橋本さんは撮った1ヶ月半後に亡くなっているので、自分と橋本さんが出会った貴重な接地点のおかげでこの映画ができているのです。今ではあのアパートも取り壊されてないし、そういう一回限りの出会いや時間を記録できる、封印しておけるのがドキュメンタリーのもう1つのおもしろさです。
━━━91歳の橋本さんが語り始めた戦争は、どんな感じで出てきたのですか?
想田:実は最初、橋本さんにすごく惹かれる自分はいるのに、撮影はやめようかと。「平和と共存」というテーマに全然関係ないじゃないかと最初思っていました。ただ、その瞬間に「待てよ、俺、テーマに縛られている。」と思って。ここで撮影をやめたらぼくは観察映画の看板を降ろさなければならない。だからテーマに関係なくてもカメラを回しました。映画全体の最後の撮影日に橋本さん宅にお邪魔して、これで橋本さんに会うのは最後になるんだろうなと思いながら撮っていると、急に自分の戦争の体験を話はじめて。これはもう鳥肌が立つ瞬間なんですよ、わーキター!という感じで、すごくドキドキしながら撮っていました。こういう瞬間を撮るためにドキュメンタリーを撮っているのかなと思うぐらい、作家としては幸せな時間なのです。
━━━編集には時間をかけるほうですか?
想田:普段は10ヶ月ぐらいです。(現在制作中の)平田オリザさんと青年団のドキュメンタリーは1年以上やっていますけど、まだ全然終わっていなくて。でも『Peace』はすごく短くて、1〜2ヶ月ぐらいで編集がスラスラとできて、自分が作った気がしないです。撮らされたというか、ドキュメンタリーの神様が降りたような感覚がありますね。
━━━「平和と共存」というテーマをどう解釈しましたか?
想田:韓国の映画祭から「平和と共存」の20分ぐらいの短編映画を撮らないかと言われて、ぼくの他にもアジアの作家、シンガポールと韓国の作家にそういう話がいって、できたものを組み合わせてオムニバス映画にしてドキュメンタリー映画祭でプレミア上映しようということでした。僕は全然乗り気じゃなかったんです。下手すると説教映画になるのではないかということと、先にテーマを決めることの危険性があるから、たぶん受けないと思いながら考えさせてもらっていました。ところが、実家に帰ったときに猫の確執を見て、これならいける!と思ったんです。
|