topへ
記者会見(過去)
旧作映画紹介
シネルフレバックナンバー プレゼント
 
 ★ 2010年 2月公開
 恋するベーカリー
 しあわせの隠れ場所
 THE WAVE ウェイブ

 ベジャール、
     そしてバレエはつづく

 手のひらの幸せ
 食堂かたつむり
 抱擁のかけら
 すべて彼女のために
 インビクタス 負けざる者たち
 人間失格
2010年1月公開ページへつづく
 
新作映画
 恋するベーカリー

『恋するベーカリー』
〜還暦を迎えたメリル・ストリープが
           “等身大”のラブコメに挑戦〜

(2009年 アメリカ 2時間)
監督・脚本・製作: ナンシー・マイヤーズ
出演: メリル・ストリープ、 アレック・ボールドウィン、
   
 スティーヴ・マーティン
2010年2月19日(金)全国ロードショー
公式サイト⇒ http://koibake.com/

 「恋するベーカリー」というキャッチーな邦題から想像するに、ポップな若者のラブコメと思いきや、実際は還暦を間近に控えた熟年男女の不倫物語で驚いた。しかも、“ベーカリー”はストーリーにほとんど絡まないときている。もう少し作品の的を射たタイトルだったならば、変な先入観に惑わされずもっと映画を楽しめたのに…。ちなみにオリジナルは「It's Complicated」(複雑なのよ!)。これはこれで、ストレートすぎるように思うが、まさに主人公の心情を代弁したようなタイトルになっている。
 ベーカリーを営むジェーンは、夫と別れて10年目。離婚後は、仕事と育児を両立し女手ひとつで頑張ってきた。そして今年、とうとう末の息子が大学卒業の日を迎える。経営も順調、親友にもめぐまれ、3人の子供たちも巣立った。これからは、自分の時間が待っている。だが、人生の折り返し地点に立ったジェーンはふと我に返り、言葉にできない寂しさを感じていた。そんなある時、ホテルのラウンジで偶然、元夫のジェイクと再会。酒に酔った2人は10年ぶりにベッドインしてしまう。
 翌朝、激しく後悔するジェーンだが、母親の役目を終えて、女に戻った彼女の心と身体は恋する刺激を求めていた。一方のジェイクも再婚した若妻とうまくいっておらず、ジェーンこそ最良のパートナーだと再確認。猛アタックを開始する。

 妻子をもつ元夫との情事(あぁ、複雑!)3人の子供たちに気づかれたらどうしよう(あぁ、大変!)元夫の他にもアプローチをかけてくる男性が現れて…(もう、パニック!)予期せず復活した恋のトキメキと性の快感。ダメよダメよと思いつつも、開放的になっていくジェーンのギャップがとても可笑しく可愛らしい。想像以上に下ネタ満載だが、元夫婦をメリル・ストリープとアレック・ボールドウィンがイキイキと演じることで下品にならず、中年期カップルの恋を応援するハートフルな作品に仕上がっている。しかし、良くも悪くもテイストはアメリカン。これを日本人に置き換えると、想像するだけで“ドン引き”してしまうのはなぜだろうか。
 さらに、この映画は恋ばかりでなく、家族を含む人間関係のせつなさや面白さにもスポットを当てている。特に前半では、子供たちが友人や自分の未来を優先し、母親を必要としなくなる場面が数回でてくるが、そこで見せるジェーンの複雑な眼差しはとても印象的でホロリとくる。子供は母親の前では奔放で傷つきやすい。それを的確にフォローするストリープの母性愛に舌を巻いた。後半ではジェーンとジェイクの距離感が絶妙に描かれる。ジェイクの突き出たメタボ腹や、ジェーンの垂れた目尻だけでなく、長い年月を共に歩んできた夫婦の会話の端々に人生の年輪を感じさせる演出が素晴らしい。
 例えば、ジェーンが新しいボーイフレンドのアダムを夕食に招待した時、デザートにラベンダーアイスを振舞うのだが、その際にジェーンが「眠れなくなるといつも作るの」と話すシーンがある。その後、ジェーンの家を訪れたジェイクがそのアイスを見てひと言「眠れないのかい?」と聞く。一見なんてことのない会話だが、そのひと言でかつて2人が相性のいい夫婦であったことを容易に想像でき、何の説明もなしに自分を理解してくれている人がいるという幸せを感じ取ることができる。

 『ハート・オブ・ウーマン』『恋愛適齢期』『ホリデイ』と女心を描かせたら天下一品のナンシー・マイヤーズ(監督・脚本・製作)だからこそ描けた熟女の恋愛物語は、ラブコメを見ない50代や60代の人々にこそ楽しんで欲しいと思える作品だ。

(中西 奈津子)ページトップへ
 しあわせの隠れ場所
『しあわせの隠れ場所』 (The Blind Side)
〜ハリウッドで復活!?“愛こそはすべて”〜

(2009年 アメリカ 2時間08分)
監督・脚本:ジョン・リー・ハンコック(『オールド・ルーキー』)
出演:サンドラ・ブロック、クイントン・アーロン、キャシー・ベイツ

2010年2月27日〜梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー
公式サイト⇒  http://wwws.warnerbros.co.jp/theblindside/

 「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ(愛こそはすべて)」とビートルズが衛星中継で全世界へ向けて歌ったのは1967年6月のこと。だが、時代は移り愛と平和≠フハリウッド映画も悪と憎しみが幅をきかせる現状。だけど、今再び「愛こそはすべて」と謳いあげる映画があった。サンドラ・ブロックの「しあわせの隠れ場所」は様々な問題を抱えるアメリカで、今一番大事なのは愛のほかにないことを切々と訴えた実話である。

 夫と2人の子供に囲まれ何不自由ない主婦リー・アン(サンドラ・ブロック)が、車で帰宅途中、さびしげに歩く黒人青年マイケルに声をかける。彼は貧民街の生まれ育ちで、悪の道に走ってもおかしくなかった。だが、リー・アン(クイントン・アーロン)は彼を自宅に招き、食事と部屋を与え、学校にも行かせて彼が好きなアメフトの道に進ませる。実在のアメフト全米代表のマイケル・オヘアは、実は1人の主婦の善意が生んだスーパースターであることを描いた感動作。いい映画を観た心地よさにひたれた。
 ビートルズが衛星中継で訴えたとき、もうひとつのスーパーグループ、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーもそこにいて同じように愛を謳いあげた。スーパースターの競演に目を見張り「音楽が世界を変えるかもしれない」と本気で思った。当時、盛んだったフラームーヴメント(ヒッピー運動)のピース・サインを信じた。だが、ロックミュージックはその後、「ウッドストック」をピークに70年代には衰退。
 映画も60年代のアメリカン・ニューシネマの後、ハリウッド回帰し、いつしかヒーロー不在、正義もまた行方不明になった。9・11以後の米映画は戦争映画もパニック映画も現実のインパクトを超えられない。一昨年のアカデミー賞に輝いた「ノー・カントリー」のように「驚異的な悪」の勝つ映画が象徴するように、ヒーローや正義、愛や善意などは嘲笑の対象でしかなくなった。だけど、そんな時代に反して、いやそんな時代だからこそ、「しあわせの隠れ場所」の訴えは大きいと思う。サンドラ・ブロックがゴールデングローブ賞の主演女優賞に輝いたことは米映画復興への希望になるかも知れない。
(安永 五郎)ページトップへ
 THE WAVE ウェイブ
『ウェイヴ』  原題:THE WAVE(独:Die Welle)
〜独裁制の体験授業が招いた悲劇〜

(2008年 ドイツ 1時間48分)
監督・脚本:デニス・ガンゼル
出演 ユルゲン・フォーゲル、フレデリック・ラウ、マックス・リーメルト、ジェニファー・ウルリッヒ
2月6日〜第七芸術劇場
公式サイト⇒ http://www.the-wave.jp/
 1967年に実際にアメリカのカリフォルニア州の高校で起きた事件を、ドイツに舞台を変えて映画化。独裁制の体験授業を経て、生徒たちがいつしか熱狂的・暴力的な集団に変わってしまう怖さをリアルに描く。ファシズムによって、人の心がいかに容易に操作され、変わってしまうかが、如実に描かれ、教育のあり方について深く考えさせられる秀作。
 課題授業で「独裁制」を担当することになった教師は、クラスを「ウェイヴ」と命名し、シンボルマークや敬礼、規律を定め、服装も白シャツで統一。自らリーダーとなって、教室で全員足を揃えて足踏みしたり、生徒たちの団結心を高めてゆく。
 かつあげしていた生徒も、されていた生徒も、いじめられていた移民の生徒も、ウェイヴ の授業を通して、同じグループのメンバーとして互いに守りあうようになる。他校との水球の試合の応援を通じて連帯感が増していくなど、生徒たちがウェイヴに参加し、同じ集団に属することに喜びを感じる姿が鮮やかに浮き上がる。しかし、一体感と排他性は紙一重だ。一部の生徒たちが、教師を崇拝する熱狂的なグループとなって、外部の集団に対し攻撃的・暴力的になり、分別を見失ってゆく姿は、観ていて恐ろしくなる。
 同じ服装をせず、クラス中から除け者にされた女生徒が、教師にウェイヴの危険性を訴えるが、教師は、生徒たちを信頼し、楽観的でありすぎた。教師自身、初めはアナーキズム(無政府主義)の課題授業を希望するなど、むしろ反体制派の考えの持ち主で、短大卒の体育教師という学歴コンプレックスを抱えていたという設定も痛切だ。
 「独裁制」の問題点や怖さを体験させて、実習は終了し、ウェイヴも解散するはずだった。しかし、一発の銃声がすべてを変える。悲劇を引き起こした少年が号泣する姿を前に、あまりに残酷な結末に、もはや言葉を失うしかない。

 若いということは、純粋でもあり、未熟ということでもある。自由奔放な若者たちのエネルギーは、簡単に操作され、一旦、加速し、暴走してしまうと、歯止めが効かなくなる。教育も、まかりまちがって、教師の思慮が不十分だと、子どもたちを煽動する恐ろしいものにもなりうることを、映画は、わかりやすく、身に迫る体験として教えてくれる。あまりにも怖く、しかし、現実味のある作品だ。     
(伊藤 久美子)ページトップへ
 ベジャール、そしてバレエはつづく

『ベジャール,そしてバレエはつづく』
原題: LE COEUR ET LE COURAGE, BEJART BALLET LAUSNNE
〜そのとき,ベジャール・バレエ団が輝く〜

(2009年 スペイン 1時間20分)
監督:アランチャ・アギーレ
出演:ジル・ロマン,エリザベット・ロスほかモーリス・ベジャール・バレエ団員,ジョルジュ・ドン,ショナ・ミルク,ジャン=クリストフ・マイヨー,ブリジット・ルフェーブル,クロード・ベッシー,ミシェル・ガスカール

2009年12月19日(土)〜 東京・Bunkamuraル・シネマにて、 他順次公開
関西では、2月27日〜3月12日テアトル梅田、4月〜京都シネマ にて公開

公式サイト⇒ http://www.cetera.co.jp/bbl/index.html

 2008年12月パリ・オペラ座でジル・ロマンが踊る「アダージェット」で幕を開ける。モーリス・ベジャールが「夢見がちなロマンチックな男で,自分の魂を探し続けている」とロマンを紹介する。「パリ・オペラ座のすべて」が風格の感じられる大作だとすれば,本作は珠玉の小品だといえよう。ベジャール・バレエ団が地元ローザンヌでロマン振付の新作「アリア」を初演するまでの過程が描かれる。それにはバレエ団の将来がかかっていた。
 ベジャールが2007年11月22日に亡くなった後,ロマンがバレエ団の芸術監督を務めている。ベジャールの望みはバレエ団が成長し続けることだ。地元の人々はバレエ団に対する愛着を語り,ダンサーは将来に対する不安や期待を抱く。そのような状況下で,ロマンは観客の支持を得られる舞台を創作しなければならない。それはバレエ団の未来を創り上げる過程だった。ベジャールのバレエ学校で学んだ経験があるという監督の眼差しは温かい。
 それは同時に随所で感じられるベジャールの面影が生み出す温かさでもある。「恋する兵士」「ボレロ」「トリスタンとイゾルデ」など,彼が創作した舞台のシーンは,陽気で楽しく,活力に満ちて激しく,優雅で美しい。音楽に乗せてスチール写真を映していくカメラの動きも優しい。「彼があなたに残した一番大事なものは?」と聞かれたロマンに代わり,ベジャールの言葉がスクリーンに文字として流れる。シンプルだが美しく染みてくる。
 ダイナミックなバレエを構築しようとするロマンと,それに応えようとするダンサーたち。膝を床に打ち付けたり首に痛みが生じたり,それでもリハーサルは続く。そして,公演直前,ロマンは「君たちなしでバレエは存在しない」と檄を飛ばす。ラストの公演シーンは,ほぼ3,4分という短い時間に凝縮される。最初は心臓の鼓動だけが聞こえる。そして観客の拍手が大きくなっていく。ロマンの視点から見たダンサーたちが煌めいている。
(河田 充規)ページトップへ
 手のひらの幸せ
『手のひらの幸せ』
〜兄弟が教えてくれたこと…今、ここにある幸せ〜

(2009年 日本 1時間43分)
監督:加藤雄大   原作:布施明
出演:浅利陽介 、 河合龍之介 、 村田雄浩 、 生稲晃子 、 角替和枝 、 六平直政 、 永島敏行 、 仲間由紀恵 、 西田敏行
2010年2月13日 (土)〜 シネ・リーブル梅田 、
3月1日〜 京都みなみ会館 にて公開

・インタビュー こちら
・公式サイト ⇒
 http://dreamonefilms.com/tenohira/
 私たちは、今、ここに生かされていることに感謝する気持ちをついないがしろにして、忘れてしまう。人は自分ひとりの力で生きているわけではない。どこかで人に助けられ、物質的にも精神的にも多くのことを人からもらって、生かされている。この映画の兄弟の懸命な姿は、そんなことをあらためて教えてくれた。
 歌手であり、俳優としても活躍中の布施明が描いた童話「この手のひらほどの倖せ」の映画化。高度経済成長期の昭和30〜40年、出稼ぎに出た父からの便りも途絶え、育ての祖父を亡くして、養護施設に預けられた兄弟。弟は養子に引き取られ、兄は父の帰りを信じて待ち、養護施設を卒業して大工として働き始める。高校生の弟に大学進学を勧め、好きな吹奏楽を続けるよう、なけなしの給料で楽器を贈る兄。映画は、成長した二人の姿を描きながら、幼い頃のエピソードを回想シーンで綴っていく。
 みどころは、幼い二人が、養護施設を抜け出し、祖父と一緒に暮らしていた家を目指して、延々と歩いていく回想シーン。途中で、西田敏行演じる農家の主人に出会い、食べ物をもらう。主人が二人のてのひらにおにぎりと柿をプレゼントする場面が、映画のタイトルにもつながる。ふくよかな主人の顔は、まるで菩薩のように暖かく優しく見える。食べ物を与え、さりげなく道の行き先を教えて見送るだけで、分れ道でどちらを選ぶかは兄弟に決めさせる、そんな主人のありようも意味深い。主人が二人に諭すセリフとともに、忘れられないシーンだ。
 この幼い時の小さな旅は、ある意味、二人の人生の象徴のようにも思える。空腹に耐えながら、弟は兄のセーターの裾を握り締め、一緒に歩いていく。兄は弟を守り、弟も小さいながら兄をかばおうとする。二人で助け合いながら、人の情けや愛を受け、健気に歩き続ける。そうして、最後は、祖父と過ごした家ではなく、自分たちのいる養護施設に自分自身の足で歩いて帰ろうと決心する。その姿は、悲しい境遇を嘆くことなく、運命を受け入れ、明日に向かって、しっかりと生きていく二人の生き様にもつながる。
 新潟で撮影されたという、ロングショットで映し出される緑の稲田が美しい。童話では心に響く珠玉のような言葉も、映画でセリフにしてみると、少しストレート過ぎる気もしないではないが、これらの言葉の数々が、観終わった後も暖かく心に残ることは間違いない。幼い兄弟の姿は、一生懸命生きることのすばらしさをあらためて私たちに教えてくれた。
(伊藤 久美子)ページトップへ
 食堂かたつむり
『食堂かたつむり』
〜食と自然がつなぐ娘と母の絆の物語〜

(2009年 日本 1時間59分)
原作 小川糸
監督 富永まい
出演 柴咲コウ 余貴美子 ブラザートム 田中哲司 志田未来 
2月6日(土)全国ロードショー
公式サイト⇒  http://katatsumuri-movie.jp/
 生きることは、食べること。当たり前すぎて見落としがちな生活の基本“食”に、母と娘の愛情物語を絡めた人情ドラマ。誰もがすんなり共感できる普遍的なテーマを、カラフルなアニメーション&VFXを併用して童話風に紡ぎだす。

 失恋のショックから声を失い無一文になった倫子は、仕方なく苦手な母のもとへ10年ぶりに帰ることに。田舎でスナックを営む母は、相変わらず派手で自由奔放。久しぶりに再会した娘よりも、ペットの豚・エルメスに夢中で愛情を注いでいた。そんな中、倫子は実家の物置を改造し小さな食堂を開店する。お客様は、1日1組だけ。すると、心を込めてもてなす倫子の料理は、食べた人に幸せな奇跡を起こし始める。願いが叶うお店と巷で評判になり、田舎暮らしにも馴染んだ頃、倫子は母から衝撃の秘密を聞く。

 ざくろのカレー、野菜たっぷりジュテームスープなど、倫子が考案した独特の料理が、人と人をつなぎ奇跡を起こしていく物語は、実にファンタジックで可愛らしい。料理にはおもてなしの心が一番の隠し味であり、“おいしい”は癒しと幸せに直結しているとナチュラルに伝わってくる。
 このままエンディングまで、おとぎ話テイストを継続していくのかと思いきや、娘と母の確執の裏に隠された真実が明らかになり、母の病が発覚した辺りから、突如として日常の生々しさが顔を出し始める。決定的なのは、母が溺愛していたエルメスの“解体”を決意し、倫子がそれを“料理”してしまうエピソード。映像自体のファンシーなトーンは変わらぬまま、物語は「食=命」の重みを訴える第二幕へと突入する。
 地球が自転するように、生命も回りまわって受け継がれている。要するに、心と体のエネルギーの原点である“食と母の愛情”を通じて「動物も人間も死を無駄にしない」ことが大切であり、そのためには日々の感謝を忘れてはいけないという教えを描く。言葉にしてしまうと説教臭く感じるが、とりわけ、倫子が暮らす田舎には、母なる大地の象徴“おっぱい山”がそびえたっており、そんな神聖な気持ちを素直に受け取ることができる。
 セリフを話さずとも、食材を大切に扱うことで倫子の強さと優しさを表現した柴咲コウの自然な佇まいと、余喜美子の不器用な母親ぶりが魅力。家に激突して死んだハトを料理してしまうなど、少々グロく思えるカットもあるが、女優2人のキャラクターとポップな小道具&衣装のおかげでハートフルな親子ドラマとして成功した。
(中西 奈津子)ページトップへ
 抱擁のかけら
『抱擁のかけら』 (原題:Los Abrazos Rotos)
〜封印した愛の記憶が甦るとき〜

(2009年 スペイン 2時間4分)
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:ペネロペ・クルス、ルイス・オマール、ブランカ・ポルティージョ
2010年2月6日(土)〜 梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、MOVIX京都ほか全国にて公開 
公式サイト⇒  http://www.houyou-movie.com/

 2008年、マドリード。14年前の事故のため最愛の恋人と自らの視力を失った映画監督のマテオは、自らを封印し、名前を変え、脚本家ハリーとしての人生を送っていた。
往年のエージェント、ブランカとその息子ディエゴに支えられて穏やかに暮らしていたハリーの前にある日、ライXと名乗る訪問者が現れ、「父の記憶に復讐する息子の話」の脚本を書いてほしいと頼む。ハリーは断りながらも封印を解くべき時が近づいたことを感じずにはいられなかった。ブランカの出張中、ハリーはディエゴに自らの過去を語りはじめる。
 1994年、マドリード。新作の出演女優を探していたマテオは、オーディションを受けに来たレナに瞬く間に惹かれ、激しい恋に落ちた。レナのパトロン、エルネストは撮影現場に息子を送り込み、レナを監視させ、手段を選ばずレナを繋ぎ止めようとする。エルネストの執拗さから逃れ、束の間の愛に満ちた日々を送ったマテオとレナだったが、裏切りと復讐が2人を思わぬ悲劇へと導いていくのだった・・・。
 数々の「珠玉の愛の物語」を生み出してきたスペインの巨匠、ペドロ・アルモドバル監督。本作でも、登場人物たちはそれぞれが愛ゆえの喜びを味わい、愛ゆえの嫉妬や喪失に苦しみ抜く。誰もが犯すかもしれない愛の過ちが、14年という時を経て彼らに何を与え、何を奪っていったのか。その問いへの答えは本作中で撮影されていた2本の映画の行方が握っていると言えよう。マテオがレナ主演で撮っていたコメディーと、エルネストの息子が2人を追って撮影していたドキュメンタリー。この未完の2作に再び息が吹き込まれるとき、マテオが愛も喪失も何もかも受け入れた時でもあるのだ。
 レナを演じるペネロペ・クルスの圧倒的な美しさと存在感は、愛を貫く女性を見ている者の脳裏に焼きつける。撮影シーンでウィッグを次々に取り替えてはオードリー・ヘップバーンやマリリン・モンロー風のピンナップガールファッションを披露するなど映画製作の裏側がチラリ覗けるような趣向も楽しい。映像に情熱的な赤を散りばめながら、時にはサスペンスフルに、時には抒情的に、時には軽快に、人間の愛と喪失と再生を鮮やかに描き切った心に残る作品。そこに流れる監督の映画への深い愛も見逃せない。
(江口 由美)ページトップへ
 すべて彼女のために

『すべて彼女のために』
原題: POUR ELLE/ANYTHING FOR HER

〜妻子との生活を守り抜いた“平凡な男”〜

(2008年 フランス 1時間36分)
監督:フレッド・カヴァイエ
出演:ヴァンサン・ランドン,ダイアン・クルーガー,ランスロ・ロッシュ
2010年2月27日(土)〜敷島シネポップ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか 全国にて公開

公式サイト⇒ http://www.subete-kanojo.jp/

 主人公ジュリアンは,国語教師として働く平凡な男であり,妻リザと息子オスカルがいた。ホームドラマのような日常の風景の中に警察官が闖入して来て,リザが殺人の容疑で逮捕される。一転してサスペンス調の展開となる。そして,3年後,彼女には懲役20年の判決が下される。凶器である消火器に残っていた指紋,彼女の着衣に付着した被害者の血痕,ビルの管理人の証言,上司の編集長との口論という動機から有罪と判断されたようだ。
 その後すぐ,リザの主観で当時の状況が再現される。“駐車場の女”と接触して着衣に被害者の血痕が付着し,駐車場に転がっていた消火器を取り上げ,車で走り去るところをビルの管理人に目撃される。その一連の経過が要領よく示され,観客にはリザが明らかに無実であることが知らされる。すなわち,リザは無実であると確信するジュリアンと同じ立場に置かれ,たやすく主人公に感情移入させられる。しかもその視点が決してぶれない。
 ジュリアンは,「脱獄人生」の著者パスケに会いに行く。彼は7回も脱獄したという。その後の展開は,ジュリアンがどのようにしてリザを脱獄させるかに焦点が絞られていく。それはアクション映画そのものだ。彼女の無実を明らかにしようとすることなく,脱獄とその後の国外脱出へとひた走る。彼の念頭には一点の疑義も迷いもない。何だか方向が違うという思いが頭をよぎるが,そんなものはジュリアンの潔さの前に雲散霧消してしまう。
 弟パスカルには「バカげてる」と言われるが,息子には母親が必要だし,リザには自殺のおそれがあると反論する。ジュリアンの信念は全く揺るがない。両親と無言の別れを告げるシーンもクールだ。そして,逃げるジュリアンらと追い掛ける警察とのデッドヒートに手に汗を握らされる。もちろんジュリアンらにエールを送らざるを得ない。そして迎えるラストシーンでは,脱獄は簡単だが,その後が大変だというパスケの言葉が迫ってくる。
(河田 充規)ページトップへ
 インビクタス 負けざる者たち

(C) 2009 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.
『インビクタス 負けざる者たち』 原題: INVICTUS
〜今だからこそ,祖国誕生の瞬間を目撃しよう〜

(2009年 アメリカ 2時間14分)
監督:クリント・イーストウッド
出演:モーガン・フリーマン,マット・デイモン
2010年2月5日梅田ピカデリー他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/
 クリント・イーストウッド監督の新作は,ネルソン・マンデラの生涯の1年足らずの期間を切り取っている。それは,彼の卓越した才能が南アフリカ共和国の奇跡を生み出したときだった。1995年に南アフリカでラグビーのワールドカップが開催される。マンデラが大統領に選出されたのは,その約1年前のことである。アパルトヘイト(人種隔離)政策が続いた南アフリカで誕生した初の黒人大統領に課された使命は,非常に重いものだった。
 白人が応援するラグビー・チーム“スプリングボクス”は,アパルトヘイトを象徴する存在だった。マンデラは,黒人にそのチームを受け入れるよう説得する。白人に恐怖心を植え付けないようにすること,すなわち寛容と赦しが南アフリカの黒人と白人の心を融合し,祖国を統一する唯一の方法であることを悟っていた。本作では,復讐の連鎖の虚しさではなく,これが断ち切られた時の人々の輝きが描かれている。その前向きの姿勢がいい。
 また,本作の撮影は,南アフリカでの完全ロケで行われたそうだ。特にラグビー・チームのメンバーがロベン島を訪ねるシーンが印象に残る。そこにはマンデラが1964年から実際に幽閉されていた独房がある。チームのリーダーに扮したマット・デイモンがその中に入って両手を体の横に水平に伸ばす。独房の狭さが実感として伝わってきて身の引き締まる思いがするシーンだ。ラグビーの試合シーンも実在するスタジアムで撮影されたという。
 クライマックスは,ワールドカップの決勝戦だ。しかも,ニュージーランドの“オールブラックス”という相手チームの強さが繰り返し描かれる。その一方で,南アフリカの将来のためには何としてもスプリングボクスが勝たなければならないという流れになっている。ここではラグビーがスポーツを超えて祖国統一の手段となっているため,ますます白熱する。そして,南アフリカの国民4300万人が一体となる瞬間を目撃することになるのだ。
(河田 充規)ページトップへ
 人間失格
『人間失格』
〜生田斗真と森田剛が醸し出す夢幻の世界〜

(2010年 日本 2時間14分)
監督:荒戸源次郎
出演:生田斗真,伊勢谷友介,寺島しのぶ,森田剛,小池栄子,石橋蓮司,石原さとみ,坂井真紀,室井滋,大楠道代,三田佳子

2010年2月20日(土)〜梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://www.ns-movie.jp/
 BAR「青い花」のカウンターの上に顔を埋めている大庭葉蔵(生田斗真)。彼の生き様をマダム律子(大楠道代)が語って聞かせてくれる。何人もの女性が彼の人生に現れては消えていく。彼に一目惚れして世話を焼く礼子(坂井真紀)。周囲と相容れない寂しさを抱えた常子(寺島しのぶ)。そして,静子(小池栄子)は,葉蔵に世間並みの家族を持つ幸せを夢想させる。葉蔵は,良子(石原さとみ)と初めて結婚するが,長くは続かない。

  その後も,寿(室井滋)や鉄(三田佳子)が葉蔵の人生に絡んでくる。しかし,本作は彼の女性遍歴を描いているのではない。数多くの女性たちが綾なす妖艶さに魅せられるわけでもない。女性たちが葉蔵の世間から遊離した姿に引き寄せられる。彼の表情は次第に幽玄の世界に足を踏み入れたような様相を呈してくる。その不確かな存在感から無類の美しさが降り注いでくる。中原中也(森田剛)に誘われたトンネル内の儚げな火花のように。

  葉蔵と堀木(伊勢谷友介)が出会うシーンでは,葉蔵が描いた風景画に堀木が筆を加える。単調で穏やかな絵に荒々しい筆致と鮮やかな朱が加えられることで,生き生きとした動きが得られるが,同時に不安定感を孕むものとなった。葉蔵の魂は,決して一定の場所に安住することができず,いつまでも彷徨い続ける。幸福でも不幸でもない時間が流れていく人生の,その先にはいったい何が待っているのか。ただ彼の影を追い掛けるしかない。

  堀木は,初めて会ったときから葉蔵の顔も声も嫌いだったと言う。堀木の家から連れ立って出て行った静子と葉蔵を見上げる堀木の表情は,羨望と嫉妬が入り混じっているだけでなく,その行く末を見通しているようだ。堀木は両親の下から抜け出すことができないのに,葉蔵は糸の切れた風船のように浮遊している。彼を象徴するような黒い出目金は赤い金魚と同じ鉢では生きられない。そもそもガラスで囲まれた空間では安住できないのだ。
(河田 充規)ページトップへ
 
 
HOME /ご利用に当たって