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★『プンサンケ』チョン・ジェホン監督インタビュー |
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『プンサンケ』チョン・ジェホン監督インタビュー
(2011年 韓国 2時間01分 R15+)
製作総指揮・脚本:キム・ギドク
監督:チョン・ジェホン
出演:ユン・ゲサン、キム・ギュリ、キム・ジョンス、
オダギリジョー 2012年8月18日(土)〜渋谷ユーロスペースにて境界線上のロードショー
銀座シネパトスほか全国順次公開
・作品紹介⇒こちら
・公式サイト⇒ http://www.u-picc.com/poongsan/ |
分断国家の苦しみを乗り越える? 38度線の境界線を軽々と飛び越え、北と南を3時間以内で配達する運び屋、通称“プンサンケ”を描いた分断映画「プンサンケ」が8月公開される。先頃、チョン・ジェホン監督(34)が来阪PR、若い世代からの新しい視点による“分断映画”を強調した。
――キム・ギドク監督の脚本だが、映画はどういういきさつだったのか?
一昨年秋、キム監督から電話で「シナリオ読むか」と聞かれた。「自分はこれをうまくやれるか」と思ったが4時間後に再度電話があり「やらせてもらいます」と伝えた。当時、キム・ギドクフィルムは苦しい状況にあり財政的に底をついていた。「プンサンケ」は低予算で短い期間で多くの人々に訴える映画を作らなければいけなかった。
――苦労したところは?
「分断」というテーマとどう向き合うか。その単語が入るだけで重くなるから。いかに負担なく訴えるか。低予算に見えないようにするにはどうするか。商業的に成功しなければならなかった。2億ウォンで成功するのは難しい。
――後半で北も南もひとつの部屋に閉じ込めるコミカルなシーンがある。
シナリオでもそうだが、キム・ギドク監督と私では分断のとらえ方に差がある。ギドク監督は朝鮮戦争に参加しているし海兵隊にも入っている。私は10代でアメリカに行ったし、父の仕事(外交官)でオーストリアに4年間暮らした。だから視点は異なる。私の視点でいこうと思った。こんなに近いのに手紙1通も往来させられないのはおかしい。
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――キム監督とは話し合ったのか?
脚本はよかった。どのように映画化するかの話はなかった。現場には一度も来なかった。分断を理解しているか心配していた。「若過ぎるのではないか」と。私は北朝鮮には早くから関心を持っていた。韓国では「北は勝たなければいけない敵である」と考えているが、私はオーストリアでの経験が大きかった。あちらで歩いていて、北の言葉が聞こえてきて冗談を言っている。彼らは音楽を専攻していて、決して(思われているような)殺人兵器ではなかった。私も彼らも警戒して、話したりは出来なかった。 |
――いつごろ?
その経験は映画に生きている?
2000年から2004年ごろだから当然生きている。お茶とか出来なかったのが残念だった。
――分断を描いた?
分断映画とは思っていなかった。これまでの分断映画は主人公が軍人か工作員でかっこよかった。戦争とかは過去の話。軍人だけの映画ではない。華麗で派手な英雄ではなく、愛する人を亡くしたりする。主人公が軍人ではない映画にしたかった。苦しみの中にある家族のメッセンジャーを描いた。彼が悪い訳ではない。現実に離散家族が見ることもあるのだから。キム・ギドク監督の最初のキャラクターは違う。彼は(主人公を)戦争の神様ととらえていた。
私は、ギリシャ神話のような、運命的な愛を描きたかった。プンサンケが運命の女性イノクに会ってから人間的な感情を取り戻す。人間としてのプンサンケで
彼は神ではない。
――実際にあんなメッセンジャーはいるのか? それとも空想の産物か?
休戦ラインを越すことは出来ない。だが、映画の後、新聞にそういう組織があることが出ていた。(映画作家として)満足だった。
――実際は延坪島(ヨンピョンド)を砲撃する事件も起こり、南北関係は悪化しているが?
延坪島砲撃事件は撮影の最中に起こった。大きな驚きだった。戦争中なんだと痛感した。撮影現場にも影響があった。ミサイルが落ちることはなかったが、撮影を止めて、砲弾が落ちた家を見に行ったりした。朝鮮戦争から60年経ってもこういうことが起こるのが分断国家なんだと思った。韓国政府からは(現場付近で)火薬を使ってはいけない、という通達があった。
――砲撃事件で脚本は直したのか?
直した。より観客の皆さんに柔らかく見せるように作らなければ、と。反省した。分断であることに無感覚だった。
――最後に鳥が2羽、国境を越えていく。「イムジン河」の影響があるのか?
「イムジン河」は知らないが、鉄条網を壊したかった。イメージはそうだ。
――カンヌ国際映画祭へ、キム・ギドク監督にアポなしで会いに行ったそうだが、どの作品に惹かれたのか?
「うつせみ」(04年)です。音楽、ビジュアル、独創性、すべてが素晴らしかった。カバンひとつで行ったが、拒むどころか温かく接してくださった。私は28歳だった。
――キム・ギドク監督の助監督は経験したのか?
「絶対の愛」と「ブレス」を手伝ったが、雑用係みたいなものだった。監督には「お前が助監督になるのは4年たたないとなれない」と言われた。助監督になる夢はあったが。先輩たちはキム監督を恐れていた感じだった。監督として道をどう歩めばいいのか、学んだ。個人指導を受けたので、先輩たちからは憎まれていると思う。
――この映画を見たキム監督の反応は?
驚いていた。ずいぶん違うんで。でも面白いと言ってもらった。公開以来73万人動員するヒットになったので、キム・ギドクフィルムにも貢献できた。私は「後輩のために出ていけ」といわれたけどね(笑)。
――観客にアピールするなら?
観客に望むのは楽しんでもらうこと。「プンサンケ」はテーマは重いが、アクションもあり、コメディでもある。身近に見てもらえるのではないか。終わった後、少しでも分断について考えてもらえたら、と思う。 |
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