原題 | Diana Vreeland: The Eye Has to Travel |
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制作年・国 | 2011年 アメリカ |
上映時間 | 1時間26分 |
監督 | リサ・インモルディーノ・ヴリーランド |
出演 | ダイアナ・ヴリーランド |
公開日、上映劇場 | 2012年12月22日(土)~シネマライズ、TOHOシネマズ六本木ヒルズ、 2013年2月9日(土)~シネ・リーブル梅田、3月2日(土)~シネ・リーブル神戸、4月~京都シネマ 他全国順次公開 |
~ダイアナ・ヴリーランドに学ぶ、生きるスタイル~
プラダならぬ“シャネルを着た悪魔”とも言うべきファッションエディター:ダイアナ・ヴリーランドの、独創性と審美眼、行動力と影響力、稀有の才能を発揮した20世紀最強のファッショニスタのドキュメンタリー映画である。映画『プラダを着た悪魔』のモデルと言われた《ヴォーグ》の編集長:アナ・ウィンターの2代前のカリスマ編集長でもある。彼女のずば抜けた独創性は、ファッション界だけにとどまらず、アートシーン、女性の生き方、社会の風潮をも変えていく、正に戦車なみの迫力で時代を切り拓いていった人物。監督は、ダイアナ・ヴリーランドの孫と結婚したリサ・イルモンティーノ・ヴリーランド。親族ならではの秘蔵映像や資料、コメントなどをモチーフに軽快に綴ったセンセーショナルなドキュメントは、大きな衝撃をもって21世紀の我々を興奮させる。
ダイアナ・ヴリーランドは、1903年パリのブローニュの森近くの高級住宅街に生まれる。『ミッドナイト・イン・パリ』の主人公が憧れた第一次大戦前のパリ、そうあのゴールデンエイジに生まれ育ったダイアナは、アール・ヌーヴォーの流行や高級娼婦やハイソな人々のエレガンスを身近に感じながら多感な時期を過ごしている。だが、美しい母親は、妹に比べ不細工だったダイアナを「小さな醜いモンスター」と呼んだ。その後一家はニューヨークに移住したが、母親が決めたいわゆるお嬢様学校には馴染めず中退、ロシア人学校でバレエと出会う。思春期の孤立した辛い経験から、「いい人生は1つだけ。自ら望み、自ら創る」という彼女の生きるモットーが生まれる。
それでも、社交界の優雅で洗練された女性として雑誌でも採りあげられるようになり、20歳の時、25歳上のハンサムな銀行家:トーマス・リード・ヴリーランド出会い、翌年結婚、二人の息子を授かる。33歳の時、世界で最も古い《ハーパース・バザー》というファッション雑誌の編集長に「シャネルの着こなしが素敵」と注目され、翌年から編集者として勤務。以降、トップに立つことはなかったが、25年に亘って同誌の看板を背負う。1962年、ライバル誌《ヴォーグ》の編集長に就任。それからというもの、時代が彼女を待っていたかのように、それまでの価値観を覆す大胆な発想から生み出されたアイデアは、女性のライフスタイルだけでなく、世界の風潮や文化・芸術を巻き込んだ総合芸術の殿堂として影響力を発揮していく。次々と若きアーティストを見出しては世に送り出したダイアナ。彼女の審美眼に世界中が注目。
だが、カリスマと言われる人は、その強引さから周囲からは孤立するもの。ダイアナの二人の息子たちも「友達には紹介したくない母親だった」と述懐。そんな彼女でも、「結婚して40年経っても、夫の前でははにかむわ」と、ハンサムで優しい夫にはベタ惚れだったようだ。映画『プラダを着た悪魔』の中で、メリル・ストリーブが秘書にポ~んとコートを投げるシーンがあるが、ダイアナも同じことをしていたらしい。当時ダイアナの秘書を務めていた女優のアリ・マッグロー(後に『ある愛の詩』に主演)が、投げられたコートを投げ返したところ、「なんて失礼な娘(コ)なの!」と怒られたという。常識の範囲でしか考えられない人には難しいタイプの女性だが、彼女から学ぶことは無限大にあったようだ。
「懐古主義は大嫌い、ペニシリン以前のものはダメ」とか「ブルージーンズはベニスのゴンドラ以来の最高傑作」、さらに、「新しい服を着るだけではダメ。その服でいかに生きるかなの」と、ダイアナが発する一言一句に感動。中でも、日本について「日本人はすごいわ。神は彼らに、石油もダイヤも金も与えなかった。でもスタイルを与えた」と、歌舞伎や相撲、京都の舞子や芸子に出合い、「スタイルこそすべて。まさに生き方。スタイルなしじゃ価値がない」と言わしめる程影響を受けたらしい。本作のポスターにもなっている「地獄の部屋」と呼んでいた赤で統一されたリビングに横たわるダイアナとは対称的に、普段の彼女のスタイルは、ベージュを基調とした至ってシンプルなデザインの服を着ていたようだ。シンプルなラインにこそエレガンスを感じさせる、それが彼女本来のスタイルだったのかもしれない。
《ヴォーグ》引退後、メトロポリタン美術館衣裳研究所の顧問となり、ファッションも芸術だとアピールするイベントを次々と開催。かつてない斬新さで世界を驚かせた。今では当たり前のように見聞きしているイベントやマスメディア界の在り様も、彼女の発想から生まれたものが多いという。86歳で亡くなるまで発信し続けた彼女のバイタリティは、かつて母親に「小さな醜いモンスター」と呼ばれたコンプレックスから来ているように思える。そのコンプレックスを長所としてポジティブに変えるところに発生する、「斬新」というエネルギーが彼女の原動力となっていたような気がする。
(河田 真喜子)
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