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 ★ 2010年 4月公開
 タイタンの戦い
 プレシャス
 のだめカンタービレ最終楽章
                後編
 育子からの手紙
 ウィニングチケット
 ダーリンは外国人
 だれのものでもないチェレ
 月に囚われた男
 ウルフマン
 誘拐ラプソディー
 ・ ウディ・アレンの夢と犯罪
        
(篠原バージョン)
 ・ ウディ・アレンの夢と犯罪
        
(江口バージョン)
 ドン・ジョヴァンニ
  天才劇作家とモーツァルトの出会い
 オーケストラ!(河田)
 オーケストラ!(原田)
 ソラニン
 モリエール 恋こそ喜劇
 半分の月がのぼる空
2010年3月公開ページへつづく
 
新作映画
 タイタンの戦い

(C) 2009 WARNER BROS ENTERTAINMENT INC AND LEGENDARY PICTURES
『タイタンの戦い』 (CLASH OF THE TITANS)
〜体感せずにいられない,現代版ギリシア神話〜

(2010年 アメリカ 1時間46分)
監督:ルイ・ルテリエ
出演:サム・ワーシントン,ジェマ・アータートン,マッツ・ミケルセン,アレクサ・ダヴァロス,ジェイソン・フレミング,レイフ・ファインズ,リーアム・ニーソン

2010年4月23日より丸の内ピカデリーほか全国にて公開
公式サイト⇒http://wwws.warnerbros.co.jp/clashofthetitans/
 ギリシア神話をベースに人間と神との戦いが展開する。ペルセウスは,ゼウスがダナエに産ませた子で,神と人間とのハーフだ。ダナエは,神話ではアルゴス王アクリシオスの妃ではなく娘だ。アクリシオスがダナエとペルセウスを捨てたのは,娘の子に殺されるという神託の実現を恐れたからだった。ペルセウスだけ生き残り漁師夫婦に育てられる点は同じだ。本作のペルセウスは,養父母と妹を神ハデスに殺され,人間と神との間で苦しむ。
 一方,天空の王ゼウスは,オリンポス12神の最高神で,冥界の王ハデスの弟だ。今も昔も兄弟間には確執が付きまとう。本作では,ハデスはゼウスに騙され冥界の王にされたとして復讐を企んでいる。人間の恐怖心がハデスのパワーの根源だそうだ。そこで,彼は,ゼウスに人間との戦いを始めさせ,人間を恐怖に陥れようとする。これに対し,あくまで人間として人間のために立ち上がるのがペルセウスだ。彼もまた父との確執を抱えている。
 何と言っても,視覚効果に圧倒される。巨大なサソリのスコーピオンの素早い動き,海から姿を現す究極の魔物クローケンの重々しさは,大きな見せ場だ。ペルセウスに倒されるメドゥーサの造形には目を見張らされる。髪の毛が蛇だというだけではない。下半身も太くて長〜い蛇なのだ。動きが滑らかで,ペルセウスらとの対決シーンの迫力が増す。グライアイの魔女3人は,グロテスクになる一歩手前の不気味さで,メタルな感じが新鮮だ。
  翼を持つ馬ペガサスが美しい。幻想が現実となったような感覚で,ペルセウスを乗せて空を飛ぶ。カリボスという魔物にされたアクリシオスが悲しい。神話ではペルセウスに殺される運命から逃れられなかったし,本作でも最期の言葉が沈痛だ。ペルセウスの守護者として登場するイオもいい。言い寄るゼウスを拒絶して,愛する者を失い続ける宿命を背負わされている。だが,ラストではゼウスの粋な計らいで平穏な世界を照らす光明となる。
(河田 充規)ページトップへ
 プレシャス

(C) PUSH PICTURES, LLC
『プレシャス』 (原題: PRECIOUS: BASED ON THE NOVEL PUSH BY SAPPHIRE)
〜黒人が描くハーレムの少女のリアルな痛み〜

(2009年 アメリカ 1時間49分)
監督:リー・ダニエルズ
出演:ガボレイ・シディベ、モニーク、ポーラ・パットン、マライア・キャリー、シェリー・シェパード

2010年4月24日〜TOHOシネマズ梅田、敷島シネポップ、TOHOシネマズ二条、シネ・リーブル神戸 他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://www.precious-movie.net/
 「黒人(アフリカ系アメリカ人)の真の心情は、同じ立場でないと描けない」。ハリウッドの一線に立つ黒人監督、スパイク・リーは主張する。製作、監督、主要キャストを黒人が担うブラック・ムービーの系譜を継ぐ本作に、リー監督と同じ志を強く感じる。
 1980年代に米・ニューヨークのハーレムで育った女性が実体験をつづった小説の映画化。映画『チョコレート』の製作で知られるリー・ダニエルズが製作・監督し、俳優陣から、黒人たちが経験した苦難を体現するかのようなヒリヒリとした感情表現を引き出した。
 主人公は16歳の少女、プレシャス(ガボレイ・シディべ)。父親が家出し、母親(モニーク)から虐待を受けて学校にも通えず、望まない妊娠までさせられる。映画は、フリースクールに通い始めたプレシャスが、初めて読み書きができて学べる喜びを描きつつ、彼女の妊娠の理由と、両親との関係をひもといていく。

 黒人が映画界で活躍する今も、ブラック・ムービーとなると製作費を集めるのは難しい。だが、ダニエルズ監督は逆境をプラスに転じた。無名の新人女優、シディべがプレシャスという女性像に心から共感したからこそ、社会の逆風と家族との葛藤、劣等感を抱えても、どっこい前を向いて生きる難役を、おおらかな個性で無理なく演じられたのだと思う。そして、母親役のモ二―クは圧巻。すさみ切った鬼のようになった訳をソーシャルワーカー(マライア・キャリー)に打ち明ける場面は、自身と役が一体になり、1人の女として押し殺してきた思いがせきを切る様に、胸をかきむしられる。米国のテレビのコメディ番組で人気の逸材。本作で米・アカデミー賞の助演女優賞を受け、女優として飛躍するだろう。
 虐待される場面は直接見せず、人気スターになるプレシャスの夢想を描くことで苦痛に耐えていることが表現され、ポップに明るく歌い踊る彼女が切ない。歌の下手な彼女が教会の前でゴスペルを歌う聖歌隊を見つめ、立ち去る場面も印象的だ。白人が想像で描く黒人の姿と大きく一線を画する厳しさと強さが、演出に貫かれている。
(佐々木 よう子)ページトップへ
 のだめカンタービレ最終楽章 後編

(C)2010フジテレビ・講談社・アミューズ・東宝・FNS27社
『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』
〜これで見納め!のだめ&千秋、愛のコンチェルト♪〜

(2009年 日本 2時間3分)
総監督:竹内英樹 監督:川村泰祐
出演:上野樹里、玉木宏、水川あさみ、瑛太、小出恵介、竹中直人 他

2010年4月17日〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条ほか全国東宝系にて公開
公式サイト⇒ http://www.nodame-movie.jp/

 二ノ宮和子原作の人気コミックスのドラマ化からはじまり、日本中をクラッシックブームに巻き込んだ『のだめカンタービレ』。原作に忠実なキャラクターたちが意気揚々と繰り広げるドラマや演奏シーンにドキドキワクワクしてきた。2009年12月に劇場公開された前編に続く本作で、いよいよ“のだめファミリー”も見納め。鑑賞前から感無量である(笑)。
 舞台は留学先のパリ。前編最後で、のだめ(上野樹里)の隣室で生活していた千秋(玉木宏)がお互いに距離をおくため引っ越すところから物語は始まる。前編では日本で彼らにエールを送っていたSオケ仲間、峰(瑛太)や真澄(小出恵介)もヨーロッパに参上!ピュアな遠距離恋愛を続けてきた三木清良(水川あさみ)と峰の感動の再会シーンもあり、前半からテレビドラマのテンションそのままの勢いを見せる。
 しかし、ここからが最終楽章ならではの映画らしい見せどころ。
千秋との恋や、自分の人生における音楽の位置づけについて悩むのだめがスクリーンに立ちはだかる。そこには“変態の森(のだめが作り上げた空想ファンタジーの世界)”はもはやなく、生身の24歳の女の子がいるのだ。そして、今までのだめの猛攻撃を時にはかわし、時には追いかけ、そして最終的には受け止めてきた千秋も、迷えるのだめを前に、どう向かい合えばいいのか自問する。
 二人の出会いが音楽ならば、二人の関係を確かめあうのもまた音楽。音楽で会話する二人ならではの見せ場が最後に用意されているのも必見!また今まで恋や音楽に迷う二人を時には冗談めかして、時には本気で導いてきた竹中直人演じる名指揮者フランツ・シュトレーゼマンが語る音楽についての言葉は、人間として、芸術家として向上し続ける二人へのラストメッセージなのだ。ブラームス、ショパン、ラヴェル、ベートーベン、モーツァルトから「もじゃもじゃ組曲」まで、様々な音楽に乗せて届けてくれた青春ラブストーリー。存分にご堪能あれ!!
(江口 由美)ページトップへ
 育子からの手紙
『育子からの手紙』
〜病と闘う二人の紡いだ魂の絆を生き生きと描く〜

(2010年 日本 1時間46分)
監督:村橋明郎
原作:副島喜美子「育子からの手紙」(筑摩書房刊)
出演:宮崎香蓮、原日出子、有森也実、天宮良、颯太、佐藤B作
4月17日〜梅田ガーデンシネマのほか、関西各地で上映会あり
取材記事⇒ こちら
公式サイト⇒
http://film-crescent.com/ikuko/
 1989年に刊行されたノンフィクションで、ロングセラーの映画化がついに実現。15歳の若さで他界した少女の“生”への思い、希望が生き生きと伝わり、圧倒される。

  股関節の病気で入院した主婦の喜美子は、隣のベッドに入院してきた13歳の少女、育子と出会い、交流を深めていく。人と人のつながりが薄くなり、他人と関わることが少なくなった現代において、親子ほどの年齢差の二人の間に培われた絆は奇跡のようにも思え、その尊さに胸がいっぱいになる。
 病室で大きな声で「痛い、痛い」と繰り返す育子に、同室の患者は冷たい視線を投げ、家族も「我慢、我慢」と言い聞かせる中、「我慢なんてしなくていい。骨の痛みがどれだけつらいか、なったことのない人にはわからない。痛いときは痛いと言えばいい」と声をかける喜美子。自分の痛みを本当にわかってくれる人を見つけた育子は、次第に喜美子に心を開いていく。共感がきっかけで出会った二人は、喜美子が退院し、夫の転勤で遠く離れても、手紙の交換を通じて心の絆を深めていく。
 慰め、励ましあう二人の、病いと闘う同志のような強い絆は、それぞれの家族をもつないでいく。喜美子の夫や息子と、育子の両親らが家族ぐるみのつきあいをしていく過程が描かれ、病人を抱える家族だからこその優しさ、気遣いに心温まる。

  育子を演じる宮崎香蓮のきらきらした瞳の輝きがすてきだ。喜美子の励ましの言葉に素直に答えるまっすぐさ。二人が交わした手紙がそれぞれの書き手の口で読まれるが、「泣いても一日、笑っても一日」、「痛くて眠れない晩は、心の中で手をつなごうね」と、心に残る言葉が幾つもあり、ユーモアも交えられていて、すばらしい。明るく、元気に手紙を読む育子の声からは、病に苦しむ姿とは裏腹に、最期まで生き抜こうとするエネルギーがみなぎっており、力強いメッセージが伝わる。二人の交流に焦点を当てた脚本により、難病ものによくあるお涙頂戴ではなく、“生”への前向きなエネルギーにあふれた作品となった。
 原日出子は、力の抜けた自然体の演技で、おせっかいやきな優しいおばさんを好演。友達のように育子に接しようとする気持ちと、母親のように大人として思いやる母性との間で揺らぐ心情が伝わり、その演技は広く共感を呼ぶにちがいない。
 娘の苦しむ姿を見守ることしかできない育子の両親が言い争うシーンが長回しで描かれ、柱時計が時を刻む音や扇風機の低く唸る音など、細かな演出も心に残る。

  観終わって、きっと誰もが、この映画に出会えたことに、どこか感謝したい気持ちになるのではないか。ぜひ、劇場で、他の観客の方々と一緒に観て感じてほしい作品だ。
(伊藤 久美子)ページトップへ
 ウィニングチケット
『ウイニングチケット―遥かなるブタペスト―』
〜“ハンガリー動乱”に翻弄される男の運命〜
原題:Telitalalat

(2003年 ハンガリー 1時間44分)
監督・脚本:シャーンドル・カルドシュ、イレーシュ・サボー
出演:シャーンドル・ガーシュバール、アーギ・スィルテシュ、マリアン・サライ

4月10日〜シネ・ヌーヴォ
公式サイト⇒http://www.pioniwa-selection.com/hungary/winning/
 1956年のハンガリー動乱を舞台に、幸運を手にした男のたどる運命をとおして、時代のうねりに翻弄される市民の姿を浮き彫りにする。

  集合住宅で家族と下宿人の美女ロージカとつつましく暮らす、フォークリフトの運転手ベーラは、サッカーくじに当たって、月給の100年分以上の大金を手にする。当選金を銀行に運ぶ途中、ハンガリー動乱が勃発。ソビエト連邦の支配下にあった政府への不満から市民が暴動を起こし、ベーラは、デモの群集に巻き込まれ、大金をそのまま家に持ち帰ることになる。隠し場所や使い道に悩むベーラに、家族やいとこのピシュタは思い思いの提案をするが…。
 ハンガリー動乱では、積年のスターリン体制に反対して首都ブタペストを中心に蜂起した市民を、ソビエト軍が鎮圧。死者は約2千人以上、海外に亡命した難民は18万人以上に及んだと言われる。本作では、戦闘シーンはあえて描かず、遠くから聞こえる銃声や破壊された町並み、死者を弔う人々の姿をとおして、戦火に包まれた街の空気がリアルに伝わる。
 暴動で倒され、横たわるスターリンの銅像が指差している方向に、偶然非常口を見つけて、ベーラが窮地から救われたり、体制が変わっても上層部の面々は変わらないといった皮肉も織り込まれ、時代の流れを透徹し、諦観した監督のまなざしが感じられる。

 家族に置いてきぼりにされたベーラは、歌手を夢見るロージカと街の人たちと酒場で飲み明かす。街は戦闘の渦中にありながら、バンドのかき鳴らす音楽に酔いしれる、超然としたありようからは、政治と一線を画そうとするノンシャランとしたものが伝わる。
 とはいっても、社会や国家の運命に人々の生活が脅かされるのは、避けられない。酒場に入ってきて、バンドからバイオリンを借り、一曲演奏した後、無言で足早に去っていく女性兵士の姿は、彼女もまた戦闘により音楽を奪われ、芸術と引き離された一人であることを伝える。
  予期せぬ大金の処置に困り果てていたベーラは、銃撃の音の絶えない町で怯えながらも、ほんの少しの勇気を奮い起こし、ささやかな幸せを手に入れかける。しかし、それもほんの束の間、あっけなく壊されてしまう。家の壁の向こうからいきなり現れた大砲の唐突さと不気味さはあまりに強烈だ。

  かつては、フォークリフトに乗って、工場内を仲間と競争して猛スピードで走ったベーラも、映画の最後では、魂の抜け殻のような風貌で、さまようかのごとく、くるくると同じところを回っている。人の運命のはかなさ、やるせなさがしみる光景だ。友情も愛情も失ってしまった男は静かに再生を待つしかない。人との絆こそ、本当に失ってはならないものであることを映画は教えてくれる。
(伊藤 久美子)ページトップへ
 ダーリンは外国人
『ダーリンは外国人』
〜あなたに「ド肝」抜かれました!〜

(2010年 日本 1時間40分)
監督:宇恵和昭
出演:井上真央、ジョナサン・シェア、國村隼、大竹しのぶ 他

2010年4月10日〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条ほか全国東宝系にて公開
公式サイト⇒ http://www.darling-movie.com
 外国人ダーリンとの結婚、育児生活をユーモアたっぷりに描く小栗佐多里の人気コミックエッセイ『ダーリンは外国人』がついに映画化!スクリーンで弾けるダーリン、トニーの名言(迷言)も楽しみだ。
 漫画家志望のイラストレーター、さおり(井上真央)は語学オタクのトニー(ジョナサン・シェア)とひょんなことから出会い、つきあうことに。草花を愛し、純粋な疑問を投げかけるトニーに時には答えにつまりながらも惹かれていくさおりは、トニーと同棲を始めたが、厳格な父(國村隼)に結婚は許さないと断言されてしまう。

 原作ファンならお馴染みの、トニーの名言の数々も随所に登場!時には原画イラストも登場し、コミックさながらの衝撃が走り、思わず大笑いしてしまう場面も。井上真央演じるさおりの天真爛漫さと表情の豊かさが、天然なトニーのボケ(本人はいたって真剣です!)をしっかりと受け止める。

 冒頭から、実際に国際結婚をしているカップルが何組も登場し、生活の中の面白エピソードを聞かせてくれる本作のメインテーマはずばり「国際結婚」。文化の違いはハンデになり得るが、結婚自体が自分以外の価値観を受け入れることに他ならない。トニーと離れたあと、母から父とのエピソードを聞かされたさおりが気付いたこと。それは、ささやかだけど大事な日々の積み重ねなのだ。
 さおりとトニーがそれぞれの家族に紹介し、祝福されるシーンを見ていると、結婚は独身時代以上に家族を強く感じさせてくれるものだなと改めて思う。外国人を家族として受け入れることに戸惑いを見せながらも、温かく迎え入れる姿は感動的だった。さて、祝福されて結婚したあとの二人はいかに?もはや、次の名言(迷言)が待ち遠しい!
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 だれのものでもないチェレ
『だれのものでもないチェレ』
〜どんな虐待にも瞳の輝きを失わない少女の気高さ〜

(1976年 ハンガリー 1時間29分)
原作: ジグモンド・モーリツ
出演:ジュジャ・ツィンコーツィ、ヨージェフ・ビハリ、アンナ・ナジ、マリアン・モール

4月10日からシネ・ヌーヴォにて2週間限定上映
公式サイト⇒ http://www.pioniwa-selection.com/hungary/chere/
 悲しく痛ましい物語でありながら、少女チェレのつぶらな瞳が美しく清らかで、いつまでも忘れられない。
舞台は1930年代、独裁政権下のハンガリー。人権すら守られなかった時代。孤児たちは養育費つきで養子に出され、労働力として農家でこきつかわれた。チェレも子沢山の農家の養子となるが、衣服さえ与えられず、飢えと虐待に耐える毎日。とうとう耐えかねて農場を飛び出してしまう。次に養父母となったのは裕福な農家だったが、チェレへの仕打ちは変わらない。チェレは、そこで下男として働く、心優しき老人に出会う。しかし次々と過酷な運命がチェレを待ち受けていた…。
 冒頭、ロングショットで、牛を追いながら歩く子どものシルエットが美しくとらえられ、近景となり、それが裸の女の子とわかり、大いに驚かされる。養家の子どもたちは皆、服を着ているのに、チェレだけは下着さえなく、家畜の世話に明け暮れる。あまりに痛々しいチェレの姿に思わず目を覆いたくなる。しかし、どんな虐待を受けても、チェレの瞳の輝きが失われることは、決してない。むしろ、じっと強く、鋭く大人を見つめ返すのだ。その凛とした表情は、人間としての誇りを貫き、強く生き抜こうとする力を伝え、観る者の心を深く揺さぶる。
 カメラは、チェレが緑の草原の中をちょこちょこ走っていく可愛い動きをロングでとらえたり、近くから寄り添うようにして、子どもらしい無邪気な表情や、本当の母が迎えに来るのを待ち続け、孤独と不安に震える表情に肉薄し、見事だ。音楽は最小限に抑えられ、その分、チェレが小さな声で口ずさむ歌が心に刻まれる。仲良しの牛と戯れ、死んだ小鳥を歌いながら優しくなでるチェレを、老人だけが、幼くか弱い者として守ろうとしたのが救いとなる。
 ‘79年の日本での上映時には、大きな反響を呼び起こした本作。今、ニュープリントとして蘇る意味は大きい。当時7歳でチェレを演じた天才子役のジュジャの演技に、きっと誰もが釘付けになるにちがいない。日本でも児童虐待の記事が新聞から途切れることがない今日。子どもの純粋な魂を守るのは、大人しかいないことを、この映画は教えてくれる。
  ラスト、太陽が投げかける、柔らかく優しい光は、まるで自然だけが、チェレの魂を見守り、包み込んでいるかのようだ。チェレの身体は酷使されても、その心は自由で、何者にも支配されることはない。必見の名作。どうぞお見逃しのなきよう。チェレのあどけない微笑みは、きっとあなたの心に深く焼き付けられるにちがいない。
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 月に囚われた男
『月に囚(とら)われた男』(原題:Moon)
〜舞台は月、孤独な宇宙飛行士がたどる数奇な運命〜

(2009年 イギリス 1時間37分)
監督:ダンカン・ジョーンズ
出演:サム・ロックウェル、ケヴィン・スペイシー、ドミニク・マケリゴット他
2010年4月10日〜恵比寿ガーデンシネマほか全国にて公開
2010年4月24日〜梅田ガーデンシネマほか全国にて公開

公式サイト⇒ http://moon-otoko.jp/
 SFといえば、ビッグバジェットの大作というイメージを持っていたが、本作はそんなゴージャスでダイナミックなSFとは異なる、非常にシンプルだけど緻密で、アイデアに溢れた意欲作だ。
 サム・ベル(サム・ロックウェル)は月面基地で、新エネルギーのヘリウム3採取のため、月面を砕石し地球に送る任務に就いていた。相棒は人工知能を持つロボット、ガーティ(声:ケヴィン・スペイシー)だけ。妻テス(ドミニク・マケリゴット)とのTV電話も地上との交信機能故障で、過去の録画テープを再生するしかなく、3年の任務終了目前にしてサムの精神状態は極限に達していた。ある日月面車を操縦中、事故を起こしたサムは、昏睡状態から目覚めた時、基地にもう一人の誰かが、直接地上と交信しているのを目にし茫然とするのだった・・・
 自分とまったく同じ姿をした人間の登場で、サムは図らずしも孤独から救われる。任務を終える寸前で身も心もズタズタなサムと、気力体力に満ち溢れる血の気の多いサムを演じるサム・ロックウェルの一人二役(最後は一人三役)ぶりは見応え十分!中盤からは謎の陰謀を暴くサスペンス的な要素を備えながら、孤独だった男が人と接して人間らしい表情を取り戻していく様子も描かれていく。家族について交わす会話、お互いの性格を揶揄する場面、同じ顔をした二人が取っ組み合いの喧嘩をする場面、それらは痛みも伴うが、生きている実感が湧く瞬間ともいえよう。
 本作がデビュー作となる自称「SFオタク、日本オタク」のダンカン・ジョーンズ監督は、どことなく古めかしい月面車や、妙にアナログな月面基地内など、往年のSF映画ファンならずとも懐かしさがこみ上げる雰囲気を作り出している。これらは、単に過去のSF作品にオマージュを捧げるだけでなく、本作の謎を解くカギでもあるのだ。この波乱に満ちた悲劇の宇宙飛行士の物語は、見終わったあと暖かさが心に残る。それはダンカン監督の描く人間やロボットたちに、極限状態での良心や思いやりが垣間見えたからだろう。
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 ウルフマン
『ウルフマン』
〜満月に向かって吠えたくなかったウルフマン〜

(2010年 アメリカ 1時間42分)
監督:ジョー・ジョンストン
出演:ベニチオ・デル・トロ,アンソニー・ホプキンス,エミリー・ブラント,ヒューゴ・ウィーヴィング,ジェラルディン・チャップリン

2010年4月23日(金)〜全国一斉ロードショー
ベニチオ・デル・トロ インタビュー こちら
公式サイト⇒
 
http://wolfman-movie.jp/
 ヨーロッパ中世の神学では,狼は悪魔の化身だと解されていたという。また,狼人間には様々な伝承があり,自分が狼だと考える精神疾患と思われたこともあるようだ。が,その中で大きな転換点となったのは映画だ。本作の原典「狼男」(1941米)によって映画版すなわち現在のウルフマン伝説が作られた。満月の光を浴びると狼に変身し,銀の弾丸やナイフで倒される。そのウルフマンが21世紀初頭のいま,グレードアップして戻ってきた。

  本作の狼男は,まるで宇宙からやって来たプレデターのように目にも止まらぬ早さで移動し,瞬時に人間を殺害する。その狼男が,なぜか主人公ローレンスを襲ったときは咬みついただけで彼を生かしておく。狼男もまた,一国一城の主ともなれば,自らの意思をコントロールできるのだろうか。そうだとすると,彼は意図的に冷酷無比な殺害を重ねていたことになる。ローレンスが誰に咬まれたかという設定を改変したため,撞着に陥ったようだ。

  ともあれ,本作の見所は,ウルフマンすなわちローレンスの,自分の意思とは関係なく凶暴化してしまうことの怖さと,それを自覚しながら自分をコントロールできない悲しみだ。困惑し悄然としたベニチオ・デル・トロの表情こそ正に人間の弱さの表れだといえる。“人間の悪意の仕業”という台詞もある。ジキルとハイド,サンダ対ガイラで描かれる人間の二面性とその哀しみが,イギリス特有の靄がかかったような空気の中で描かれていく。

  ラスト。前作では,父親が息子だと知らずに狼男をステッキの銀の柄で殴殺してしまう。が,本作のエミリー・ブラントは「ザ・フライ」(1986米)のジーナ・デイヴィスと重なる。彼女は,ハエ男に惹かれていき,彼の最後の願いを叶える。異形の哀しみを帯びた悲痛なラブストーリーだった。更に,カメラが狼男に咬まれた警部の姿を捉えるショットは,ミステリーゾーンのオチ。ちょっと欲張りすぎてブレが生じたが,忘れ難い1本ではある。
(河田 充規)ページトップへ
 誘拐ラプソディー

(c) 2009 「誘拐ラプソディー」製作委員会
『誘拐ラプソディー』
〜誘拐犯と少年の交流をユーモラスに描く
                    ヒューマン・ドラマ〜

(2009・日本/111分)
配給: 角川映画   原作: 荻原浩
監督: 榊英雄     脚本: 黒澤久子
出演: 高橋克典 林遼威 哀川翔 YOU 船越英一郎
2010年4月3日(土)〜梅田ブルク7 MOVIX堺 MOVIX八尾 シネプレックス枚方 109シネマズHAT神戸
4月17日(土)京都シネマ

舞台挨拶レポート⇒こちら
公式サイト⇒ http://www.yuukai.jp/
 日本における身代金目的の誘拐事件は、戦後から約50年の間に288件発生し、そのうち246件が人質存命のまま解決に至っているという。犯人の決まり文句『警察には通報するな、さもないと人質の命の保証はない』との脅しに従い自己処理されるケースもあるのだろうか。人命優先で表沙汰にならないだけで、もっと頻繁に行われているのかもしれない。どちらにしても、残忍な通り魔や連れ去り事件より、犯人に不利な金銭目的の誘拐事件はどこか冒険色が強く映画にするにはもってこいの題材である。
 本作は、金ナシ・家ナシ・家族ナシ、あるのは“前科と借金”だけという窮地に立たされたダメ男・伊達秀吉が、偶然出会った家出少年・伝助を金目当てに誘拐するところから始まる。しかし、最悪なことに少年の父親はヤクザの親分だった!想定外の事態にあわてた秀吉は伝助をつれて逃亡生活を送るはめになるが…。原作はベストセラー作家・荻原浩の同名小説。俳優で監督の榊英雄が『GROW-愚郎-』『ぼくのおばあちゃん』に続きメガホンを取る
 誘拐犯役の高橋克典と、逃亡を“家出”と信じ込む伝助を演じた林遼威の目的がズレた掛け合いがユーモラスで、2人の場面はロードムービーを見ているような微笑ましさに包まれている。いい加減なウソで少年を誘導する秀吉、それを全て鵜呑みにする純粋な伝助という構図を活用して度重なる危機を回避していく展開も面白い。
 誘拐映画といえば一番に思い出すのがケビン・コスナー主演、クリント・イーストウッド監督の『パーフェクト・ワールド』だ。刑務所から脱獄したブッチと、彼の人質となった8歳の少年・フィリップが、逃亡生活を通して絆を深めていく感動作で、2人が最後に別れるラストシーンは涙腺が決壊するほどに心を揺さぶられる。そんな不朽の名作と『誘拐ラプソディー』は2つの共通点がある。ひとつは犯人が刑務所帰りであること、もうひとつは人質となる少年が父親の愛を知らずに育ったという点だ。フィリップは父親不在の家庭で育ち、宗教上の理由からクリスマスやハロウィンとは無縁の孤独な子供生活を送っていた。一方の伝助も父親にキャッチボールすらしてもらったことがなく、約束はいつも守ってもらえない。伝助に渡される小学生には不相応な小遣いが、彼の寂しさを象徴しているようだ。
 そんな中、型破りで自分の存在を尊重してくれる大人と出会い交流を深めるうち、その男に理想の“父親像”を見出すことはごく自然なこと。そして、守るべきものを持たない男が、自分を慕う少年の無垢な心に癒され、もう一度希望を求めようとするのも必然な流れなのである。『誘拐ラプソディー』は『パーフェクト・ワールド』ほどシリアスな作品ではないが、もはや“親子”となった秀吉と伝助が別れるラストシーンは名作と同じく感動的で、子役が流す涙にもらい泣きする観客が続出しそうだ。
(中西 奈津子)ページトップへ
 ウディ・アレンの夢と犯罪  (篠原バージョン)
『ウディ・アレンの夢と犯罪』(原題:Cassandra’s Dream)
〜皮肉な運命をたどる兄弟の“極限の心理”を描く〜

(2007年 イギリス 1時間48分)
監督:ウディ・アレン
出演:ユアン・マクレガー、コリン・ファレル、トム・ウィルキンソン他
2010年3月末〜梅田ガーデンシネマ、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://yume-hanzai-movie.com/pc/
 名匠ウディ・アレンが、ロンドン南部の街を舞台に“ある兄弟の悲劇”をシリアスかつ滑稽に描いたサスペンス・ドラマ。

 投資ビジネスでの成功を夢見るイアンと、酒とギャンブルを愛する自動車修理工のテリー。志や生きる道は違えど、仲良く助け合ってきた彼ら兄弟だったが、ある日テリーがポーカーで惨敗し、巨額の借金を背負うハメに。2人は大金持ちの伯父に助けを求めるが、逆にトンデモナイ交換条件を切り出されてしまう。それは、伯父の弱みを握る元同僚の男を“始末”することだった…。
 見せかけの幸せは、当然続かない。それでも虚勢を張り続ける野心家のイアンに対して、もともと自分の心に嘘がつけないテリーは、犯した罪の重さに耐え切れず、精神が不安定になっていく。この対照的な兄弟の内面描写がスリリングで生々しく、アレンの人間洞察力の鋭さを感じさせる。“血のつながり”がもたらす人生の皮肉が、味わい深い余韻を残す1本だ。
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 ウディ・アレンの夢と犯罪  (江口バージョン)
『ウディ・アレンの夢と犯罪』(原題:Cassandra’s Dream)
〜人生を狂わす瞬間は、思わぬときにやってくる〜

(2007年 イギリス 1時間48分)
監督:ウディ・アレン
出演:ユアン・マクレガー、コリン・ファレル、トム・ウィルキンソン他
2010年3月末〜梅田ガーデンシネマ、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 ほか全国にて公開
公式サイト⇒ http://yume-hanzai-movie.com/pc/
 ヨーロッパに拠点を移したウディ・アレンが『マッチポイント』、『タロットカード殺人事件』に続き、ロンドン3部作を締めくくるにふさわしく、人間の傲慢さや罪深さ、迷いをスクリーンに焼き付けた。

 病気がちな父のレストラン経営を手伝いながら、独立してアメリカでのビジネス成功を夢見ていた兄イアン(ユアン・マクレガー)と、酒やギャンブルには目がないが、恋人と普通の幸せを願う弟テリー(コリン・ファレル)。立場も性格も正反対の兄弟は、テリーが大金の返済に追い込まれ、最後の頼みの綱であるビジネスで大成功を収めた叔父(トム・ウィルキンソン)にすがることに。その叔父が突然見返りに、保身のための口封じ役を兄弟に命じたことから、二人の運命の歯車は大きく狂い始めるのだった・・・。
 前半では、イアンが生まれて初めて出会った理想の恋人との郊外ドライブや、テリーが負けそうになりながら逆転勝利する賭博など、兄弟の「運」が上向いてきた様子をテンポ良く描いている。観ていてウキウキする一方で、その「運」に見放された時のことを頭のどこかで想像してしまう。
 そして、本作の一番の見せ場は、後半窮地に追い込まれていく兄弟が見せる全く別の顔。ユアン・マクレガーとコリン・ファレルが、殺人を犯したあと微妙な関係となっていく兄弟を熱演している。ギリギリの精神状態に追い込まれる二人から、夢や成功を手放せない人間の愚かさや迷いが色濃く滲み出てくるのだ。

 私たちの人生は大なり小なり何かを選ぶ一方で、何かを諦めたり犠牲にしているのだろう。選択の基準を間違えれば、人生はあっという間に坂道を転がり落ちてしまう。カサンドラ・ドリーム号から始まる兄弟の物語は、本来は結びつかない夢と犯罪が手に手をとってしまったウディ・アレン版『罪と罰』なのかもしれない。
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 ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い
『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』
“Io, Don Giovanni”

〜オペラ《ドン・ジョヴァンニ》誕生の舞台裏〜

(2009年 イタリア,スペイン 2時間07分)
監督:カルロス・サウラ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
出演:ロレンツォ・バルドゥッチ,リノ・グワンチャーレ,エミリア・ヴェルジネッリ,エンニオ・ファンタスキーニ,マリア・バルベルデ,トビアス・モレッティ
2010年4月〜Bunkamura ル・シネマ/銀座テアトルシネマ
関西では、4月17日(土)〜テアトル梅田、6月〜京都シネマ、シネ・リーブル神戸にて公開

公式サイト⇒ http://www.don-giovanni.jp/
 冒頭シーンが印象的。カサノヴァとダ・ポンテの乗ったゴンドラがドン・ジョヴァンニの銅像を積んだゴンドラとすれ違う。屹立してこその銅像が横たえられている。それを見たカサノヴァが偉大さにふさわしい扱いを受けずに哀れだと言う。これがダ・ポンテ版ドン・ジョヴァンニの萌芽だった。ダ・ポンテは,聖職者でありながら,放蕩生活の果てにヴェネチアを追放され,次第に自らをドン・ジョヴァンニに重ね合わせていくことになる。
 監督は,ダ・ポンテを主軸として,虚実を巧みに取り混ぜながら,ドン・ジョヴァンニが生み出される様子を映し出していく。それを支えているのがモーツァルトの音楽とヴィットリオ・ストラーロの映像だ。ダ・ポンテがモーツァルトに新たなドン・ジョヴァンニの構想を語り始めたとき,これに呼応するようにオペラの冒頭シーンが映され,そのまま流れるように劇中劇へと転じるのが心地良い。モーツァルトもまたその魔力に引き込まれる。
 雪の降る満月の夜,降り注ぐ光は青みがかっているとダ・ポンテが語れば,その情景が目の前に現れる。彼の脳裡に浮かぶ映像を覗き見ているような快感がある。オペラでドンナ・アンナに加えてドンナ・エルヴィラが登場することになった舞台裏では,2人の女性が火花を散らせていた。女性遍歴を語るカタログの歌では,カサノヴァの発案で,イタリア女性を300人から640人,スペインでは703人が1003人に水増しされていた。
 そんな楽屋落ちのような展開の中でも,やはり注目はオペラの結末だ。なぜドン・ジョヴァンニは地獄へ堕ちるのか。彼は,アンネッタという女性にヴェネチアで出会い,ウィーンで再会する。詩人ダンテの女神がベアトリーチェなら,ロレンツォの女神はアンネッタだった。亡霊たちが現れ,地獄の炎が流れる終幕のシーンは圧巻。放蕩を尽くしたダ・ポンテ自身がアンネッタへの愛を貫くには、きっと他の結末はあり得なかったに違いない。
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 オーケストラ! (河田充規バージョン)
『オーケストラ!』 (Le Concert)
〜コミカルでミステリアスにクラシック!〜

(2009年 フランス 2時間04分)
監督:ラデュ・ミヘイレアニュ
出演:アレクセイ・グシュコブ,ドミトリー・ナザロフ,メラニー・ロラン,フランソワ・ベルレアン,
    ミウ・ミウ,ヴァレリー・バリノフ,アンナ・カメンコヴァ・パブロヴァ
2010年4月17日(土) 〜Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座 他全国順次ロードショー
関西では、5月1日(土)〜梅田ガーデンシネマ、京都シネマ、神戸国際松竹、にて公開

・監督インタビュー⇒ こちら
・綾戸智恵キャンペーン⇒ こちら
・公式サイト⇒
  http://orchestra.gaga.ne.jp/

 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に封印された哀しみが胸に迫ってくる。アンドレイ・フィリポフは,ボリショイ劇場の指揮者だったが,ある出来事のために30年間リハーサルの見学さえ禁止されていた。“伝説の指揮者”は,支配人レオニードより先にパリのシャトレ座からの招聘のFAXを見てしまう。そのとき,彼に内緒で正式の指揮者になりすまし,パリでタクトを振る決意を固める。2週間後の公演に向けて時間が動き始める。
 アンドレイは,アンヌ=マリー・ジャケをソリストに指名する。2人の会食シーンがいい。アンヌ=マリーは親の眼差しを求め続けていた。アンドレイは1980年に遡ってヴァイオリン奏者レアの話を始める。究極のハーモニーを追い求めた狂おしい感情が宙を舞う。一方,チェロ奏者のサーシャは,アンドレイが妻にも伏せていた事情に気付いてしまった。彼がアンヌ=マリーに言いたいことを堪えている姿は,もどかしくも切なさが込み上げる。
 監督は,1980年フランスに移住したユダヤ系ルーマニア人だ。ユダヤ人に対する共産党の迫害を背景に据えながら,それを諧謔的に笑い飛ばすパワーがある。アンドレイは,パリ公演の実現のため,イワンに援助を求める。だが,彼こそアンドレイにとって仇敵と言うべき人物だった。そのバリバリの共産党員が固執した“トゥル・ノルマン”という店はもはや存在しない。彼がパリでのコンサートの直前にその成功を神に祈るのは痛快な皮肉だ。
 しかも,ボリショイ劇場の支配人がたまたま休暇でパリにやって来るという,ちょっとしたサスペンスも盛り込まれる。レオニードの名前はブレジネフを意識したものに違いない。「私がボリショイだ」と言う戯画的なカットは見逃せない。その他,救急車で走り回って集めた元団員の中には商魂の逞しいユダヤ人ヴィクトルがいる。集合場所から空港までの過程や,空港で旅券とビザを手に入れる状況など,誇張された笑いが奇跡へと連なる。
 いよいよコンサートが始まる。アンヌ=マリーのヴァイオリンの音色に触発されたように,それまで冴えなかったオーケストラが息を吹き返す。魔法のようにあり得ない出来事が実現した感動は大きい。音楽と映像が,アンドレイが語れなかったレアの話の続きを紡ぎ出していく。演奏を終えた2人が向き合うストップモーションのエンディングが洒落ている。それは,アンドレイにとっての償いだった。そのとき,彼は呪縛から解き放たれる。
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 オーケストラ! (原田灯子バージョン)
『オーケストラ!』  (Le Concert)
〜30年間夢見続けたハーモニーを今、奏でよう♪〜

(2009年 フランス 2時間4分) (配給:ギャガ)
監督・脚本:ラデュ・ミヘイレアニュ 
出演:アレクセイ・グシュコブ、ドミトリー・ナザロフ、メラニー・ロラン

2010年4月GW〜 Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座他全国順次ロードショー
関西では、梅田ガーデンシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、他全国順次公開
・監督インタビュー⇒ こちら
・綾戸智恵キャンペーン⇒ こちら
・公式サイト⇒
  http://orchestra.gaga.ne.jp/
 それは一枚の出演依頼のFAXから始まった! ロシア・ボリショイ交響楽団の劇場清掃員で元・天才指揮者、アンドレイ(A・グシュコブ)はひらめいた。ボリショイ交響楽団と偽って昔の仲間とパリ・シャトレ劇場で演奏する!?と。当時のユダヤ人排斥の政権下でユダヤ人の楽団員をかばい指揮者の座を奪われたが、この30年間、彼は一つのハーモニーを思い続けてきた。曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストには、スター・ヴァイオリニストのアンヌ=マリー・ジャケ(M・ロラン)。パスポートは偽造品、楽器は現地調達、リハーサルは一切なしのやりたい放題。突拍子もない状況での人々の逞しさがユーモラスに描かれる。はたしてコンサートの行く末は?

  楽団員達の思いが音として共鳴し合い、不協和音が崇高なハーモニーへ昇華していく時、彼らの中で止まっていた時間が熟成されて再び動き出す。その心が震えるような瞬間にゼヒ立ち会って。
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 ソラニン

(c) 2010浅野いにお・小学館/「ソラニン」製作委員会/写真:太田好治
『ソラニン』
〜あおいが鳴らす、ゼロ年代のロック〜

(2010年 日本 2時間06分)
監督:三木孝浩 原作:浅野いにお
出演:宮アあおい、高良健吾、桐谷健太、近藤洋一、伊藤歩、永山絢斗

2010年4月3日(土)〜梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 ほか全国ロードショー
公式サイト⇒ http://solanin-movie.jp/









 宮アあおいは、まぎれもなくロックの体現者だった。エレキギターをかき鳴らして歌う姿に、改めてそう確信した。

  東京で一緒に暮らす芽衣子(宮ア)と種田(高良健吾)には、語る夢がない。芽衣子は働く意味を見いだせない会社を辞める。種田もバンド活動で自立できず、毒にも薬にもならない無個性な音楽があふれる世の中に、自分のロックで風穴を開けるのは無理とあきらめている。行き場のない若者たちを描くのは青春映画の常だが、本作でフワフワと日々を漂う彼らの不安定さは、今の若い世代の気分を反映して、やるせない。

  種田は突然、劇中から姿を消すのだが、映画は彼の不在をドラマのヤマ場にせず、残された芽衣子の心の軌跡をじっくりと描き出す。安易な涙や感動に頼らない脚本が光る。先が見えない生活の怖さを語る芽衣子のまなざしは、同時代を生きる大人をも射る。そして彼女が、種田のためにも手探りで先を見ようとバンドへの参加を決意した時から、スタジオでの練習を経てライブへと、吹き替えなしの生演奏の力がドラマをぐいぐいと引っ張っていく。

  音楽系の映像に強い三木孝浩監督の演出には、ごまかしがない。実際にロックバンド「サンボマスター」で活躍する近藤洋一が、劇中のバンドのメンバー役にふんしてベースを弾き、宮アと、ドラムスの桐谷健太の俳優2人をリードして、本格的な3人編成のサウンドのうねりを作り出している。

 宮アが『ユリイカ』や『害虫』など過去の作品で演じた少女は、理不尽な世の中に対して怒り、反発する姿が印象的だった。<自分を取り巻く“世界”を変えたい>――ロックスピリットに通じる衝動を、新作『ソラニン』ではズバリ、自ら演奏することで体現してみせた。彼女に大いに刺激され、今だからこそ音楽の力を再び信じてみようと思った。

(佐々木 よう子)ページトップへ
 モリエール 恋こそ喜劇

(C) 2006 FIDELITE FILMS-VIRTUAL FILMS-WILD BUNCH‐FRANCE 3 CINEMA-FRANCE 2 CINEMA
『モリエール 恋こそ喜劇』 (Moliere)
〜喜劇作家モリエール誕生の驚きのいつわ・り〜
                        (偽りの逸話)
(2007年 フランス 2時間)
監督:ローラン・ティラール
出演:ロマン・デュリス,ファブリス・ルキーニ,ラウラ・モランテ,エドゥアール・ベール,リュディヴィーヌ・サニエ
2010年3月6日よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開
関西では、4月10日〜テアトル梅田、初夏〜京都シネマ にて公開

公式サイト⇒ http://www.cetera.co.jp/moliere/
 1658年,モリエールの一座「盛名座」が地方巡業からパリに戻ってきた。彼は,喜劇ではなく悲劇を上演すると言う。だが,ある女性が「母が会いたい」と言っていると彼を訪ねてきた。その後,彼が臥せっている女性の部屋に入っていくシーンが映される。そこに差し込む陽射しが柔らかく,朧気な空気感がいい。埋もれていた過去が蘇るときの曖昧さだろうか。これが契機となって,彼は喜劇をやると宣言する。そして,彼の回想が始まる。
 舞台は13年前に遡る。モリエールが舞台で悲劇を演じていると,執行吏2人が未収金の徴収にやってくる。彼らを相手にモリエールがチャップリン張りの喜劇を演じてみせる。まるでモリエール自身が気付いていなかった喜劇作家としての才能が現れたようなシーンだ。その後,ジュルダンに借金を肩代わりしてもらうのと引換えに演劇の指南役を引き受けることになる。彼は,思いを寄せる若い女性の前で一幕を演じて気を惹こうというのだ。
 モリエールの回想を創作した監督の手腕が光る。まるでモリエール作品のように,その人生の空白部分を想像で埋めていく。そして,彼に扮したロマン・デュリスは,三種類の馬を演じ分けるなど,自らの喜劇の才能を発揮する。ファブリス・ルキーニが演じるジュルダンは,愛に疎くて軽薄に見えても,愛嬌があって憎めない。その妻エルミール役のラウラ・モランテが優雅な魅力を湛え,モリエールに「魂を追求する喜劇を創造して」と言う。
 監督は,彼の作品をくまなく読んで分析することで,純粋なコメディの本質に触れ,作品の構造がよく理解できたと語っている。本作のモリエールと彼を取り巻く登場人物は,彼の作品の中の人々の組み合わせだそうだ。モリエールがエルミールと最初は対立しながら恋に落ち,彼女の娘を愛のない結婚から救い出す。この喜劇の典型のような構造の中にモリエール作品のエッセンスが詰まっており,エスプリも効いて洗練された喜劇の味がする。
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 半分の月がのぼる空
『半分の月がのぼる空』
〜「ずっと一緒にいたかった」
         切ない想いを乗り越えるまで〜

(2010年 日本 1時間52分)
監督:深川栄洋
出演:池松壮亮、忽那汐里、大泉洋他

2010年4月上旬〜シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、
京都シネマほか全国にて公開

公式サイト⇒ http://www.hantsuki-movie.com/
 アコースティックなギターの調べに、褪せた色合いの若い2人の写真。 このオープニングだけで、もう胸がキュンとなってしまう。

 高校生の裕一(池松壮亮)は入院している病院を夜中に無断外出した罰として、ある患者と友達になることを看護婦に命じられた。どんなヤツかと屋上を覗きに行くと、ヒラヒラと風にたなびく白いシーツごしに見える髪の長い美少女。それが今は亡き父親と同じ心臓病を患う里香(忽那汐里)との出会いだった。






 2人が入院している病院には、6年前に心臓科医として妻を手術しながら助けられなかったことを責め続けている内科医夏目(大泉洋)がいた。自責の念から逃れられず、メスを持てなくなってしまった夏目の姿は長い間時計が止まっているかのよう。

 高飛車なことを言う里香に、戸惑いながらも彼女のことが気になり始める祐一。そんな微妙な距離感を遠くから見守るような映像が静かに捉える。9歳のころから入院生活を送り、同世代の友達がいない里香、また女の子に恋をしたことがない裕一。会話が続くわけではないけれど、気持ちが寄り添っていく2人の様子を見ていると、思春期の少年少女のときめきがふんわり甦ってくる。恋を知らなかった少年が、恋の痛みも、愛する人のために自分を制することを知り、大人への階段を上っていく。目前に迫る死に向かって生きていた里香も、裕一が支えとなり生き続けるための大きな決断を下す。それはいつも支えてくれている母親からの精神的な自立であり、里香が生きたい未来を自分で掴みとる瞬間なのだ。 

 橋本紡氏の同名ベストセラー小説を初映画化にあたり、原作の雰囲気をそのまま映像化するため、全編伊勢で撮影。病院の屋上から見渡す町並みや、商店街、クライマックスの場所となる虎尾山など、どこか懐かしくどのシーンもすっと心に残っていく。裕一演じる池松壮亮の揺れる男心にクスッとさせられ、ポッキーCMでおなじみの忽那汐里演じる里香の凛とした雰囲気と切ない表情に涙がほろり。『半分の月がのぼる空』の空気感に浸りながら祐一、里香、夏目のこれからを見守っていきたくなった。
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