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★『信さん 炭坑町のセレナーデ』平山秀幸監督インタビュー |
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『信さん 炭坑町のセレナーデ』
〜あの頃、懸命に生きた人たちの汗と涙が光る〜
(2010年 日本 1時間48分)
監督:平山秀幸
原作:辻内智貴「信さん」(小学館刊)
脚本:鄭義信
出演:小雪、池松壮亮、石田卓也、柄本時生、光石研、村上淳、中尾ミエ、岸部一徳、大竹しのぶ 11/27(土)公開〜シネ・ヌーヴォ、元町映画館
・作品紹介→こちら
・公式サイト⇒ http://shinsan-movies.com/
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昭和30〜40年代の九州の小さな炭坑町。守は、両親の離婚のため都会を離れ、母、美千代の故郷に越してくる。悪ガキに取り囲まれ、大切な漫画雑誌を奪われそうになった守を、町でも札付きの少年、信一が助ける。偶然通りかかった美智代が礼を言い、“信さん”と呼び名をつける。以来、両親のいない信一は、美智代のことを母のように慕い、いつしか淡い恋心を抱く。ささやかな思慕が二人をつなぎ、やがて、守は高校生となり、信さんは炭坑で働き始める…。
脚本を鄭義信、監督を平山秀幸と、『愛を乞うひと』のコンビによる期待作。平山秀幸監督がPRのために来阪され、単独取材に応えてくださった。
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■時代性
鄭義信さんが脚本を書いた『愛を乞う人』も、本作とほぼ同じ時代を舞台にしている。「どちらも、万博や東京オリンピックがある時代で、繁栄からちょっと取り残された人たちが、僕と鄭義信さんがつくる映画のキーワードみたいな感じがしますね。右上がりよりも、左下がりのような…。でも、エネルギーのある連中ですよね」 |
■脚本について
脚本家の鄭義信さんは、原作「信さん」(著者:辻内智貴)文庫に所収の小説「信さん」と、守とヨンナムのことを書いた小説「遙い町」の二つを混ぜ合わせてシナリオを書いた。「第一稿ができるまで僕はほとんど口出ししていないです。第2稿が出てきた時に、現場に即してこうした方がいいんじゃないかというアイデアは出しますけども、鄭義信さんの世界をほとんどそのまま映像化したものです」朝鮮人差別を受け、いじめられるヨンナムと守が友情を育んでいくさまは、映画の重要な柱の一つになっている。「雪投げのシーンも含めて、子どもの頃からの二人の関係がある程度見えてくるじゃないですか。二人の関係が1本ちゃんと筋が通っている感じがします。二人の別れのシーンもほぼシナリオどおりですね」
守、信さん、美智代の3人にスポットが当てられ、心情が綴られるが、「映画のつくりとしては、守のナレーションで始まっていますし、完全に守の視点だと思います。守が真ん中に立っていて、それぞれ二人にも事情があるけれど、核は守の見方ですね」
■監督も九州出身
福岡県田川市に松原炭住(炭坑従業員のための長屋式の住宅)があり、撮影当時は、まだ人が暮らしていて、生活の臭いが残っていた。取り壊しの予定を延期してもらうことから映画づくりがスタート。当時の風景が残っている場所を求めて、福岡県、熊本県、長崎県と九州各所で撮影が行われた。今年で60歳を迎える平山監督は、北九州市、石炭を積み出す若松近くのご出身。「当時のことを知っている人がいっぱいいますし、あの時代をやるのはちょっと照れるなというのが僕の中の本音でした」
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■スクリーンの中で輝く子どもたち
元気いっぱいに走り回る守、信さん、ヨンナムら子ども達の姿が、空や海の青さとともに、心に残る。いがぐり頭の信さんを演じた小林廉くんだけが東京の子で、坊ちゃん刈りの守役の中村大地くんと、やせっぽちのヨンナム役の肥田大輝くんが地元からオーディションで勝ち抜いた子。中村くんは、鹿児島と熊本の間の生徒数15人くらいの小学校の子で、ヨンナムは地元、博多市内の子とのこと。ほぼ正反対の配役とわかり意外な顔をすると、監督がにっこり笑って「つくりものですよね」と言われたが、まさに適役だった。 |
子ども達の演出については、「昭和38年はこんなふうだよと言っても、子どもにはわからない。衣装を着せて、汚しのメイクをして、撮影現場に放り出した時に、その時代の子ども達にみえるようにするのが僕達スタッフの力。まず彼らの当たり前のところを見て、ちょっと違うなということがあれば言いますけれども、基本的に子どもって大人の考えを押し付けてもだめですから、あまり言わなかったですね」
■CGについて
いまや日本で採炭を続けているのは北海道の釧路炭田だけ。昭和30年の炭坑が活気付き、煙突から煙が出たり、工場が動いている様を映像で映し出すためには、特撮に頼らざるを得ない。特撮は、「守たちがフェリーでやって来た時にみえる島の風景で、現実には工場が動いていませんので、煙突からの煙をCGでつくって生き返らせるということはやりました。あと、事故による爆発の煙。それから、ボタ山(石炭層中の不純物を積み上げた山)自体がなかったので、雪投げのシーンは、ネタばらしになるんですが、採石場をボタ山のように撮って、ワンカットだけロングにみえるボタ山をCGにしました」
■炭坑内の撮影と怖さ
信さんが乗ったトロッコが、炭坑の坑道を下って行く。出口から射す外界の光が段々小さくなっていき、闇となる場面は、炭坑の中の怖さを感じさせる。「長崎市の池島に、外国の方が採炭技術を学ぶためシュミレーションする坑道の跡があるんです。ずっと下まで下りていって、トロッコを降りてからも、まだずっと2キロほど坑道が伸びています。本当はもっと奥の方へ潜っていくのを撮りたかったのですが、諸事情でできず、撮影は入口だけになりました。人車もそのまま残っていて、上がったり下りたりはライブですね」
信さんが炭坑内で煙の中、さまようシーンは、熊本県荒尾市の万田坑で撮影された。「万田坑の下が昔の炭坑跡になっており、そこで撮影しました。撮影の頃はまだ野ざらし状態でしたが、世界遺産に登録されるとかで、今はものすごくきれいになって見学もできますし、完全な観光地になっているみたいです」
万田坑(明治40年頃築)の本物の建物をバックに、広場で野球や盆踊りが繰り広げられるが、建物の最上部の、昇降用のエレベータを吊り上げる滑車がくるくる回っているのだけはCGでつくったそうで、きめこまやかな作業だ。
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■キャストについて
美智代を演じる小雪さんは、洋品店を経営していることもあって、いつもすてきなワンピースを着ており、その美しさにひきつけられる。「美智代は、服装はおしゃれなわりに、足元はいつも手洗いで履くような下駄を履いていて、そういうところをもう少しみせればよかったかなと思いました」。信さんが美智代にひまわりを贈るシーンがすてきだ。「花は、桜でも、コスモスでもなく、ひまわり以外に考えられなかったですね。ぱっと明るい感じ、直球という感じがしました」 |
信さんの叔母を演じた大竹しのぶさんが、出番はわずかながら、炭坑で働く家族を亡くす悲しみを伝え、強烈な印象を残す。「大竹しのぶさんは、デビュー作が『青春の門』(75年)で、15、16歳の炭坑の娘、織江を演じられました。だから、本作の撮影で田川に来られた時、「私は、織江の35年後ですね」と言って、一発で役をつかんでくれました。九州弁もすっと出て、合同葬儀での仕草は、大竹さんのアイデアで、こわいぐらいすごかったですね。米を研ぐシーンは僕がちょっと演出したでしょうか。台本では、泣き崩れるみたいなことが書いてあって、この人は涙を流さないほうが伝わるものがあると思いましたし、夫が死んだ時に既に大泣きしてるので、今度は泣かないほうがいいと考えました。僕らがやってくれと言わなくても、俳優さんが上手にやってくれたらちゃんとおさまるので、僕らはちょっと背中を押す、ヒントを与えるぐらいですね」
ほかにも、岸部一徳さんが、ヨンナムの父、炭坑で働く朝鮮人労働者を演じる。「最初、赤ん坊を抱いて現れて、可笑しいですよね。でもああいうことを皆さん喜んでやっていただけるから、うれしいです。炭坑から出てくる時なんて、顔も真っ黒で誰が誰だかわからなくて、申し訳ないと思いながらも、現実は、あんなふうに顔もみえないくらい黒かったんです。朝早くから呼ばれて、顔塗られて、さぞ皆さん文句を言っていたでしょうね(笑)。でも、汚れた格好をして、実際の場所に立ってもらうことで、俳優さん達のモチベーションも変わってくると思いました」 |
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■地元の協力
この映画の現場でのテーマは「いかに汚すか」。スタッフは鋏とバリカンを持って、現地のボランティアのエキストラの方々に丸刈りかオカッパになってもらった。「地元の方や、エキストラさんは、皆素人さんですから、きれいな格好で写したいじゃないですか。でも、全部、化粧をおとしてもらって、昔の長屋のおばさんになってもらったり、申し訳なかったです」 |
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二つの恋の行方
監督に撮影で苦労した点を聞くと、「現場自体はそんなに大きなトラブルはなかったんですが、恋愛感情を描くのが僕は一番苦手なので、信さんと美智代との恋愛感情を描くのに、どうしたものかと思っていました」炭坑で働く信さんが美智代から上着を贈られ、思わず抱きつくシーンがある。「ここのセリフも台本どおりで、抱きついた後、上手い具合に止めるなと思いました。わからないことは台本に頼るようにしてます(笑)」このあと、高校生の守が、幼馴染の、信さんの妹と、海辺の桟橋で昼寝のように寝転がり、好きと言えずにいる場面にとぶ。「あっちはあっちの恋愛があるというふうに、うまくつながっていました」この守のシーンが好きという監督は「本当に好きなやつに好きって言えなくて、いんぐりもんぐりするってのは、すごくわかるんですよね。信さんの方は抱きつくんだけど、守は、抱きつきもできず『わあっ』となる。僕としてはこっちの方が身近でしたね(笑)」
■ラストについて
「あんぽんたん」という美千代のセリフは、原作にはなく、鄭さんが考えてきた切り札なんです。子どもの頃、信さんと美智代が「あんぽんたん」で始まり、ラストへと、どこかぴたっと合ってる感じがします」「ラストシーンのボールも、いろんなものを全部捨ててやり直すことなのか、レクイエムのように、永遠に自分のものにしようとして投げているのか、観る人によって、いろんな解釈があっていいと思います」
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「ああいう時代が実際にあって、喧嘩しながらでも何でもいいから、懸命に生きたやつらの映画をやりたかったということですね。今からみて、あの時代がよかったとか、わるかったというのでは全くないです。光石研さんみたいなやくざの父親がいたら嫌ですし、人間関係が濃いのも、今だったら、ちょっと違うんじゃないと思いそうです。郷愁として撮っているつもりは全くありません。こういう時代のこういう人たちの映画ということでしょうか。どういうふうに観ていただいても、映画の見方に法則はありません」と語る監督。当時をいい時代として懐かしむだけの映画にしたくなかったとの思いは、本作が、差別やいじめ、スト、事故など負の部分についても目をつぶることなく、きちんと描きこんでいることからもうかがわれる。それだけ見ごたえある作品になったといえる。信さんが父親に殴られて、夜、一人しょんぼりと地面に鉄人28号の絵を描くシーンなど細やかな描写も光る。
『必死剣鳥刺し』を今春公開し、『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』の来年公開を控え、多忙な平山監督。「これまでフィルム主義で頑張ってきたのですが、今回、戦争を撮るため、初めてデジタル撮影をしました。CGを使うと、あとでどうとでも修正がきくので、その場限りの『現場力』がおろそかになるのではと思いました」謙虚な姿勢からは、監督のお人柄がうかがわれ、だからこそ、たくさんの俳優たちが安心して喜んで撮影現場にやってくるように思えた。次作はもちろんのこと、これからがますます楽しみだ。
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