は、家老から厳罰を免じる代わりに「側室と不義密通し10年後に切腹する」戸田秋谷(役所)の監視を命じられる。秋谷は藩の歴史である「家譜」編纂に当たっており、庄三郎は秋谷の起こした事件がどう書かれているかを報告し、秋谷が逃亡を図れば一家を皆殺しにせよという苛烈な任務を申し付けられたのだった。 幽閉中の秋谷を訪ねた庄三郎は、秋谷の妻・織江(原田美枝子)、娘・薫(堀北真希)、息子・郁太郎とともに暮らし始めるが、過酷な運命が待っているにも関わらず、泰然自若として家譜作りに勤しむ秋谷の姿に感銘を受ける。
彼ほどの武士が不義密通? といぶかしんだ庄三郎が探ってみたら、裏には“お家の事情”が深く絡んでいた…。
優れた時代劇はまた、理不尽な物語でもある。秋谷はあらぬ疑いで罰を受け「時に名誉よりも大事なものがある」として、甘んじて切腹を受け入れる。そんなことがなぜ出来るのか? これが封建時代の摂理なのか?
【五郎ちゃんのシネマの泉】 ~不条理ドラマの存在理由~
リメイク版『隠し砦の三悪人』に主演した長澤まさみにインタビューした際、「かつて日本映画は大半が時代劇だった」と伝えたら驚いた様子だった。若者には当然、信じられないことだろうが、昭和初期、少なくとも敗戦の日まで、時代劇は日本映画の本流だった。
講談本や歌舞伎の引き写しばかりだった「旧劇」が、若手映画作家たちの手で映画的な技法が取り入れられ「時代劇」と呼ばれるようになったのは1920年代と言われる。これまでに幅広い題材が取り上げられた中で、最も観客の心をとらえたのは圧倒的な理不尽に立ち向かう反逆のドラマ、ド迫力のチャンバラ映画だった。自由を圧殺されつつあった昭和初期、数少ない大衆の鬱憤晴らしとして、熱狂的に歓迎された。
伊藤大輔監督『忠次旅日記』(1~3部、27年)、マキノ正博監督『浪人街』(1~3部、28~9年)はいずれもベストテン上位を占め、同じ伊藤大輔監督の『斬人斬馬剣』(29年)は権力への反逆をストレートに描いて“傾向映画”と呼ばれた。
進駐軍の指令による時代劇禁止の時期を経て、50年代に復活した伝統の時代劇も、すっかり減少し、また様変わりもした。そんな時代にあえて封建時代の武士の有りようを丹念に描いた『蜩ノ記』は今の時代への警鐘でもあろうか。
チャンバラはほとんどない。あるのは藩の体面を重んじる家老の権力欲と横暴、それにじっと耐え抜く秋谷と彼に感化されていく庄三郎。なぜ秋谷は理不尽を受け入れるのか、武士にとって一番重い名誉も捨てた秋谷は一体、何を守ったのか、静かな語り口にサスペンスを滲ませて展開するドラマに魅せられる。
時代劇は「突き詰めれば意地のドラマ」と映画評論家・佐藤忠雄氏は結論付ける。最も人気のある時代劇『忠臣蔵』はお家のために命を投げうった“忠臣たち”の物語だが、一方で幕府の不公平な処分に対して四十七士が侍の意地を貫いたお話でもある。
森鴎外原作の『阿部一族』は、戦時中(38年)に一度、熊谷久虎監督が映画化しているが、封建時代の武家の名誉と武士の意地を描いた稀有な映画だった。 藩主が死に、家来として殉死を願い出るが、許されず、仲間内で笑い物にされる。思い余って殉死を決行したら藩から思いもかけず重い罰を受けることになり、たまりかねて一族あげてお上への反抗に立ち上がる。忠臣精神と武士の意地がきしみを立てたようなドラマだ。
『蜩ノ記』の秋谷の名誉すら捨てた原因、不義密通は、実は秋谷の幼なじみで側室になった女性(寺島しのぶ)をかばってのスキャンダル封じだった。お家のためよりも武士自身の胸の奥に秘めた愛への“殉死”でもあった。
だが、妻・織江の夫への信頼、娘、息子の父親に対する愛情と尊敬など、時代劇にしか見られない緊密さだろう。「義を見てせざるは勇なきなり(義勇)」といった今では死語に近い言葉を掲げ、その言葉通り実行しようとする息子に、秋谷の感化を受けて同行する庄三郎。彼らはもはや文化遺産なのかもしれない。
身分差厳しい封建時代を美化することに意味はない。だが、人間が断固として守らなければならないことは、いつの時代も同じようにある。会社のリストラといった“お上の理不尽”に対して、毅然として「義勇」の精神で生きられるかどうか、映画が問うているのかもしれない。
(安永 五郎)
公式サイト⇒ http://www.higurashinoki.jp/
©2014「蜩ノ記」製作委員会