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★『木洩れ日の家で』 監督&撮影監督インタビュー

左が ドロタ・ケンジェジャフスカ監督、右がアルトゥル・ラインハルト撮影監督(お二人はご夫婦)
『木洩れ日の家で』 (原題:Pora umiera)
〜老女アニェラの心情をモノクロで見事に描出〜

(2007年 ポーランド 1時間44分)
監督・脚本・編集:ドロタ・ケンジェジャフスカ
撮影・製作・編集:アルトゥル・ラインハルト
出演: ダヌタ・シャフラルスカ

2011年6月11日(土)〜シネ・リーブル梅田、
シネ・リーブル神戸
・作品紹介⇒こちら
・公式サイト⇒
  http://www.pioniwa.com/nowshowing/komorebi.html

 本作は、2009年11月に行われた大阪ヨーロッパ映画祭で『美しく生きて〜アニエラと犬〜』という邦題で日本初上映され、ドロタ・ケンジェジャフスカ監督と撮影のアルトゥル・ラインハルトさんが、ゲストとしてお越しくださいました。その折に取材したお話と上映後の客席とのディスカッションの内容とをあわせてご紹介します。ドロタ監督の前作『僕がいない場所』(‘05)も2006年の同映画祭で初上映され、ドロタさんが監督・脚本を、アルトゥルさんが撮影・製作を担当、お二人は夫婦で作品づくりを続けておられます。また、アルトゥルさんは『トリスタンとイゾルデ』(’06)の撮影を担当するなどヨーロッパを代表するカメラマンの一人です。

2009年大阪ヨーロッパ映画祭にて
本作をモノクロにした理由について、撮影のアルトゥルさんは「監督のドロタは、脚本を書く段階で白黒にしようと決めていたようです。私も脚本を読んでモノクロだと思いました。埃とかもクリーンなイメージになりますし、想像力をかきたてます。実際、色が美しかったという感想を幾つも聞き、お客さんが自分の想像力で色を考えてくれたようで、よかったです」。ドロタ監督は「モノクロで撮ることによって、古きよき時代に戻ることができると思います。また、アニェラが現実世界とは違う自分自身の確立された世界の人であることを白黒で表現したいと思いました」
舞台となった木造の古い家については、「家を見つけるのに1年かかりました。あの木造建築の家は本当にすばらしい家だったのですが、住人の方がたくさんおられたので、中での撮影はできず、外側だけです。結局、外側を撮る家と内部を撮る家と2軒使いました」

タイトルについて、ドロタ監督は「ポーランド語のタイトルをそのまま英訳すると『Time to Die』死ぬべき時、終わりの時という意味になりますが、このポーランド語には、二つの意味があって、困った時に一体どうしましょう、という意味もあるのです」老い、死に対するイメージについて、監督は「ポーランドでは、公の場で死について語ることはタブー視され、死というのは、自分の心の中にしまっておくべきという考えがありました。でも実際に、映画を観ていただき、かえって死というのはそんなに怖くないもので、身近に感じられたという反応がありました」アルトゥルさんも「自分の人生をきちんと整理して、穏やかに死を迎えるということが、美しく死を迎えることだと思います」

主演のダヌタ・シャフラルスカ
アニェラが犬に話しかけたり、独り言を言うのも含めて、セリフはすべて脚本に書かれていて、初めから決まっていたそうだ。アニェラを演じたダヌタ・シャフラルスカは、撮影時、アニェラと同じく91歳で、ポーランドで1940年代から活躍する伝説的女優。ドロタ監督は「役者は普通脚本を変えてしまったり、アドリブでいろんな言葉が出てしまったりするのですが、彼女は本当にすばらしい女優で、毎日2頁くらいのセリフを覚えなければならないのに、一言一言きちんとやってくれました」。アルトゥルさんは「ダヌタからは、あんまりクローズアップを撮らないでほしい。撮る時は、少しぼかしてソフトフォーカスにしてね、なんてお願いもありました(笑)」
実際にあった話をベースに書かれた脚本とのことで、ドロタ監督いわく「私たちの近所に高齢のご婦人がいて、共産主義の時代、屋敷に間借人をおくよう強制され、政権交代後、最後の間借人が出て行くまで何年もかけて、やっと自分の家を取り戻した2週間後に亡くなられました。この話を聞いて、絶対主役はダヌタだと思い、彼女を主役にイメージしてつくりました」。「ダヌタのことは昔からよく知っていて、16年前から彼女を主役に何か脚本を書くと約束をしていました。美しさだけでなく感情表現もすばらしく、彼女を知り尽くして撮った映画といえます」。アルトゥルさんは「時々、ダヌタから電話があって、『いつまで待たせるの?早くつくってくれないと死んじゃうわよ』と笑っていました」
上映後のディスカッションでは、主人公の視点がいつしか犬の視点に変わっていたように思えたとの指摘に対し、ドロタ監督は「ダヌタが、一人芝居的にモノローグになるのは嫌だとおっしゃったので、それなら誰か話し相手がいた方がよいと、犬に自分の気持ちを語るという形の脚本にしました。自分の情感や気持ちを犬に語りかけることによって、いい表現ができると思ったからです」
会場からは、アニェラが飼っている犬のフィラデルフィアについての質問も出ました。アルトゥルさんは「最初、映画の内容についてすべて演技指導した犬を用意して撮影を始めたのですが、あまりに整然としすぎていて、ちょっと合わないということで、急遽交替になりました。代わった犬のフィラデルフィア(実名、役名とも同じ)は、非常に演技力のある犬で、カメラの前で演技をするのが好きな子でした。待ち時間の間も、ずっと次の演技はいつかなとそわそわしているみたいで、全部自分で演技したみたいな形になりました。ダヌタさんも、観客が犬ばかりに目がいってしまうことになるのではないかと少しおそれたほどですが、ダヌタさんとフィルはすごく仲が良くて、でも、少し二人の演技の競争みたいなところもありました(笑)」


窓ガラス越しの映像の意図を尋ねられ、アルトゥルさんは「監督が脚本を書いた時点で、あまりくっきりした画じゃなく、少しぼやけたような画を撮りたい、それによって、主人公の内面世界を反映したいというふうに考えていました。実際にロケハンを行って、木造の家を見つけ、古い建築なので、今の窓ガラスと違って、ガラスもすべて手作りで、美しい光を通す、すばらしい窓ガラスでした。だから、たとえば、ベランダの画を撮る時には、窓ガラスを通して撮ったり、場合によっては、ガラスをカメラのレンズの前に持っていって、他のものを撮ったりといろいろやってみました。これは、少しぼやけたような画をつくるため、もともと脚本に盛り込まれていたことです。あの家の持ち主は、映画の撮影後には、窓ガラスを全部新しいガラスに取り替えようと考えていたようですが、映画を観てあまりに美しいので、元のガラスをそのまま使おうということで、あのガラスは守られることになりました」

ディスカッションの最後には、映画祭実行委員長のパトリス・ボワトーさんも登壇。約300本の新作の候補作を観て、上映する10本のうち9本が決まり、アシスタントからは早く選んでほしいと文句を言われながらも、最後の1本を探していて、本作を見つけ、最後の1本はこれだと思ったのが、朝の3時か4時頃。早速、アシスタントにこれを10本目にしてほしいとメールで連絡したとのエピソードを紹介してくれました。監督は「私たちにとって、映画というのは人生そのものです。映画がなければ、私たちは生きていくことができません。ですから、日本で上映していただく機会を頂戴したことを本当に心から感謝します」と述べられて、ディスカッションは締めくくられました。
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  2006年の映画祭で『僕がいない場所』が上映され、手持ちカメラの美しさ、家出少年の孤独な魂の切なさと、少女に出会って一緒に過ごすささやかな喜びに圧倒されたのをよく覚えている。2007年に一般公開され再見して、あらためて凄い作品だと思った。そして2009年、本作を観て、あえて白黒の映像にしたという光と影の美しさ、陰影に富んだ世界の中でとらえられる人物の表情の美しさに圧倒された。アニェラが怒ったり、元気を取り戻したりする感情表現も豊かで、ブランコの映像には涙があふれた。このみごとなカメラの映像は、ぜひともフィルム上映で、劇場で存分に味わってほしい。
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