原題 | Dupa dealuri(英題:BEYOND THE HILLS) |
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制作年・国 | 2012年 ルーマニア・フランス・ベルギー |
上映時間 | 2時間32分 |
監督 | 監督・脚本:クリスティアン・ムンジウ |
出演 | コスミナ・ストラタン、クリスティナ・フルトゥル、ヴァレリウ・アンドリウツァ、ダナ・タラパガ |
公開日、上映劇場 | 2013年3月16日(土)~ヒューマントラストシネマ有楽町、3月23日(土)~テアトル梅田、3月30日(土)〜シネ・リーブル神戸、順次~京都シネマ にて公開 |
~信仰心のあまり、“見えなくなること”の怖さ~
純粋なはずの信仰が盲信となった時、悲劇は起きた。少女の魂を救おうとする純粋な気持ちしかなかったとしても、その罪は許されるのだろうか。2005年にルーマニアで実際にあった事件の映画化。
孤児院で共に過ごした親友の修道女ヴォイキツァを訪ねて、少女アリーナが修道院にやって来る。修道院の生活に充足しているヴォイキツァは、外の世界で一緒に暮らそうというアリーナの誘いを断る。アリーナは、ほかに行き場もなく修道院にとどまるが、厳しい規律になじむことができず、ヒステリックになって騒動ばかり起こす。神父は、アリーナの“魂”を救うため、悪魔祓いの儀式を行うことになる。寒さの募る晩、縛りつけて、食事もろくに与えなければ、どんな結果を招くか、想像力があればわかるはず。しかし、ヴォイキツァのほかに誰もアリーナの苦しみや命の危険に気づくことも、彼女を救おうと勇気を奮い起こすこともできなかった…。
監督は音楽を用いず、街はずれの修道院での出来事を淡々と描いていく。風が吹きつけ、冷たい空気が伝わる。神父も修道女たちも決して悪意があったわけではない。修道院で一緒に居続けられるよう、ヴォイキツァの願いを聞き入れ、むしろ善意で始めたこととわかる。しかし、アリーナの魂を浄めるための儀式も、その命を奪う結果となっては、罪がないとはいえない。
私たちは、神父に従順に従う修道女たちや、儀式を決意する神父を、他人事のような顔で、愚かだと断じることはできない。信仰心の深いあまり、少女の心や肉体の状況がきちんと“見えなく”なってしまったら、あるいは、見ようとしない、見ても何も考えないよう思考停止してしまったら、一体どんな事が起きるのか。しかも、それが集団であることによって、一人で異を唱えたり、単独行動がしにくくなり、より閉塞感、孤立感が増していく怖さをも、映画は伝える。
ルーマニアの片田舎とはいえ、21世紀の現代社会で引き起こされた事件は、私たちと全く無縁なものとはいいきれない。そのことを、最後、ふいに車のフロントガラスにとんできた泥によって、視界がいきなり閉ざされるラストカットに感じる。汚れてしまった祈り……。他人に無関心になり、目も心も閉ざし、何も感じなくなってしまえば、何が起きるかわからない怖さ。ヴォイキツァが、最後に、意を決して、ひとり真実を語ろうと勇気を奮い起こす姿に希望を見出さずにはいられない。
(伊藤 久美子)
公式サイト⇒ http://www.kegarenaki.com/
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