━━━Coccoさんに初めてお会いになったときの印象は。
ちょうど活動休止をされた後、ゴミゼロ大作戦というイベントに参加されたときに挨拶に行ったのが初対面で、すごく緊張しました。Coccoさんがデビューしたての頃から歌と存在感、歌っている詩の世界にインパクトを受けて、ずっと興味がありましたから。実は『BULLET
BALLET』(98)を描くときにもCoccoさんのイメージを投影していたんです。肝心のCoccoさんのほうは、「やっと会えたね。」みたいな明るい感じでしたね。
━━━お二人でどういう形で作品を組み立てていったのか。
Coccoさんにインタビューを繰り返しました。最初に「私は二つ見えるんです。」という話を聞いて、それ以降はメールで事実の描写や詩のようなものをいただきました。本当と空想が入り混じった混然としたものをたくさん浴びながら、徐々に物語にしていきました。
━━━母子の物語にしたのはなぜか
『inspired movies〜Cocco歌のお散歩』を撮ったときに、自分が母を7年介護した直後だった関係で、Coccoさんと母の話をしたことがありました。僕は母とべったりでしたが、Coccoさんはお子さんとの間に距離を感じたので、その距離は何なのかを探る旅にしました。最後には両方とも違う形で深い愛情があることに変わりはないことに気づくまでの旅でもあったのです。実際にCoccoさんからいただいたエピソードを母子中心の話にして、Coccoに意見をいただきながら書き直し、今の形になりました。駄目なところはちゃんと言っていただいたので、出来上がったときにはCoccoさんの中で琴子が一本化した揺るぎないものになったと思います。
━━━Coccoさんに言われて一番印象に残った意見は。
暴力的な描写の場面で、こちらはCoccoさんのファンのことを考えて、緩和した表現にしようとしたときに「緩和してはいけない。」と言ってくれました。緩い暴力の表現は暴力を肯定することになります。これは暴力をファンタジーで描くのではなく、完全に暴力を否定する映画だから「徹底的にやった方がいい。」と言われたことが一番大きかったです。今までの『鉄男』は、人間の中にある暴力性をきれいごとで隠すのではなく、想像の世界はエンターテイメントとして表現したのですが、そういう類の暴力ではないんです。本当にイヤな見たくないものをやるということです。
━━━クランクイン直前に震災が起こったことで、作品自体に影響はあったか?
子どもが登場するシーンがあるので、かなり難しいこともありました。自分の周りのお母さんもすごくエキセントリックになる人がいるので、琴子のイメージとすごく重なったんです。脚本は全く書き換えていないのですが、自然に重なり、こういうお母さんたちの気持ちにガッチリ入り込んで作ってきた映画だと思います。
━━━即興的な演出のようにも見えたが。
即興的に見えたのは沖縄でのシーンがあるからだと思いますが、基本的にはコンテがちゃんとあって脚本通りのセリフを言っています。Coccoさんにインタビューで聞いたことを起こしたセリフだから実感を持って言えるというのが基本にありますね。田中としゃべっていて自傷するシーンやベランダで父のことを話すシーンは、即興的なアドリブというよりは、自分で話すことを決めてきたアドリブです。沖縄は子どもと仲良くなるまでという課題があって、それをCoccoさんが自由演技でやっています。カット割りも実はオーソドックスです。Coccoさんも「人生を注いだ。」と言ってくださっている通り、ドキュメンタリーではなく人生のありようを投影したフィクションです。