トランスフォーマー |
|
「トランスフォーマー」
〜生命を持ったメカが“少年”の心をワシ掴み〜
(2007年 アメリカ 2時間24分)
監督:マイケル・ベイ
出演:シャイア・ラブーフ、ミーガン・フォックス,ジョン・ヴォイト
8月4日からナビオTOHOプレックス、TOHOシネマズなんば、なんばパークス・シネマ他全国長拡大ロードショー
公式ホームページ→
|
「犠牲なくして勝利なし!」愛するミカエラを守るため、家族のいる地球を救うため命を賭けて過酷な戦いに挑むサム。アメリカのどこにでもいるような少年サムは、“永遠の少年の心”を持つ製作者スピルバーグの分身であり、合体ロボットの変身に一喜一憂する我々観客の分身でもある。
地球上のあらゆるマシンに変身し、人型ロボットへ変形する金属生命体が地球に襲来。郊外住宅に住むサエない高校生のサムは、ある日父親におねだりして中古のスポーツカーを買ってもらう。クラス一の美女ミカエラの心を射止めるため必死なサム。ポンコツのスポーツカーは彼女を乗せると勝手にステレオから甘い曲が流れる気が利く車。その正体は、金属生命体から地球を守るために送り込まれた“善”のトランスフォーマー“サイバトロン”だった・・・
映画は、まったくトーンの違うふたつのストーリー・ラインが絡み合う。もうひとつのパートは、中東に進駐するアメリカ軍を“悪”のトランスフォーマー“メガトロン”が襲う。レノックス大尉率いる特殊部隊と凄絶な戦闘の様子がドキュメント・タッチで描かれる。「ET」風な少年の夢と「プライベート・ライアン」風のリアルで強烈な戦闘シーン。
このふたつの世界観は、スピルバーグが最も得意とするジャンルの見事な融合である。
サムの青春期特有の無様で青臭い恋愛模様は気恥ずかしさと共に温もりがある。サムとサイバトロン軍団との友情も泣かせる。CGによる大迫力のメカ同士の激闘で、傷ついた彼らの“痛み”が表現される。金属の塊に命を吹き込んだ繊細な演出は秀逸だ。
近年の最先端CG映像の氾濫に麻痺しつつある人々を本気で驚かせる数年に一度の映像革命。平凡な少年が地球存亡の戦いに巻き込まれながら、その過程で成長する姿が描かれる。同時に絶対無敵なアメリカ軍の活躍も描かれる。強くて美しい正義の国アメリカ。 正にアメリカ独立記念日の打ち上げ花火のような映画だ。 |
|
プロヴァンスの贈りもの |
|
「プロヴァンスの贈りもの」
〜旅情をそそられる一本〜
(2006年 アメリカ 1時間58分)
監督:リドリー・スコット
出演:ラッセル・クロウ,マリオン・コティヤール,
アルバート・フィニー,フレディ・ハイモア 8月4日(土)〜
梅田ガーデンシネマ,他全国ロードショー
公式ホームページ→
|
降りそそぐ太陽の光、そしてどこまでも広がるラベンダー畑。イギリス人ながらプロヴァンスに魅せられたヘンリーおじさん(アルバート・フィニー)はシャトーに住み、ぶどう園でワインを造って気ままな独り暮らし。そんなおじさんが大好きなマックス少年(フレディ・ハイモア)もヴァカンスではいつもプロヴァンスで楽しい日々を過ごしていた。 |
数十年後、マックス(ラッセル・クロウ)はロンドンの金融界で豪腕トレーダーとして成功を収めて、多忙を極める毎日に。そんなある日、いつしか疎遠になっていたヘンリーおじさんの訃報が届く。シャトーとぶどう園の相続や売却手続きのために、トンボ帰りのつもりで久々にプロヴァンスの地を踏んだマックスだったが、思わぬハプニングでしばらく休暇を取って滞在することに。 |
蘇る少年時代の思い出を懐かしく感じはじめた頃、マックスは地元レストランのオーナーのファニー(マリオン・コティヤール)に心を奪われる。
しかし、プロヴァンスでの休暇はあと残りわずか―。仕事と恋の間で揺れ動くマックスの下した決断とは?
雄大な自然の中で、ゆったりとした時を感じながら生活をしているプロヴァンスの人々。必要なのは大切な人と美味しい料理とワインのみ。映画を観た後は「自分の心にとっての贅沢とは?幸とは?」と考える。まあいいか、焦らずに夏の休暇を楽しみながら、答えを探し出せばいい・・・。 |
|
河童のクゥと夏休み |
|
「河童のクゥと夏休み」
〜律儀で健気なクゥの旅は,美しい日本を発見する旅〜
(2007年 日本 2時間18分)
監督・脚本:原 恵一 原作:木暮正夫
声の出演:冨澤風斗,横川貴大,田中直樹,西田尚美,
なぎら健壱 7月28日(土)〜シネ・リーブル梅田,なんばパークスシネマ,
MOVIX京都,シネ・リーブル神戸,他
全国夏休みロードショー
公式ホームページ→
|
この映画は,20年来企画を温めてきた原恵一監督の優しい想いに満ち溢れている。『映画クレヨンしんちゃん』シリーズの『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』で子供だけでなく大人の心も掴んだ原監督。
この作品にも,少年と現代に蘇った河童との交流を通して,時代は変わっても自然や生き物を思いやる心の尊さを,ごく普通の生活風景の中に描き出して,新鮮な感動がある。 |
今年の夏もSF大作映画やファンタジー映画などの話題作が目白押し。だが,この作品だけは見逃さないでほしい。家族の絆や,いじめ,自殺,自然保護などの身近な問題が素直な気持ちで綴られた,日本のアニメ史上に残る名作だからだ。
クゥと出会って成長していく少年の姿や,あらゆる生き物が棲んでいた昔の里山の風景など,美しい映像美で,きっと,あなたの心を潤してくれることだろう。
親子で見て欲しいこの夏一番のオススメ映画です! |
|
夕凪の街 桜の国 |
|
「夕凪の街 桜の国」
〜日本の夏,色んな思いが心に広がる映画〜
(2007年 日本 1時間58分)
原作:こうの史代
監督:佐々部清
出演:田中麗奈,麻生久美子,吉沢悠,中越典子,伊崎充則,金井勇太,藤村志保,堺正章
7/28〜シネ・リーブル梅田,なんばパークスシネマ,MOVIX京都,シネ・リーブル神戸 他
公式ホームページ→
|
被爆という重いテーマを2世代にわたる20代の女性2人の日常を通して描いたマンガが原作だ。原作は,「夕凪の街」と「桜の国(一)(二)」の三部構成からなる。原爆投下から10年後(映画では13年後)の広島が舞台で,皆実を主人公とする夕凪の街。そして,小学5年生の七波を描いた桜の国(一)と平成16年(映画では19年)に生きる七波を描いた桜の国(二)。 |
最初,優しさに満ちた絵を見ながら読み進むうち,いまを生きることの大切さが心の中に広がってきた。そんなに長くないマンガだが,中身が詰まっていて,何度も繰り返し読みたくなってくる。この原作が映画化されると知り,期待と不安の入り交じった気持ちで待っていたが,とうとう7月9日(月)御堂会館で行われた試写会で観ることができた。
映画は,夕凪の街と桜の国の二部構成となり,桜の国では主人公の七波の回想シーンで小学校時代が描かれていた。原作の持っている空気感がうまく映像化されている。しかも,原作とは異なる映画独特の見せ場が用意されているので,原作をよく知っている人にも新しい発見があるのではないだろうか。
たとえば,皆実が写った唯一の家族写真や彼女が使っていた髪留めが,皆実と七波を繋ぐ小道具として効果的に使われている。また,風化させてはいけない過去の記憶を将来に伝えるという意味で,皆実の同僚の打越や七波の父親の旭の存在が原作よりもクローズアップされており,深みが増したように思う。
また,試写会では,上映前に主演の田中麗奈さんと監督の佐々部清さんの舞台挨拶が行われた。短い時間だったとはいえ,貴重な話を聞くことができた。その内容は次の通りだ。 |
|
【佐々部監督】
原作は,読み終わると被爆という大きな問題がキチンと伝わる作品になっています。日本人が撮らないといけない映画,夏に公開しないといけない映画です。
キャスティングは,最初に桜の国=現代の七波が田中麗奈に決まりました。彼女は,強い目をしてアクティブで元気がいい,今を代表する映画女優です。だから,「レナミ(麗奈+七波)」くらいの感じで撮ろうと思いました。 |
これまでも原爆をテーマにした映画があったが,戦争を経験した監督が回顧するものでした。これに対し,七波は,被爆体験を背負いながら今を生きる女性であり,過去と現代を繋ぐ存在になっています。
【田中麗奈さん】
七波は,被爆二世だが,ノビノビと明るく生きています。戦争や被爆という重い素材だが,暗くならず,エネルギーをもらう感じで演じられました。前向きなところは私に似ていると思います。
実際に広島へ行ったが,すごくキレイな街だという印象を受けました。同時に,ずっと残していかないといけないものが,きちんと残っているのがいいですね。
監督は,誰よりも走り,大きい声を出し,汗をかいて,いつも一番近くで見てくれていました。暑苦しい(笑)…いやいや,情熱的な人でしたね。
映画を観て,こう感じないといけないということはありません。自分がどう感じたか,身近な人に素直に伝えて欲しいと思います。そうすれば,暖かい気持ちが日本中に広がっていくと思います。 |
|
私たちの幸せな時間 |
|
「私たちの幸せな時間」
〜人肌の温もりを感じずに育った男と女〜
(2006年 韓国 2時間04分)
監督:ソン・ヘソン
出演:カン・ドンウォン, イ・ナヨン, ユン・ヨジョン
カン・シンイル
7月14日から、シネマート心斎橋にて
8月11日から、シネカノン神戸にて 公開です。
公式ホームページ→
|
ちょっと風変わりな純愛もの…と思ったら大間違い。男女間の恋愛ではなく,人間同士の心の触れ合いが描かれている。ラストでは,赦すことの難しさ,生きることの美しさを痛感させられた。前評判通りの佳作で,しっかりと心に残る。
不遇な環境で生まれ育ち,他人を殺してしまった死刑囚ユンスと,裕福な家庭に生まれながら,自分を殺そうとした元歌手ユジョン。生きることを諦めたユンスと生きることに投げやりなユジョンに共通するのは,限りない孤独感だった。そんな2人が出会い,週1回の面会を重ねることで,2人の時間が生きる輝きを放ち始める。限られた時間だからこそ,ひときわ美しく輝くのだろう。
2人が少しずつ相手に本当の自分を見せるようになるに連れて,それぞれ過去にどんな体験をしたかが明かされていく。その内容は悲惨だが暗く落ち込むことはない。2人の面会に立ち会う看守が,温厚な人柄で2人の時間を暖かく包んでくれるので,何だかほっとさせられる。また,娘を殺された母親がユンスに面会するシーンは,映画全体のテーマが集約されているようで,中盤の大きな山場になっている。
娘を殺したユンスを赦す母親,そして,憎んできた母親を赦すユジョン。人を赦すとはどういうことか,人は人を赦すことができるのかという重いテーマが根底にある。とはいえ,決して難しくはなく,暗くもない。ラストが近づくと,次第に涙が止まらなくなったとしても,不思議とそこには明るさがある。
ソン・ヘソン監督のこれまでの作品には「パイラン」や「力道山」がある。いずれも,不法滞在や民族差別という社会的背景をしっかり描きながら,そこから生み出される悲しいストーリーが優しく穏やかな映像で紡がれていた。本作でも基本的なトーンは変わらない。特にサスペンス性を前面に押し出そうとせず,むしろ坦々と流れていく時間の中で主人公の心情や体験が的確に示されるので,いつの間にか映画の世界に引き込まれてしまう。これからも要注目の監督だ。
|
|
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 |
|
「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」
(2007年、アメリカ、2時間18分)
監督:デイビッド・イェーツ
製作:デイビッド・ヘイマン
出演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン
ヘレナ・ボナム=カーター、イメルダ・スタウントン、
ゲイリー・オールドマン 7月20日(金) 全国ロードショー
ナビオTOHOプレックス、梅田ブルク、梅田ピカデリー、
TOHOシネマズなんば、なんばパークスシネマ、他
公式ホームページ→
|
ホグワーツの5年生、15歳になったハリー(ダニエル・ラドクリフ)。大人として試練に立ち向かい、生まれながらに背負った、過酷すぎる運命を受け止めなければならない時がやってきたのだった・・・。
闇の帝王“ヴォルデモート”が蘇り、同級生セドリックの死を目の当たりにしたあの日以来、悪夢にうなされるハリー。だが、人々はヴォルデモートが復活したことを信じず、ハリーを嘘つき呼ばわりする。また、ファッジ魔法大臣は、ダンブルドア校長が魔法大臣の地位を横取りするために、嘘をついていると恐れ、ホグワーツの新しい教師として、ドローレス・アンブリッジ先生(イメルダ・スタウントン)を送り込んできた。
人々が真実から目を背けている間に、ヴォルデモートはハリーの命を執拗に狙う。そんな彼らと戦うために、ダンブルドアは“不死鳥の騎士団”という、秘密同盟を結成する。その中には、ホグワーツの教師陣、シリウス・ブラック、ハリーの親友のロン、ハーマイオニーも顔を揃える。そして、ついに魔法界全体を巻き込み、生死をかけた壮絶な戦いが始まろうとしていた・・・。 |
過去4作品に見られるファンタジーや冒険に加え、今作は複雑なハリーの心の葛藤が、丁寧に描かれている。予言めいた夢の中で、悪である自分が現れる。その不安と孤独に押しつぶされそうになるハリー。だが、彼を救ったのはいつも側にいてくれる親友と、初めての恋だった。まだ子供だと思っていたハリーの、衝撃的なファーストキス。親が盗み見をしたような、気恥ずかしさを感じつつ、ハリーの成長を感じる一瞬だろう。 |
また、今作初登場の“ピンクを着た悪魔”のアンブリッジ先生の存在は強烈だ。一見やさしい笑顔と声に騙されそうになるが、中身は冷徹であり攻撃的だ。平和だったホグワーツは彼女によって、規則だらけで縛り付けられる。それどころではない状況の中、そのギャップにあきれつつも、彼女のおかしな存在はラストへ向かう壮絶な戦いへの清涼剤となっている。
ハリーとヴォルデモートを結ぶ秘密が序々に明らかになっていく。そして、またしてもハリーに訪れる悲しい別れ・・・。ハリーは人生の試練を乗り越えられるのか。早くも次回作が待ち遠しくてたまらない。 |
|
怪 談 |
|
『怪
談』 〜“怪談”の衣を着た狂恋の物語〜
(2007年 日本 1時間59分)
監督:中田秀夫
出演:尾上菊之助、黒木瞳、井上真央 8月4日から梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、他にて全国松竹系拡大公開
公式ホームページ→
|
目の中に暗く冷たい光をたたえ、呪われた宿命を背負った新吉。彼の持つ“魔性”に何人もの女性が惹きつけられる。新吉は、目の前の女性たちを誠心誠意、真剣に愛そうとするが、暗い宿命が不幸となって彼女らを襲う。彼は決して冷淡ではなく、自分自身の生き方に冷めているのだ。自分を愛せない男が、その埋め合わせをするかのように周囲の女性を愛そうとするが、結局、皆を不幸にしてしまう・・・
「リング」の成功で、J・ホラーの第一人者となった中田秀夫監督は、今回、古典落語の世界「真景累が淵」に挑戦。中田演出は、“怪談”という世界観を今風のショック描写を極力避け、むしろ正攻法でオーソドックスに、結ばれてはいけない男女の悲恋を緻密かつ重厚に紡ぎ出している。
江戸の中期、放蕩三昧の藩士・新佐衛門は、借金の催促に訪れた宗悦を惨殺、累が淵に沈めた。やがて、新佐衛門は、宗悦の怨霊にとり殺される。時が流れて20年後、煙草売りの新吉と三味線の師匠・豊志賀は運命的に出会い、恋の炎が燃え上がり、男と女の深い仲になる。実はこの新吉こそ新佐衛門の息子であり、豊志賀は宗悦の娘だった・・・
「親の因果が子に報い」と語られる一組の男女と四人の女性を巡る因縁話は、「リング」における“呪いの連鎖”を彷彿させる。古典落語の中に、J・ホラーのルーツを見出したわけだ。また、出会ったことで不幸に陥る男女を通じて、あらゆる男女に起こりえる普遍的な悲劇が描かれている。
新吉を演じる尾上菊之助の丹精な顔立ち、粋で色っぽい着物の着こなし、煙草売りの口上の艶やかな声など、彼の一挙手一投足から滲み出る“和の美しさ”は、観る物を心酔させる。劇中、女性たちが彼に惹きつけられるのも納得できる。
昔から語り継がれる“怨念”とは、誰の心の中にも潜む“嫉妬心”や“猜疑心”であり、真の恐怖は、我々の心の中に介在するのだと語られている。
|
|
アズールとアスマール |
|
「アズールとアスマール」
〜テンポよく流れるイスラム世界の絵巻物〜
(2006年 フランス 1時間39分)(日本語吹替版)
監督・脚本:ミシェル・オスロ
日本語字幕・演出:高畑勲 声の出演:香川照之
7月21日(土)〜シネ・ヌーヴォ
8月11日(土)〜シネ・ピピアにてロードショー!
公式ホームページ→
|
7月8日(日)大阪歴史博物館で,「アズールとアスマール」のプレミア上映と,この映画を配給する三鷹の森ジブリ美術館の中島清文館長のトークショーが行われた。
まず,チラシのデザインがすごくキレイで,大いにそそられる。構図は微妙なバランスを保っているし,色彩の鮮やかさには目を見晴らされるものがある。しかも,本編は,館長が「イスラムの絵巻物」と言われたとおりで,決して期待を裏切らない。実に美しい映像で,それが正に絵巻のようにテンポよく流れて行くので,もっともっと観ていたいという思いに駆られてしまう。 |
|
館長の話では,本作はフランスでアニメの興行収入第一位を記録したそうだ。また,それまでトップだった「千と千尋の神隠し」を始めとする宮崎作品は,たとえば縦の動きに見られるように,フランスのアニメ「王の鳥」などに大きな影響を受けているという。
この機会にアメリカのディズニーやピクサーとはタイプの違うフランスのアニメに親しんでみてはどうだろうか?絵そのものの雰囲気はもちろん,影絵を使った表現など,いろんな新しい発見があるはずだ。 |
そしてまた,ストーリーも美しい。白色の肌で青い目をしたアズールと褐色の肌で黒い目をしたアスマールを中心に話が進められる。大筋は,対象的に見える2人が一緒に育てられ,一度は引き離されても,ラストではまた幼い頃の友情が甦るというものだ。2人の属する人種,民族や社会が違うのがポイントになっている。基本的には同じ人類なのだから,互いに理解し尊重し合えるはずだという思いがはっきりと伝わってきて,スケールの大きさも感じられる。 |
|
また,今回は吹替版だけ公開されるようだ。これがまたいいので,声の演出にも注目して欲しい。高畑勲のこだわりが功を奏したようで,心地よく響くセリフが映像によくマッチしている。これを実現した声優も素晴らしいと思う。更に,音楽がいいなと思って聞いていたら,ガブリエル・ヤレドだったので,これも聞き逃さないように。と言っても,いい音楽だから,自然と耳に残るだろう。 |
ハリウッド映画のような手に汗にぎる展開はないが,滔々(とうとう)と流れ行く映像世界を堪能できる。あくせくした日常を忘れて別世界に浸れるチャンスを逃さないようにしよう。 |
|
消えた天使 |
|
「消えた天使」
〜深淵を覗くものは、深淵に覗かれる!〜
(2007年 アメリカ 1時間45分)
監督:アンドリュー・ラウ
出演:リチャード・ギア、クレア・デインズ
8月4日から三番街シネマ、MOVIX堺、TOHOシネマズ二条、OSシネフェニックスにて
公開
公式ホームページ→
|
映画の冒頭と終わりで反復される「怪物と戦うものは、自分も怪物にならないように気をつけよ」という主人公のモノローグは、犯罪者と捜査官の葛藤に満ちた関係性を示している。犯罪捜査にあたる者と犯罪を実行する者との間には、憎しみと共感という相対的に対立した感情が芽生え、ある種精神的な共犯関係を築くこととなる。この映画は、犯罪者を追うことで、犯罪者に自己投影してしまった捜査官の悲劇が描かれている。 |
18年間、出所した性犯罪者の監視を続けてきたベテラン監察官エロルは、退職までの最後の仕事として、新人の女性監察官アリソンの指導を任される。ある日、少女誘拐事件が発生。エロルは、自分が監視を続けていた前科者の誰かが犯人だと確信する。エロルは、手荒な捜査の為アリソンと対立しながら、犯罪者たちのおぞましい世界に足を踏み入れて行く。やがて彼自身、現実と妄想の狭間に陥り、心の闇に深くはまって行く・・・ |
この映画の恐ろしさは、登場する犯罪者がノーマン・ベイツのような二重人格者でも、バッファロー・ビルのような女装マニアでも、レクター博士のような紳士的な人喰いでもなく、見た目も普通の市民でしかない点だ。現実の快楽殺人者は、一般市民として、あなたの隣で平凡に生活をしているのだと、観る者に警鐘を鳴らしている。
「インファナル・アフェア」の成功により本作でハリウッド・デヴューを果たしたアンドリュー・ラウ監督の演出は、単純なストーリーを刺激的な映像で複雑怪奇な世界を構築、撮影出身だけに“絵”で見せることにこだわり、彼の才気を感じさせた。最大の見所は、リチャード・ギア扮するベテラン監察官エロル。生涯を賭け犯罪者を追うことで、自らの人生をすり減らし、燃え尽きてしまい、その行動が犯罪者と紙一重な“狂えるオヤジ”ぶりが、映画を最後まで牽引、作品に奥行きと深みを出した。
出尽くした感のあるサイコ・サスペンスも脚本のひねりと魅力的な登場人物、俳優たちの演技力で見応えのある作品に仕上がった。
|
|
22才の別れ |
|
『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』
〜懐かしいメロディが再びあなたの心に〜
(2006年 日本 1時間59分)
監督:大林宣彦
原案:伊勢正三<22才の別れ>より
出演:筧利夫、清水美砂、鈴木聖奈、中村美玲、窪塚俊介
8月11日よりテアトル梅田、25日より京都シネマにて公開
公式ホームページ→
|
灯が美しく輝くためには漆黒の闇が必要だ。美しいメロディもまた、別れの思い出の悲しみやつらさゆえに、心に深く刻み込まれるものとなる。
伊勢正三が作詞・作曲し、1974年にかぐや姫のアルバムに収められた「22才の別れ」は、翌年、フォークデュオ「風」(伊勢正三、大久保一久)が歌い、大ヒット曲となった。この歌詞をモチーフに大林宣彦監督が映画化。2002年公開の『なごり雪』に続く、大分を舞台とした3部作の第2弾。舞台は、伊勢正三の故郷、大分県津久見市のほか、臼杵(うすき)市、大分市、別府市、竹田市、そして福岡。 |
44歳の商社マンの俊郎(筧利夫)は、土砂降りの雨の中、駆け込んだコンビニで、「22才の別れ」を口ずさむ少女、花鈴(鈴木聖奈)と出会う。近所の公園で二人は再会。俊郎には、22年前、22才のときに恋人の葉子(中村美玲)と別れた思い出があった。花鈴と会い続けるうちに、俊郎はこの二人の女性を結びつける“糸”を知ることとなる‥。 |
臼杵市で行われる“うすき竹宵”のシーンが美しい。1万本以上の竹ぼんぼりが、古い街並みを幻想的に照らし出す。この灯りが、歌詞にある「22本のろうそく」のイメージにもつながり、味わい深い。臼杵市に住む、花鈴の父を演じる村田雄浩が、暖かく娘を見守り、亡き妻を想い続ける男の寂しさと切なさを伝え、好演。行ったことのない街の駅や学校といった、なにげない日常の風景が映し出され、なぜか心に残る。いつか行ってみたいところがまた一つ増えた。
題名の「Lycoris」は、花と葉が別々の時期に出る彼岸花のこと。葉子を幸せにできなかった俊郎は、花鈴の幸せのために尽くすことで、過去の自分と向き合い、かつての自分の若さ、幼さを、赦そうとしているのだろうか。
冒頭、いきなり展開するスタイリッシュな映像に驚く人もいるかもしれない。これも大林監督ならではの魔術。この独特の話術に乗れるかどうかがポイント。うまく酔ってみてほしい。テーマ曲が何回となく絶えず挿入され、映画を観た後しばらくは、ずっと頭の中でリフレインすることだろう。 |
|
選 挙 |
|
「選挙」
〜選挙の舞台裏に迫る 「山さん」の挑戦〜
(2007年 日本・アメリカ 2時間)
監督・撮影・編集:想田和弘
登場人物:山内和彦、山内さゆり、小泉純一郎ほか
第七芸術劇場にて公開中
6月30日〜神戸アートビレッジセンター
7月7日〜京都シネマ
公式ホームページ→
|
2005年秋、小泉旋風が吹き荒れる中、東京で切手・コイン商を営む山内和彦さん(40歳、通称「山さん」)は、自民党の公募で候補者となり、川崎市議会議員の補欠選挙に出馬する。
山さんにとって縁もゆかりもない土地での選挙戦。政治経験もなければ、後援会もない山さんは、党役員や先輩議員の指導のもと、地域の運動会やお祭りに顔を出し、街頭演説に街中を駆けめぐる。自分の名前を連呼し、おじぎを繰り返し、握手を求める「日本型選挙運動」が始まった。
選挙事務所のスタッフ達から「何をやっても怒られ、何をやらなくても怒られ」ながらも、ひたすら謝り、笑顔を絶やさず、明るさを失わない山さんの前向きな姿がすがすがしい。新人候補の辛さが手に取るように伝わってきて、思わず見入ってしまう。
NY在住の想田監督は、アメリカの大統領選を見て、選挙運動に関心のあったところ、大学の友人から、クラスメートの山さんが選挙に出ると聞き、単身、カメラを抱えて日本へ。スタッフは監督一人。撮影も録音も編集もすべてを監督が担う。党役員や議員たちのつぶやく本音やぼやき、選挙事務所のおばちゃんたちの何気ないおしゃべりと、構えることのない自然体の表情は、よくぞここまで撮れたと驚くほどで、興味は尽きない。
音楽も解説もなく、観客一人ひとりが自由に感じ取り、自分なりに解釈してくれることを目指した「観察型」ドキュメンタリー。観終わったあとの感想も真っ二つに分かれることをあえて辞さないつくりとなっている。あなたの目に山さんの姿はどう映るだろうか。
選挙という大きな歯車に乗せられながらも、政治の素人として今の選挙運動のありように素朴な疑問を抱き続ける山さんと、選挙について豊富な知識と経験を持ち、自信を持って仕切っていく選挙事務所の人たち、その様子を淡々と見つめ、映像に刻み込み、作品として構成し、観客の前に差し出した想田監督。そこには、おもしろくも、切なくも、日本の選挙の一風景が切り取られている。
観て損のない秀作。お薦めの一本。 |
|
ストーン・カウンシル |
|
『ストーン・カウンシル』
(2006年 フランス 1時間42分)
配給 アルバトロス・フィルム
監督 ギョーム・ニクルー
出演 モニカ・ベルッチ カトリーヌ・ドヌーヴ
モーリッツ・ブライブトロイ ホクテンザ
7月7日〜20日
京都みなみ会館 7月28日(予定) 公開
公式ホームページ→
|
フランスのスティーブン・キングと呼ばれ『クリムゾン・リバー』の原作者としても有名な作家ジャン=クリストフ・グランジェの秀作『ストーン・カウンシル』を、フレンチスリラーの旗手ギョーム・ニクルーが映画化。ある衝撃の運命を突きつけられた我が子を、懸命に救おうと奮闘する母の姿をミステリアスに描き出した。
パリで暮らすローラとモンゴル人の養子リウ=サン。ある日、ローラは息子の体に奇妙な“アザ”が現れていることを発見する。それを機に、リウ=サンは悪夢の中で不思議な言語を口走るようになり、ローラもまた蛇や鷲に襲われる幻覚を見始める。不審に思った彼女は独自に調査を開始。だが、リウ=サンが7歳の誕生日直前に誘拐されてしまう。 |
ローラが謎を負う内に徐々に明らかになる息子に隠された真実。巧妙に仕組まれた罠…。ただの誘拐劇ではなく、映画の序盤からラストにかけて常にミステリアスな謎が付きまとい展開していく。キーワードとなるのはリウ=サンの出生地でもある“モンゴル”と、ある信じ難い部族の“伝説”。そして、その秘められた“神秘の力”の意味とは一体何なのか…。 |
そのさし迫る危機感に怯えながらも体を張って息子を守る母親役をモニカ・ベルッチがほぼノーメイクで熱演。前作では長かった髪も、めずらしくショートカットにカットし新しい女優としての一面を見せてくれる。「イタリアの宝石」と呼ばれるそのパーフェクトな容姿の影響か、どんな映画に出ていても(たとえ軍事アクションでも)妖艶でセクシーなイメージを拭いきれなかったモニカだが、本作ではそのセクシーさを封印。子を守る強い母になりきった。
そんな彼女との共演が話題となっているのが、フランスきっての大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。なんとドヌーブ、今回演じる役は彼女にしてはめずらしく悪役なのだ。いつ何の役でも存在感が抜群の大女優ですが、ラストのアクションシーンの見せ場で本領発揮。おもわず「ドヌーブって怖い…」と漏らしてしまうかも。イタリア&フランス2大女優の共演が楽しめる1作だ。
|
|
フランドル |
|
「フランドル」
〜“性と暴力”、人間の罪深さを問う衝撃作〜
第59回カンヌ国際映画祭 グランプリ受賞
(2005年 フランス 1時間31分)
監督:ブリュノ・デュモン
出演:アドレイド・ルルー,サミュエル・ボワタン,アンリ・クレテル
6月23日〜テアトル梅田 ,7月14日〜シネリーブル神戸,京都シネマ
公式ホームページ→
|
今年,河瀬直美監督の「殯の森」がカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞して話題になっているが,この「フランドル」は昨年のグランプリ受賞作である。人間の本性とも言える“性と暴力”を圧倒的な映像力で表現して,今年のフランス映画祭(東京・大阪で開催)で上映された作品の中でもひときわ異彩を放っていた衝撃作である。 |
フランス北部,ベルギーとの国境近くのフランドル地方。ある小さな村に住む少女バルブは,畑で,納屋で,車の中で不特定多数の男性と性交渉をしていた。そんなバルブに好意を抱きながらも気持ちを伝えられないまま成り行きに身を任せている青年デメステル。
ある時,村の青年達は村を一度は出たいと軍に志願する。そして,送り出された戦闘地域はフランドルとは対局にあるような岩山と砂漠が広がる荒涼とした土地。そこで彼等を待ち受けていたのは,容赦ない暴力と殺戮。次々と仲間が死んでいくと同時に,故郷のバルブは精神を病んで錯乱状態になっていく・・・。 |
戦場での凄惨さを冷徹に見据えるような映像は,青年達が次第に凶暴になって行く様子を乾いたタッチで見せて凄みがある。それは,人間のサガを浮き彫りにし,“性と暴力”のはけ口のような戦争の虚しい実態を見せつけているようにも思える。また,戦場での暴力に呼応するように描かれるフランドルにいるバルブの姿は,まるで彼等の犯す罪業をひとりで贖罪しているようにも見える。最後,たったひとり生き残ったデメステルが帰郷し,バルブと再び体を重ねようとしてつぶやいた言葉に,ホッと救われる思いがいした。
この映画では,特定の戦争や地域などを明らかにしていない。あくまでも寓意的な設定の中で物語は展開されていく。だからこそ人間の持つ本性・本能的なものが浮き彫りになってくる。最初は理解し難い思いが残るが,時が経つにつれて,作品の持つ意味が心を捉えて放さなくなり,感動も増幅してくる。
こんな映画が撮れるブリュノ・デュモン監督の研ぎ澄まされた感覚に驚かされた!
|
|
フリーダム・ライターズ |
|
『フリーダム・ライターズ』
〜一人の教師と一冊のノートが
絶望を希望に変えた〜
監督・脚本:リチャード・ラグラヴェネーズ (2007年 アメリカ 2時間3分)
出演:ヒラリー・スワンク、パトリック・デンプシー、スコット・グレン、イメルダ・スタウントン、エイプリル・リー・ヘルナンデス、マリオ
7月21日〜敷島シネポップにて公開
公式ホームページ→ |
自分を変えることは難しい。「このままではいけない」とわかっていても、“これまでの”世界から抜け出すことへの恐れが、“諦め”を生んでしまう。だが、“きっかけ”があれば、そこから立ち直ることも新しい扉を開くこともできる。本作で描かれるのは、“人との出会い”という最も素晴らしいきっかけがもたらした真実の物語である。
1994年・ロス暴動直後のロサンゼルス郊外、ウィルソン公立高校。銃や麻薬が当たり前のように存在し、肌の色が違うだけで互いを憎しみ合う生徒たち。そこにやってきた新米教師エリンは、そのあまりに過酷な現実を知って打ちのめされるが、大人たちから見捨てられた彼らを何とかして救おうと、奔走する。 |
“書くこと”で生徒たちの中に眠っていた向上心、自尊心、そして他人への思いやりを呼び覚ました、実在の教師エリン・グルーウェル。生徒たちに本を読んでもっと広い世界を知ってほしいと、仕事をかけもちしてまでクラスの全員に本をプレゼントし、その熱血さゆえ夫との間には溝ができ、学校からも睨まれる。それでも信念を貫き通す彼女こそ、見返りを求めない、教師としてのあるべき姿ではないだろうか。ほとんどの教師が、導くどころか生徒に背を向けている。そんな大人に囲まれて、どうして変わることができるだろうか。
エリンが生徒たちに与えた、自分のことを綴るためのノートには日常茶飯事の“死”、貧困の苦しみなど生々しい言葉が綴られる。その悲痛な心の叫びに、苦しいほど胸を締め付けられる。彼ら一人一人の心に寄り添って道しるべを与えた彼女は、本当に変わるべきなのは“大人”であるということを物語っているようだ。
エリンを演じたのは、2度のオスカーに輝くヒラリー・スワンク。この心揺さぶる実話と、エリンという人間に惚れ込んだ彼女は自ら製作総指揮を務めたほど。生徒に惜しみない愛情を注ぐ教師という役を驚くほど感情豊かに、けれどリアリティは失わずに演じ、観る者の心をわしづかみにする。
手を差し伸べてくれる誰かがいて、人は初めて新たな一歩を踏み出すことができる。人生を輝かせる上で最も大事なことを改めて考えさせられる、心の“教科書”ともいうべき物語だ。
|
|
ダイ・ハード4.0 |
|
「ダイハード4.0」
〜自由に生きろ、さもなければ戦って死ね!〜
(2007年 アメリカ 2時間9分)
監督:レン・ワイズマン
出演:ブルース・ウィリス、マギー・Q、ジャスティン・ロング
6月29日よりナビオTOHOプレックス、梅田ブルク7、なんばパークス・シネマ、TOHOシネマズなんば他、全国超拡大ロードショー公開
公式ホームページ→ |
シリーズ最新作は、アメリカ独立記念日を控えたワシントンDCが舞台。巨大コンピューター・システムに支えられたアメリカ経済を襲うサイバー・テロの陰謀に対して、あくまでもアナログ思考で立ち向かうジョン・マクレーン刑事の活躍が描かれる。
このシリーズの魅力は、いつも敵側が知略に長けており、綿密な計算とハイテクを駆使した成功確実な犯罪を仕掛けるが、“運悪く”マクレーン刑事がそこにいて、軽口を叩き、悪態を吐き、敵の猛攻に合いボロボロに傷つきながら「何で、俺がこんな目に・・・」と弱音を洩らしながら、それらを阻止する。“小物感”漂う見た目も冴えない中年男が、ここ一番の大逆転でテロリストたちを葬り去る。そこが、ダイハード・シリーズが成功した最大の要因である。 |
12年ぶりの新作は、マクレーン刑事が突然事件に巻き込まれても、冷静に対処するあたりの余裕ぶりは、長年の経験と年輪から滲み出る貫禄が出てきた。ただし、離婚により疎遠になっている娘には、頭が上がらず、娘のデート現場に乗り込んだものの反対に娘にやり込められるあたりの“冴えない”親父ぶりは、マクレーンらしく微笑ましい。今回、マクレーンは生意気なハッカー青年を相手に危機や苦難を乗り越えて行く内に、ふたりは父と子のような関係になって行く。
このシリーズには、アメリカ映画の伝統“西部劇”の要素が散りばめられている。マクレーンは、白人労働階級の典型であり、先祖が開拓者または、カウボーイだということを誇りに思っている白人層が最も愛着を抱くウエスタン・ヒーローの伝統を継承しているのだ。彼が未熟で生意気な若造を鍛えて教育する姿はフロンティア・スピリットの象徴であり、“西部劇”で再三描かれてきたアメリカの伝統と遺産である。
シリーズ四作目は、一作目のオリジナリティーには遠く及ばないものの、マクレーンの年輪と貫禄に“父性”が加味され見応えのある作品となっている。 |
|
殯の森 |
|
「殯の森」
〜“心の喪”が明ける森〜
(2007年 日本映画 1時間37分)
監督:河瀬直美
出演:うだしげき, 尾野真千子
7月7日より九条シネヌーヴォにて公開
公式ホームページ→
|
劇中、さまざまな“緑”が画面を覆う。光に透ける緑、黒く翳る緑、朽ちた緑、整然と並ぶ茶畑、雑然と茂る森。大切な人への想いは、死んだからといって簡単に断ち切れるものではない。しかし、人は死者の思い出だけでも生きていける。この映画は、生と死について、真摯に考えさせられ、“緑”の残像と共にいつまでも心に焼き付く作品である。
奈良の山間、グループ介護施設に赴任した介護士の真千子。彼女は、自分の幼い子供を亡くした悲しみと自責の念から離れられないでいる。認知症の老人・しげきは、三十三年前に亡くした妻の思い出だけに心が鮮やかに生きている。ふたりにとっては、死者はまだ生きている。真の意味で“心の喪”は明けていない。そんなふたりが、生と死が混在する森の中へいざなわれて行く・・・
森で彷徨う彼らを追うカメラは、まるでふたりを見守る精霊のようにやさしく温かく包み込む。谷川をひとりで渡ろうとするしげきを引き止めようと必死に泣き叫ぶ真千子。その瞬間、思わず亡きわが子の名前を叫ぶ。真千子は自責の念から心の中に凍結させていた悲しみを解き放ったのだ。
亡き妻の墓を見つけたしげきには、妻の姿が見え、楽しげにダンスを踊り出す。それを見つめる真千子の安堵の表情。しげきは、いつか自分も還る墓の土の上に身を沈めひとときの安らぎを得る。ふたりは、この瞬間、やっと“心の喪”を明けることができたのだ。
幼い頃、両親が離婚、遠縁のおばあさんに育てられた河瀬直美監督。その、おばあさんの介護経験を基に構築された物語。河瀬監督の家族への憧憬、心の拠り所が丹念に描き込まれている。河瀬監督の演出は、ゆったりとした時間の流れの中で、極力セリフを抑え、心の微妙な動きを的確に捉えており、故郷奈良の風、光、緑と共に、観るものの心に深く染み込んで行く。第60回カンヌ国際映画祭グランプリ(審査員特別大賞)受賞も納得できる素晴らしい日本映画だ。 |
|
傷だらけの男たち |
|
「傷だらけの男たち」
〜彼らに聞こえたのは、“心の砕ける音”〜
(2007年 香港 1時間41分)
監督:アンドリュウ・ラウ アラン・マック
出演:トニー・レオン,金 城武,スー・チー
7月7日よりOS劇場、TOHOシネマズ高槻、伊丹TOHOプレックス、TOHOシネマズ二条にて公開
公式ホームページ→
|
映画の冒頭、「2003年・香港」という時代設定には深い意味がある。当時、香港ではSARSが蔓延、映画界では、レスリー・チャン、アニタ・ムイの死去と香港の人々にとって悲しみと苦しみに満ちた年となった。この年こそ、「心の痛み、心の傷」というこの作品のテーマに最もふさわしい。
ベテラン刑事のラウと部下のポンは、ある殺人事件によってお互いの運命を狂わされて行く。クリスマスの夜、ポンは、恋人の自殺で傷心し、警察を辞職。数年後、ポンは、私立探偵をしながら酒に溺れる日々を送っていた。ラウは、そんな彼を気遣いながらも妻の父親殺害事件に深く関わって行く・・・ |
悲しみに耐え切れず酒浸りのポンは、痛みに耐えて生きるつらさを探偵としての仕事で紛らわそうとする。「酔いどれ探偵街を行く」のカート・キャノンを彷彿とさせ、酒に溺れながらも心の奥底にはまだ、獲物を追って香港の街を駆け巡る猟犬の血が残っている。
ラウは、捜査班の優秀なリーダーとして冷静に任務を遂行するが、過去に受けた“深い傷”を心に持っており、復讐の血でその手を染めて行く。彼の過去に秘められた衝撃の真実に触れた時、誰もが心を揺さぶられるであろう。 |
やがて、二人の男に運命の女が現れる。ポンは、行きずりの女フォンに心を開き、彼の心は癒されて行く。ラウは、復讐のために近づいた妻のスクッアンを失うことで初めて彼女の存在の大きさに気が付く。新しい愛を見つけた男と、かけがえのない愛を失った男の再生と破滅のドラマが見事に交差する。
「インファナル・アフェア」のチームが再び集結、トニー・レオンと金城武のアジアを代表する二大スター競演で、男たちの“心の痛み”を繊細に描き込んでいる。この映画には、作り手たちの、香港の人々の受けた傷を癒し、香港の街を再生したいという願いが込められており、その切実たる思いが観る者の心に響いてくる。 |
|
ハリウッドランド |
|
「ハリウッドランド」
〜“スーパーマン”の死を巡りハリウッドの暗部が暴かれる〜
(2007年 アメリカ 2時間6分)
監督:アレン・コールター
出演:エイドリアン・ブロディー,,ベン・アフレック
ダイアン・レイン
7月7日〜OS名画座にて公開予定 公式ホームページ→
|
モノクロの家庭用8ミリ・フイルムのラスト・カットで自らの“首を切る”真似をしておどけて見せるひとりの俳優ジョージ・リーブス。彼の表情は暗く疲弊し、悲しげだ。
彼はハリウッドに生き、名声を手に入れ、ハリウッドで死に、伝説となった。
50年代末、テレビの「スーパーマン」で活躍した俳優ジョージ・リーブスが自宅の寝室で拳銃自殺を遂げた。翌日の新聞には、センセーショナルな見出しが躍った「スーパーマン、死す」。彼の自殺を信じない母親は、私立探偵シモを雇う。シモは、自殺に関連した不審な人物たちの存在を知り、独自の捜査を開始する・・・ |
鋼鉄の男“スーパーマン”を演じて世界中の子供たちに夢と勇気を与えた実在の俳優リーブス。彼の死により当時のハリウッドに与えた衝撃の大きさは計り知れないものがあった。映画は、世界一有名なスーパー・ヒーローを演じた俳優の栄光と苦悩の日々、そして、彼の死に取り憑かれ、事件を調査する探偵のドラマが交差する。
“スーパーマン”役者として世間から注目され、俳優としてのイメージが固定、様々なコンプレックスやフラストレーションを抱えて行くリーブス。彼の幻影に取り憑かれたように捜査に没頭すればするほど、シモの生活は乱れて行く。離婚によって離れて暮らす最愛の息子も“スーパーマン”の死にショックを受け、心を閉ざしてしまう。やがて、シモは正義と真実を追求することで、自分自身を見失って行く。
華やかな黄金時代に翳りが生じ、テレビの台頭に戦々恐々となっていた50年代末ハリウッド。ひとりの人気スターの死を通して巨大映画産業に飲み込まれて行った人々の苦しみと悲なしみを抑制の利いたタッチで浮き彫りにさせた。往年のハリウッド映画を愛する生粋の映画ファンのために捧げられた極上のミステリー。
|
|
ボルベール |
|
『ボルベール〜帰郷〜』
〜自分を赦し、これからの人生を愛するための帰郷〜
(2006年 スペイン 2時間00分)
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:ペネロペ・クルス、カルメン・マウラ、ロラ・ドゥエニャス、ブランカ・ポルティージョ、ヨアンナ・コバ
6月30日〜ナビオTOHOプレックス、TOHOシネマズ高槻、TOHOシネマズ二条、シネモザイク、他
公式ホームページ→
|
『オール・アバウト・マイ・マザー』、『トーク・トゥー・ハー』など、ペドロ・アルモドバル作品で描かれる“どこか不器用で愛すべき人間たち”は、観る者にリアルな痛みと優しさを与えてきた。本作で描かれる“母と娘”の物語は、いままでより一層、“観客自身”の物語であるかのような手触りが感じられる。
一人娘の母親としてたくましく生きるライムンダの前にある日突然、死んだはずの母が現れる。それは、恋しかったぬくもりとの再会、そして母と娘それぞれの秘密が明かされる時でもあった…。
強さと脆さが共存するライムンダを演じたペネロペ・クルスが絶品。中でも彼女が母を想いながら、タンゴの名曲「VOLVER」を歌うシーンは、母であり、子である全ての者の心を懐かしさと優しさで包み込んでくれる忘れがたい場面だ。
人生の中で繰り返される「過ち」や「挫折」に、人は時としてどうしようもないほど傷つき、投げ出してしまいたくなることもある。しかし、それこそが“生きる原動力”であり、人生を変えるチャンスでもある。主人公たちが、辛い過去ともう一度向き合うことで“母の娘”、“娘の母”というかけがえのない場所へ「帰郷」することができたように。 |
|
キサラギ |
|
「キサラギ」
〜聞き逃せないセリフ! 見逃せないオトコ!〜
(2007年 日本 1時間48分)
監督:佐藤祐市
出演:小栗旬,
ユースケ・サンタマリア, 小出恵介
塚地武雅, 香川照之
6月中旬〜シネ・リーブル梅田,京都シネマ,シネ・リーブル神戸ほか全国ロードショー
公式ホームページ→
|
知る人ぞ知るグラビアアイドル如月ミキの一周忌追悼会にファンサイトで知り合った5人の男が集まる。喪服を着て,如月ミキにまつわる思い出話や自慢話で盛り上がる,奇妙な男たち。だが,彼女は自殺ではなく殺されたんだという一言から,あるいは事故死かも,などと謎解きが始まる。同時に,彼らは如月ミキの単なるファンなのか,それとも…彼らは如月ミキと何か特別な関わりを持っていたのか,という疑問も湧き上がってくる。
三谷幸喜も真っ青のシチュエーションコメディ。そして同時に,如月ミキの死の真相と5人の男たちの実体をめぐって,二重のミステリーが展開される。その先に浮かび上がってくるのは,如月ミキに対する各人各様の切々たる思いと,精一杯生きようとした健気ともいえる彼女の心情だ。
いつしか,男たちは,満天の星の下で,如月ミキを見上げるように,実に幸せそうな笑顔を浮かべている。そして,弾けて,ダンシング。この5人のダンスシーンを見るだけでも大いに価値がある。
5人の男たちのキャスティングが絶妙だ。追悼会の発起人で狂言回しの役割を果たす家元(小栗旬)に,潤滑油のようなスネーク(小出恵介)がいて,何となく遠くを見つめているようなオダ・ユージ(ユースケ・サンタマリア)。そして,ミスマッチなカチューシャを頭に付けたイチゴ娘(香川照之)が如月ミキとの関係を明かすシーンは,本作の見所の一つ。更に,話題に乗り遅れる安男(塚地武雅)にも,重要な役割が与えられている。
何よりも,古沢良太の脚本が素晴らしい。ワンシチュエーションの舞台劇の面白さに溢れている。また,これを映像化するに当たり,カメラポジションがよく考えられており,一部屋の出来事にしては空間の広がりを感じさせてくれる。更に,現在進行中のシーンに,質感の異なるコマ落としで描かれた回想シーンがうまく挟まれ,独特の味わいを出している。こんなに面白い日本映画はあまりない。 |
|
素粒子 |
|
「素粒子」
〜厳しい現実の向う側のハッピーエンドへ〜
(2006年 ドイツ 1時間53分)
監督・脚本:オスカー・レーラー
出演:モーリッツ・ブライプトロイ, フランカ・ポテンテ
マルティナ・ゲデック, クリスティアン・ウルメン 6月9日〜シネヌーヴォ,以降 京都みなみ会館
公式ホームページ→
|
どんなに文明が発展しても,人間にとって幸せとは心が満ち足りていることであり,これが生きる活力となる。だから,性の快楽を得られなくても,また子孫を残せなくても,前向きに生きていける。ラストの希望の光を見ていると,そのような思いが湧き上がる。
甘さやほろ苦さという感傷的なものは排除され,現代の文明社会に生きる人間の宿命的な悲しさが冷徹な目で捉えられている。異父兄弟のブルーノ(モーリッツ・ブライプトロイ)とミヒャエル(クリスティアン・ウルメン)を対比するように物語が紡がれる中で,ブルーノの表情に象徴された”悲しさ”がスクリーンから飛び出して痛烈に迫ってくる。 |
母親は,ヒッピー生活を送るために息子2人の養育を放棄する。だが,彼女の姿から幸せは浮かび上がってこない。文明に背を向けて自然に帰っても,幸せに包まれるわけではない。一方,ミヒャエルは,生殖研究に卓越した能力を発揮してクローン牛の創造主になる。だが,その牛の姿には何とも言えない寂しさが宿っていた。科学技術が発展しても,必ずしも幸せを運んでくれるとは限らない。 |
ブルーノは,高校で文学を教えながらも,性的欲求に突き動かされ,内面のバランスを欠いていく。女性に疎い弟ミヒャエルとは対照的で,妻に去られてもなお,自らを”生”につなぎ止めるために女性を求めて止まない。そんなときクリスティアーネ(マルティナ・ゲデック)と出会い,至福の時を過ごすが,長くは続かない。漸く幸せに手が届いたと思った瞬間,するりと幸せは逃げていく。
兄弟に通底するのは,底知れない悲しさにほかならない。ミヒャエルも,幼馴染みのアナベル(フランカ・ポテンテ)と再会し,幸せを掴みかけたとき,彼女の体に異変が起こってしまう。だが,全編を通じて,暗さや息苦しさは感じられない。ラストの海辺のシーンには温もりがあり,その後の字幕で示される兄弟,特にブルーノの後日談に救われる。 |
|
スパイダーマン3 |
|
「スパイダーマン3」
〜シリーズ最大の敵は“自分の心の闇”〜
(2007年 アメリカ 2時間20分)
監督:サム・ライミ
出演:トビー・マグワイヤ,キルスティン・ダンスト
ジェームズ・フランコ
5月1日よりナビオTOHOプレックス、梅田ブルク7、TOHOシネマズなんば、なんば
パークス・シネマ他にて公開中。
公式ホームページ→
|
コミック・ヒーローの映画化作品の魅力は、何といっても最新のヴィジュアル・エフェクトを駆使したヒーロー・アクションにある。スパイダーマン・シリーズはその中でも群を抜いており、気が遠くなるような手間と製作費をかけた技術力は世界最高峰であり、ハリウッド最大のブロック・バスター・ムービーとしての威厳と風格さえ感じる。
しかし、シリーズ本来の魅力は“スパイダーマン”という特殊な能力を身に付けた普通の若者ピーターのヒーローでありながら、悩めるひとりの人間としての姿に多くの観客は魅了され、共感を得ている所にある。“悩めるヒーロー”という点が他のヒーローたちとは一線を画しているのだ。魅力の中心は、ヒーローとして未熟なピーターと恋人MJとの不器用なラブ・ストーリーにある。とりわけピーターの恋愛に対しての臆病ぶりは等身大の主人公として、多くの若者たちに親近感を抱かせており、原作コミックが時代を越えて愛され、支持され続けられる理由のひとつとなっている。 |
シリーズを振り返ると、一作目は、スパイダーマン誕生秘話を中心に、ピーターやMJ、親友のハリーたちの多感な青春期の“芽生え”が描かれていた。テーマは「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というピーターがベン伯父さんから受ける言葉であり、この言葉は“スパイダーマン”としての行動原理となった。二作目は、彼らの心の成長ぶりと、それぞれの社会との関わり合いが描かれていた。特に、ピーターの個人の人生と“スパイダーマン”というヒーローとしての生活とのバランスに苦しみ、悩む姿に重点が置かれており、“自分の人生”という壁が大いなるテーマとなっていた。 |
今回の三作目は、大人に成長した彼らの愛憎劇が中心に描かれている。ピーターたちは、自分自身の進む道を自覚して歩んでいるが、それぞれの理由で崩壊。恨みや妬み、復讐心が芽生え、各々の人間性が剥き出しにされて行く。ピーターは、スパイダーマンとしての活躍が世間に認められ、民衆に喝采を受けるが、そのことで有頂天となり、自分の中に驕りが生じ、心の暗黒面に陥るキッカケとなる。MJは、女優として華やかな脚光を浴びるが、役を降ろされたことで、挫折を味わい、ピーターとの仲に深い溝を作る。ハリーは、亡くなった父親の記憶を留めるために親友ピーターへの復讐を誓い、ピーターの愛するMJを奪おうとする・・・
最終的に彼らを救うのは、お互いの過ちを認め、赦し合う心。今回のテーマは正に「赦し」がテーマとなっている。男と女、友人や他人であれ、復讐では物事は解決しない。
人生と いう川の流れに逆らわず、赦し合うことで、お互いが救われるのだと映画は語っている。最新のCG技術で描かれる個性的な敵との戦いよりも、登場人物たちの“人生の旅”が圧倒的に胸に迫るところが、シリーズ最大の収穫である。
監督デヴュー作「死霊のはらわた」から26年。サム・ライミ監督は学生映画出身の映像オタクから、今やハリウッドを代表する一級のストーリー・テラーとなった。その著しい成長ぶりに感慨深い思いだ。 |
|
プレステージ |
|
「プレステージ」
〜あなたは映画に仕掛けられたマジックを
見抜くことができるか!〜
(2007年 アメリカ 2時間10分)
監督:クリストファー・ノーラン
出演:ヒュー・ジャックマン,クリスチャン・ベール
スカーレット・ヨハンソン 6月上旬よりナビオTOHOプレックス、TOHOシネマズなんば、なんばパークスシネマ他
全国東宝洋画系にて公開。
公式ホームページ→
|
最近のアメリカ映画は作家性が乏しいと嘆かれる中、強烈な作家性で独自の作品を発表し続ける「メメント」のクリストファー・ノーラン監督。彼が挑んだ新作は、ボタンの掛け違いから止むにやまれぬ悲劇に向かって突き進んで行った二人の天才奇術師の壮絶な人生ドラマ。
20世紀初頭のイギリス。ライバルにして因縁のもとに奇術の技を競い合い、名声を張り合うエンジャとボーデン。エンジャはかっての仲間で妻を事故死させたボーデンへの復讐を果たすため、ある企みを実行に移す・・・
映画が始まると同時に既に観客は騙されてしまうという練に練られた脚本とクリストファー・ノーラン監督の圧倒的な演出力はまさに奇術のようだ。何が現実で、どれが幻想なのか、タネや仕掛けが巧みに散りばめられながらドラマは進む。なぜボーデンはエンジャの妻を事故死させたのか、エンジャとボーデンはそれぞれがいかにして出し物の瞬間移動の方法を生み出したのか、二つをキーポイントに謎解き形式で描かれ、観客を最後まで翻弄する。
映画は「対決」のドラマというもうひとつの顔を見せる。ハリウッドの伝統と歴史の中、旬の男優スターを共演させ、対決させる作品が沢山存在した。古くはゲーリー・クーパーとバート・ランカスターの二大スター対決の西部劇「ヴェラクルス」(55年)を思い浮かべる。この映画ではエンジャに扮したヒュー・ジャックマンとボーデンに扮したクリスチャン・ベールの「Xメン」VS「バットマン」の二大ヒーロー役者の「対決」という見所が作品に強烈なインパクトを放っている。
現代のカリスマ・ロック・スターをイメージさせる二人の奇術師。当時の先端科学も顔を出し、実在した発明王ニコラス・コイル役でデビット・ボウイが出てくる当たりは心憎い演出だ。二人が時代の先端を進むには体を張った技を次々と開発せねばならない。やがて瞬間移動という観客が最も熱狂する演目を披露することに取り憑かれる二人。命がけで技に挑み、名声と栄光に酔いしれ、愛するものを犠牲にしてまでも観客を喜ばせることにしか生きる道を選べない男たちの悲しみが満ちあふれ、作品に深みを出した。
ラストの驚愕のオチは、一流のマジシャンによる壮大なるマジック・ショーを見せられたようで、思わず快哉の叫びを上げたくなった。
|
|
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン |
|
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
〜窓辺に浮かぶ“鉄の塔”は親子の温もりの象徴〜
(2007年 日本 2時間22分)
監督:松岡錠司
出演:オダギリ・ジョー,樹木樹林,小林薫,松たか子
4月14日から梅田ピカデリー、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ他にて公開 公式ホームページ→
|
主人公の青春時代の自堕落な生き方に自分を重ね合わせ、母親の絶大なる慈愛に胸を打たれること必至。誰もが心の底に持っている親に対しての贖罪の気持ちを刺激されると同時に、子を持つ親の心情もさりげなく語られている。リリー・フランキーが亡き母を綴ったベストセラー小説の映画化作品。
1960年代の九州、酒癖の悪い“オトン”と別居した“オカン”に引き取られた“ボク”は、やがて上京し美大に通う。友人たちと荒んだ生活を送りながらも“オカン”の仕送り
で何とか生活する“ボク”。イラストとコラムの仕事で生活の糧を得た“ボク”は、ガンの手術をした“オカン”を東京に呼び、同居を始める・・・
お涙頂戴の過剰演出が氾濫している昨今、原作の持ち味であるリリー・フランキーの独特のユーモアあふれる語り口を生かしつつ、小さなエピソードを淡々と積み重ね、その重ねたシーンが心に重なり合い、自然に涙が頬を伝う。大袈裟な表現を一切廃除し、感動がボディーブローのようにじんわりと利いてくる松岡錠司監督の演出は、原作への深い愛情と作品に対しての覚悟を感じる。
この映画は演出、脚本、音楽などが見事に結実し、ひとつひとつが優れているが、何といっても俳優たちの力が大きい。中でも“オカン”の樹木樹林は屈指の存在感であり、観客全てが、彼女が自分の母親になったような錯覚を起こすといっても過言ではない。彼女が笑えばこちらまで嬉しくなり、悲しめば切なくなる。病気で苦しめば、見ているのが辛くなる。
また、“オカン”の若い頃を樹木樹林の実娘、内田也哉子が演じており、作品に奇跡的効果を生んでいる。オダギリ・ジョー演じる主人公“ボク”も魅力的で、特に前半のへタレでユルイ感じがいい味だ。見ている間に彼が、リリー・フランキー本人に見えてくるぐらいだ。
劇中、“ボク”が“オカン”の手を引き横断歩道を渡るシーンは、何気ない日常の中のひとコマに過ぎないが、ひとつの“絵”として美しく、そこから流れる幸福な空気感が素晴らしい。日本映画史の中で、小津の「東京物語」の海辺に佇む老夫婦のシーンに匹敵する
名シーンとなった。
長い上映時間にもかかわらず、一秒たりとも無駄なシーンがなく“オカン”と“ボク”、 そして、“オトン”の姿をじっくり丁寧に描き込んであり、それでいてまったく長さを感じさせない。笑いと涙の緩和のバランスもしっかりしており、完成度の高い映画化作品となった。 |
|
女帝 〜エンペラー〜 |
|
「女帝 エンペラー」
〜この上もなく激しく美しく絡み合う人生〜
(2006年 中国,香港 2時間11分)
監督:フォン・シャオガン
出演:チャン・ツィイー, グォ・ヨウ, ダニエル・ウー
ジョウ・シュウ 6月2日〜三番街シネマ,敷島シネポップ,TOHOシネマズ二条,
OSシネマズミント神戸 公式ホームページ→
|
冒頭から仮面舞踏の妖しげな雰囲気が漂い,いきなり非現実の舞台空間に引き込まれてしまう。そして,渋さの感じられる映像の中で展開される,軽やかに舞うようなアクションに目を奪われる。リズミカルに響いてくる台詞回しに酔いしれ,そこから生み出される時間の流れに心地よく身を任せる。やがて,舞台では仮面を被った人間がうごめき,その仮面の奥に渦巻く欲望が浮かび上がってくる。
本作は,シェークスピアの「ハムレット」をベースとした,古代中国の宮廷内で展開される復讐劇だ。もっとも,ここでは,王妃ワン(チャン・ツィイー)が主役で,ハムレットに当たる皇太子ウールアン(ダニエル・ウー)が脇に回っている。しかも,2人の間には血のつながりがないという設定のため,2人の秘めた想いが鮮明になっている。また,叔父に当たるのが新帝リー(グォ・ヨウ)で,ハムレットに思いを寄せるオフィーリアに当たるのがチンニー(ジョウ・シュン)だ。
王子ハムレットは,父を毒殺して王位に就くと共に母を娶った叔父への復讐を誓う。同時に,自分を裏切った母に対する憎しみと情愛という相反する感情に思い悩む。本作では,王妃ワンは,自分自身と皇太子の身を守るため新帝リーの妻となるが,彼が皇太子を抹殺しようとしたことを知って復讐の決意を固める。知らず知らず自らの欲望に絡め取られていく王妃ワンの姿が,ラストシーンに象徴されるように,美しく哀しく描かれていく。
何と言っても,圧巻は,新帝リーが国を挙げて開催する夜宴のシーンだ。王妃ワンが用意した毒入りの盃を飲むのはいったい誰か。皇太子が新帝リーに対する仇討ちのため密かに夜宴に紛れ込む。彼が死んだと思い込んでいるチンニーが舞う。彼女の父と兄が権力の座を奪おうと画策している。それぞれの思いが交錯し,運命の歯車が激しく動き始める。
最後に訪れる沈黙には,欲望に突き動かされる人間の末路に対する哀惜が漂っている。
|
|
ゲゲゲの鬼太郎 |
|
「ゲゲゲの鬼太郎」
〜日本で愛されてきた
不朽の名作妖怪漫画を実写映画化!〜 (2007年 日本 1時間37分)
監督:本木克英
出演:ウエンツ瑛士,田中麗奈,大泉洋,室井滋,井上真央
4月28日から梅田ピカデリー、角座、神戸国際松竹他にて公開
公式ホームページ→
|
小学生の健太が住む団地の裏山にある稲荷神社がテーマ・パーク開発のため、取り壊されようとしていた。そのため毎日、不気味な妖怪が出現し、住民たちを恐怖と混乱に陥れていた。健太は、妖怪ポストに手紙を投函、妖怪界に住む鬼太郎(ウエンツ瑛士)に助けを求める。その頃、魔力を持つ妖怪石が、欲にかられたねずみ男(大泉洋)によって盗み出され、妖怪界は、大騒ぎになっていた・・・
鬼太郎を中心に世代を越えて愛されてきたおなじみのキャラクターたちが、最新のCG技術や特殊メイクで甦った。目玉のおやじ、猫娘(田中麗奈)、子泣き爺(間寛平)、砂かけ婆(室井滋)、そして、ねずみ男。親しみのある彼らの登場に懐かしさと温もりがあり、鬼太郎がくり出す数々の能力、妖怪アンテナ、霊毛ちゃんちゃんこ、リモコン下駄、髪の毛針に胸が躍る。
妖怪石の奪還をめぐり、妖怪大裁判、黄泉の世界へ向かう妖怪機関車、鬼太郎と仲間たちが、最大の危機に陥りながらも胸のすく活躍を見せる。同時に健太少年一家の父と子の
心温まるドラマを巧みに交差させ、娯楽映画のツボを押さえた本木克英監督の手堅い職人 技が光る。
ウエンツ瑛士のイケメン鬼太郎は、多少違和感はあるものの、人間ではない異形のもの としての美形ぶりが、意外にはまっている。劇中、鬼太郎の淡い恋のエピソードは、彼の
憂いを秘めた端整なマスクが恋の結末に切ない余韻を残し、絶妙な効果を生んでいる。
特筆すべきは、欲ばりで、不潔、人間の生臭さと愚かしさを滑稽に演じた大泉洋のねずみ 男が絶品だ!
自然を愛し、環境破壊を失くすことが、人間と妖怪との共存を願う原作者水木しげるの 鬼太郎シリーズに込められたメッセージである。
この映画は、原作の持ち味を生かしつつ、大人から子供まで楽しめる娯楽映画として昇華されており、日本が生み出した世界に誇るヒーローを見事スクリーンに甦らせることに成功した。
あの有名な主題歌をウエンツの相棒の“彼”が歌っているのは、ちょっとしたサプライズだ。 |
|
ロッキー・ザ・ファイナル |
|
「ロッキー・ザ・ファイナル」
〜あの“ロッキー・ファンファーレ”
が再び聞こえると誰もが熱くなる!〜
(2007年 アメリカ 1時間43分)
監督:シルベスター・スタローン
出演:シルベスター・スタローン
バート・ヤング
アントニオ・ターヴァー 4月20日よりナビオTOHOプレックス、梅田ブルク7、TOHOシネマズなんば、
TOHOシネマズ二条、OSミント神戸他にて公開
公式ホームページ→
|
シルベスター・スタローンの大ヒット・シリーズ「ロッキー」が16年ぶりに復活。60歳になった彼が再びリングに上がると聞けば「いい歳して、まだやるの?」「今さらロッキーか・・・」とイジワルな声が聞こえてきそうだが、それに対する答えを映画の中できっちり用意されている。
ヘビー級王者も過去の栄光、愛妻エイドリアンに先立たれ、息子と疎遠になり、孤独のうちに年齢を重ねるロッキー。そんな彼にとって生の情熱を燃やせるのは、やはりボクシングしかなかった。今回のロッキーは他人のためでも、国家のために戦う訳ではない。あくまでも自分のためである。
この精神は30年前の記念すべき第一作目のテーマと重なる。当時無名の俳優だったスタローンは自己を投影し、町のチンピラで、しがない三流のボクサーが、自分がクズでないことを証明する物語を脚本に書き上げた。自ら各映画会社に売り込み、断られながらも諦めず、低予算だが映画は完成。公開されるや異例の大ヒットを記録。最終的に「タクシードライバー」「大統領の陰謀」「ネットワーク」などの居並ぶ強豪作品を押さえ、見事その年のアカデミー作品賞に輝いた。
「ロッキー」が多くの観客の共感を誘ったのは、人生の敗北者から脱け出そうとする者の懸命に闘う姿だ。今回の作品はスタローン自身が30年を経て、それが何歳になっても続くことを再び自分自身を投影して訴えているのだ。
「挑戦しないで後悔するより、醜態をさらしても挑戦する方がいい」劇中のロッキーのセリフはクライマックスの壮絶なファイト・シーンに裏打ちされ、確固たる説得力を持つ。シリーズ最終作というよりも、老境に達したファイターの再生ドラマであり、独立した一本の映画「ロッキー・バルボア」(原題)として昇華されている。あの有名なテーマ曲にのって今一度燃えるべし!
|
|
バベル |
|
「バベル」
(2006年 メキシコ 2時間23分)
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
出演:ブラッド・ピット, ケイト・ブランシェット
ガエル・ガルシア・ベルナル, 役所広司
アドリアナ・バラッザ, 菊地凛子 2007年GW全国ロードショー
公式ホームページ→
|
モロッコで銃を撃った者と銃で撃たれた者の2つの物語に加え,メキシコとアメリカの国境をまたいでアメリカに住むメキシコ人の乳母,そして日本のトーキョーで母を亡くした娘のそれぞれの物語が紡がれる。その中に現代社会が抱える問題も投影される。そして,並行するように描かれた4つの物語が一本の線で繋がり,共通項が明らかになり,最終的に一つの大きなテーマに収れんされていく。
本作は,同じ監督の映画「アモーレス・ペロス」や「21グラム」よりかなりグレード・アップしている。編集の巧さはもちろん,全体の構成が緻密で美しくなり,作品には風格さえ漂う。映像と音楽による語り口が実に鮮やかで,我々の目と耳は,まるで魔法をかけられたようにスクリーンに釘付けになる。
映像は,そこに映し出された人物の心情をそのまま視覚化したような迫力がある。たとえば,カメラは,助けを求めて砂漠を必死で歩き回るアメリアの足元を追い続ける。ここでは,彼女の不安に駆られて動揺した様子が端的に示されると同時に,彼女が砂漠の中で方向を見失うかも知れないという不安を観客に与えることで,二重の効果を生み出した。 |
また,音楽が映像とよくマッチして,銃で撃たれたスーザンが病院へ搬送されるシーンでは,何ともいえず軽快で,ささやかな安堵感に包まれる。
音楽が途切れることもまた大きな効果を上げる。チエコが女友達やその従兄弟らと遊びに興じるシーンでは,耳の不自由なチエコの中にカメラが入り込んだような感じで,家庭の内でも外でも居場所を見付けられない不安定さが鋭く描き出されていた。 |
本作は,個々の人間を描くだけでなく,人間社会の縮図をも見せる。スーザンが撃たれた直後はテロの疑いが持たれ,彼女を病院に搬送するためのヘリや救急車がなかなか来ない原因はアメリカとモロッコの政治的問題にあった。また,彼女やその夫と同じバスに乗っていたアメリカ人観光客らの対立の構図は,人間が抱える弱さと哀しさの表れのようだ。
先に公開されたロベルト・ベニーニ監督の「人生は,奇跡の詩」に登場する詩人(ジャン・レノ)が,バグダッドから80kmのところで人間が天に近付こうとバベルの塔を建てたとき,多数の言語が生まれたという内容の話をした後,首吊り自殺する。言葉だけでなく心も通じなくなった現代は生きるに値しないというメッセージのようにも見える。現代はそれほどまでに悲観すべき社会だろうか。
また,菊地凛子とアドリアナ・バラッザにケイト・ブランシェットを含めた3人の女優がいい。母親の自殺を受け入れられず,父親にも苛立ちを露わにしてしまう日本人の娘は,自分を繋ぎ止めてくれる人を求めてさまよう。また,悪い人間ではないが,過ちを犯してしまったメキシコ人女性は,悲しみのどん底に落ちていくが,それでも救いがある。左肩に銃弾を受けたアメリカ人女性は,赤ん坊を亡くした悲しみから立ち直る切っ掛けを掴む。
一方,銃を撃った者にも悲劇が迫ってくる。3km先の標的に命中させられるというライフル銃の性能を試そうとバスに向かって発砲した男の子もまた,過ちを犯した人間の一人だ。メキシコとアメリカの国境でも,アメリアの甥が国境警備員の言動に苛立ち,国境を強行突破して,アメリアを窮地に陥れる。彼もまた,人間の弱さや愚かさから逃れられない。
人は皆,多かれ少なかれ,痛み,悲しみや苦しみを抱えて生きている。だが,徐々にカメラが引いて街を俯瞰するラストシーンでは,街が希望の光に包まれているような印象を受ける。地球上の全ての人々は,懸命に生きている限り,最後には愛と優しさに包まれて救われると確信させられる。そういう映画だ。 |
|
転校生〜さよなら あなた |
|
「転校生 さよなら
あなた」
(2007年 日本 2時間)
監督:大林宣彦
出演:蓮佛美沙子,森田直幸
6月23日(土)〜梅田ガーデンシネマ 他全国ロードショー
公式ホームページ→ |
「転校生」と言えば1982年の尾道を舞台にした、小林聡美と尾美としのりが主人公のものを思い浮かべられる方も多いだろう。今回も監督は大林宣彦だが、舞台は尾道から信州長野へと変わり、リメイクというより現代の高校生を描いた「新作」として撮影されている。
今回の主人公、斉藤一美役には2005年、角川映画、ソニーミュージック、ヤフージャパンが合同で開催したスーパー・ヒロインオーディション「ミス・フェニックス」でグランプリに選ばれた蓮沸美沙子。映画では「犬神家の一族」「バッテリー」などにも出演している。相手役の斉藤一夫役はTVドラマ「芋たこなんきん」や「女王の教室スペシャル」などで活躍をしている森田直幸が演じている。 |
両親の離婚を機に、尾道から母と共にかつて幼少期を過ごした信州に転校してきた斉藤一夫(森田直幸)は、尾道にいる彼女のアケミと離れての生活に不安を感じている。ところが転校先の学校には、実家で蕎麦屋を営む幼なじみの斉藤一美(蓮佛美沙子)がいた。一美と、その彼氏で学級委員の弘がいることから、一夫の学校生活も一変して賑やかになる。
そしてある場所での思わぬアクシデントがきっかけで、一美と一夫の肉体が入れ替わってしまう。入れ替わった体のままお互いが自分の家に帰るが、説明をしても信じてもらえず、どちらの家族もパニックに。
カズミとカズオは仕方がなく、外見のままの自分たちの家に帰ってなりすましのまま生活をすることに。急にオテンバになったカズミと女のようにナヨナヨしたカズオ。そして2人は思春期の少女と少年。
自分たちの知らない、異性としてのお互いの体の変化に戸惑うばかり。
入れ替わってしまった事を周囲に怪しまれないよう、ブラジャーの着け方から、恋人へのメールの返信など、細かなやり取りをする一美と一夫。お互いに「彼」と「彼女」がいるものの、いつしか2人は「恋」のような気持ちを抱くようになる。そんなある日、一美の体にある異変が訪れたことから、事態は思わぬ方向へ進んでゆく―。しかし、一美の体の中にいるのはカズオ。そして一夫の体の中にいるのはカズミ。2人の運命は一体どうなるのだろうか?
前半はコメディタッチで笑いの連続だが、後半は本当にせつない気持ちにさせられる。そして何よりも、彼女がいなくて今回の「転校生」はなかった、と大林監督に言わしめる、蓮佛美沙子の透明感のある美しさが光る。
「50年後の子供たちに見てもらいたい映画」として現代の「転校生」を撮られた大林監督。信州ののどかで美しい風景の中で、家族や友人たちとの絆、「生きること」の楽しさ、苦しさ、はかなさ、そして素晴らしさを感動的に描いている。前作を見た人も、見ていない人も、そして親子でも恋人同士でも楽しめる作品だ。 |
|
監督・ばんざい! |
|
「監督・ばんざい!」
〜北野武監督流“映画愛”講座〜
(2007年 日本 1時間44分)
監督:北野武
出演:ビートたけし,岸本加世子,江守徹
6月2日からテアトル梅田、敷島シネポップ、109シネマズHAT神戸他にて公開
公式ホームページ→
|
本年度のカンヌ映画祭60回記念企画において「世界の最も偉大なる映画監督35人」に日本人で唯一選ばれた北野武監督が、彼の敬愛するフェデリコ・フェリーニ監督作品「8
1/2」を意識したような監督本人が自分自身を題材に、映画製作に対しての夢とも現実ともつかない不条理なお祭りさわぎを描いたコメディー作品。
バイオレンスの巨匠、深作欣二監督の降板により監督デビュー作となった「その男凶暴につき」(89年)。アウトローたちを、沖縄の青い空青い海とのコントラストで詩情豊かに描き出した傑作「ソナチネ」(93年)。暴力にしか生を見出さない男と、その妻との死の道行を描いたヴェネチア映画祭金獅子賞受賞作「HANABI」(98年)など、日常の中の突発的な暴力描写を得意としてきた北野武監督本人が「暴力映画は二度と撮らない!」と宣言するところからこの映画は始まる。
前半は、小津作品へのオマージュ、「ALWAYS 三丁目の夕日」風な昭和30年代ドラマ、ハリウッド・リメイクを狙ったジャパニーズ・ホラー、“泣ける”ラブストーリー、殺陣とワイヤー・アクションを駆使した時代劇、CGを使用したSFスペクタクルなどに挑戦するが、それぞれ失敗・頓挫して行く模様が描かれ大いに笑わせる。大ヒット作を追い求め、儲けるためだけに映画を作ることに躍起になっている日本映画界の現状を北野武監督が皮肉って見せているようで可笑しい。
後半になると、過去の作品「みんな〜やっているか!」(95年)を想起させるナンセンス・コメディーとなっており、TVのバラエティー番組的コントが続く。映画の撮影中、「くだらねえなぁ〜」とモニターを見ながら嬉しそうに笑う北野武監督の姿が目に浮かぶ。
日本国内では“ビートたけし”として屈指のお笑いスターであり、海外では“キタニスト”と呼ばれる熱狂的な信者が存在するほど映画監督として評価の高い北野武。今回の作品はシャイな性格であり、破滅願望のある《北野武=ビートたけし》ならではの究極の“自滅的お笑い映画”となっている。恐らく世界中の北野武ファンは、これ以上才能を磨耗させることなく、このあたりでリセットして彼本来の路線に回帰して欲しいと願っているはず。しかし、本人はどれだけ世界で認められても、いつまでも浅草の漫才師出身“足立区のタケちゃん”でいたいのだと、この映画で主張しているようだ。
|
|