『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』
原題 | Beyond the Edge 3D |
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制作年・国 | 2013年 ニュージーランド |
上映時間 | 1時間31分 3D/2D |
監督 | 監督・脚本:リアン・プーリー 製作:マシュー・メトカルフ 撮影:リチャード・ブラック(『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ) |
出演 | チャド・モフィット、ソナム・シェルパ、ジョン・ライト |
公開日、上映劇場 | 2014年6月28日(土)~角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田、T・ジョイ京都 ほか全国ロードショー |
~「人生には、限界を超えて勇気を出すべき時がある」~
1953年5月29日午前11時30分、世界最高峰エベレスト(8,848m)初登頂に成功。人類の夢でもあったこの偉業を成し遂げたのは、イギリス隊のエドモンド・ヒラリーというニュージーランド人とテンジン・ノルゲイというシェルパだった。エリート登山家のイギリス人ではなく、なぜ外国人の二人が初登頂に成功したのか?当時のアーカイブ映像や録音テープを基に、ヒラリーとテンジンの息子たちをはじめとする関係者の声や、再現映像をまじえながら3D映像で完成させたセミドキュメンタリー映画。
迫り来る氷河や絶壁、厳しい気象現象、次々と襲われる危機的状況に不屈の精神力で乗り越えた人々、そして頂上からの大パノラマなど、ひたすらエベレストの迫力ある映像に圧倒される。彼らの偉業のすべてを雄弁に物語ると同時に、エベレスト登山の醍醐味をヴァーチャル体験させてくれる。人類の夢、“天空の頂き”を目指したパイオニアの雄姿が再び甦る、奇跡の映画である。
イギリスは過去に第7次の遠征隊を派遣しながらすべて失敗に終わっていた。エベレストへのアプローチは、それまでチベット側だけだったのが、戦後鎖国を解禁したネパール側からのルートが整備され、諸外国も初登頂を目指してしのぎを削っていた。前年にスイス隊が頂上まであと一歩の所で失敗。この年はイギリス隊にとって、スイス隊に先を越される前のラストチャンスでもあり、大英帝国最後のビッグプロジェクトだったのだ。
ジョン・ハント陸軍大佐率いる遠征隊の中に二人のニュージーランド人がいた。ヒラリーとロウ。エリート校出身者の多いイギリス隊の中では少し浮いた存在だったという。だが、ヒマラヤ連山のような大氷河を有するニュージーランドの山々で登山の技術を磨いてきた二人。ヒマラヤ登山の経験もあり、極めて優秀な登山家だった。それでも、イギリス人ではないので最終アタック班に指名されるかどうかは難しく、ハント隊長の信頼を得るために、誰よりも努力する必要があった。
そこでヒラリーは考えた。隊長はニュージーランド人2人を指名するとは考えにくいので、自分と同じ位の体力と能力の持ち主である優秀なテンジンと組むことにした。ヒラリーは最初の難関であるアイス・フォールのルート開拓のリーダーに指名され、忍耐強く強靭な働きを認められ、第2次アタック班に指名された。
モンスーン到来までにアタックしなければという焦りからか、第1次アタック班のイギリス人2名はかなり手前のキャンプ地からアタックを開始。だが、酸素ボンベの異常で敢え無く失敗。続く第2班のヒラリーとテンジンが挑戦。旧式の重いボンベを担いでの登山。登れども登れども頂上は姿を見せず、未踏の地へ踏み入ってはさらなる難関にぶつかり、酸素ボンベの異常や体力の限界など、緊迫シーンの連続に思わず手に汗握る。
ヒラリーは、登山に理解を示さない養蜂家の父親に厳しく育てられ、少年の頃の友達は蟻だったという。そんなナイーブで気弱な少年が唯一自分を超越できるのが登山だった。劣等感が強く、心に闇を抱えたヒラリーの自己表現の場が山であり、頂上を目指す熱意を素直に表現してみせた。これ以上無理、と思っても前進。危険を感じながらも一歩一歩を踏み出す。「ここはエベレストだ。限界を超えても行け!」人類にとっても未知の世界であった8000m以上の世界。世界最高峰のエベレスト初登頂の成功には、ヒラリーの類い稀な強い精神力があったことを、改めて知ることになる。
(河田 真喜子)
公式サイト⇒ http://www.tenku-itadaki.jp
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