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 ★ 2010年 5月公開
 座頭市 THE LAST
 RAILWAYS 
  49歳で電車の運転士になった男の物語
 プリンス・オブ・ペルシャ
        /時間の砂
 ヒーローショー
 ボックス!
 17歳の肖像(河田バージョン
 17歳の肖像(江口バージョン
 トロッコ(安永バージョン)
 トロッコ(江口バージョン)
 パーマネント野ばら
 ビルマVJ 消された革命
 君と歩こう
 9〈ナイン〉
    〜9番目の奇妙な人形〜
 グリーン・ゾーン(伊藤)
 グリーン・ゾーン(河田充)
 エンター・ザ・ボイド
 冷たい雨に撃て、
         約束の銃弾を
 春との旅
2010年4月公開ページへつづく
 
新作映画
 座頭市 THE LAST

(C)2010「座頭市 THE LAST」製作委員会
『座頭市 THE LAST』
〜時代劇の「聖域」に踏み込んだ阪本監督の心意気〜

(2010年 日本 2時間12分 )
監督:阪本順治  原作:子母澤寛(「座頭市物語」より)
出演:香取慎吾、石原さとみ、工藤夕貴、寺島進、高岡蒼甫、ARATA、加藤清史郎、反町隆史、原田芳雄、倍賞千恵子、仲代達矢

2010年5月29日(土)全国東宝系ロードショー
公式サイト⇒ http://www.the-last-1.jp/  
 「香取慎吾の座頭市なんて」という先入観を捨てて観て欲しい。なぜなら、本作は今の日本映画界をけん引する一人、阪本順治監督が満を持して時代劇、しかも映画人にとって「聖域」の題材に、正攻法で真っ向勝負を挑んだのだから。

 座頭市と言えば勝新太郎。特に大映のシリーズは、撮影所所属の名匠、スタッフたちが競い合い磨き上げた、日本映画史の金字塔だ。

 それを再映画化し、しかも勝が演じなかった座頭市と妻の物語、そして最期の道行きを撮る。いかにも阪本監督らしい挑戦だ。彼は過去にも「新・仁義なき戦い」など名作を題材に、独自の作品に昇華させてきた。本作にも、時代劇隆盛期の撮影所の映画作りに対する強い憧れと敬慕が込められている。

 CGを一切使わず、美術班は村一つをまるごとセットで建てた。香取は、東映京都撮影所の殺陣師、菅原俊夫の指導に根性でくらいつき、盲目の渡世人、市の仕込み杖による居合い斬りや逆手斬りを体得。勝でさえ薄目を開けて臨んだという立ち回りに、目をつむって挑んだ。他の俳優陣の殺陣もごまかしがない。ダイナミックな長回しで本物の熱気や汗、泥臭さをフィルムに焼き付けた撮影は、特筆に値する。

 妻のタネ(石原さとみ)を追っ手に刺され失った市の、「もう人斬りにまみれたくない」という思いは、現代に通じる反暴力の主張と言える。

 故郷で百姓をする市は、村を牛耳る大物やくざ(仲代達矢)の一家を相手に、村人たちと共に再び闘うことになる。市の親友の百姓(反町隆史)が無情にも殺される時、息子(加藤清史郎)が目をそむけないのも印象に残る。勝の座頭市は人斬りを子供に決して見せなかったが、阪本演出は違う。死んだ父の刀を手にする息子を、祖母(倍賞千恵子)がとめる。男たちに暴力の連鎖を断ち切らせるのは、女たちの願いなのだ。

 その視点を新鮮に感じたがゆえに、本作では市と生前の妻、タネとのドラマを情感豊かに描き込んで欲しかった。登場人物とエピソードが多い分、脚本の焦点がぼやけ、香取の殺陣も大健闘ながら、「めくら」の底知れぬ悲哀や恐怖、怒りを体現するには至っていない。 阪本監督が目指した新しい地平にあるものが今一つ鮮明に見えない。力作だけにそこが惜しいし、彼の課題だろう。

(佐々木 よう子)ページトップへ
 RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語
『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』
〜分岐点で考える、自分らしく生きること〜

(2010年 日本 2時間10分)
監督・脚本:錦織良成
出演:中井貴一、高島礼子、本仮屋ユイカ、三浦貴大、
    奈良岡朋子

5/29〜丸の内ピカデリー、梅田ピカデリー 他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://www.railways-movie.jp/

 

 “築地松(ついじまつ)”と呼ばれる独特の生垣を備えた民家が点在する、緑豊かな平野を2両編成の電車がトコトコと往く。島根県東部、出雲地方を走る一畑(いちばた)電車だ。

 東京で企業戦士として生きてきた男が、50歳を目前にした日本の男の、誰にでも降りかかるいくつかの出来事を経て郷里に戻り、少年の日の夢だった電車の運転士として新たな旅路を歩み始める。

 主演は中井貴一。生真面目な印象がうまく生かされ、人生の転機に真摯に向き合う男の心情が素直に伝わってくる。彼の年若い同僚を演じるのは本作でデビューを果たした、三浦友和・山口百恵夫婦の息子、三浦貴大だ。

  島根出身の錦織監督がよく知る、出雲の風土や人々の人柄が作品のベースにあるので、やさしい人間たちの物語に説得力がある。また、電車そのものに注がれる視線にも愛情があり、車窓の風景と共に、鉄道やローカル線のファンも楽しめる作品だ。 
(春岡 勇二)ページトップへ
 プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂

(C) Disney Enterprises, Inc. and Jerry Bruckheimer, Inc. All rights reserved.
『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』
〜痛快!予想外の面白さで迫ってくる冒険活劇〜

(2010年 アメリカ 1時間57分)
監督:マイク・ニューウェル
出演:ジェイク・ギレンホール,ベン・キングズレー,ジェマ・アータートン,アルフレッド・モリーナ

2010年5月28日(金)〜TOHOシネマズ梅田 他世界同時公開
公式サイト⇒http://www.disney.co.jp/movies/persia-movie/
 製作がジェリー・ブラッカイマーだから見て損はないという程度の期待感はあった。だが,これほどまで見所が満載だとは一体だれが予想しただろうか。ハリウッド流のアクション・アドベンチャーで,ヒーローは幾多の危機を乗り越え,最後に悪者は滅び,ハッピーエンドを迎える。その約束事を破ることなく,古代ペルシアを舞台として,個性の豊かな登場人物が敵か味方かと絡み合い,時間を巻き戻す力のある短剣を巡る攻防が展開する。
 ペルシア帝国の王子ダスタンに扮するのはジェイク・ギレンホール。パルクール(体一つで建物の壁面を上ったり屋根から飛び降りたりする移動術)等でトレーニングを積んだという。ジャッキー・チェン顔負けの華麗な身のこなしは芸術的だ。「マイ・ブラザー」のあの弟がアクションスターに大変身している。聖なる都アラムートの王女タミーナにはジェマ・アータートン。“時間の砂”の守護者として使命を全うしていく勝ち気な女性だ。

  撮影はジョン・シールで,「イングリッシュ・ペイシェント」のときのような雄大で美しい砂漠が目の前に広がる。ダスタンが短剣を使って時間を巻き戻すシーンでは,逆行する時間が視覚化され,タイムトラベルという得難い体験ができる。これをダスタンが兄の前で巧みに利用するシーンがある。父殺しの疑いを晴らそうとする行動で,意表を突かれるだけでなく,兄弟の絆が伝わってきた。ダスタンの父と叔父も兄弟に違いないのだが…。
 キャスティングを見ただけでいかにも怪しげなベン・キングズレー扮するニザム。彼の指示で動く暗殺者ハッサンシンは,妖しげな雰囲気を漂わせる。アルフレッド・モリーナは,胡散臭そうで憎めない商売人アマールに扮し,ストーリーに奥行きと広がりを与えてくれた。彼と行動を共にするナイフ投げの名人ンバカの活躍は大きな見せ場となる。彼らと共に現実にはあり得ない夢の冒険を楽しまない手はない。これもまた,映画の醍醐味だ。
(河田 充規)ページトップへ
 ヒーローショー

(C) 2010「ヒーローショー」製作委員会
『ヒーローショー』
〜ヒーローになれない若者たちの葛藤と希望を映し出す青春バイオレンス映画〜

(2010年 日本 2時間14分)
監督・脚本 井筒和幸
出演 後藤淳平(ジャルジャル) 福徳秀介(ジャルジャル) ちすん 米原幸佑(RUN&GUN) 桜木涼介 林剛史 阿部亮平 石井あみ 永田彬(RUN&GUN)

5月29日(土)梅田ブルク7 なんばパークスシネマ 三宮シネフェニックス MOVIX京都ほか全国ロードショー
公式サイト⇒ http://www.hero-show.jp/

 二十歳そこそこの若者の多くは、自分を越えた何かを得ようと虚勢を張るものだ。しかし、近道ばかりを選択し、必要な努力を怠ることで、自分の人生の当事者になりそこねてしまう。本作に登場する青年たちは、そんな若者の代表的な存在と言えるだろう。

 お笑い芸人をめざしているユウキは、何をやってもうまくいかないダメ男。ある日、元相方の剛志から「電流戦士ギガチェンジャーショー」のバイトを紹介されたユウキは、慣れないながらも悪役としてヒーローショーに出演し始める。だが、怪人を演じる剛志の恋人を、ギガレッド役のノボルが寝取ったことから殴りあいの喧嘩に発展。ショーの最中に大乱闘を起こしてしまう。それでも、怒りが収まらなかった剛志は、友人の鬼丸の元へ出向き、ノボルたちをシメて欲しいと持ちかける。

 ささいな仲間内の諍いが、いつしか血で血を洗う報復合戦へと発展し、ついには決定的な犯罪が起こってしまう…。数年前に起きた某リンチ事件を連想させるようなストーリー、超リアルな暴力描写、そして救いのないラスト。かなり賛否を呼びそうな作品であるが、決して暴力を肯定するような映画ではない。
 『パッチギ! LOVE&PEACE』 以来3年ぶりにメガホンを取った井筒和幸監督は、本作を見た若者たちが、劇中の主人公たちのようにならないために頑張ろう、小さくてもいいから夢に向かって努力をしよう、そう思ってもらえたら満足だと語っていた。そして、タイトルこそ口にしないが“男前が最後に勝つヤンキー映画”を引き合いに出して、暴力に憧れを持たせるような作品に真のリアリティはないと井筒節全開で吼える。暴力否定主義者だからこそ、限界まで描く。現実の事件にハッピーエンドなんてないんだ。そう訴えかける本作は、監督自らが反面教師となって怠惰な日常に慣れ親しんだ現代社会を叱咤激励する映画であると理解する。
 さらに、この映画は集団心理の怖さにも言及している。人は単独でいるより、大勢になるほど匿名性が増し、過激な行動に出てしまうもの。感情的になることで理性が崩壊し、歯止めの利かない残虐性を生み出すのだ。誰も人を傷つけたいとは思っていないのに、群れの中で強さを誇張するため、被害者の命よりも自分の立場を優先してしまう。この心理はイジメ問題にも共通するものだろう。衝動的な人間の内面をリアリティたっぷりに引き出した監督の手腕は見事と言える。
 そんな監督の演出を受け取った若手俳優たちの熱演も光る。主演に大抜擢されたお笑いコンビ・ジャルジャルの2人も期待以上の好演を見せてくれた。否応なしに事件に巻き込まれていくユウキを福徳秀介、自衛隊あがりで喧嘩にめっぽう強い勇気を後藤淳平が演じる。特に、後藤はコントでは見せないクールな一面を披露しており、後藤ってこんなに男前だったけ?と目を疑ってしまうほど。

 全体を見て一番不安に感じたのは、残忍にも人を死なせたあと、普通に食事をとる若者たちの無神経さだ。俺は悪くないという責任転換の早さに衝撃を受ける。しかし、ネガティブなままでは終わらない。絶体絶命のピンチにユウキは「生きなおしたい」と泣き、勇気は大事なものを守ろうともがく。ラストに向かうにつれ人間らしい素顔を見せ始める主役2人の行動に一筋の希望を見た。

(中西 奈津子)ページトップへ
 ボックス!
『ボックス!』
〜ヤンチャな天才ボクサーの真の敵は?〜

(2010年 日本 2時間)

監督:李闘士男 原作:百田尚樹
出演:市原隼人、高良健吾、谷村美月、香椎由宇、筧利夫、
    清水美沙、宝生舞

2010年5月22日(土)全国東宝系ロードショー
公式サイト⇒ http://www.box-movie.jp/
 「われわれはあしたのジョーである」と高らかに宣言したのはよど号ハイジャック事件を起こした共産同赤軍派の面々である。当時の人気漫画(68 〜 73年)の破滅型主人公がこんなところで出てきたのに驚いたものだ。彼らがあしたのジョーに何を仮託したのかは想像するしかないが、それほど鮮烈な社会的なヒーローだった。めっぽうケンカ好きでやたら強い男…あしたのジョーは現実には困り者かはみ出し者なのだが、そんな男でも英雄になれるのが“殴りあう”スポーツ、ボクシングの魅力だ。
 過去ポール・ニューマンの「傷だらけの栄光」(56年)、スタローンの「ロッキー」(76年)、日本でも赤井英和の「どついたるねん」(89年)など傑作、名作は数知れない。そんな人気ジャンルに新たな名作が誕生した。李闘士男監督の「ボックス!」。ボクシングはやはり興奮を呼び覚ますスポーツなのである。
 天才的な高校生ボクサー、カブ(市原隼人)と、彼に誘われて入部した優等生、ユウキ(高良健吾)の物語。2人は幼なじみで、長らくカブがユウキを守る役目だったが、ユウキは身上のひたむきな努力で腕をめきめき上げていく。才能任せの天才か、まじめな努力家か、この2種類の人間の競い合いが生み出す興味はスポーツだけにとどまらないだろう。2人に他校の怪物ボクサー(稲村=諏訪雅士)をからませ、3者3様の対決模様でぐいぐい引っ張っていく展開にハマる。カブと戦うために怪物・稲村が階級を1ランク落とすあたりはジョーと戦うために減量したライバル力石徹をほうふつさせる(懐かしい)。自分に自信を持ち過ぎていたカブは、幼なじみに真の敵を知らされ、どん底まで落ちて死に物狂いで再起に賭ける。ヒーローが真の英雄になるには数多くの関門を乗り越えなければならない…カブの戦いはスポーツ映画ならではの感動を呼ぶ。
 スポーツ映画の決め手はズバリ、リアリティーである。「ロッキー」はその点で不満残しだったが、小さいころからボクシングジムで遊んでいたという李監督はその点を分かっていた。主役2人はボクシング未経験だが、元日本チャンピオンの指導を受けるなど4か月もの訓練を積んでリアルファイトを成し遂げたという。怪物・稲村役は本物のプロボクサー。ラストの決戦には本物のヤンチャ男でチャンピオン亀田興毅が顔を見せることも含めて本物にこだわった映画作り。スポーツ映画、いやボクシング映画はこうでなくっちゃ。
(安永 五郎)ページトップへ
 17歳の肖像 (河田充バージョン)
『17歳の肖像』 (原題:An Education)
〜七色の変化で魅せるジェニーの内面描写〜

(2009年 イギリス 1時間40分)
監督:ロネ・シェルフィグ
出演:キャリー・マリガン、ピーター・サースガード、エマ・トンプソン、アルフレッド・モリーナ他

2010年5月8日〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、 5月15日〜シネリーブル神戸ほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://www.17-sai.jp/

 1961年,ロンドン郊外。ジェニーは16歳の女子高生。成績は優秀で,学校の先生も彼女を高く評価している。両親,特に父親は娘をオックスフォード大学へ入れることしか頭にないようだ。大学進学にプラスになることは何でもジェニーにやらせている。最初は堅物な印象を受けるが,実は純な親バカだと分かってくると,愛嬌さえ感じられる。ジェニー自身は,勉学にいそしみ,チェロの練習もしている。また同級生のボーイフレンドもいる。
 その一方で,彼女は,ジュリエット・グレコのシャンソンを聴き,フランスに憧れている。自分が置かれた現状に不満はないとはいえ,その中で完結しているわけでもない。もはや子供ではなく,アイデンティティ(自己同一性)について考える年頃になっている。自分自身の存在意義や社会的役割を考え始める。そんなとき声を掛けてきたのが大人の男デヴィッドだった。彼の車に乗るジェニーを違和感なく見せる演技と演出は大した力量だ。
 デヴィッドは,仕事仲間ダニーとその恋人ヘレンをジェニーに紹介する。男2人と女1人という構図は珍しくない。「突然炎のごとく」(1962)のように3人が仲良くなるのはフランス人である。イタリア人なら男2人が女1人を奪い合って血が流れるに違いない。もちろん,ジェニーがデヴィッドに感じていたのは,フランスの香りではなく,既成の枠に収まらない空気だったはずだ。とはいえ,いかにもフランスっぽい3人の設定が洒落ている。
 だが,本作はイギリス映画である。男女の甘いロマンスは似合わない。ダニーのデヴィッドに対する態度は,何かを明かさないまま傍観しているように思える。ジェニーもまた,デヴィッドに少し違和感を覚えている。そのような状況でジェニーは重大な選択をし,そして挫折する。彼女がデヴィッドの家を訪ねるシーンがいい。そのとき,ジェニーにはデヴィッドの素の姿が見えたに違いない。それは,学校では触れられない貴重な体験だった。
(河田 充規)ページトップへ
 17歳の肖像 (江口バージョン)
『17歳の肖像』 (原題:An Education)
〜大人の世界を知った17歳の恋とその代償〜

(2009年 イギリス 1時間40分)
監督:ロネ・シェルフィグ
出演:キャリー・マリガン、ピーター・サースガード、エマ・トンプソン、アルフレッド・モリーナ他

2010年5月8日〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、 5月15日〜シネリーブル神戸ほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://www.17-sai.jp/

 イギリスの人気ジャーナリスト、リン・バーバーの回想録を『アバウト・ア・ボーイ』も手掛けた人気ベストセラー作家ニック・ホーンビィ脚本で描く異色の青春ムービー。
 1961年イギリス。パリに憧れる高校生ジェニー(キャリー・マリガン)は、吹奏楽団員の傍らオックスフォード大学進学を目指す日々。進学しか頭にない父(アルフレッド・モリナ)は、勉強以外のことは無駄と排除し、ジェニーは苛立ちを覚えていた。ある雨の帰り道、偶然車で通りかかったデイヴィッド(ピーター・サースガード)という年上の男性に送ってもらうことになったジェニーは、デイヴィッドが見せる大人の世界にどんどん引き付けられていく。
 撮影当時22歳だったキャリー・マリガンは、退屈だった毎日とは真逆な人生の歓びを手にしていくジェニーを、非常に魅力的に演じている。アルフレッド・モリーナ演じる厳格な父を見事に手玉にとるデイヴィッドの口の巧さにクスリとさせられる一方で、今だけの幸せに夢中になり、遮るものがない永遠の愛と信じて疑わなかったジェニーに危うさを覚えずにはいられない。
 舞台となった60年代イギリス庶民の生活は、当時のアメリカやパリの華やかさに比べれば、地味でつつましい。街の風景、ジェニーの家の様子や両親の会話など、人々の価値観や暮らしぶりがきめ細かく描写されている。ジェニーが部屋で宝物であるジュリエット・グレコのLPから『パリの空の下』を聴くシーンがある。当時のイギリスのティーンエイジャーがフランスに憧れこの名曲を聞いていたのかと、観ている自分もタイムスリップした気分に。そんな楽しみがあるのも本作の魅力だ。
 原題は『An Education』。17歳のジェニーにはあまりにも代償の大きい“教育”だったけれど、人生の学びとは大きな代償を払えば払うほど、実は得るものも大きいのだろう。人生の転機で流されることなく自分の意思で改めて大学進学を選択し、自分の過ちを素直に謝るジェニーの姿は凛として恰好よかった。自分で選んだことだから悔いはない。そんな生き方を17歳のジェニーから学んだ気がする。
(江口 由美)ページトップへ
 トロッコ (安永バージョン)

(C)2008TOROCCOLLP.AllRightsReserved.
『トロッコ』
〜台湾で蘇った芥川の『トロッコ』〜

(2010年 日本 1時間56分)
監督:川口浩史
出演:尾野真千子、原田賢人、大前喬一、ホン・リゥ、チャン・ハン、メイ・ファン、ブライアン・チャン他

2010年5月22日(土)〜梅田ガーデンシネマ、7月〜京都シネマ、9月元町映画館 ほか全国にて公開
・監督インタビュー⇒こちら
・公式サイト⇒ 
http://www.torocco-movie.com/
 傷ついた心を癒してくれるのは故郷の大自然しかない。久々にそう痛感した。「トロッコ」は川口浩史監督(39)のデビュー作。原作は芥川龍之介の短編小説で監督が長い間温めていた企画だが、完成品は当初の思惑とは違い、全編台湾ロケによる日本映画になった。「映画の現場で知り合った台湾人キャメラマンのリー・ピンビンから“台湾にトロッコがある”と聞いて、台湾の空間をそのまま映像にしたいと思った」と川口監督。豊かな緑、穏やかな人の絆、大家族の愛…今の日本から失われたものが、そこにあった。

 主人公の母・夕美子(尾野真千子)、8歳と6歳と2人の幼い息子が台湾の祖父母を訪ねる物語である。母子は急死した台湾人の夫の遺骨を届けるため台湾東部の村を訪れる。初めて会う祖父は母子には優しかった。父の形見の写真に写っていた「トロッコを押す少年」がこのおじいちゃんと知った兄弟はトロッコを探し始める。
 うっそうとした森の中でトロッコを見つけ、村の青年と乗り込んだ時の喜び。遠い日、誰もが経験した未知の世界への冒険は甘酸っぱく切ない。働く夕美子は夫に先立たれ2人の息子を育てていく不安からつい子供に当たってしまう。子供たちも素直になれない。そんな家族を大きな懐に抱いてくれたのは台湾の人たちと奥深い山々だった。
 台湾は敗戦まで50年間、日本の統治下にあった。苦い思いもあったに違いなく、映画でもおじいちゃんに日本から「恩給欠格者」の通知も届く。だが、そんな怨みつらみをすべて飲み込んだかのようなおじいちゃんの笑顔が温かく胸に迫る。かつて日本にあった大家族の温かさをこの田舎の村で見つけた。まるでタイムトンネルをくぐったように。台湾はホウ・シャオシェンら台湾ニューウェーブの監督たちが数年前に日本のファンに圧倒的に支持された。彼らの作品は都会を舞台にしたものも多いが、傷ついた若者たちを受け入れるのは緑濃い山の風景(モノクロでも)だった。そして、日本の母子が台湾で癒されることが、監督の意図を雄弁に語っていると思う。 
(安永 五郎)ページトップへ
 トロッコ (江口バージョン)

(C)2008TOROCCOLLP.AllRightsReserved.
『トロッコ』
〜台湾の地で甦り、
         新たな息吹が吹き込まれた『トロッコ』〜


(2010年 日本 1時間56分)
監督:川口浩史
出演:尾野真千子、原田賢人、大前喬一、ホン・リゥ、チャン・ハン、メイ・ファン、ブライアン・チャン他

2010年5月22日(土)〜梅田ガーデンシネマ、7月〜京都シネマ、9月元町映画館 ほか全国にて公開
・監督インタビュー⇒こちら
・公式サイト⇒ 
http://www.torocco-movie.com/
 芥川龍之介の短編小説『トロッコ』をモチーフに、日本と台湾のキャストが結集。伝承すべき歴史と心の原風景を優しく描く名作が誕生した。

 8歳の敦(原田賢人)は、母親夕美子(尾野真千子)と弟の凱(大前喬一)の3人で、亡き父親の故郷、台湾の村にお骨を持って訪れた。親に先立ち亡くなった息子を叱咤しながら、敦たちを迎え入れてくれたおじいちゃん(ホン・リゥ)は敦が父親からもらった写真を見て「これは私だよ。」とつぶやく。トロッコに手をかけた若き日の自分の写真を見て、トロッコの場所を探しにでかけるおじいちゃんと敦たちの距離は少しずつ縮まっていったのだが・・・。
 台湾を舞台にした本作で見逃せないのは、第二次世界大戦が終わるまで日本国民として日本語教育を受け、日本兵として誇りを持って兵役に就いてきたおじいちゃんの存在だ。戦後日本から受けた扱いに今でも苦しみ、それでも日本への憧れを持ち続けているおじいちゃんの姿は、台湾の多くの“日本語世代”が今でも感じでいることなのだろう。敦や観ている私たちにもその歴史が伝承されることに大きな意味を感じるのだ。
 本作を撮るきっかけとなった今でも現存する森林の中のトロッコ。敦と凱の兄弟が地元の森林を守る青年(ブライアン・チャン)とトロッコで滑走するシーンは、心の中の原風景を甦らせ、彼らの意気揚々とした笑顔に懐かしさと感動を覚える。おじいちゃん子である青年がトロッコを押しながら口ずさむ童謡「ももたろう」もまた、台湾で日本との歴史と文化が伝承されているエピソードの一つなのだ。
 家族ドラマの側面も見逃せない。夫を亡くし、女手一つで息子二人を育てなければならない夕美子を演じる尾野真千子が成長しつつある息子とどう対峙していいか迷う母親の心を素直に表現している。健気に頑張る夕美子をあたたかく見守る台湾のおじいちゃん、おばあちゃんの言葉も、家族への思いやりに満ちていて、ひと夏の出来事がゆったりとした美しい映像の中で優しく紡がれていく。
 最初は任天堂DSで遊ぶのに没頭していた無表情な兄弟が、台湾の田舎でおじいちゃんやおばあちゃん、村の人たちと遊び、トロッコで小さな旅に出ることで、日本では得られなかった貴重な体験を重ね大きく成長していく。台湾の地で鮮やかに甦った芥川龍之介の名作は、とても優しく観る者の胸の奥に響いていくことだろう。

(ひとこと)
本作が長編テビュー作となる川口浩史監督のもとに、台湾の名スタッフ、キャストが集まった。撮影を手掛けるのはホウ・シャオシュン監督作品や『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督作品)など国際的に活躍しているリー・ビン・ビン。アジアでの映画作りでは、監督、脚本、撮影、そしてキャストが多国籍に渡っているケースが年々増えており、
新時代の日本発アジア映画として今後につながる作品とも言えるだろう。

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 パーマネント野ばら

(C) 2010映画「パーマネント野ばら」製作委員会
『パーマネント野ばら』
〜情感が豊かで生きのいいオンナたちの息遣い〜

(2010年 日本 1時間40分)
監督:吉田大八
出演:菅野美穂,小池栄子,池脇千鶴,宇崎竜童,夏木マリ,江口洋介

2010年5月22日〜新宿ピカデリーほか全国にて公開
関西では、シネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、シネ・リーブル神戸にて公開

公式サイト⇒ http://nobara.jp/
 浜辺に座り,海を見ているなおこ。海の音と匂いがする。娘のももがなおこに引き寄せられるように海に向かって歩いている。海面が光り輝いている。過去を見ているなおこの横顔が映される。「おかあさん」という声にゆっくり振り向いて笑顔を見せるなおこ。このとき,彼女はいま自分のいる場所へ戻ってきたのかも知れない。彼女もまた不器用にしか生きられなかった。友達のみっちゃんやともちゃん,そして母親のまさ子と同じように。
 なおこは,離婚してこの町に戻ってきた。この町もこの町の人間も嫌い,残り滓ばかり住んでいると言いながらも,この町から離れられない。みっちゃんは,浮気ならぬ本気モードのダンナ目掛けて自動車でぶつかっていく。それでも好きな男がいなくなることにガマンできず,ダンナに金を渡す。ともちゃんは歴代の男に殴られ続け,やっと見付けた殴らない男はギャンブルにのめり込む。ままならない人生だが,仄かな明るさが流れている。
 架空の町が舞台となっているが,そこは紛れもなく原作者西原理恵子の出身地である高知県だ。太平洋に面した町は明るい光に包まれている。カメラは,水面や瓦屋根のきらめきを映し出す。朝の光はさわやかで,緑の濃淡がくっきりしている。まさ子の営む「パーマネント野ばら」に集まるオンナたちは,オトコ談義に花を咲かす。同じ人生ならクヨクヨせずに笑い飛ばさないとソンだというエネルギーが充満している。要は生きがいいのだ。
 だから,3人のオトコ運のなさも,この町のオンナたちのエネルギーに包まれて,常に明るみを失わないでいられるのだ。しかも,傷付いた心を優しく包んでくれる眼差しがある。みっちゃんは,人は二度死ぬと言う。生命が停止して一度死に,人に忘れられて二度死ぬ。忘れられないことの悲しさ。忘れなければならいこともある。この町のオンナたちは,情感が豊かで,なおこが高校教師カシマと交際する様子を温かくじっと見守っている。
(河田 充規)ページトップへ
 ビルマVJ 消された革命

(C) 2008 Magic Hour Films

『ビルマVJ 消された革命』(原題:BURMA VJ)
〜VJ(ビデオジャーナリスト)が命を懸けた真実の映像〜

(2008年 デンマーク 1時間25分)
監督/脚本:アンダース・オステルガルド
原案/脚本/助監督:ヤン・クログスガード

2010年5月15日〜シアター・イメージフォーラム、
6月5日〜第七藝術劇場、初夏〜京都シネマ、神戸アートビレッジセンター他全国順次公開

原案者インタビュー⇒こちら
公式サイト⇒http://burmavj.jp/

 2007年、日本人ジャーナリスト長井健司氏がビルマ取材中に射殺された事件は、世界で大きく報道され、その瞬間を捉えた映像に衝撃を覚えた人も少なくはないだろう。本作は、長井氏射殺の映像のみならず、ビルマの軍事独裁政権下で報道統制に屈することなく命がけで真実を記録し、配信し続ける「VJ(ビデオジャーナリスト)」たちの物語である。
 VJメンバーであるジョシュアという青年をナビゲーターに据え、2007年9月のビルマ反政府デモのその時まさに起こっていたことがスクリーンに映し出される。撮影は禁止、見つかれば投獄、拷問という身の危険を冒してでも撮り続け、世界に真実を配信しなければ、ビルマ国民ですら同志が決起した事実を知ることは不可能なのだ。
 本来政治に関与しない僧侶たちが整然と並んで民主化の声を上げる。市民たちが結集して彼らを後押しする。拳を天に突き上げ、気持ちを一つにする。非武装の僧侶や市民たちに、軍部からの激しい銃弾が浴びせられる。拷問のあと川に捨てられた僧侶の遺体、投獄され未だ帰ってこないおびただしい数の僧侶たち。消息不明になったVJ同志。アンダース・オステルガルド監督は撮影者を特定されないがために一部は再現映像としながら、VJによるおびただしい数の映像を一編の作品として繋いた。世界中に彼らが命がけで記録し伝えようとした真実を映し出すことで、「忘れられた悲劇」となるのを阻止し、VJたちに大きな支援の手を差し伸べたのだ。

 映画を見ているという感覚はもはやなく、軍部によって黙殺される事実の記録に命がけで取り組んでいるVJたちの現場にいるかのようだった。そして同時に自分たちが出来ることは何なのかを考えずにはいられない。

 くしくも、本作を鑑賞した日にタイで日本人カメラマン村本博之氏射殺のニュースが報道された。ネットニュースに流された映像から政府も水平発射を認めたが、映像がなければ事実は明らかにされなかっただろう。真実を語る映像がなければ事実が簡単に捏造される国で、カメラを武器に真実を伝えるため闘うVJたちを見逃さないでほしい。
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 君と歩こう

(c) 2009 「君と歩こう」製作委員会
『君と歩こう』
〜駆け落ちとは,前向きに逃げていくこと〜

(2009年 日本 1時間30分)
監督・脚本:石井裕也
出演:目黒真希,森岡龍,勝俣幸子,渡部駿太,吉谷彩子

2010年5月15日〜ユーロスペースほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://kimito-arukou.com

 英語教師の明美は34歳。なぜか超ビンボーなノリオと駆け落ちする。というより,ノリオを道連れに片田舎から東京へ出奔する。2人とも,どこかズレている。大きなマスクをして,両手にいっぱい荷物を抱えている。ノリオは何と学ランを着ている。いかにも怪しげなコンビだ。2人は新しい人生の始まりに当たって携帯を投げ捨てる。「イージーライダー」の時計を投げ捨てるシーンのパロディのような感覚があり,その落差が可笑しい。
 高校生のノリオは17歳。超ビンボーなのは自分達が選んだ自民党が推し進めた政策の結果だと,分かったような口を利く。そんなノリオが首を吊ろうとしたとき,明美にダサいと言われる。後ろを向いて逃げるのはダサいから,前だけを向いて逃げなさい,と諭されるのだ。同じ監督がほぼ同時に取り組んだという「川の底からこんにちは」と一脈相通じるところがある。同じ人生なら前向きに生きなきゃ損だという逞しさに支えられている。
 人は生まれ落ちたときから生きる苦しみを背負っている。誰かと一緒に逃げたくなることもある。だが,悲壮感を前面に押し出さず,シリアスなネタも笑いにまぶして描かれていく。監督が目指した「落語のような軽妙な作品」になり得たといえよう。80打席ノーヒットの野球選手でもホームランを打つときが来るように,生きていればいいことがある。単純明快で破天荒な展開の中で人生や社会に対する心情が吐露される,その清々しさもいい。
 明美は,東京の川を見て,その汚さに驚くだけでなく,人間がやってきたことを如実に表していると言う。まるで取って付けたような感覚で,深く人生を考察しているような言葉が飛び出す。ノリオには金はあると言いながら,内緒でカラオケ店のアルバイトをしている。彼女のやる気のない表情の中に,思い通りにはいかない人生の寂しさと,人を思いやりながら生きていく優しさが見えてくる。何だか,いま生きていることが愛おしくなる。
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 9〈ナイン〉 〜9番目の奇妙な人形〜

(c) 2009 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
『9 <ナイン> 〜9番目の奇妙な人形〜』(原題:9)
〜世界観とキャラクターに魅了される
                ダークファンタジー〜


(2009年 アメリカ 1時間20分)
監督:シェーン・アッカー
出演(声):イライジャ・ウッド、ジョン・C・ライリー、クリストファー・ブラマー、マーティン・ランドー他

2010年5月8日〜シネリーブル梅田、シネリーブル神戸、なんばパークスシネマ、MOVIX京都ほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://9.gaga.ne.jp
 2005年アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされたシェーン・アッカー監督の『9』。この『9』に惚れ込んだ奇才ティム・バートン監督全面プロデュースのもと、長編として誕生した本作は、より示唆と冒険に満ちたダークファンタジーに仕上がっている。
 古びた研究室で麻布を縫い合わせ背中に「9」と書かれた人形が生まれた。9が目覚めたときには、周りに生きている人はおらず、外もがれきの山と化していた。そんな中、9は「2」と背中に書かれた人形に出会う。2のおかげで言葉がはなせるようになった9は他にも仲間がいることを知るが、2は巨大な機械獣(ビースト)にさらわれてしまうのだった・・・。

 人類が滅んだあとの世界を描いているため、映る光景は廃墟やガラクタばかり。そして人形たちもありあわせの素材で作られた“リサイクル人形”だ。この朽ち果て、錆びついた世界観は、まさに人類の営みの結果であり、悲壮感と同時に廃墟の“わび”を感じさせる。

 自分が何者か、何のために生まれたかも分からず一人ぼっちだった9は、仲間との出会いや葛藤、ビーストとの闘いの中で、自分のルーツや使命に導かれていく。それぞれの人形のキャラクターにぴったりあった声の出演者たち、中でも9を演じるイライジャ・ウッドはまさにはまり役だ。正義感に溢れ困難にも真っ直ぐに立ち向かう9は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの主人公フロドと重なる。個性的な人形たちの造形や、とても繊細な動き、そして表情豊かな目が印象的で、通常のアニメーション以上に惹きつけられた。

 ラストに9たちがレコードプレーヤーで聞いた『虹の向こうに(オーバー・ザ・レインボー)』。この物語を締めくくるにふさわしい選曲は、それまでの闘いの数々と、再び世界に光が射すことを予兆しているかのようだ。シェーン・アッカー監督が作り出した大人のファンタジーは、新時代の寓話ともいえるだろう。
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 グリーン・ゾーン  (伊藤久美子バージョン)

(c) 2009 UNIVERSAL STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.
『グリーン・ゾーン』
〜真実を求めて、孤独な闘いが始まる…〜

(2010年 アメリカ 1時間54分)
監督:ポール・グリーングラス
出演:マット・デイモン,グレッグ・キニア,ブレンダン・グリーソン,エイミー・ライアン,ジェイソン・アイザックス,ハリド・アブダラ,イガル・ノール

2010年5月14日よりTOHOシネマズスカラ座ほかにて公開
公式サイト⇒
 
http://green-zone.jp/

 一国の将来を、他の国に委ねることなどできるだろうか。その国は信頼に値するのか。イラク戦争後のアメリカのありようについて批判的精神にあふれた本作は、そんな疑問を観客に投げかけ、みごたえのあるドラマとなった。
 2003年の米英連合軍によるバグダード侵攻直後、大量破壊兵器を探索する特命を受けた特殊隊を率いるミラー隊長は、地雷だらけの危険な地帯で、大量破壊兵器の発見に全力で挑んでいた。しかし、敵襲をかいくぐって突進した場所には何もなく、偽情報が繰り返される。疑問を抱いたミラーは、独自に調査を始める。その果てに見つけた真実とは…。
 監督はポール・グリーングラス。主人公ミラー隊長を演じるのはマット・デイモン。生身のアクションにこだわり、手持ちカメラによる撮影で駆け回る。緊迫した画面が続き、リアリティにあふれ、銃撃戦の迫力には圧倒される。手に汗握る展開で、観客の心を一気につかんだまま、最後まで突き進む。
 冒頭の倉庫への突入シーンで、ミラー隊長が、部下の反対を押し切り、命の危険もかえりみず突撃したのも、大量破壊兵器が隠されているからこそだった。それだけに、開戦の引き金でもある大量破壊兵器の存在について、曖昧な発言でごまかそうとする政府高官につっかかり、思わず胸倉をつかんでしまうミラー隊長の心境はよく伝わる。マット・デイモンは、命令にはむかい、果敢に行動していくミラー隊長を熱演。彼には孤独がよく似合う。内に秘めた闘志、勇気を感じさせ、観客を魅了してやまない。
  通訳としてミラー隊長を支えるイラクの現地人フレディが重要な役どころをになう。イラク軍の情報を敵方に流した動機を尋ねられて、金ではなく国の未来を考えてと答える。イラク人の視点を盛り込んだのも、国際紛争の取材で活躍したキャリアのあるグリーングラス監督ならでは。

 ラスト、命を賭けて戦場で戦ってきた男が、政府高官に投げつけるセリフが胸を打つ。アクション映画が好みでない人にもぜひお薦めしたい。
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 グリーン・ゾーン  (河田充規バージョン)

(c) 2009 UNIVERSAL STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.
『グリーン・ゾーン』
〜国家的な規模で展開する痛快サスペンス〜

(2010年 アメリカ 1時間54分)
監督:ポール・グリーングラス
出演:マット・デイモン,グレッグ・キニア,ブレンダン・グリーソン,エイミー・ライアン,ジェイソン・アイザックス,ハリド・アブダラ,イガル・ノール

2010年5月14日よりTOHOシネマズスカラ座ほかにて公開
公式サイト⇒
 
http://green-zone.jp/

 開巻後すぐ攻撃を受けるイラク軍側の模様が生々しく目に飛び込んでくる。監督がポール・グリーングラス,撮影がバリー・アクロイドで,「ユナイテッド93」のコンビだ。そこでは9.11同時多発テロでハイジャックされた旅客機内の様子が描かれていた。そのときの緊迫感のある映像の記憶が呼び起こされる。それは,アメリカ軍がイラクに侵攻した2003年3月19日の出来事だった。混乱した状況の中で,1人の人物が浮かび上がってくる。

 その人物こそアル・ラウィ将軍で,本作の軸となる重要な人物だ。一方,主人公ロイ・ミラー率いる部隊は,大量破壊兵器を見付けるために指示された場所を捜索する。だが,3度も空振りに終わり,情報の正確性に疑問を抱く。国防省は情報源“マゼラン”を隠そうとするが,CIAがミラーに協力する。いかにもアメリカ映画らしく,国家権力内部の “国防省対CIA”という図式の中,真実味を帯びたアクションとサスペンスが展開する。
 タイトルは,イラク中心部における米軍駐留地域で,“安全地帯”を意味するそうだ。戦場の中にリゾート地が存在するような違和感が強調される。そこに軍服を着て乗り込んでいくミラーは,外部から闖入した異質の存在だ。平和なアメリカ社会には相応しくない。ミラーのために通訳を務めるフレディというイラク人の存在が効果的だ。彼は,イランとの戦争で片足を失っていた。イラクの愛国者である。その言動がミラーの目を開いていく。
  アメリカはイラク人のため民主国家を築くと言う。だが,それはアメリカ政府が自国民に与えた自己満足にすぎず,本当の目的は別にあるかも知れない。フレディが言うとおり,誰しも母国の将来を他国に決められたくはない。アル・ラヴィ将軍の末路は憐れでさえある。観客はミラーに感情移入させられる。彼の目を通して見たアメリカは以前とは違っていた。もちろん,押しつけがましさはなく,映画的な面白さが満載で,痛快さが後に残る。
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 エンター・ザ・ボイド

(c)2010 FIDELITE FILMS ? WILD BUNCH ? LES FILM DE LA ZONE- ESSENTIAL FILMPRODUKTION ? BIM DISTRIBUZIONE ? BUF COMPAGNIE
『エンター・ザ・ボイド』
(Soudain le vide/Enter The Void)
〜壮大でも平凡でもない,数奇な人生の愛しさ〜

(2010年 フランス 2時間23分)
監督・脚本:ギャスパー・ノエ
出演:ナサニエル・ブラウン(オスカー),パス・デ・ラ・ウエルタ(リンダ),シリル・ロイ(アレックス),オリー・アレクサンダー(ビクター),サラ・ストックブリッジ(ビクターの母親),エド・スピアー(ブルーノ),丹野雅仁(マリオ)

2010年5/15(土)〜シネマスクエアとうきゅうほか
関西では、6/5〜梅田ガーデンシネマ、6/26〜京都シネマ、6/19〜109シネマズHAT神戸 にて公開2

監督インタビュー⇒  こちら
公式サイト⇒ http://www.enter-the-void.jp/

 いきなり脳髄を痺れさせる音響に鷲掴みされる。もう決して逃れられない。大きく見開かされた目に飛び込んでくる映像の数々。万華鏡のように形を変えていく巨大な結晶。ニューロンのように伸びる触手。まるでシュールレアリズムの映画が現代に蘇ったようだ。アクセントのある多様な色彩で装飾された世界。これまで見たことがなかった東京。3Dを凌駕する映像に圧倒される。カメラはオスカーの内面と外界とを彼の視線で映していく。
 スクリーンに映されるのは全て彼の心が捉えた光景だ。オスカーの心の声と現実の声がナレーションの役割を果たす。彼が銃で撃たれたときも変わらない。白濁した光が弱々しい心臓の鼓動のように明滅する。自分の死体を見下ろしている自分が存在する。肉体から遊離したオスカーの魂はすぐさまリンダの許へと引き寄せられる。オスカーとリンダは固い絆で結ばれた兄と妹。涙を流しているリンダ。そのとき幼い頃へと記憶がトリップする。
 兄と妹は「何があっても一緒にいよう」と約束するが,別々の養護施設に入れられる。両親の記憶。家族の団らん。穏やかな時間は酷く短い。車に乗った家族4人。正面衝突。死は突然やってくる。青年になった2人が「約束を覚えている?」「ずっと一緒だ」と確かめ合う。兄が妹と東京で再会するシーンは甘く優しい。その後も魂の徘徊がいつ果てるともなく続いていく。決してカメラは静止しない。この世の存在が揺らめいているようだ。
 前作「アレックス」では現在から過去へと遡るに従って幸せになっていくという倒錯したハッピーエンドの世界が展開された。本作では過去から現在,そして未来へと遡っていくことでハッピーエンドへと導かれる。死んだら戻ってくると妹に約束したオスカー。灯籠のような穏やかな光に包まれ,心は解放される。性から生に向かうエネルギー。厳かな音楽と白い光の輝き,その先に広がる天空。妹との絆を深めるようなリボーンが描かれる。
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冷たい雨に撃て、約束の銃弾を


『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』 (Vengeance)
〜合い言葉は「レ・フレール(兄弟)!」〜

(2009年 フランス・香港 1時間48分)

監督:ジョニー・トー  
出演:ジョニー・アリディ、アンソニー・ウォン、サイモン・ヤム、ラム・シュ
2010年5月29日(土)〜シネ・リーブル梅田、京都Tジョイにて公開予定

 マカオで暮らす娘一家を何者かに惨殺された初老のフランス人。彼は、かつての自分と同じ匂いを持つ3人の男を雇い、復讐を開始する。やがて、事件の黒幕が、自分たちの組織と関係があることを知る男たち。でも彼らは言う「約束は守る」と。それが彼らの規範なのだ。また、雇い主の男にも秘密があり、彼も男たちとの“絆”への覚悟があった…。

 夜の雨の路地、廃品処理場、丘の斜面の公園など、独特の感性で切り取った香港・マカオの一角でくり広げられる烈しい銃撃戦。香港の名匠ジョニー・トーの映画はスタイリッシュ、なんて言うのは空が青いと言うのと同じこと。しかし、フィルム・ノワールの本家・仏から、国民的歌手であり俳優のジョニー・アリディを招いた本作は、放たれる光がいつにも増して渋い。アンソニー・ウォンらトー作品の常連俳優たちの息も合い、アクションには詩情が漂う。プロフェッショナルの規範と誇りを描いて、男をしびれさす一本だ。

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 春との旅

(c) 2010『春との旅』フィルムパートナーズ/ラテルナ/モンキータウンプロダクション
『春との旅』
〜祖父と孫がそばを食べるシーンに涙する〜

(2010年 日本 2時間14分)
監督・脚本:小林政広
出演:仲代達矢,徳永えり,大滝秀治,菅井きん,小林薫,田中裕子,淡島千景,柄本明,美保純,戸田菜穂,香川照之

2010年5月22日より新宿バルト9、丸の内TOEI2 ほか全国にて公開
関西では、梅田ブルク7、T・ジョイ京都(2010年春新館オープン予定)

舞台挨拶こちら
公式サイト⇒ http://www.haru-tabi.com/

 祖父の忠男と孫娘の春が忠男の兄弟や姉を訪ねていく。そのプロットは,老夫婦が子供らを訪ねていく「東京物語」(1953)とよく似ている。小津安二郎が畳の上に座る人物を少し仰ぐアングルでフィルムに収めた構図は,安定感があって美しかった。本作で同じようにやや仰角で人物を捉えていても,佇まいの美しさは余り感じられない。それより人物の顔をじっと見詰めてその心情をあぶり出していく迫力があった。監督の個性の違いだろう。
 婿養子となった兄(大滝秀治)は,長男に頭が上がらず,ホームに入ることになっていた。人の良い弟は,内妻(田中裕子)を娑婆に残して服役していた,他人の罪を被って。肝っ玉姉さん(淡島千景)は,亡夫から継いだ旅館の経営に忙殺されてきたようだ。姉と会ったときの忠男の笑顔がいい。仲代達矢だからこそ染み出てくる味わいがある。姉を慕っていた幼い頃を懐かしむかのようだ。偏屈と言われて続けてきた忠男の頬が緩んでいる。
 もう1人,不動産業で羽振りの良かった弟(柄本明)は,失業して次のビジネスチャンスを夢見ている。おそらく彼と会ったときだろう,春が父(香川照之)と会いたいと思ったのは。反りが合わなくても,罵り合ったとしても,どこかで繋がっている。それが肉親だとすれば,亡母の過ちを許せなかった父に会ってみてもいいだろう。その後の展開において本作は独自性を発揮する。春は父に積年の思いをぶつけ,忠男は人の優しさに涙する。
 中東でのボランティア活動中に人質となった女性への「バッシング」(2005)や中学生同士の殺人の被害者の父親と加害者の母親の「愛の予感」(2007)。“事件”後の苦境を描いた前2作とは少し違って,本作は家族に目を向ける。徳永えりの歩き方にコミカルさと懸命さが同居している。祖父に関する映画のように見えて,実は孫娘の人生の大きな転換点を描いた映画だ。その意味では,紛れもなく前2作の延長線上にある作品に違いない。
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