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★『鬼に訊け 宮大工
西岡常一の遺言』山崎佑次監督インタビュー |
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『鬼に訊け 宮大工
西岡常一の遺言』 〜木のいのちと向き合い続けてきた人生〜
(2011年 日本 1時間28分)
監督:山崎佑次
ナレーター:石橋蓮司
出演:西岡常一、西岡太郎、石井浩司、速水浩、
安田暎胤(薬師寺長老) 2012年4月14日(土)〜第七藝術劇場にて、
6月16日(土)〜シネ・リーブル神戸、6月23日(土)〜シネ・ピピアにて公開、 京都シネマにて6月公開予定
公式サイト⇒http://www.oninikike.com/ |
「ヒノキは神様や思いまんな」とにこやかに微笑みながら語る西岡常一さん。作務衣姿に鉢巻がいなせだ。明治41年、法隆寺の大工の棟梁の家に生まれ、木に魂を打ち込み続けてきた。法隆寺の昭和の大修理に携わり、法輪寺三重塔、薬師寺金堂・西塔の再建を棟梁として手がけ、飛鳥時代から受け継がれてきた寺院建築の技術を後世に伝えた「最後の宮大工」。
西岡さんは、大工になる前、「土を知る」ために農学校に入学し、自然が土を育み、土は木を育てることを知る。「千年の檜には千年のいのちがあります。建てるからには建物のいのちを第一に考えなければならんわけです。風雪に耐えて立つ、
それが建築の本来の姿やないですか。木は大自然が育てたいのちです。千年も千五百年も山で生き続けてきた、そのいのちを建物に生かす。それがわたしら宮大工の務めです」と語る。
木と対話し、土に根差した心を持ち続けてきた西岡さんの言葉は、日本人がいにしえから育んできた叡智、自然への洞察、人生観を教えてくれる。4月14日からの大阪での公開初日、劇場が満席立ち見の盛況となったのもうなずける。公開前に山崎佑次監督からお話をうかがう機会に恵まれたのでご紹介したい。
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■西岡棟梁との出会い |
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―――西岡さんと出会ったのはいつ頃ですか?
最初に撮影を始めたのは1990年5月で、20年以上前です。「法隆寺の鬼」といわれる人がどんな方なのか、西岡さんの本を読んですごい人だと思い、ぜひドキュメンタリーで撮影させてほしいとお願いしました。建築にそんなに興味があったわけではありませんが、西岡さんのものの考え方に大変共感したのです。 |
―――そのビデオ作品が『宮大工西岡常一の仕事』(92年出版)と『西岡常一寺社建築講座』(94年、全4巻)ですね。
建築のプロ向けに、西岡建築の真髄や技術を世に残そうというコンセプトでつくり、両方とも結構売れました。ただ、専門用語も多く、西岡さんという人物を追いかけたわけではありません。一昨年の夏頃、映画会社の方が、神戸の僕の仕事場に来られて、西岡さんの精神とか思想を中心に、人物に焦点を合わせてつくり直そうということで、薬師寺の完成(白鳳伽藍の復興)した姿や、ナレーションにあわせたイメージ映像を追加撮影して、編集し直しました。
日本人は、震災以降、絆とか地域のつながりみたいなことを言っていますが、どうも言葉が上滑りしているように思います。西岡さんの言葉は上滑りしません。80歳過ぎの西岡さんは、この木がどんな癖があって、どういうふうに組み合わせていくのか、木を吟味する目はものすごく確かです。製材した木を見ただけで、材質から樹齢、産地までわかるからすごいです。木の肌を触っただけで木の癖も節の様子まで全部わかるわけです。現地でどういう影響を受けてきた木なのかを見抜いて、切る前から柱にするか桁にするか決めてから買います。そういう、木を知り抜いた男の言葉というのは、上滑りしません。常に本質的なところをつかまえるから、そういう言葉を発する人の生き様みたいなものに、観客の皆さんは驚かれたのではないでしょうか。東京では大ヒットしました。 |
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―――薬師寺の西塔(1528年焼失)の再建について、西岡さんは、現存している東塔より五寸(約15cm)ほど高くつくり、「500年もしたら同じ高さに落ち着くのとちがいますやろか」と言われてますね。 |
そこまで見えてる目を持った人間はなかなかいません。僕は、西岡さんを関西文化の宝だと思っています。西岡さんの身体化された言葉というのは、頭の中だけで考えた言葉と全然違います。政治家の言葉とは触れ合うことさえないでしょう。ある種の哲学的なインパクト、言葉が持つ力みたいなものがあります。いのちだとか、自然観、環境観がはっきりしていて、こういう物の見方、視点があるのかと気付いてもらえればいいと思います。
西岡さんは、西塔の復元に際して、現存する東塔の実測調査をして、何年頃に修理の手が加わったとか、元の姿はどうだったか等を全部割り出していき、ノートに全部書き込んでおられます。東塔の調査に2年もかけておられるのはすごいです。
■木工作業所での西岡棟梁の姿
―――どんな人たちが大工として働いているのですか?
現場には、60歳前後のベテランから高校を出たばかりの子もいます。若い子の技量はさまざまですが、若くて未熟だけど、一生懸命やる子は将来伸びると思います。ベテランの方は、ものすごい集中力で、自分のリズムでずっと木をカンナ(鉋)で削っていきます(木ごしらえ)。若い人はそういう集中力はなく、一生懸命頭で考えて、手に移すようにして動いていく。でもベテランは、頭では考えず、手が勝手に動いていく。無心の境地ということで、考えたら乱れるというわけです。
―――若者達が西岡さんの前で、ひどく緊張していますね?
あれだけの経験を積んだ人と新米の人との、あの間合いは、ものを学ぶ間合いだと思います。西岡さんに言われたことだけをやろうとするような人が宮大工になるのは難しい。あの間合いの中で自分の学ぶべきことを学んで、それを身体化していった人だけがずっと伸びてゆくと思います。
―――道具の使い方についても厳しかったですね?
まず木が基本にあって、削る木にあわせて、道具をつくり直していくわけで、すごいです。
映画の中で、桁の木の表面をヤリガンナ(鉋)で削っている時に「息を止めたか?」と西岡さんに言われた人達が、20年近く経って、今や40歳過ぎの棟梁格になっています。西岡さんに言われたことを自分の中の宝物として、反復しながら学んできたわけです。若い子達も10年、20年経てばわかっていくし、西岡さんのレベルに近づいていく。普通なら「おまえ、なにやっとんねん」と怒鳴るところを、怒鳴らないところが西岡さんは我慢強い人だと思いました。
―――現場の雰囲気はどんな感じですか?
木は、節や目をみながら削っていきます。木工作業所の現場は、スーッスーッとカンナで削る音などでわりと静かです。でも、木組みといって、建物に組み上げていく時は少し雑駁になるというか、作業所で全部、木ごしらえをしてから、組上げの現場に持って行きますから、組上げの時は順番さえ間違わなければ早いんです。そうなると現場に勢いをつけるためにラジオをかけたりする時があります。でも、西岡さんの雪駄の足音がしたら、ぱっと消します。西岡さんが来てる時にラジオなんてかけて出来ませんから(笑)。現場の采配は全部棟梁がします。西岡さんから手を止められたら皆、身がすくみます。弱い木のほぞ穴に対して強い木のほぞがあまりきつすぎると、動いたときに弱ってしまうから、ほぞが緩すぎないかとかを見るので、いい加減な仕事をしてたらえらいことになります。 |
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―――西岡さんが紹介された「法隆寺宮大工口伝」の中に「木の癖組みは工人たちの心組み」とか、「人組み」という言葉もあるのですね。
職人の中には、棟梁になろうとする人もいれば、職人として極めようとする人もいます。棟梁になろうとする人は、ほかの勉強をしなければいけませんが、生涯、大工として職人で通す人は、技術がすごくて本当に上手いです。でも、名人ばかりだったら、現場が動きません。下手でも一生懸命働き、力があって重いものが運べる若者が必要で、いろんな人の組合せをしなければなりません。
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■西岡棟梁へのインタビュー
―――西岡さんはご高齢で、晩年、健康状態も思わしくなく、取材も大変だったのでは?
ものすごく緊張感はありました。ただ、西岡さんは、約束したことは守るんだと単純明快です。僕はまだ50過ぎで、30も年下の男との約束なら、「ごめんなさい、ちょっと体調わるいんです」と言えば仕舞いなのに、こんな若造と交わした約束でも絶対守るんだと、すごかったです。ヤリガンナの角度をこうしろとか、本ではわからないですが、映像なら少しはわかります。西岡さんは、このビデオで自分の遺言状を後世に残そうと思っておられたので、80歳過ぎで、ご病気でかなりつらかったと思いますが、ずっと気力で乗り切ってこられたと思います。
―――何回ぐらい取材されたのですか?
ご自宅でのインタビューは一日約1時間で、12回位で終わりました。疲労が顔にでてきますので、1時間以上は無理でした。1年近い長期入院を待ったり、期間をおきながら、西岡さんの体調がいい時、退院された時に、聞いていきました。一番最後に西岡さんの自宅で撮影させてもらった時は、カメラの前でも時々顔をしかめられて、それはやっぱり痛いからで、こちらが気の毒に思うほどでした。それでも「撮影を勘弁してくれ」とは言われませんでした。貴重なお話ばかりで編集が大変でした。
■「木のいのち」について
―――緑の葉をもつ立木が、伐られて“材”となった後も、木は生きているというのが新鮮でした。.
用材置き場という倉庫には、台湾で伐採・製材してもらったヒノキの用材が積まれていて、そこに入るとヒノキのにおいがして森林浴をしているみたいです。木というのは置いておかないと木が動くというか、木が暴れるんです。というのも、木は伐られて初めて、それまでの周りの自然環境、風や雨といったストレスが全部なくなって、元の木の姿に戻ろうとします。だから、十年後に木がどういう形をするのかを見越さないといけません。木の養分のうち糖分が多いと虫がくるので、水に漬けて、木の中の養分を全部水の中に吐き出させ、本来の水分を木の中に入れます。そのため木を水の中に沈め、それから乾かします。それでも木は動くから、施工後、10年後、50年後、100年後にどうなるかを見越して、木を細工して組み上げていかなければならず、西岡さんでなければ、なかなか見越せないと思います。
―――西岡さんは、法輪寺の三重塔復興の時、他の学者が提案した鉄材補強について「そんなんしたら、ヒノキが泣きよります。痛いいうて泣きよります」と反対されたのですね。
鉄骨を入れるためには木に穴をあけないといけません。でも、木は癖があるので、ねじれたりします。鉄骨は動きませんから、どうしても無理がきます。だから、西岡さんは絶対反対でした。木のいのち、木のこころと言葉で簡単に言いますが、木のいのちを生かすということを具体論としてどうやっていくのか、木のいのちを生かして、どうやって、あんな大きな建造物を組み上げていくのか、ということは本当に大変なことなんです。だから西岡さんの言葉は、たとえ「木のいのち」という言葉一つにしても、その背後に80年もの大工としての人生があるわけで、何も知らない大工さんが「木のいのち」と言う時とはレベルが全く違います。
―――本当に大変な仕事ですね。
薬師寺の講堂復興工事の時に、西岡さんの本意に反して、耐震耐火のコンクリートを使わなければならなくなりました。でも、コンクリートが邪魔になって、梁を通せません。木を組むのがものすごく難しいわけです。だからどう組み上げていくのか、西岡さんは家でもいろいろ思案されるわけです。お酒を飲まないから、食事が終わったらすぐ自分の部屋に入って考え事をされます。家族がご飯を終えて小さな音でラジオをかけて聞いていたら、「うるさい、ラジオ消せ」と怒鳴り声が聞こえてきました。それぐらい集中しておられた。でも、家族にしたらたまったものじゃありませんね。
撮影が全部終わった後、最後に奥さんが「主人が結婚して初めて、お前にも迷惑かけたなと言ってくれました」と教えてくれました。西岡さんは、ある意味で、家庭を犠牲にしてきた人です。家庭も仕事も人づきあいも皆大事にするなんて、ありえません。西岡さんのお付き合いというのは、本当にごく少数でしょう。時間がもったいないから酒なんか飲まないし、つきあわないのですから。ただヘビースモーカーで一日80本、身体を悪くしてからも日に20本は吸っておられました。煙草を吸っている時が、唯一気が楽になる時じゃなかったかと思います。それぐらい、仕事だけを大事にしていた方です。「棟梁というもんがあってその下に集まってる人は、恐れずに思い切って仕事をやれと。まちがえば棟梁が腹を切るんやから、これ以上できんという仕事をやってもらいたい」と言われましたが、切腹するという古い言葉を平気で口にする人というのは、僕はやっぱり新鮮でしたね。今の世の中、責任とらない人ばかりでしょう。
―――観客の方々へのメッセージをお願いします。
薬師寺のあれだけの伽藍を復興させた西岡さんをみてもらいたいんじゃなくて、西岡さんの言葉の裏、背後にある「身体化された技法みたいなもの」、木のいのちという言葉をつかうときの西岡さんの背後にある、ものの考え方を感じ取ってほしいです。西岡さんをもって初めて、日本の思想界に“身体”というカテゴリーが入ってきたと僕はみていますし、そこまでいった人です。それから、飛鳥時代から続く日本人の自然観です。日本人はそんなに捨てたものじゃない、飛鳥時代からずっと木をみて、自然をみてきた。そういう匠の技、もののみかたが、西岡さんに結実したと思いますから、そのあたりをみてもらえたら嬉しいです。
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取材の時、テーブルの木の木目をみて、どちらが根元なのかとか、樹齢の見かたを教えてくださった山崎監督。こんなことを撮影が終わった後、西岡さんからちょっと教えてもらうのが楽しみだったそうだ。「素人にわかるかい」ではなく、「ここに意味がある」と温かく教えてくれたその人が86歳の生涯を終えたのは1995年4月のこと。監督の最後の取材から約1年後のことで、最後まで気概をもって、日本の木造建築の真髄を伝え続けようとされた熱い思いが映画からも伝わる。
私が西岡さんの名前を知ったのは、小説家の幸田文さんの名エッセイ集「木」。西岡さんの著賞も幾冊か読んだが、ご本人がにこやかに語ってくださるのを目にし、あらためて感慨深く、身近に感じられた。仕事場でみせる、眼光の鋭い、厳しい表情とは違う、おだやかな顔がそこにある。
西岡さんが教えてくれた「法隆寺宮大工口伝」に、「木は生育の方位のままに使え、東西南北はその方位のままに」という言葉がある。生育条件による木の癖を見抜き、適所適材で、それを活用して組み合わせ、北の木は北に、育った木の方位のまま使えという意味だそうだ。また、「堂塔の木組みは、寸法で組まず木の癖で組め」とは、左にねじれを戻そうとする木と、右によじれを戻そうとする木を組み合わせて、部材どうしの力で癖を封じて、建物全体のゆがみを防ぐとのこと。伽藍を造営する大工たちに受け継がれてきた言葉から教えられるところは多く、日々暮らす中でも参考にしたい心構えだ。
壁土ひとつとっても、何年も寝かせて、その土地にあった土を探すというこだわり。木へのこだわり、土へのこだわりは、建物のいのちのためであり、木のいのちを生かし続けたいという思いゆえだ。木のいのちと向き合い、そのいのちを次代へとつないでいくことを考え続けてきた西岡さん。その仕事観、人生観から教えられることは多く、柔らかな関西弁で、わかりやすく語られる言葉の一つひとつが心に響く。ぜひ、多くの人に観てもらい、西岡さんに出会ってほしい。きっと日本人が古来から大切にしてきた自然観を発見する道標になるはずだ。
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(C)『鬼に訊け』製作委員会
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