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★『Peace』想田和弘監督インタビュー
『Peace』 想田和弘監督インタビュー
〜人も猫も、支え合って生きている〜

(2010年 日本 1時間15分)
監督:想田和弘
出演:柏木寿夫、橋本至郎他

2011年7月16日〜シアター・イメージフォーラム、
7月30日〜第七藝術劇場、今夏〜神戸アートビレッジセンター、京都シネマ他順次ロードショー
・作品紹介⇒ こちら
・公式サイト⇒
  http://peace-movie.com/
※2010年東京フィルメックス観客賞受賞
※2011年香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞

2010年東京フィルメックス観客賞を受賞した『選挙』の想田和弘監督最新作『Peace』が7月16日から全国順次に劇場公開される。キャンペーンで来阪した想田監督に、自身が掲げる観察映画の”番外編”と位置付けた本作の制作秘話や、観察映画とドキュメンタリーの違いを語っていただいた。

━━━観察映画とドキュメンタリーの違いとは?
想田:観察映画というのは、ドキュメンタリーの原点に帰る試みだと思っています。そのためには、台本を作らない、取材対象をリサーチしない、いきあたりばったりでどんどん(カメラを)回していく。成り行きに身を委ねるということですね。その過程で見えてきたものを映画にしていくのです。そんなのドキュメンタリーなら当たり前だと思うかもしれませんが、必ず事前にリサーチして、こういう結論になるという台本があって、その台本通りに撮っていくというのが最近のドキュメンタリーの作り方です。これにはすごいジレンマがありました。なぜかというと、台本を用意しても現実の方がめちゃくちゃ面白くて、現実を撮ろうとすると台本を変更するのが今度は難しいのです。作り手自身も台本を書いてしまうと、その視点でしか現実を見れなくなってしまう。結論先にありきで予定調和というのが新聞、雑誌、学会にも蔓延っている悪弊だと思っています。

ドキュメンタリーとは本来偶然性に身を委ねるもので、偶然面白くなるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。僕はリスクを取って、偶然面白くなることを期待しているのです。観察映画の手法をやっていると、自分の能力を越えたことが撮れるのが魅力で、ドキュメンタリーの魅力はそもそもそこにあります。

━━━『Peace』も偶然が作用しているのでしょうか?
想田:『Peace』もまさにそれが起きて、もともとは猫の紛争がきっかけで、泥棒猫と野良猫グループのえさの奪い合いがどうやって解決するのが、すごく関心を惹かれたのです。ずっと撮っていると、えっこんな解決法があるのと思ってもみなかったわけです。または、橋本さんに出会って話を聞いていくと、急に戦争体験を語り出す。こんなのは書けないですよ。映画に撮ったから奇跡のように見えるかもしれないけれど、そういう奇跡的なことは僕らの日常に毎日のように起きていて、でも毎日のことだから流されてしまいます。僕も橋本さんとカメラなしで出会っていたら、気づかなかったことも、作品にするので撮ったものを何度も見直して、自分はどう見えるのか、それが何を意味しているのかを考え直すプロセスの過程で流れずに貴重な時間として認識できる。

橋本さんは撮った1ヶ月半後に亡くなっているので、自分と橋本さんが出会った貴重な接地点のおかげでこの映画ができているのです。今ではあのアパートも取り壊されてないし、そういう一回限りの出会いや時間を記録できる、封印しておけるのがドキュメンタリーのもう1つのおもしろさです。

━━━91歳の橋本さんが語り始めた戦争は、どんな感じで出てきたのですか?
想田:実は最初、橋本さんにすごく惹かれる自分はいるのに、撮影はやめようかと。「平和と共存」というテーマに全然関係ないじゃないかと最初思っていました。ただ、その瞬間に「待てよ、俺、テーマに縛られている。」と思って。ここで撮影をやめたらぼくは観察映画の看板を降ろさなければならない。だからテーマに関係なくてもカメラを回しました。映画全体の最後の撮影日に橋本さん宅にお邪魔して、これで橋本さんに会うのは最後になるんだろうなと思いながら撮っていると、急に自分の戦争の体験を話はじめて。これはもう鳥肌が立つ瞬間なんですよ、わーキター!という感じで、すごくドキドキしながら撮っていました。こういう瞬間を撮るためにドキュメンタリーを撮っているのかなと思うぐらい、作家としては幸せな時間なのです。

━━━編集には時間をかけるほうですか?
想田:普段は10ヶ月ぐらいです。(現在制作中の)平田オリザさんと青年団のドキュメンタリーは1年以上やっていますけど、まだ全然終わっていなくて。でも『Peace』はすごく短くて、1〜2ヶ月ぐらいで編集がスラスラとできて、自分が作った気がしないです。撮らされたというか、ドキュメンタリーの神様が降りたような感覚がありますね。

━━━「平和と共存」というテーマをどう解釈しましたか?
想田:韓国の映画祭から「平和と共存」の20分ぐらいの短編映画を撮らないかと言われて、ぼくの他にもアジアの作家、シンガポールと韓国の作家にそういう話がいって、できたものを組み合わせてオムニバス映画にしてドキュメンタリー映画祭でプレミア上映しようということでした。僕は全然乗り気じゃなかったんです。下手すると説教映画になるのではないかということと、先にテーマを決めることの危険性があるから、たぶん受けないと思いながら考えさせてもらっていました。ところが、実家に帰ったときに猫の確執を見て、これならいける!と思ったんです。

━━━撮影の舞台を、奥様のご実家にした理由は?
想田:なぜ実家にカメラを持って帰っていたのかというと、おばあさんが危篤だったんです。広島で被爆して、その後岡山に移住して、夫を早くに亡くして女手一つで4人の子どもを育てた波瀾万丈の人生です。時々撮っていたので、いつかはおばあさんのドキュメンタリーを作れば、私生の視点で日本の現代史を掘り起こすことができる。そう思って、おばあさんの最期の日々を撮ろうとしたら、親戚の大反対にあってストップしてしまって。

すごくショックで呆然としているときに、父が猫に餌をあげていて、すごく癒されました。カメラがあるから撮っていたら泥棒猫が現れて、おっと思って撮り続けたわけです。橋本さんに出会ったときには、おばあさんの代わりに橋本さんが現れた気がしました。母は実の母を亡くしたばかりで、今度は亡くなろうとしている橋本さんのケアをしている。母はどんな気持ちでケアをしているのか、見送ろうとしているのか。ある意味おばあさんの映画が『Peace』の準備をさせてくれた気がしています。

━━━監督の目線で、街の風景を切り取ったシーンも印象的でした。
想田:ああいうものを撮っているときは、僕はすごく気持ちが充実しているんです。メインの撮影、登場人物の撮影が終わったときに、その人物たちをもっと街の文脈や世界の文脈に置きたくなるのです。たとえば橋本さんを撮ったあとに岡山の街に出ていくと、おじいさんやおばあさんや杖をついている人がすごく目に入ります。それまでは目に入っているのに気づいていない風景が目に飛び込んでくるのを、カメラに収めるわけです。

━━━今回、映画の公開と合わせて『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)を出版されますが、『Peace』を撮ったから執筆しようと思ったのですか?
想田:全然書くつもりはなかったのですが、よく考えると、この作品の成立の仕方があまりにも偶然に支配されているので、『Peace』の舞台裏を記述するだけでドキュメンタリーとは何ぞや、なぜドキュメンタリーを撮るのかということを追求できると思ったのです。そのことを吐き出すのは今しかないとすごく思って、3週間ぐらい鬼のように書きました。すごくよかったです。何でこういう編集をしたのかとか、改めて考える機会になりました。ドキュメンタリーにとっての偶然性はすごく重要なんだなと。

 「ドキュメンタリーの神様を感じたから、その感覚をどこかに残しておきたい。」との想いからあえて”番外編”と名付けたという想田監督。観察映画とは、観る者の観察眼を立ち上げさせてくれる映画でもある。自分で感じとるドキュメンタリーから、社会が抱える問題と共に、支え合いながら生きている人々や猫たちの小さな奇跡を目撃するだろう。

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