ご両親の死を受け止めるまでにもちろん葛藤もあれば、時間も必要だったと思います。撮影させていただいたのは亡くなってから1年ちょっと経った頃でしたが、まさか遺影とお骨が家にあるとは思っていなかったので、やっと小さい頃のように4人で暮らし始めたのだなと思いながら撮影してきました。
━━━被災地の様子も一部描かれていますが、その意図は何ですか。
これは僕の希望ですが、震災で2万人もの方が亡くなって、悲しみの正体は比較にならないんでしょうけれど、それでも時間と受け止めるということがあれば、いつかは施設の人たちのように悲しいことでも爽やかに語れる日がやってくる。その想いで、介護の舞台を中心にした映画なのですが、あえて震災という時代のシンボルをいれました。
━━━介護にも病院や宅老所など、選択の幅があり、さまざまな関わり方ができますね。
どういう亡くなり方をされても、ああすればよかったとか、グラグラしていく気持ちの揺れがあるのはいいことです。あまりにもすべてのことがマニュアル化していて、人間味が薄れてきてしまっていますが、立ち止まるときも迷うときも必要です。病院と介護と看護は最近よく話題になっていますが、僕はあまりうまくいっていないイメージがあります。もっとその人らしい死に場所を考え、それによって死を垣間見る機会が増えるということは、決して悪いことではないと思います。専門職の方や家族だけが関わるのではなく、友人の方々が関わることによって、亡くなった方の思い出話をときどき話題にのせたり、生物的には亡くなってしまっても、まだまだ遺された者の生活の中に生きていることが撮りながらも感じられました。
━━━長期間キャメラを回された中で、他に印象的なエピソードはありましたか。
あまりエピソードを積み重ねると日常的なことが薄らいでいくので、あえてあまり極端なエピソードを使っていません。いろんな方が亡くなるかもしれないという情報もありましたが、その臨終の場をキャメラで撮影できても、すべきではないし、僕らはそういう関係性を作ってきてないのです。関係性をもたれたみなさんの話や想いで十分僕らは感じられたし、その瞬間ではなく、引き受けて、引き継いでいるものを感じて伝えているのです。
━━━誰にでも訪れる介護の現場の話ですが、自分が介護する立場に立っても怖がらなくていいと希望が持てました。
宅老所みたいなところをみなさんも作りましょうという映画ではなくて、こういう場やいろいな場があり、その中でいろいろな死がある。死に方もさることながら、死に場所や死というものをときどき考えたり、話題にすることによって、死が身近になってきます。できたら自分もこんな死に方をしたいという場にたくさん出会っていると、生きている間がすごく豊かになると思いますよ。
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大宮監督ならではの暖かい視線で見つめる看取りと死をテーマにしたドキュメンタリーには、介護する側、される側の垣根がなく、人と人の触れ合いの中から生まれる老人たちの穏やかな笑顔が映る。これから介護をする立場になる人も、介護される立場になる人も、最期の居場所についてさまざまな想いを描いてみてほしい。