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★『カリーナの林檎〜チェルノブイリの森〜』今関あきよし監督インタビュー |
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『カリーナの林檎
〜チェルノブイリの森〜』 今関あきよし監督インタビュー
(2011年 日本 1時間49分)
監督:今関あきよし
出演:ナスチャ・セリョギナ、タチアナ・マルヘリ他 2011年11月19日(土)〜シネマート六本木、梅田ガーデンシネマ、12月17日(土)〜京都みなみ会館、順次〜神戸アートビレッジセンター
にて公開
・作品紹介⇒ こちら
・公式サイト⇒ http://kalina-movie.com/ |
1986年チェルノブイリ原発事故が起こったウクライナの隣国、ベラルーシを舞台にしたドラマ、『カリーナの林檎〜チェルノブイリの森〜』が、2003年に撮影、2004年に完成してから時を経た今、全国で公開される。本作の今関あきよし監督に、完成から現在までの道のりや、福島原発事故によって作品に新たに付け加えた部分、そしてチェルノブイリと福島を取材、撮影した監督が体感したことなど、今我々が知りたい「本当の原発の話」を含めて幅広い話題にお答えいただいた。
━━━今までは、モーニング娘。などアイドルをモチーフにした作品が多かったですが、監督自身これまでと違うものを作ろうと意識して本作を撮ったのですか?
当時大きく社会派になろうという意識はなくて、日本でアイドル映画や女の子のプロモーション的な映像を撮っていく中で、海外のロシア、ベラルーシで女の子を撮る背景に原発がドラマで存在しているという、存在感としては原発は二番手でした。日本ではチェルノブイリ原発事故のことは風化していて、20代以下の人はほとんど分からない。ましてや本国に行って取材してもあまり話題にもなっていない。日本の戦後と一緒で、終戦記念日しか話題にならないように、チェルノブイリも事故のあった日、一年に一回だけニュースででるパターンですね。
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あれだけ大きなことがあったのにそんなに簡単に忘れちゃっていいのか。自分自身もチェルノブイリのことをたまたまラジオで聴いたときに調べてみて、まだまだ被害が続いていることにショックを受けました。その割には日本に情報が全然伝わっていないし、本国はどうなんだろうということで、だんだん映画を作り出したという感じでした。 |
━━━2003年に撮影してから、公開がかなり遅れましたが、それまでに新しく撮影したことはありますか?
撮影当時は、チェルノブイリ原発事故は風化していたので話題にはならないだろうし、全国公開を前提として作ってはいませんでした。すぐ公開していたら日本人の半数以上は理解していなかった映画だと思います。2011年がチェルノブイリ原発事故から25周年ということで、それをきっかけに公開するしかないと昨年から動き始め、チラシなどを作っていた矢先に3.11の震災が起きたんです。チラシを一部差し替えたり、逆に今公開をするとまずいのではないかと色々な話がありましたが、やると決めていたのでやりましょうと。その代わり手を入れることにして、ドキュメンタリーの映像を後から足しています。
映画のラストは昨年撮ったチェルノブイリ原発の映像を入れました。最初は長崎にある教会とミンスク・ベラルーシの教会を入れています。日本と8000キロ以上離れているベラルーシにもともと共通項が大昔からあったのです。広島、長崎の戦後から引きずっているものがミンスクにあるのはとても奇妙で、しかも日本語が刻んであるのが不思議だったので、新たに長崎に行って追加撮影をしています。
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━━━福島も撮影されたのですか?
福島は事故直後の4月1日に行きました。チェルノブイリに行ったスタッフとは「2003年からガイガーカウンターを持っている珍しい日本人だから、我々が行かない手はないだろう。」といった話をしました。”目に見えない物を怖がれる人”として行ったわけです。福島は今も、チェルノブイリより明らかに放射線は高いです。チェルノブイリが世界で一番でしたが、今は日本が一番になっているから、またある意味世界のサンプルになってしまうのです。
チェルノブイリの場合ムキアシという町がゴーストタウンになっていますが、「死の町」ではなく「失われた町」なんですよ。生活と人が失われて、本来住むべき人間が住めなくなってしまう。福島も人がいなくなった町では、僕がいったところは完全に「失われた町」でした。第一原発の正門前まで行きましたが、チェルノブイリの四号前より針が動いていて、日本でガイガーカウンターが役に立つときがくるとは思ってなかったですね。 |
━━━前半は特に森が美しかったですが、意図的にメルヘン調で描いたのでしょうか?
森がきれいなのに、目に見えないもので汚染されている。おどろおどろしく描くより、きれいに描こうというのがねらいで、前半はカリーナが元気に走り回ったり、おばあちゃんと遊んだりする動の動きをメインに、緑や湖を描きました。後半は静でグレイになっていく流れを作っています。前半は女の子を追っただけの映画に見えますが、この映画を見に来る人はある程度チェルノブイリの知識がある人が前提なので、最初からいきなり原発の絵を出すことはやめました。一見普通の女の子が遊んでる姿からはじめた方がいいと。また、日本と違って祈りが生活に密着しているので、祈りをなるべくちりばめました。「神様にこれだけお祈りしても届かない」という想いから、自分たちが何ともできないことを神様が何とかしてくれる願いむなしく、神様もダメ。ならば「私が行くしかない。」という流れが映画っぽくていいのではと考えたのです。
━━━ファンタジー風で進行した最後のチェルノブイリ原発の映像は「夢から醒める」ようなインパクトがありましたが。
この映画の雰囲気が好きな人だと、突然ああいうラストがやってきて、ある意味夢から覚めるようで、決して心地よくない。非常に蛇足で余計な部分ですよ。ただ3.11以降でこういう映画を公開するのは、映画が多少バランスを崩してでも、それは仕方がない。映画のクオリティーではなく、違う見方をされる映画になっていて、いい映画というだけではいけないと思いました。だから取材に行って第一原発を撮影しました。ガイガーカウンターの針が揺れている絵も撮ったけれど、否が応でも皆福島をだぶらせて見るから、映画に福島を入れるのはさすがに思いとどまりました(※公式サイトにて福島取材動画をYoutubeで配信中)。それは自分たちで考えてもらうしかないですね。僕の初心は「チェルノブイリを忘れない。」ですから。
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━━━映画でもカリーナが入院するシーンがありましたが、ベラルーシで病院はかなり取材されたのですか?
昨年と、2007年、2003年と病院を廻りました。医者は原発との因果関係をあるとは言わないけれど、単純に甲状腺ガンが増えたデータがあるし、昨年行った段階では消化器系と目の病気が今までより増えてきているそうです。初期の甲状腺ガンというのは一般的で、唯一認定された病気ですが、それ以外は(放射能が原因かどうか)どちらとも言えないと。 |
取材をして色々な家庭や病院を廻っている中で、放射能の問題よりも、家族がバラバラになることのほうが、より直接的な被害が永遠に続いていくんです。放射能は見えないので諦めがあるけれど、家族がバラバラになっている状態は、一番弱者である子どもが影響を受けます。それがこの映画の一番の核になりました。冬休み、春休みなど全ての休みはなるべく放射線の少ない場所に連れて行き、多少でも体内からの浄化率を高めることを繰り返す親御さんもいるし、病院内では付きっきりで世話をしている親御さんもいます。
━━━今の福島と取材した状況と重なる部分はありますか?
チェルノブイルと同じように、放射線被害があるところとないところの意識の差がはじまっています。被害にあっていないところは「危ないから逃げなさい。避難区域じゃなくても放射線度が高いデータがでてるから。」と避難しなければ親としておかしいと責める人もいるわけです。現地は、ある意味放射線と共に共存するという意識が強いです。除染したり、最低限子供が通るところは放射線量を下げる努力をしてやることが第一ですね。やはり経済的な理由も含めて、そう簡単に逃げるわけにはいかないのです。中には子どもだけでもという人もいますが、それはそれで悲しい問題が出てくるので、いろんな意味で追い詰められてしまっていますよね。
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ロシアと日本との比較で、「日本では、戦後で初めて国を疑うということになってしまった。ロシアはもともと国を疑っていたので、健康被害はショックだけれど、日本と比べてショック度がまるで違う。」と原発事故が発端となった国の情報操作にまで話題が及んだインタビュー。愛らしいカリーナとおばあちゃんの穏やかな時間が暖かく胸に残るだけに、見えない敵が未だに事故以降に生まれてきた子どもたちを蝕んでいくのを目の当たりにして様々な想いがよぎることだろう。ドキュメンタリーとは違った切り口で、チェルノブイリの今を見つめた話題作、もはや他人事ではない。
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