原題 | Le premier home |
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制作年・国 | 2011年 フランス,イタリア,アルジェリア |
上映時間 | 1時間45分 |
監督 | 監督・脚本:ジャンニ・アメリオ |
出演 | ジャック・ガンブラン,カトリーヌ・ソラ,マヤ・サンサ,ドゥニ・ポリダデス,ジャン=フランソワ・ステヴナン |
公開日、上映劇場 | 2012年12月15日(土)~岩波ホール、12月29日(土)~梅田ガーデンシネマ、2/2~京都シネマ、2月中旬~神戸アートビレッジセンターにて公開 |
~多数の国家や民族の共存は見果てぬ夢?~
カミュの未完の遺作だという原作にも無力さが漂っているかどうかは知らない。だが,少なくとも本作は抗えないというより抗おうとしない無力さに包まれている。カミュ自身が投影された主人公ジャックは,1957年初夏に故郷で当時フランス領のアルジェリアを訪れる。彼が想起する少年時代は,追憶でも記憶でもなく,ただ記録として提示される。少年時代を振り返っても,そこには自らが現世に存在する起源というべき父親は存在しない。
アルジェリアは,1830年からフランスの支配下にあり,北岸に置かれた3県はフランス本土と同等の扱いを受けていたという。フランス系移民も多く,その1人がジャックの父親だった。アルジェリアで少年時代を過ごしたジャックだが,自分の父親に触れられないのと同様に,アルジェリアの魂に溶け込むことはできない。少年時代にけんかをしたアラブ人のハムッドとは,旧友だと言っても,その言葉はどこか虚しく響いて違和感を覚える。
同じような輝きであっても,フランス映画では水滴のような柔らかさがあるのに対し,イタリア映画では砂礫のような硬質さが感じられることが多いように思う。本作は,フランスに関する映画だが,イタリアのカラブリア地方出身の監督によるものであり,乾いた感触が迫ってくる。ジャックがアラブ人とフランス人の共存を訴えても,聴衆の頭上をさ迷うばかりで着地ができない。その無力さがスクリーン上に生まれる感触と符合している。
ジャックにとって,アルジェリアはフランスの一部として所与のもので,そのことに何の疑問も抱きようがなかった。フランス人とは異なるアラブ人が8世紀から,ベルベル人が紀元前から,同じテリトリーで生活している。ジャックは,その現実を意識しないわけにいかない。だが,爆弾テロが発生して多数の死傷者が出るし,駐留するフランス軍人の姿も目につくようになる。町の様子が騒々しさを増す中で,何もできない無力さが際立つ。(河田 充規)