『少年H』
制作年・国 | 2013年 日本 |
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上映時間 | 2時間02分 |
原作 | 妹尾河童 (『少年H』講談社文庫刊) |
監督 | 降旗康男 |
出演 | 水谷豊、伊藤蘭、吉岡竜輝、花田優里音、小栗旬、國村隼、岸部一徳 |
公開日、上映劇場 | 2013年8月10日(土)~東宝系にて全国ロードショー |
公式サイト⇒ http://www.shonen-h.com/
(C)2013「少年H」製作委員会
①【作品紹介】
~“悪ガキ”が見た戦争の時代~
庶民的でやんちゃな少年の目を通して見た愛すべき“戦争映画”である。妹尾河童の初の自伝的小説で、340万部の大ベストセラーを、ほぼ同世代(4歳下)の降旗監督が映画化した。映画は、少年よりも父親・盛夫(水谷)に力点を置いているが、原作の身上である子供の好奇心や時代状況への不満、異議申し立てをストレートにぶつけたところが愉快で痛快、かつてない“戦争映画”として見ごたえがある。
“総保守化”の流れの中、近年、高倉健作品で知られる降旗監督が生き抜いてきた時代をまるごと切り取って見せた“時代遺産”。戦争の記憶が風化しつつある今、若い世代はもちろん、多忙すぎて感覚が鈍ったオヤジに見せたい一編だ。 主人公少年H(吉岡龍輝)はあのころ、どこにでもいたような普通の子供。海で遊ぶこと、絵や映画、音楽が大好きで、威張る大人には反抗もする。そんなちょっとハミ出し気味の“悪ガキ”が第2次大戦前、窮屈になっていく世の中でどれほど理不尽でおかしい体験をしたか。原作は苦難の時代にも負けず子供らしく元気に生き、様々な難儀に出くわした事実を綴るエピソード集。ユーモアたっぷりの描写には時に腹を抱えた。
少年H(吉岡)は神戸で洋服の仕立て屋を営む温和な父親(水谷)とキリスト教を信じ、神の愛に生きる母親(伊藤蘭)の長男。普通よりもリベラルな家庭だろう。両親の大らかな愛に包まれ、何にでも興味を示す好奇心旺盛な少年に育つ。軍事統制が厳しくなる中、周りの目をはばかることでも「おかしい」「なんでや」とストレートに疑問をぶつける、今では少なくなった正直さがほほえましい。
冒頭の二つの挿話が“狂った時代”を物語る。うどん屋の兄ちゃん(小栗旬)の部屋に招かれて珍しいオペラのレコードを聴かせてもらい仲良くなるが、彼はある夜、“アカ”として警察に追われ、屋根を伝って逃走する。なよなよしてみんなでバカにしていた旅役者出身の“オトコ姉ちゃん“(早乙女太一)は召集令状に応じることなく、首吊り自殺して果てた。庶民に忍びよる戦争の影を子供心に感得する。
父親の依頼で取りに行った洋服の修繕は、ヨーロッパから来たユダヤ人のものだったことが両親のあり方を示す。少年の好奇心に出来るだけ正直に答えようと努める実直な父親、「困っている人に与えることが神の教え」と協会で奉仕活動に勤しむ母親…そんな2人に育まれた少年の軽やかさ、しなやかさが何よりも痛烈な戦争批判だ。
母親は隣組の世話人に、父親は時節柄、仕立て屋が出来なくなって消防士に、少年もまた中学の軍事教練でしごかれる。それでも、大本営発表の「戦果」をはじめ、少年の「おかしい」という思いは変わらなかった…。 あのころ、確かに新聞もラジオも、やむを得ずと言いながら嘘八百を報じた。真相を知ってる人もいたが、多くの人は疑うことを知らず、信じるしかなかった。
だから、少年の「おかしい」と感じる能力が光る。おかげで、彼は教師や指導教官、近所の軍国オヤジたちからしょっちゅう殴られる。少年Hの吉岡の殴られっぷりが生々しく、痛い。 30年ぶりの夫婦共演という水谷豊、伊藤蘭の“両親”もまた、あの時代にいた良心的な庶民像に違いない。
監督が再現したかった時代の締めくくりは、悪夢の大空襲。東京、大阪のあと、神戸を襲った空襲をリアルに再現するクライマックスは、少年がつぶさに見てきた大人たちの嘘の末路、悲しい総決算だった。見渡す限りの焼け野原に、少年が助けようとしたミシンを直し、再出発を図る父親。みんなそこから再出発したのだった。
だが今、日本人はその記憶を忘れようとしているのではないか。理不尽な暴力、痛みに耐える少年Hの表情に「忘れたらあかん」という戦中派からの叫びが聞こえる。
②【極私的、戦争の映画史】へと続く。 (安永 五郎)
②【極私的、戦争の映画史】
仏文学者・藤崎康氏は著書「戦争の映画史」で「映画は戦争とのっぴきならない共犯関係にあった」としている。映画は、誕生(1895年)以来、戦争をスペクタクルな見世物として人気を集め、発展してきた。戦争映画は様々に形を変えながら、いつの時代にも作られ続けた。
「極私的映画人生」の最初は物心ついた頃、大ヒットしていた新東宝『明治天皇と日露大戦争』(57年)。小学校2年。嵐寛寿郎が明治天皇に扮して大変な話題を呼んだ映画でアラカン天皇はよく覚えているが、それ以上に「二百三高地」の無謀な突撃による死体の山が子供心にも無残だった。 中学時代、アメリカ映画『史上最大の作戦』(62年)は初めて前売り券を買って見た。連合軍のノルマンディー上陸作戦を描いた大作で、第2次大戦を学んだ。以後、戦争映画と『荒野の七人』(60年)などの西部劇『ベン・ハー』(59年)や『スパルタカス』(60年)といったスペクタクル史劇の世界に入り込んだ。
日本では戦後、軍国主義の反省として“戦争の悲劇”を描く作品が続出した。沖縄戦の『ひめゆりの塔』(53年)特攻隊映画『雲ながるる果てに』(53年)などのほか、木下恵介監督『二十四の瞳』(54年)は国民映画として愛された。高峰秀子が演じた大石先生のように「日本人は善意の被害者で、力はなくどうしようもなかった」という日本全体に流れる気分を童謡を背景に描いたのが大ヒットの要因、と指摘する声は多い。 学生時代、東宝のリバイバル公開で見た『ハワイ・マレー沖海戦』は特異な体験だった。1942年、太平洋戦争開戦の翌年、まだ日本が戦勝気分に浮かれている時に大ヒットした。後にゴジラ映画で世界に知られる円谷英二の特撮による真珠湾攻撃映画は日本中を熱狂させた、という。同年の映画雑誌でベストワンにも選ばれている。大本営発表は嘘でも、この映画はその時点では、宣戦布告の時機以外は事実だった。少年Hも喜んだかも知れない。
戦争映画の主役は軍人。“銃後”の市民はあくまで被害者だった。だから子供の目から見た戦争映画は珍しい。だが『少年H』が初めてではない。篠田正浩監督『瀬戸内少年野球団』(84年)は戦後の少年野球の再開の様子を描き、『少年時代』(90年)は疎開地での子供たちの様子を活写したが、いずれも戦争をはずしていた。野坂昭如原作の『火垂るの墓』(アニメ88年、実写08年)も子供の悲劇だった。
海外ではフランス、ルネ・クレマン監督『禁じられた遊び』(52年)は歴史的名作だし、セルジュ・ブールギニョン監督『シベールの日曜日』(62年)は空襲のショックで成長が止まった兵士がいたいけな少女と交流する、という設定に無限の悲しみを込めた。
映画に明け暮れた元少年にも、あの時代を子供の視点で見た映画は記憶にない。実際にちょっと変わった子供だっただろう妹尾氏が綴った一家の物語は、さほど特殊なものではないかも知れない。だが『少年H』が今、この時代に東宝で映画化、公開されることに大きな意味があると思う。
戦争映画は映画だからこそスリリングで面白い。人と人が殺し合う悲惨な戦争に賛成の人はいないはず。だが、そこが人間の業か、戦争はなくならない。その意味で「戦争を放棄する」日本の憲法第9条は世界に誇れるものだろう。領有権問題で、憲法改正から国防軍論議に発展するのは「いつか来た道」としか思えない。もっともらしい大人たちの議論を、真っ正直な少年Hが聞いたら、どういうだろうか?
(安永 五郎)