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『マンデラ 自由への長い道』

 
       

mandela-550.jpg『マンデラ 自由への長い道』

       
作品データ
原題 Mandela: Long Walk to Freedom 
制作年・国 2013年 イギリス、南アフリカ 
上映時間 2時間27分
監督 ジャスティン・チャドウィック
出演 イドリス・エルバ、ナオミ・ハリス、トニー・キゴロギ、リアード・ムーサ、リンディウェ・マッシキッザ、ファナ・モコエナ
公開日、上映劇場 2014年5月24日(土)~TOHOシネマズ梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、T・ジョイ京都、OSシネマズミント神戸、他全国ロードショー

 

~長い“暴虐の歴史”に赦しを与えた男…~

 

   断固意思を貫いて世界を変えた男、その生きざまに感動する。アパルトヘイト(人種隔離政策)反対運動を指導して逮捕され、27年間も獄中生活を送りながら、信念を曲げず、南アフリカだけでなく世界を動かした男=ネルソン・マンデラ氏には、偉大という言葉以外見当たらない。

  アパルトヘイトの不条理や激しい暴力を描いた映画は何本もあったし『マンデラの名もなき看守』といった“周辺映画”も数多い。だが、マンデラ氏本人を描いた映画はなかった。本人が長く獄中にあり、釈放後も活動中だったからだろうか。

mandela-4.jpg  “偉人”物語は感動出来ても、共感はないのでは、と思っていた。だが本人が著した自伝「自由への長い道」による“抵抗の軌跡”には信念を貫いた人間の重みがあった。自分をさらけ出した本当の姿が見えた。  第2次大戦後、ヨハネスブルグで白人以外で初めて法律事務所を開き、弁護士として仕事を始めたマンデラ氏(イドリス・エルバ)は、反アパルトヘイトのANC(アフリカ民族会議)に参画する。この当時の彼は最初の結婚が破綻、浮気が見つかって激しい夫婦げんかを繰り広げるなど、ちょっと軽薄で傲慢さもある若者。はじめから偉大な人じゃないところが微笑ましい。再婚相手の若いウィニー(ナオミ・ハリス)は、彼にふさわしい“闘う女性”で、以後長い間マンデラ氏を支える存在になる。

mandela-3.jpg  政府の隔離政策はさらに強硬になり、マンデラ氏は武装闘争に転じて軍事組織「民族の槍」司令官に就任する。デモ隊への発砲など、激化する武力弾圧に対抗するには、もはや武力しかなかった…。

  世界中の多くの民族紛争がたどる悲劇の道。ANCもそこまで追い詰められたのだった。ANCは非合法化され“目には目を”のテロ攻撃の結果、マンデラ氏らは逮捕され(62年)、国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。ひとり残されたウィニーも何度も投獄されるが闘志衰えず、マンデラを励まし続ける…。

mandela-5.jpg  遠い日本でも当時“世界的ニュース”としてマンデラ氏の状況を聞いた世代には、私生活以外は周知の内容でもあった。この映画の見どころは、実は投獄されてからのマンデラ氏の進化、成長にあると思う。獄中でひとりトレーニングに励み、暴力では解決しないことを胸に刻み込んでいく。妻や娘たちに会えない厳しい環境が彼を鍛えあげ、思慮を深めていく。

  80年代には南アでも「マンデラに自由を」というキャンペーンが始まり、反アパルトヘイト運動とともに“フリー・マンデラ”の動きが世界規模で盛り上がる。南ア製品のボイコットや経済制裁の広がりは、アパルトヘイトの非道を、世界が認めた証拠だ。

mandela-2.jpg  マンデラ氏は世論の高まりを受けて90年に釈放される。直接の関係はないものの、この時の至福感は格別だった。反戦フォークソング“ウィ・シャル・オーバー・カム(勝利を我らに)”の夢を現実にしたのはマンデラ氏だった。

  マンデラ氏は93年、ノーベル平和賞受賞、翌年には黒人初の大統領にもなり、名実ともに世界の偉人になった。昨年12月5日、95歳で世界中から惜しまれつつ、亡くなった。待たれていたマンデラ氏の映画は、本人の自伝をもとに、インド系プロデューサー(アナント・シン)が準備に16年もかけて映画化にこぎつけた。彼もまた反アパルトヘイト運動に参画した人。条件はただひとつ「美化しない」こと、だった。これは難しかったに違いない。

  これまでのアパルトヘイト映画と違い、白人の暴力描写が意外なほど少ない。すでに神聖化しているマンデラ氏の自伝には暴力描写は不要と判断されたのだろう。世論の盛り上がりと、白人のデクラーク大統領の英断で釈放が決まったように見える。

  先ごろ公開された“裏話映画”『ネルソン・マンデラ釈放の真実』によると、キューバをはじめ、何ヵ国もの利害が複雑に絡む中、関係者の間を動き回った陰の人物が描かれている。マンデラ氏釈放は何ヵ国もの首脳を巻き込む大変な出来事だった。

mandela-6.jpg  釈放の日(90年2月)の人々の歓喜はどうか。まさにこれぞ“人間の勝利”の光景だった。何万人もの人が歓呼で迎える中、マンデラ氏は「理想はすべての人が平和に暮らせる民主的な社会」と言い、続けて「復讐からは何も生まれない。赦すことから希望が始まる」と言った。集まった人々は一瞬、静まり、大歓声の中に落胆やブーイングの声もあった。

  だが、この言葉こそ偉人・マンデラ氏そのものではなかったか。誰よりも復讐を望むべき人が叫んだ赦しの言葉。アパルトヘイトの受難者が、獄中生活で思慮を深め自ら率先して“民族融和”の大方針を示した。それが南アフリカに平和をもたらした。デクラーク氏とともにノーベル平和賞受賞は当然だった。

  マンデラ氏の民族融和策はクリント・イーストウッド監督『インビクタス/負けざる者たち』でも描かれる。白人のスポーツ、ラグビーW杯の開催誘致にはマンデラ氏の叡知があった。イーストウッドは分かっていた。

  それにしても、人はなぜ差別するのか?  手ひどい弾圧を繰り返した南アのアパルトヘイトにとどまらない。人間存在の本質に根差した問題に直面する。人間はマンデラ氏の思慮に学び、後を継げるのか、ネルソン・マンデラ氏の“自由への長い道”は今も続いている。

(安永 五郎)

 公式サイト⇒ http://disney-studio.jp/movies/mandela/index.jsp
© 2014 Long Walk To Freedom (Pty) Ltd

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