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新作映画
 アイス・エイジ3/ティラノのおとしもの
『アイス・エイジ3 ティラノのおとしもの』
〜赤ちゃんが一杯。僕だってママになりたい!〜

(2009 アメリカ 1時間36分)
監督:カルロス・サルダーニャ
声の出演:シド(太田光〔爆笑問題〕)、ディエゴ(竹中直人)、
マニー(山寺宏一)

2009年7月25日より全国にて公開
公式サイト⇒ こちら
 「アイス・エイジ」の恐竜ワールドへようこそ! おチビちゃん達はご用心。とにかくすごい迫力だ。ガバーッと大きな口がスクリーンに広がると、完全に食べられてしまった感がある。そのなんともリアルなこと…。
 僕たち家族じゃなかったの? 家族同然の仲間達が、それぞれの道を歩こうとしていて、ナマケモノのシドはなんだか面白くない。マンモスのエリーに赤ちゃんができて、マニーは大喜び! 愛するエリーと生まれ来るわが子のために、夢中になって準備をしている。サーベルタイガーのディエゴも平和ぼけしすぎた心身を鍛えるため、一人旅に出るという。そんなシドが、落っこちた穴で大きな3個の卵を見つけた。僕がママになる!とシドは大奮闘。でも、生まれてきたのはなんと恐竜ティラノの赤ちゃんだった…。赤ちゃんを探しに来たティラノママに、赤ちゃんもろとも連れ去られるシド。シドを救い出さなきゃ! 緑が生い茂る恐竜ワールドで、仲間達の新たな冒険が始まった。
 恐竜以外の新しいキャラクターも魅力的だ。恐竜ワールドの案内人、イタチのバックは片目の冒険野朗で、よくしゃべり、よく動き、まるで一人舞台をしているかのよう。どちらかと言うとおっとりしたこれまでのキャラクターとは対極にあって、そのギャップが新鮮で惹きつけられる。
 そして、おなじみのドングリに異様なまでの執着心を見せるスクラットがドングリを譲る恋のお相手、スクラッティ。2匹の、ドングリと恋の駆け引きが時にはファンタスティックに、時には現実的に描かれ、こちらの冒険も見逃せない!

 それぞれの道を歩くことになっても、仲間でいられる。本当のママでなくても、愛は伝わる。恐ろしかったティラノママのシドを見る眼差しがふっと和らぐ瞬間、ただただ胸が熱くなるのだ。

(原田 灯子)ページトップへ
 セント・アンナの奇跡
『セントアンナの奇跡』
〜スパイク・リーが戦場を舞台に描く人間の絆と奇跡の物語〜

(2008年 アメリカ・イタリア 2時間43分)R15
監督 スパイク・リー
原作・脚本 ジェームズ・マクブライド
出演 デレク・ルーク マイケル・イーリー ラズ・アロンソ

2009年7/25(土)〜TOHOシネマズ シャンテ、テアトルタイムズスクエア他、全国ロードショー! 
関西では、7/25〜テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、TOHOシネマズ西宮OS   8/1〜京都シネマ

公式サイト⇒
 http://www.stanna-kiseki.jp/
舞台挨拶レポート⇒ こちら
 『ドゥ・ザ・ライト・シング』『マルコムX』など多くの社会派作品を生み出してきたスパイク・リー監督が、本作で初めて「戦争」というテーマに挑戦。第二次世界大戦下のイタリアを舞台に、敵味方を越えて生まれる人と人との絆と、その絆がもたらすある「奇跡」のドラマを、黒人兵士たちへの激しい人種差別や、なんの罪もない大勢のイタリア市民がドイツ軍に殺害された「セントアンナの大虐殺」などショッキングな史実を織り交ぜながら描いていく。
 物語は1983年のニューヨークで、定年退職を3ヶ月後に控えた郵便局員のヘクターが、窓口に切手を買いに来た男をなんの前ぶれも無く射殺するところから始まり、さらに、ヘクターの部屋からは歴史的にも重要なイタリアの彫像が見つかる。なぜこれまで真面目に生きてきた男が突然殺人を犯し、そして貴重な彫像を持っていたのか…?時は遡り1944年、第二次世界大戦末期のイタリア。若き日のヘクターは黒人だけの部隊“バッファロー・ソルジャー”の一員として最前線で戦っていた。ある日、兵士の1人が怪我を負っていた現地の子供を放っておけずに救出。その間に敵陣で孤立してしまったヘクターたち4人の兵士は、トスカーナの村に身を寄せることになるが…。
 故郷アメリカでひどい差別を受け続けてきた彼らが、黒人を知らないために差別意識を持たず、温かく自分たちを迎え入れてくれた村の人々と接する中で、初めて自由と安らぎを感じる様子が印象的。黒人兵トレインに助け出されたイタリア人の少年アンジェロが、彼を“チョコレートの巨人”と無邪気に呼び慕うのも微笑ましく、2人の純粋な心の交流は観るものの胸を打つ。
 また、本作に登場する兵士たちが、単純に「敵・味方」「黒人・白人」という描き方をされていないのも興味深い。殺さなければ殺される、戦争という愚かで残酷なサバイバルに駆り出された彼らの多くは、常に死と隣り合わせの過酷な状況の中で人間性を失ってしまうが、アンジェロをかくまったトレインのように、中には傷ついた“天使”を見捨てることができない者もいる。そういう人物が、残虐なナチスの中にも存在し、逆に、ナチスに抵抗し戦うパルチザンの中に恐ろしい裏切り者がいるという描写は、人間の「偏見」に対する痛烈な皮肉のようでもあり、一方で、人間の「良心」を信じる希望的なまなざしも感じられ、複雑な気持ちにさせられる。
 せめて子供たちだけは守りたいという願い。人々が争いのない平和な世界で暮らせることへの願い。その「想い」が立場や人種、そして時代を越え、やがて大きな「奇跡」を生むラストは、偶然でも運命でもない、“真の救い”を感じた。
(篠原 あゆみ)ページトップへ
 人生に乾杯!
『人生に乾杯!』
〜明日を変えるために立ち上がった老夫婦の勇気〜

(2007年 ハンガリー 1時間47分)
監督:ガーボル・ロホニ
出演:エミル・ケレシュ、テリ・フェルディ、ユディト・シェル、ゾルターン・シュミエド

2009年6月20日よりシネスイッチ銀座ほか全国にて順次公開
関西では、7月25日〜梅田ガーデンシネマ
、8月1日〜京都シネマ、 8月15日〜シネリ−ブル神戸

公式サイト⇒ http://www.alcine-terran.com/kanpai/

梅田ガーデンシネマ
■8月1日(土)〜8月7日(金) ………… 13:35/15:40/17:45/19:50
■8月8日(土)〜8月21日(金) ………… 9:50
☆京都シネマ
8/1〜8/7 12:10/14:25/16:40(終映〜18:32)
8/8〜8/14 10:10(終映〜12:02)※8/15以降上映時間未定
☆ シネ・リーブル神戸 8月15日〜

 年金でつつましく暮らしていた老夫婦のエミルとヘディ。物価が上がって家賃が払えなくなり、とうとう、ヘディが大切にしていた、思い出のダイヤのイアリングを借金のカタにとられてしまう。高齢者に冷たい世の中に怒ったエミルは愛車チャイカとともに行方をくらます。エミルが現われたのは郵便局。窓口で拳銃を出し、誰も傷つけることなく大金を手にする。紳士的な強盗を繰り返しては、ヘディに高価な電化製品を送るエミル。やむなく捜査に力を貸したヘディは、土壇場で寝返り、エミルともに逃亡。二人の逃避行が始まる……。
 81歳と70歳の老夫婦が巻き起こした、突拍子もない事件は、年金暮らしで苦しむ高齢者の共感を呼び、自分たちも立ち上がって不満の声をあげようという行動につながっていく。1989年の東欧革命により資本主義を導入し、EUにも加盟したものの、深刻な経済危機で物価が上昇、年金生活者の暮らしは苦しくなるばかり、というハンガリーの今を色濃く映し出す。
 借金に追われ、気力を失っていた二人が、旅を続けるうちにどんどん生き生きしていく。拳銃片手に脅すエミルにヘディが惚れ直し、仲睦まじい二人の様子に心温まる。穏やかで、時に気丈にふるまう二人は、ひょうひょうとしていて、年輪の深みを感じさせ、魅力的。どこかおとぎ話のようで、現実味もある物語を、最後までリアルに生き抜く二人の姿は清清しく、きっと観客も応援したくなるにちがいない。

  エミルが1950年代のソ連製チャイカ(要人用のリムジン)の運転手をしていたという設定もいい。ギックリ腰で、身動きできなくなる時もある白髪頭の老人が、ハンドルさばきも鮮やかに、警察の追っ手を振り払ってチャイカを飛ばすかっこよさ。

  二人を追跡する警察には、喧嘩別れしたばかりの若いカップルがいる。固い絆で結ばれた老夫婦を目前に、恋人を信じられなくなった女性刑事と、振られてもなお諦めきれない男性刑事との愛の行方からも目を離せない。
 映画好きの方なら、『俺たちに明日はない』(1967年)のボニーとクライドを思い起こすだろう。その悲しく孤立した結末とは異なり、明るくユーモアにあふれた世界と、少し謎めいたラストに、きっとほっこりした気持ちになるはず。何歳になっても、思い切りエネルギーを使って、元気にいけば、人生も輝き出すはず。二人が手をたずさえて、互いにいたわりあう姿に乾杯!
(伊藤 久美子)ページトップへ
 アマルフィ 女神の報酬
『アマルフィ 女神の報酬』
〜大ヒット間違いなしのミステリー・サスペンス〜

(2009年 日本 2時間5分)
監督:西谷弘
出演:織田裕二、天海祐希、戸田恵梨香、佐藤浩市、大塚寧々、伊藤淳史、小野寺昭、平田満、佐野史郎、中井貴一、福山雅治、サラ・ブライトマン

2009年7月18日〜全国東宝系にてロードショー
公式サイト⇒ http://www.amalfi50.jp/
(C)2009フジテレビジョン 東宝 電通 ポニーキャニオン 日本映画衛星放送 アイ・エヌ・ピー FNS27社
 いきなり個人的な話で恐縮なのだが、かつて新聞社の時代に、僕の後輩と喋った時のことだ。「映画の大ファンで、毎日のように観に行ってます」と語ってくれたのだが、「邦画はどう?」って聞いたら、「え? 日本映画? 日本映画は全く観に行きません」なんて返してくれた。しかし、そんな彼が今や洋画よりも、邦画好きに変換していることに驚いてしまった。
 おそらく、ある作品をきっかけにこの流れは起こったと思う。「キネマ旬報」や「ぴあムービーランキング」などで、僕が語り続けていることなのだけど、フジテレビが製作した「踊る大捜査線 THE MOVIE」(‘98年)あたりから流れが変わり、若者たちがこぞって日本映画へと戻ってきたのである。もちろん、テレビドラマの劇場版というのは、1960年代の連続テレビドラマ「ザ・ガードマン」や「七人の刑事」などから、綿々と続いているけど、東映の「あぶない刑事(デカ)」シリーズ(‘87〜’98年)とかはあるが、本格化したのはやはり、この「踊る大捜査線」からであろう。そして、その流れに乗って、本作は堂々の登場となったのである。
 フジテレビ開局50周年記念となった映画であるが、本作はまさにフジテレビ・ドラマ・フレイバーの集大成的な仕上がりとなっている。「ホワイトアウト」(‘00年)の真保裕一が原作ゆえに、ミステリー・サスペンスとしても快作となった。誘拐ミステリーから始まり、驚くべきスパイチックなノリから、リベンジ系へと進んでいくスタイルに、ミステリー映画としての誇りが感じられる作りだ。アラフォー世代の織田裕二と天美祐希を主演に据えて物語は展開し、最後まで目が離せない。
 織田裕二は「踊る大捜査線」の青島刑事が進化したような外交官役を演じて、観客への好感度は非常に高いと思う。片や、天海祐希もまた、テレビドラマ「BOSS」で魅せた女上司刑事役を、ややソフト・タッチにしたような演技性で魅了する。特に、クライマックス近くで披露される、織田と天海の視線の交わし合いと意思疎通は、「踊る大捜査線」の青島刑事の決めゼリフ「事件は現場で起こっているんだ」のインパクトがある。
 イタリア・ロケは同じくフジテレビ製作で竹野内豊が主演した「冷静と情熱のあいだ」(‘01年)でも披露されたが、本作は全編オール・ロケ。しかも、ハリウッド映画を始めこれまで使われてきた、イタリア映画の殿堂とも言えるチネチッタ撮影所での撮影。日本映画では初めてではないだろうか。イタリアの俯瞰での移動撮影に重ねて披露される、サラ・ブライトマンのクラシック・ディーヴァの響きもまたドラマ性を高め、心に滲みる。
(宮城 正樹)ページトップへ
 サンシャイン・クリーニング
『サンシャイン・クリーニング』
〜人生はクリーニングできないけれど、悲しみは乗り越えられる〜

(2009年 アメリカ 1時間32分)
監督:クリスティン・ジェフズ
出演:エイミー・アダムス、エミリー・ブラント、アラン・アーキン

7月18日から、シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、シネ・リーブル神戸、京都シネマにて公開
公式サイト⇒ http://www.sunshine-cleaning.jp/index.html
(C) 2008 Big Beach LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
 一風変わった家族のロード・ムービーで人気を集めた『リトル・ミス・サンシャイン』から3年。そのプロデューサーや監督らが惚れ込んだオリジナル脚本を、若き女性監督クリスティンが映画化。不器用で、失敗だらけの家族の姿を、暖かく、ユーモアいっぱいに描く。
 シングルマザーのローズは、高校時代の恋人と不倫を続けたまま、ハウスクリーニングの仕事をしていたが、偶然、同級生が華やかな家庭生活を送っているのを目にして、うだつが上がらない自分に落ち込む。そんなとき、犯罪や自殺のあった事件現場の清掃業で、大金が稼げると聞き、嫌がる妹のノラを説得し、見様見真似で会社を始める。会社の名前は「サンシャイン・クリーニング」。新しい事業に挑戦し、新たな人との出会いを通じて、ローズは自信と輝きを取り戻していく。
 本作は、性格の違う姉妹の心理に焦点を当て、二人の成長ぶりを丁寧に描く。不運な事故がきっかけで、ローズとノラは大喧嘩し、事業も危機的な状況を迎える。しかし、雨降って地固まるというとおり、ローズは、意地や見得やら、心の中のもやもやした思いに、やっと決着をつけ、心の整理ができるようになる。長きにわたって姉妹の間に、言わずもがなで横たわっていたわだかまりも、本音をぶつけあい、悲しみを共有することで、解消し、互いに信頼・理解しあえる関係へと変わっていく。
 『リトル・ミス・サンシャイン』の祖父役で大活躍のアラン・アーキンが、姉妹の父、ジョーを演じる。問題を起こして小学校を退学させられた、ローズの息子オスカーをべたほめし、かけがえのない存在として、あるがままを認めようとする。ジョーと孫とのユーモアあふれるやりとりには、思わず心がほっこりする。娘や孫たちの成長を暖かく見守ろうとするジョーの視線は、物語全体をつうじた監督の視線ともいえ、観る者にも、次の一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。
 人は、年をとればとるほど、見栄や意地を捨てきれず、余計なものまで背負い込んで、あがいた挙句に転んでしまうこともある。そんな失敗だらけの人間たちを暖かく照らし、見守る、陽だまり“サンシャイン”のような作品。つまずいても平気、何度でもまた立ち上がればいい、そんな元気が出てくるにちがいない。
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 扉をたたく人

『扉をたたく人』the Visitor
〜移民青年との出会いが、アフリカ音楽が、人を変える〜

監督・脚本:トム・マッカーシー
出演:リチャード・ジェンキンス、ヒアム・アッバス
(2007年 アメリカ 1時間44分)
7月18日〜梅田ガーデンシネマ、8月15日〜シネ・リーブル神戸、
8月22日
〜京都シネマ
公式サイト⇒ http://www.tobira-movie.jp/

梅田ガーデンシネマ
■8月1日(土)〜8月7日(金) ………… 10:00/12:00/16:30/21:00 ※21:00の回は レイト割引\1200
☆8月8日よりシネ・リーブル梅田に上映館が変わります(朝1回の予定)
 ウォルターが叩くジャンベ(アフリカン・ドラム)のリズムが、いつまでも心の中に熱くこだましている。

  学会のためNYにある別宅のアパートを数か月ぶりに訪れた大学教授ウォルターは、そこに見知らぬアフリカからの移民カップル、タレクとゼイナブが住んでいるのを知る。荷物をまとめて出て行く二人に行く当てのないことを知り、ウォルターは部屋を提供、思わぬ共同生活が始まる。
 シリア出身で、礼儀正しく、心優しいミュージシャンのタレク。ウォルターは、タレクからジャンベを習い始め、すっかり意気投合。しかし、公園での演奏の帰り、タレクはいきなり逮捕され、不法滞在で収容されてしまう。息子を心配してミシガンから母モーナが訪ねてくるが……。
 タレクやゼイナブは、NYで、音楽やアクセサリーのデザインに懸命に打ち込んでいた。自由を求め、夢を追いかけてやってきたアメリカで、つつましく暮らしていた彼らが、ある日突然、不法滞在という理由で勾留され、収■8月1日(土)〜8月7日(金) ………… 10:00/12:00/16:30/21:00 ※21:00の回は レイト割引\1200
☆8月8日よりシネ・リーブル梅田に上映館が変わります(朝1回の予定)
■京都シネマ  8月22日〜、シネ・リーブル神戸 8月15日〜
容施設に閉じ込められてしまう。彼らの謙虚さや平穏な暮らしへの思いが伝わり、9.11テロ以降、移民希望者や不法滞在者に厳しい措置を取り、扉を閉ざしてしまったアメリカの不寛容さが、痛切に浮かび上がる。
 教授を演じるジェンキンスがすばらしい。妻に先立たれ、寡黙な初老の教授が、少しずつ心を開いていく姿を自然体で演じ、観客はいつしか彼の心に寄り添っていることに気付く。食事や音楽を共にすることで、タレクたちとの距離が縮まり、ウォルターは情熱を、喜びを取り戻し、生き生きとしていく。勾留されたタレクのために奔走。思いやりが自ら行動する熱い意思を生み出す。
 祖国シリアで大変な目に遭い、今また、アメリカで息子を襲った突然の不幸に際しても、気丈にふるまうモーナと、ウォルターとの、ささやかな思慕の入り混ざった心の交流も忘れられない。深い悲しみとあきらめを内に秘めながらも、怒りをあらわにすることのないモーナ。その毅然とした美しい姿に思わず胸が熱くなる。

  ピアノを習おうとして挫折したウォルターの音楽へのあこがれがジャンベへとつながる。最後、ウォルターがジャンベを叩く姿からは、ジャンベに込めた思いがあふれてきて、その力強さに勇気づけられる。タイトルが意図するものは、人の心の扉でもあり、NYという街、アメリカという国の扉でもあり、その示唆するところは意味深い。ウォルターがジャンベを叩く音は、あなたの心にどんなふうに響くだろうか。 

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 マン・オン・ワイヤー

Copyright c 2009 espace sarou
『マン・オン・ワイヤー』 Man on Wire
〜命を賭けた挑戦に手を貸した仲間たち〜

(2008年 イギリス 1時間35分)
監督:ジェームズ・マーシュ
音楽:マイケル・ナイマン、ジョシュア・ラルフ
出演:フィリップ・プティ、ジャン・ルイ・ブロンデュー、アニー・アリックス
7月4日〜梅田ガーデンシネマ、7月25日〜京都みなみ会館、9月〜神戸アートビレッジセンター
公式サイト⇒ http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/
 1974年、NYのワールド・トレード・センターのツインタワーを綱渡りで渡ろうとするフランスの大道芸人の若者がいた。フィリップ・プティ。地上110階、411mの高さ、42m離れたビルの間に張られた、親指ほどの幅のワイヤーの上を、命綱もなく45分もの間、歩き、踊ったり、寝そべったりしてみせた。
 フィリップがツインタワー建築計画の新聞記事を目にして夢を抱き、綿密に計画を練っていく6年半にもわたる歳月を、フィリップ自身の語りと仲間たちの証言や、当時の映像もふんだんに盛り込んで、真実に迫っていく。機材をビルに運び入れ、隠れて時を待ち決行するまでの計画当日を、緊迫感あふれるモノクロ再現ドラマを中心に、インタビューとが交互に進行していき、まさに奇跡的な瞬間を迎える興奮を、観客も共有できる構成。監督の才腕が光る。
 ワイヤーを張るためには仲間が要る。銀行強盗でもないから、協力したところで一銭の得にもならない。むしろ、万一、フィリップが失敗すれば、仲間を死なせる悲劇となるし、そもそも犯罪であり、共犯の罪に問われる可能性もある。そんな危険極まりない計画に、一体、どんな人間が、どんな思いで協力したのか。監督は、計画半ばで離脱した者や、途中で諦め、逃げ出した者も含め、緻密に取材を重ね、率直な思いを浮き上がらせていく。
 何度も現場に足を運び、周到に準備がなされる光景は、まるで犯罪映画を観ているようなスリルにあふれている。8月7日、決行日の朝も、ワイヤーが落ちかけたり、予期せぬトラブルに襲われる。より安全に、無事にフィリップの綱渡りを実現させられるよう、仲間たちが的確に判断し、根気よく行動していく姿には、思わず胸が熱くなる。綱の上で、強張っていたフィリップの表情がほぐれたのを見たというエピソードには、万感の思いがあふれていた。
 もちろんフィリップに恐怖がないわけはない。少しでもバランスを崩せば、地上にまっさかさま。最期の綱渡りになると死を覚悟しての試み。「決心のとき、ワイヤーが呼ぶ声が聞こえた」と語るフィリップ。恐怖を乗り越えるのは、より強い夢実現への願望なのだろう。綱の上での全神経を張り詰めた動きは、限りなく美しい。

  夢を成し遂げた興奮と、成功したがゆえに「何かが壊れてしまった」という寂しさをも映画は描く。フィリップの幼なじみで、この試みを献身的に支えたジャン・ルイが、当時のことを回想しながら、感極まって目を押さえる姿が心に残る。ラスト、かつて若き彼らが集まって夢を語り、議論しあった、フランスの郊外の練習場所で、老いたフィリップが今なお筋肉質な体で、綱渡りを披露する。緑美しい草原に張られた1本の綱。光と影が織り成す美しいラストシーンと音楽とが、熱い夢の余韻となって心地よい。

  今年度アカデミーで最優秀長編ドキュメンタリー賞受賞も納得の1本。反骨精神旺盛なフィリップの、エッジを歩いてこそという挑戦的な人生に、あらためて夢を抱き、暖め続けることの強さと凄さとを思う。
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 ヴィニシウス/愛とボサノヴァの日々
『ヴィニシウス/愛とボサノヴァの日々』
〜「ディス・イズ・ボサノヴァ」の続編?〜


(2005年 ブラジル 2時間02分)
監督:ミゲル・ファリアJr.
出演:ヴィニシウス・ヂ・モライス、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、バーデン・パウエル
2009年7/4〜梅田ガーデンシネマ、
7/18〜京都シネマ、8/1〜三宮シネフェニックス にて公開

公式ホームページ⇒ http://vinicius.jp/
 ボサノヴァに関しては,ルイ・カストロ著,国安真奈訳「ボサノヴァの歴史」(音楽之友社)が詳しくて読みやすい。そのページを開くと,ヴィニシウス・ヂ・モライス(1913〜1980)が随所に登場する。彼は,外交官だが,同時に詩人であり,「想いあふれて」や「イパネマの娘」などの作詞者でもあり,映画評を書いていたこともある。映画「黒いオルフェ」(1959・仏)の基になった戯曲「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」の作者でもある。
 監督は,14歳のときイパネマに住んでいて,1983年ころヴィニシウスと知り合ったそうだ。映画の道に進んだのは彼が背を押してくれたからだという。しかも,彼の娘で本作の製作者であるスザーナ・ヂ・モライスとは元夫婦であり,その後も共に仕事をしてきた友人だというだけある。本作は,ブラジルの歴史の中で,ヴィニシウスの人物像を立体的に浮かび上がらせる。とりわけ,国民を幸せにした彼に国は借りがあるという言葉が印象に残る。
 大詩人と作詞家は異なり,詩と歌詞とは別のものだという。歌詞は,音楽を聴く耳があり,曲の構造を理解していないと作れない。本作では,大勢のミュージシャンが何曲も聴かせてくれるし,ヴィニシウスを偲ぶ舞台では彼の詩が朗読される。彼は,素晴らしく感受性が強かったという。斬新でありながら,伝統を重んじていたようだ。しかも,9回も結婚するほど,愛と情熱に溢れていた。だからこそ,大勢の人々に感銘を与えたのだろう。
 また,彼には友人のいない生活は考えられなかった。大好きなウイスキーもまた,大勢の人々と接する大切な手段だったのかも知れない。ブラジルでは1964年から1985年まで軍事独裁政権が続いた。ヴィニシウスは,反体制派とのつながりが強く,1969年に外交官の職を追われるが,かえって若返ったそうだ。ラストの彼の言葉は聞き逃せない。もう一度生まれ変わるなら,今のままでいいが,一つだけもう少し大きい方がいいものがある…!?
(河田 充規)ページトップへ
 MW−ムウ−
『MW−ムウ−』
〜それは人間から良心やモラルを奪う兵器〜


(2009年 日本 2時間09分)
監督:岩本仁志
出演:玉木宏、山田孝之、石橋凌、石田ゆり子
7/4 (土)〜、丸の内ルーブルほか全国ロードショー
関西では、7/4〜梅田ブルク7,なんばパークスシネマ、アポロシネマ、MOVIX京都、OSシネマズミント神戸 にて公開
公式ホームページ→ http://mw.gyao.jp/
 本作は,手塚治虫の同名コミックを映画化したものだ。その題名となったMWとは,人間が作り出した毒ガスの名前である。これによって,直接又は間接に大勢の人間の生命が弄ばれることになる。殺される者はもちろん,殺す者もまたMWの被害者であり,それを阻止できない者もまた大きな苦しみに苛まれる。人間は,自ら作り出した物質の犠牲となる。その物語は,男女の垣根を超え,神と悪魔の区別を曖昧にし,善悪の境界をも消し去った。
 映画化に当たり,原作にある個々のエピソードはかなり改変されている。特に,結城と賀来の関係は変更を加えざるを得なかったのだと思うが,できれば原作のまま残して欲しかった。だが,原作の持つエッセンスは損なわれていない。特に,ラストシーンを比べてみると,映画とコミックという表現方法の違いはあるが,人間の住む世界,あるいは人間の心の中から,決して悪を駆逐することはできないという,ニヒルな視点が共通している。
 映画は,衝撃的なシーンで始まる。沖之真船島の島民が大勢倒れている。死んでいるようだ。生きている人間は防護服を着た何者かによって射殺される。そして遺体が焼却される。その中で生き残ったのが結城と賀来だった。いきなり舞台はタイへと移る。誘拐事件が起こっているようだ。迫力のあるカーチェイスが展開される。その後,2つの出来事の関連が明らかにされていく過程で,少しずつ,闇の黒さが輝き,光の白さがくすんでいく。
 原作を読むと,MWとはMAN(男)とWOMAN(女)という相対立する存在が思い浮かぶ。そして,結城は人間から悪魔へと変貌し,賀来は神父として神に仕える。このような相対する2つの要素が交錯して化学反応を起こす。男女の垣根が取り払われ,結城と賀来が結び付いていく。ラストでは,善の無力さを思い知らされることになる。悪が善を呑み込んで生き延びていく。しかも,映画では悪が君臨し,愚かな人間を見下ろしている。
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