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新作映画
 ウォーダンス 響け僕らの鼓動
『ウォー・ダンス 響け僕らの鼓動』
〜舞台で子供たちが輝き出す瞬間〜

(2007年、アメリカ、1時間47分)
監督:ショーン・ファイン&アンドレア・ニックス・ファイン
出演:ドミニク、ローズ、ナンシー
2008年12月20日(土)〜 第七芸術劇場にて公開中

公式ホームページ→
 どんな逆境に置かれても、自分を支える強い何かを持つこと、自分を感じられる時間を持つことができたら、人は生き抜くこと、生き続けることができるはず…。ウガンダの避難民キャンプの子供たちにとって、それは、歌であり、踊りだった。
 アフリカ、ウガンダの北部地域では、反政府組織により住民の殺害や襲撃が行われ、多くの避難民が生まれた。2006年の停戦合意以降、落ち着きつつあるものの、今なお何十万人もの人々が避難生活を続けている。これは、パトンゴ避難民キャンプ内にある小学校の子供たちの物語。年に1度の国主催の全国音楽大会に初出場を決め、優勝を目指し猛練習に励む姿から、大会本番までを記録したドキュメンタリー。
 映画の前半で描き出されるのは、避難民キャンプで暮らす子供たちが受けた戦争の傷痕。パトンゴ小学校のドミニク、ローズ、ナンシーの三人の子供たちがカメラに向かい、兵士たちから受けた仕打ちについてとつとつと語る。親を殺され、住みかを追われ、あまりに過酷な運命に慄然とせずにはいられない。感情を抑え、まっすぐな瞳でカメラに向き合う表情は、大人びていて、とても13、14歳の子供にはみえない。
 後半、カメラは、大会直前から本番に挑む子供たちに迫る。合唱、楽器演奏、伝統舞踊と幾つもの部門で教師らの熱意あふれる指導が行われ、男女とも丸坊主にして大会に備える。そして、本番。バスで2日間もかけて、南部にある首都カンパラまでたどり着く。初めてキャンプを離れた子供たちにとって、ビルが林立する光景は異国のよう。紛争地域からの参加は史上初めてという引け目や、立派な衣装で自信に満ちた他の学校の生徒らに気押され、動揺する子供たち。演奏前、指揮する教師の手も震えている。
 とりわけ、伝統舞踊の部門では、部族の期待にちゃんと応えられるかという内なるプレッシャーもかかる。しかし、音楽が鳴り出し、歌い、踊り出せば、一気に緊張は解ける。満面の笑顔で歌い、無心になって踊る子供たち。太鼓や木琴、歌声にあわせ、同じリズムでステップを踏む一体感。この瞬間、子供たちの心は故郷に帰り、祖先の力、部族の力を感じ、誇りを取り戻すことができる。この踊りが自信となり、彼らの心を支えていることがわかる。子供らしい無邪気な笑顔が、スクリーンいっぱいにはじけ、圧倒される。

 物資的には、はるかに豊かで恵まれた生活を送っている日本。でも、家族や地域のコミュニティが崩壊し、人と人、自然とのつながりは失われつつある。自分自身のよりどころを見失いかけている人たちの多くに、ぜひ見てほしい。子供たちが輝く瞬間を。
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 いのちの作法
『いのちの作法』
〜生命の尊さ、人生の素晴らしさ〜

(2008年 日本 1時間47分)
監督:小池征人
プロデューサー:都鳥拓也、都鳥伸也
12月27日(土)〜 第七藝術劇場
ほか、京都シネマ、神戸アートビレッジセンターにて順次公開

公式ホームページ→
小池監督記者会見→
 秋葉原の通り魔殺人、大阪の引きずりひき逃げ殺人、自殺者の増加、親殺し、子殺し…… 戦後60年、また生命を粗末にする・粗末にされる時代がやって来た。報道される事件が全てではない。敗戦から高度経済成長期に突入した我が国は目覚しい発展を遂げたが、その反面、私たちは、知らず知らずの内に他者に対する思いやりや優しさといった“人間らしさ”を忘れかけているのではないだろうか? 本作は、そんな荒みかけた心にさりげなく潤いを与え、生命の尊さや人生の素晴らしさを改めて説いてくれる記録文化映画の力作だ。
 昭和30年代。岩手県の一寒村・沢内村で、後に“沢内「生命行政」”と呼ばれることになる画期的な村政が第一歩を踏み出した。天牢雪獄と例えられるほどの豪雪地帯である沢内村は、当時、冬季になると完全に外部への交通経路が遮断され、病気になっても医療を受けることができなかった。そのため、乳幼児や老人がバタバタと亡くなるという状況。住民はその地獄を、宿命として受け入れるほかなかったという。そんな状況を見かねて立ち上がったのが、第18代村長・深沢晟雄(ふかざわまさお)だ。深沢村長は、「住民の生命を守るために、私は自分の生命をかけよう」という固い決意の下、数々の困難を乗り越え、乳児・老人医療費無料化を始めとする数々の画期的な健康医療制度を施行。遂には、日本初の乳児死亡率ゼロの大偉業を成し遂げることとなった。


都鳥拓也・伸也兄弟

 時は流れ、深沢村長が亡くなり、旧・沢内村と旧・湯田町の合併によって西和賀町となった現在にも、“沢内「生命行政」”の理念は脈々と受け継がれている。

 本作は、現在の西和賀町の風景やそこに暮らす人々の姿を淡々と映し出していく。そこにあるのは、ただただ素朴で、ありのままの人間の営み。本作に登場する老人たちの姿は、“健やかに育ち、健やかに生き、健やかに老いる”ことの豊かさを教えてくれる。

小池征人監督
 普段、“モノの豊かさ”ばかりを追いかけがちだが、こんな時代だからこそ“心の豊かさ”にも目を向けてみたいものだ。

【喜多匡希の映画豆知識:『いのちの作法』】
・プロデューサーは日本映画学校の卒業生である都鳥拓也・伸也という双子の兄弟。1982年生まれの若き青年の企画であるところに、大きな希望を感じる。監督は、公害問題や差別問題、冤罪事件などをテーマに日本のドキュメンタリー映画界を牽引してきた小池征人。新人とベテランが手を取り合って本作は生まれたのだ。
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 ラースと、その彼女
『ラースと、その彼女』
〜心優しい人々に囲まれ、変わってゆく青年〜

監督:クレイグ・ギレスピー (2007年 アメリカ 1時間46分)
出演:ライアン・ゴズリング、エミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー、パトリシア・クラークソン、ケリ・ガーナー
原題:LARS AND THE REAL GIRL
12/20公開 シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸

公式ホームページ→
 あまりに内気で、女性とつきあう勇気もなく、等身大の人形に恋してしまった青年。そんな青年を、変わり者として疎んじることなく、暖かく接し続ける家族や街の人々の姿を描いた、奇跡のような物語。
 舞台は、アメリカ中西部の雪が降り積もる小さな田舎町。主人公のラースは、会社で働き、日曜には教会にもいく、まじめで心優しい青年。人との関わりを避け、過剰なほどにシャイなラースが、やっと彼女ができたと言って、連れてきたのは、インターネットで注文したリアルドール。名前はビアンカ。面倒見のいい兄夫婦も、さすがにこれには面食らう。しかし、あまりに真剣なラースの態度に、思わず話をあわせ、食事も一人前用意。ビアンカが人間の彼女であるかのようにふるまう。
 とはいえ、ラースのことを心配する兄夫婦は町の女医に相談。「ビアンカは理由があって現われたはず。ラースの世界を受け入れてあげて」とのアドバイスに、兄夫婦は町の人々にも協力を求める。

 教会やパーティにも、ビアンカを車椅子に乗せて現われ、本当の恋人であるかのように、甲斐甲斐しく世話をするラースの真摯で誠実な姿に、最初は怪訝に思っていた町の人たちも、いつしか、心癒され、ビアンカに話しかけたり、一人の大人の女性として、受け入れ、歓迎するようになる。
 この町には、ラースの心を踏みにじるようなことをする人は、誰もいない。監督が描いたのは、ラースの純粋さに打たれ、暖かく見守る、善意にあふれた人々であり、その思いは観客にも広がってゆく。そうして、ビアンカと恋に落ちた青年の世界を、町中の人たちが受け入れ、共有してあげることで、やがてラース自身の心に変化が訪れる。
 まじめな顔で人形に話しかけるラースの姿は、ときに噴き出してしまうほど楽しく、兄夫婦や町の人々が人形の世話をするシーンもユーモアに富んでいる。ラースが他人との関係を持つことを怖がっているのは、過去に受けた心の傷のせいかもしれないことが、ほのかに暗示されつつも、ほとんど観客の想像にゆだねられており、余韻が残る。

 ビアンカとの世界の中に閉じられていたラースの心が、自然と外に向かって開かれてゆくのを観ながら、「成長」ということについてあらためて考えさせられた。「ビアンカのことを決めているのはラース自身なのよ」という女医の言葉がいつまでも深く心に残る。
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 赤い糸
『赤い糸』
〜純愛志向に作り手の心を見た〜

(2008年 日本 1時間46分)
監督:村上正典
原作:メイ 『赤い糸』(ゴマブックス・刊)
出演:南沢奈央、溝端淳平、木村了、岡本玲、石橋杏奈、桜庭ななみ、柳下大、鈴木かすみ、田島亮、ほか
12/20(土)〜 梅田ピカデリー、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹、ほか そのほか、全国一斉ロードショー

公式ホームページ→
  “純愛”にこだわった映画だ。これは冗談でもなければ、皮肉でもない。本作最大のキーワードは間違いなく“純愛”である。

 大ベストセラーとなっている同名ケータイ小説が原作だが、正直なところ、筆者は昨今のケータイ小説ブームそのものにウンザリしている。大抵、未成年女子が主人公で、援助交際・売春・レイプ・SEX・ドラッグ・DV・家庭不和といったスキャンダラスな要素を散りばめ、全体を恋愛ドラマとしてまとめ上げる。過剰なまでに過激であることを追求し、場当たり的に盛り上げようとする物語の組み立てに強烈な嫌悪感を禁じ得ない。こうなってしまう原因はケータイ小説という形態そのものにある。1頁あたりの文字数制限が厳しく、飽きっぽい読者を惹き付けるためには、次々に仕掛けを施さなくてはならないからだ。とは言え、このような筋立ての物語を、世の女子中高生たちが“リアル”なものとして受け止め、“共感”しているというのだから判らない。「人生をバカにするな! 本当の悲しさとか痛みというのはそんな薄っぺらなものじゃないよ!!」と怒りすら覚えるほどだ。
 そのため、本作にも期待はしなかった。『恋空』(2007)のサプライズ・ヒットを受けての企画であることは明白で、後追いのイメージは拭えない。“大切な人の死、ドラッグ、DV―。”というモチーフにも、ゲンナリである。未成年のカップルを主人公に、目を覆うような不幸のオンパレードとなるのは間違いないだろう。

 その予想はほぼ的中した。やはり、これまでのケータイ小説の映画化と同じく、いたずらにスキャンダラスな物語がそこにあった。しかし、1点だけ、決定的に違う。
[ SEX描写がない!]

 これは映画版独自の脚色だ。原作では、心が痛むようなSEX描写が何度も登場するが、本作は、頑なにSEXを描かない。ドラッグや自殺、家庭不和などは盛り込まれているが、主人公の芽衣と敦史は、キスこそすれ、体を重ねることがないのだ。この徹底したSEXの排除は間違いなく意図的なものであろう。この純愛志向に、作り手たちの祈りにも似た“良心”が垣間見えて、思わずハッとし、同時にホッとした。監督は『電車男』の村上正典。脚本は『さよならみどりちゃん』の渡辺千穂。心ある改変である。

【喜多匡希の映画豆知識:『赤い糸』】
“いつか結ばれる運命にある男女は、目に見えない赤い糸によって互いに繋がっている”
 誰もが知っている“赤い糸の伝説”は、その起源を唐代中国の民間伝承“紅線(ピンイン)の説話”に由来する。本来は“足首を繋ぐ赤い縄“であった。それが現在の日本では“手の小指を繋ぐ赤い糸”として定着したわけだが、その大きなきっかけとなったのは太宰治の小説『思ひ出』(1933)であると言われている。足首→手の小指、縄→糸という、太いものから細いものへの変化には、儚さを重視する日本人特有のセンチメンタリズムが表れていて興味深い。尚、この赤い糸(紐)を、目に見えるものとして映画に採り入れた作品には北野武監督の『Dolls』(2002)や、望月六郎監督の『濡れた赫い糸』(2005)がある。
赤い糸は、強い絆の象徴である。戦中の日本では、出征する兵隊のために、1メートルほどの白布に、千人の女性が赤い糸で1人1針ずつ縫って結び目を作り、武運長久を祈願する“千人針”という合力祈願が盛んに行われていた。これをテーマとした映画が日本初のカラー映画『千人針』(1937)である。長く『カルメン故郷に帰る』(1951)が国産カラー映画第1号とされていたが、1990年代にロシアで『千人針』のフィルムが発見され、歴史が覆った。
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 バンク・ジョブ
『バンク・ジョブ』
〜“事実は小説よりも奇なり”の面白さ〜

(2008年 イギリス PG-12指定作品1時間50分)
監督:ロジャー・ドナルドソン
出演:ジェイソン・ステイサム、サフロン・バロウズ、スティーヴン・キャンベル・ムーア、ほか
12/20(土)〜 シネマート心斎橋
1/17(土)〜  京都シネマ
1/24(土)〜  シネ・リーブル神戸  にてロードショー

公式ホームページ→
 【1971年9月11日日曜日。ロンドン・ベイカー街にあるロイズ銀行の地下貸金庫室に強盗団が侵入し、400万ポンド以上の金品を奪って逃走した。銀行休業日を狙った犯行で、侵入経路は地下。銀行の2軒先にあるハンドバック店の地下室から金庫室まで、12mの穴が掘られていた。事件は翌日になってようやく発覚。“ベイカー街のモグラたち”と名づけられた強盗団は全英の視線を釘付けにした。しかし、4日後、英国政府がD通告<国防機密報道禁止令>を発動。全ての報道がシャットアウトされるという異常事態に発展。貸金庫の中には、現金や宝石類に混じって、英国王女のスキャンダル写真を始め、政府高官や警察、更には裏社会に至るまでの様々な“秘密”が多数隠されていた。 英国最大の強盗事件は、国家の表と裏の両面を揺るがす大スキャンダルでもあったのだ!】
 これが実話というから驚く。脚色はほとんどなく、90%事実に基づいているというのだから、正に“事実は小説よりも奇なり”だ。なんと、本作の製作には事件の当事者がアドバイザー・スタッフとして参加しており、強盗団のリーダーを演じたジェイソン・ステイサムは、実際に犯人に会って役作りに臨んだとか。
 前半で、強盗襲撃計画の立案から実行までをサスペンスフルにじっくりと描き、後半で犯人グループと特務機関<MI‐5>・警察・ギャングの丁々発止の追跡劇をコン・ゲーム(騙し合い)的な面白さで描くという二段構えの構成が見事。巧みにギア・チェンジする展開にキリキリ舞いさせられること間違いなしの面白さだ。監督は『世界最速のインディアン』『13デイズ』のロジャー・ドナルドソン。熟達した緩急自在の職人的演出が、隙の無い脚本を得て、まるで水を得た魚のようだ。
 スウィンギング・ロンドン以後のイギリス風俗を再現したファッションも見もの。劇中キャラクターとしてジョン・レノン&オノ・ヨーコの姿もチラリと登場するなど、小技にもニンマリ。デビッド・スーシェやピーター・ボウルズといった、クセモノ演技派が脇を支えているのも映画ファンにはたまらない。
一見、地味な印象を覚えるが、これは拾い物! 観れば得する、観なけりゃ損する、とびきりの秀作だ!

【喜多匡希の映画豆知識:『バンク・ジョブ』】
本作は、久々の正統派“ケイパー(caper)映画”だ。“ケイパー映画”とは “襲撃映画”のことで、以下の条件を満たした犯罪映画のことを指す。
1.犯罪者側からの視点であること
2.綿密な犯罪計画があること
3.難攻不落のターゲットであること
4.チーム・プレイに徹していること
 古くは『大列車強盗』や『ブリンクス』、最近では『スコア』『オーシャンズ11』シリーズがその代表格だ。本作を気に入ったら、自宅で“ケイパー映画特集”と洒落込むのも一興。
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 ハピネス
『ハピネス』
〜恋愛映画の名匠ホ・ジノ監督が、本当の「幸福」の意味を問いかける〜

監督・脚本:ホ・ジノ (2007年 韓国 2時間4分)
出演:イム・スジョン、ファン・ジョンミン、コン・ヒョジン
12月13日(土)〜 シネマート心斎橋 にて公開
★作品情報HP
 『八月のクリスマス』『春の日は過ぎゆく』『四月の雪』と、一貫して“季節とともにうつろいゆく男女の切ない愛”を描き続けてきた韓国の名匠ホ・ジノ監督が贈る待望の最新作『ハピネス』は、監督らしい“優しさと残酷さ”に満ちた、彼の集大成ともいうべきラブストーリーだ。

  物語の主人公は、都会での自由奔放な生活がもとで肝硬変を患った男ヨンスと、肺疾患という重い病を抱えながらもひたむきに生きる田舎の女ウニ。住む世界の違う2人が、療養所で出逢い、恋に落ちる。やがて療養所を出て2人だけの生活を始めるが、一日一日を大切に生きてきたウニの“つつましい暮らし”に、次第に退屈し始めるヨンス。そんなとき、ヨンスは昔の恋人と再会。都会の生活が恋しくなった彼は、献身的に看病してくれたニを捨てる…。
 大げさな出来事が起こるわけでもなく、ただ淡々と物語が進んでいくのに、気がつけば作品の世界にどっぷりとのめり込んでいる。それが、この監督の持ち味だ。本作でも、セリフに頼ることなく、主人公たちの心の機微をふとした表情やたたずまいから浮かび上がらせ、観る者の視点で「余白」を埋めることができるような、見事な「技」を見せている。
 例えば、ウニがヨンスと初めて出会う場面。ベンチに座っていたウニの隣にヨンスが座るのだが、いかにも都会的な匂いを漂わせているヨンスを、彼女は反射的に避けてしまう。それに気付いたヨンスが、今度はわざとウニに近寄る。すると彼女は、逃げるようにして立ち上がり、ベンチを離れる。だが、次の瞬間、彼女は鏡をカバンから出して、自分の髪の毛をチェックしている。本当にさりげないシーンなのだが、ウニがすでにヨンスを“意識”していることをあらわしており、その行動の矛盾が、都会の男の危険な香りを拒絶しながらも、抗えない田舎の女性、つまり、“人が人に惹かれることのどうしようもなさ”を、痛いほどに感じさせるのだ。
 そんな監督のさすがの手腕はもちろん、ヨンスとウニを演じた2人の役者の素晴らしい存在感と演技も、観る者の心を捉えて離さない。『ユア・マイ・サンシャイン』で演じた、純朴で一途な青年とはうってかわり、ファン・ジョンミンが“卑怯な男”ヨンスの哀愁を絶妙に演じている。身勝手だったヨンスが、失って初めて本当に大切なものに気付き、喪失感に打ちひしがれる姿がほろ苦い。そして、そんな男に“尽くす女”ウニを演じているのは、『サイボーグでも大丈夫』のイム・スジョン。別れを切り出されたあと、無神経なまでにスヤスヤと眠るヨンスの寝顔を悲しげに、でも愛しげに見つめる表情。愛する人の心変わりに耐えられず、命の危険も顧みずに無我夢中で走り、泣き叫び、ひとりその痛みを受け入れようとする姿。そのどれもが、涙を流すことさえできないほどのリアルさで、胸にずしりとのしかかってくる。
 人は、愛なくしては生きられないけれど、愛だけでは生きられない。だから、永遠の愛など存在しないのかもしれない。でも、たとえ短くても濃密な「永遠のような一瞬」を過ごすことができたとしたら…他人からすれば、どんなに辛そうでみじめに見えても、それがその人にとっての“幸せ”なのではないか。「私が死ぬときはそばにいて」とヨンスに願ったウニの想いが、皮肉なカタチで叶えられたときの彼女の、儚くも美しい微笑みに、そう思わずにはいられなかった。
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 K−20 怪人二十面相・伝
『K‐20 怪人二十面相・伝』
〜和製ダークヒーロー、銀幕に現る!〜

(2008年 日本 2時間17分)
監督・脚本:佐藤嗣麻子
原作:北村想 『完全版 怪人二十面相・伝』(出版芸術社・刊)
出演:金城武、松たか子、仲村トオル、國村隼、高島礼子、本郷奏多、今井悠貴、益岡徹、鹿賀丈史 ほか
12/20(土)〜 TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、新京極シネラリーベ、 OSシネマズミント神戸、TOHOシネマズ西宮OS 、TOHOシネマズ伊丹 他全国一斉ロードショー

公式ホームページ→
 江戸川乱歩が生み出した世紀の大怪盗・怪人二十面相が、スクリーン狭しと大活躍する一大娯楽大作。黒マントをなびかせた姿は『バットマン』、ワイヤー・フックを使って宙を舞う姿は『スパイダーマン』、二十面相得意の変装術は『ミッション・インポッシブル』と、大ヒットしたハリウッド大作の面白さを巧みに採り入れているのが面白い。それが決して真似事ではなく、日本映画として見事に昇華している。和製ヒーロー映画の誕生に快哉を叫んだ。
 原作は“怪人二十面相複数人説”を提唱する北村想の小説『完全版 怪人二十面相・伝』。【怪人二十面相に騙され、二十面相に仕立て上げられてしまったサーカスの青年曲芸師・遠藤平吉(金城武)が、名探偵・明智小五郎(中村トオル)とその婚約者である令嬢・羽柴葉子(松たか子)の協力を得、類まれな身体能力を活かして怪人二十面相になりすまして汚名挽回を図る】という明快なストーリーに、アクション、サスペンス、ミステリー、恋愛など、様々なエンターテインメント要素がギュウギュウに詰め込まれている。2時間17分の長丁場だが、片時も退屈させることがないのだから恐れ入った。
 冒頭、巨大な銀色の飛行船が大写しとなり、続けてカメラは広大な街並みを舐めるような俯瞰映像で映し出していく。『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズのスタッフが再結集したスケール感溢れる見事なオープニングに、一気にスクリーンに引き込まれた。
 物語の舞台は【1949年・帝都】。実際には戦後であるはずなのに、未だに“東京”ではなく“帝都”という呼称が用いられているほか、東京タワーを思わせる電波塔が既にあり、街頭テレビには人だかりが出来ている。そう、本作の舞台は“戦争がなかった”という仮定の下に創造された一種のSF的異世界なのである。かつて、世の少年少女たちを熱狂させた空想科学冒険小説の奇想天外なワンダーランドが、完璧に映像化されているのだから、ワクワクするのも当然だ。
 主人公である遠藤平吉は、曲芸だけでなく手品も得意。ここが本作のポイントだ。即ち、本作全体が丸ごと手品なのである。種を見破ろうと、夢中になってスクリーンを見つめるのだが、観客は知らず知らずの内に手品師の術中にはまっており、遂には「ヤラレた!!」となる。この騙される快感を存分に味わっていただきたい。
【喜多匡希の映画豆知識:『K‐20 怪人二十面相・伝』
・監督の佐藤嗣麻子は、本作が12年振りの劇場用映画監督作品となる。実にお久し振りの感があり、当初意外な起用と感じたものだが、経歴を振り返ってみて大いに納得した。『アンフェア the movie』と同TVシリーズの脚本が評価されたとのことだが、実はそれだけではない。佐藤嗣麻子は、TVドラマ『名探偵明智小五郎・江戸川乱歩の陰獣』(1998)と、『名探偵明智小五郎 エレベーター密室殺人』(2000)で既に江戸川乱歩ワールドの映像化を手掛けているのだ。また、VFX担当の白組とは『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS』(1995)と『エコエコアザラクU BIRTH OF THE WIZARD』(1996)で組んでおり、主演の金城武とは、TVゲーム『鬼武者』のオープニング・ムービーで一緒に仕事をした仲。色々と繋がっているのだ。
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 ブロークン・イングリッシュ
『ブロークン・イングリッシュ』
〜ありきたりの自分探しでは飽き足りない人へ〜


(2007年 アメリカ・日本・フランス 1時間38分)
監督・脚本:ゾエ・カサヴェテス
出演:パーカー・ポージー、メルヴィル・プポー、ジーナ・ローランズ、ドレア・ド・マッテオ、ジャスティン・セロー
ティム・ギニー、ピーター・ボグダノヴィッチ
12/20(土)〜梅田ガーデンシネマ、シネマート心斎橋、シネ・リーブル神戸
12/27(土)〜京都シネマにて公開
公式ホームページ→ 
 30代の女性の立場というものを未だかつて体験したことはない。聞くところによると,結婚しろ,子供を産めなどと言われるし,仕事もしなければならず,身だしなみも疎かにできないという。結構大変みたいだ。そんな30代の女性の孤独感や不安感を出発点として,主人公ノラ・ワイルダーが自分自身を再発見していく過程が描かれている。そのタッチは割とドライだが,決して冷静な観察者の視線ではなく,共感を持って見守っている感じだ。
 NYという大都会で生活する等身大の女性像が映し出される。オープニングで短いショットを重ねてノラを活写していくシーンがいい。パーカー・ポージーが一人でいるときのノラを演じて,表情だけで雄弁に彼女の心境を語っている。このとき何の脈絡もなく「再会の時」のオープニングのリズムが脳裡に蘇ってきて,その後の展開への期待が大きく膨むのを感じた。ゾエ・カサヴェテスにとって初めての長編映画だとは思えない出来映えだ。
 彼女は,ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの実の娘で,わずか1歳で父親の監督作「ミニー&モスコウィッツ」に出演したそうだ。彼は,1989年に亡くなったが,米インディーズ映画の旗手などと言われ,「グロリア」などの作品を残している。そのタイトルロールを演じたのは母親だ。彼女は,本作でもノラの母親役で登場し,健在振りを示してくれた。また,兄のニック・カサヴェテスは「きみに読む物語」などを監督している。

 ところで,河瀬直美が監督した「七夜待」では,自分の意思とは無関係にいきなり知らない場所に放り出された女性がありのままの自分を直視する様子が描かれていた。本作では,ノラは自分の意思でNYからパリに行く決意をし,そこで改めて自分自身を見つめ直すことになる。ここには日本と米国の感覚の違いが表れているようだ。もっとも,ノラがラストでファンタジックな体験をするところなどは,おそらく日米共通の感覚なのだろう。
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 ブロークン
ブロークン

『ブロークン』
〜写真界の寵児ショーン・エリス、待望の長編第2作〜

(2008年 イギリス・フランス PG-12 1時間28分)
監督・脚本・製作:ショーン・エリス
出演:レナ・ヘディ、リチャード・ジェンキンス、ケイト・コールマン、アシエル・ニューマン、 メルヴィル・プポー、エリオット・ホームズ、ウルリク・トムセン、スタン・エリス、ほか
12/13(土)
〜 テアトル梅田、シネ・リーブル神戸にてロードショー
公式ホームページ→

 世界的写真家として名高いショーン・エリスが『フローズン・タイム』に続いて放つ長篇映画第2弾。前作では“時の静止”を描き、いかにもフォトジェニックなアプローチで独自の世界感を築き上げて見せた。続く本作のテーマは“鏡=分身”だ。考えてみれば、レンズを通して、そこにある風景や光景をそっくりそのまま映し出す写真も、一種の鏡である。となれば、本作もまた、すこぶる写真家らしい作品と言えよう。

【X線技師をしている美女ジーナが、ある日、赤いチェロキーを運転する自分そっくりの女性を目撃する。これが恐怖の始まりであった……】というホラー風味のサスペンス作品。

 冒頭、エドガー・アラン・ポーの短編小説『ウイリアム・ウィルソン』の最終節が画面に引用される。自分の分身が存在するという妄想に駆られて破滅する男の姿を描いたこの小説が本作の源泉だとか。

 “鏡が割れると7年間不幸が続く”というイギリスの迷信を恐怖の扉に据えたことで、作品全体にどこかしら残酷寓話めいた浮遊感が生まれている。現代を舞台にしているが、敢えて時代を限定し過ぎないのも、意図的な演出に違いない。本作の目指す地平は、怪奇幻想譚(日本で言うところの怪談)である。その証拠に、エリスは重要なモチーフとなったもう一つの作品に『赤い影』(1973 ニコラス・ローグ監督)を挙げている。その影響は、“赤い色”を不吉の予兆として随所に配置しているところに表れているが、『赤い影』も怪奇幻想譚の傑作であった。

 しかし、どうにもしっくり来ない。神経質なまでにこだわった映像・音響は素晴らしく、鏡やレントゲン・電話といった小道具が雰囲気を高めているにも関わらず、ストーリーの練りが足りないためか、サスペンスが持続せず、本来な
らフックとして、より観客の興味を惹き付けるべきショック描写が浮き上がってしまっている。瞬間の完成度はすこぶる高く、そこはさすが天才写真家と言えるが、物語を紡ぐという連続性が今後の課題であろう。

【喜多匡希の映画豆知識:『ブロークン』】
・本作のモチーフとなった『ウイリアム・ウィルソン』は、一度映画化されている。エドガー・アラン・ポー小説3篇を映画化したオムニバス『世にも怪奇な物語』(1967)の第2話『影を殺した男』(ルイ・マル監督)がそれだ。アラン・ドロンとブリジット・バルドーが共演。不当なまでに世評の低い作品だが、隠れた逸品である。『ブロークン』の予習・復習に見比べてみるのも面白い。
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 初恋の想い出
『初恋の想い出』
〜ハッピーエンドかどうかは自分の目で!〜


(2005年 中国 1時間52分)
監督:フォ・ジェンチイ(『山の郵便配達』)
出演:ヴィッキー・チャオ(『少林サッカー』『レッドクリフPartT』)、
ルー・イー、ソン・シャオイン、チャン・チアン、ツイ・ミンチエ、シン・チアトン
12月13日(土)〜梅田ガーデンシネマにて(関西独占公開)

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 結婚写真が撮られたのはその年の2月14日だった。切なさが込み上げるラストシーンに更に追い打ちをかけるように,この字幕が示される。そのときの2人の心情が痛切に迫ってくる。ホウ・ジアの何とも言えない複雑な表情とチー・ランの両目から溢れ出ようとする涙を懸命に堪えている表情に目が釘付けになる。本作では,このラストの感銘を2人と共有するために,その10年以上にわたる心の軌跡を追体験してきたと言って良いくらいだ。
 フォ・ジェンチイ監督は,本作でもまた,淡色系のリリカルな映像詩の世界を築き上げている。いつしか惹かれ合う2人の視点を交互に示しながら,ラブストーリーを織り上げていく。新聞に連載されていたノンフィクションに着想を得た作品だという。舞台の中心となる1980年代は,家族が個人に大きな影響を及ぼしていたそうだ。本作でも,親同士の反目を縦軸として,そこから生まれる2人の心の葛藤を穏やかな口調で美しく綴っている。

 本作で特に印象に残るのは,向き合ってキスをしているような2人のシルエットとフリをする2人の屈託のない笑顔が映し出されるシーンだ。この2人の恋の行く末を見届けなければならないという気持ちにさせられる。その一方で,2人の小学校時代にホウ・ジアの父親が自殺し,これにチー・ランの父親が関わっていることが示される。事の真相が少しずつ明かされていくのだが,そのタイミングが2人の恋愛模様と上手くリンクしている。
 親同士の確執が若い2人の恋愛の妨げとなる構図は,ロミオとジュリエットそのものだ。ホウ・ジアとチー・ランも,自分たちを悲劇の主人公の姿に重ね合わせていく。親には背けない2人のせめてもの代償行為だといえよう。本作では2人が別々の席でバレエを同時に観ているシーンが象徴的だ。意識し合う2人の距離感が端的に表現されると共に,時代背景が反映されている。シェイクスピア風の悲劇とはかなり異なる味わいに満ちた逸品だ。
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 ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト
『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』
〜ストーンズ×スコセッシ=∞(無限大)〜


(2008年 アメリカ 2時間02分)
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ザ・ローリング・ストーンズ
ミック・ジャガー(43年生まれ)、 キース・リチャーズ(43年生まれ)、
ロニー・ウッド(47年生まれ)、 チャーリー・ワッツ(41年生まれ)、
クリスティーナ・アギレラ、 バディ・ガイ、 ジャック・ホワイト
12月5日(金)TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条 他全国ロードショー

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 ストーンズは,1962年にロンドンで生まれたロックバンドだ。本作は,2006年10月29日と11月1日に行われたライブを中心に構成されたドキュメンタリーで,その臨場感には圧倒される。目からウロコどころか,全身のウロコが飛び散るような凄まじい衝撃が走る。ストーンズの魅力が余す所なくフィルムに収められている。きっとカメラの位置や撮影のタイミングが絶妙で,いつどこから何を撮れば良いのかがよく考えられているからだろう。

 コンサートが行われたのはNYのビーコン・シアターという2800席のホールだそうだ。程良い大きさで,ステージと客席やステージ上のメンバーが一つのフレームにぴたりと収まる構図が鮮やかだ。ストーンズと観客との親密感やメンバー同士の一体感を出そうという意図が見事に実現されている。そして,メンバーの表情や動き,これに対する観客の反応が手に取るように伝わってくるので,スクリーンを通して彼らと同じ空気を体感できる。
 ミック・ジャガーのシェイプアップされた肉体が描き出すパフォーマンスには目を奪われる。チャーリー・ワッツが演奏の後で大きなため息をついてチラッとカメラを見るシーンは,心が和む感じだ。キース・リチャーズがゲストのバディ・ガイにギターをプレゼントする場面も見られる。単にライブを客観的に記録しただけの映像ではなく,ストーンズのドラマがあり,そのエッセンスが凝縮されている。スコセッシの手腕が冴え渡っている。
 また,ストーンズのアーカイブ映像がライブの流れを損なわないように巧みに挿入され,彼らの歴史をさりげなく実感させて効果的だ。それに,ライブが始まるまでの撮影する者とされる者のせめぎ合いがユーモラスに捉えられる。いつどんな風にライブが始まるのかと興趣が盛り上がったとき,いきなり「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のイントロがガツンとくる。ライブが終わった後の舞台裏の様子とNYの夜景も茶目っ気たっぷりだ。
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 未来を写した子どもたち
『未来を写した子どもたち』
〜未来に向かって生きる子供たちのために〜

(2004年 アメリカ 1時間25分)
監督:ロス・カウフマン,ザナ・ブリスキ
出演:コーチ、アヴィジット、シャンティ、マニク、プージャ、ゴウル、スチートラ、タパシ
★アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞作品
12/27(土)〜梅田ガーデンシネマ、 京都みなみ会館、
今冬〜神戸アートビレッジセンター

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 インドはカルカッタ(現コルカタ)の赤線地帯の子供たちを描いたドキュメンタリーだ。ラテンアメリカの映画で見た子供たちは,貧しい生活の中で生き抜くための活力に溢れ,ぎらついていた。それに引き換え,インドの子供たちは,厳しい現実にからめ捕られているにもかかわらず,どこか穏やかな輝きを見せている。文化や社会の違いが反映しているのだろう。運命に立ち向かうというよりも,運命と折り合おうとしている趣が感じられる。
 監督の一人ザナは,ニューヨークのフォトジャーナリストで,赤線地帯の女性たちにカメラを向けてシャッターを切るため,1998年から彼女たちに混じって生活を始めたそうだ。その中でザナは子供たちにカメラを与えて写真の撮り方を教える。スクリーンに映し出された子供たちの写真を見ていると,子供たちがカメラを通して見たものだけでなく,被写体を見ている子供たち自身の心の輝きと純な感性が写し出されているような感銘を受ける。
 この子供たちの変化には魅了される。だが,本作が何よりも素晴らしいのは,困難な境遇にいる子供たちの姿を伝えるというだけでなく,その子供たちを赤線地帯から救い出そうとするザナ自身の物語でもあるという点にある。子供たちを寄宿学校に入学させる手続だけでも,出生証明書その他の書類を揃える必要があるなど,色んな面倒がある。子供たちのHIV検査が必要だという悪い知らせがあれば,全員が陰性だという良い知らせもある。
 ザナが奔走した結果,何人かの子供が学校に入ることができる。だが,映画のラストで示されるその後の子供たちの姿には,胸が痛む。なかなか思うようにいかない現実の重さが横たわっている。もちろん学校を卒業した子供や在学中の子供はいるが,親の都合や自分の意思で退学した子供もいる。とはいえ,子供たちの写真が生み出した資金で子供支援基金「KIDS WITH CAMERAS」が設立された。正に子供たちの写真が未来へ希望を繋いだのだ。
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 ワールド・オブ・ライズ
『ワールド・オブ・ライズ』
〜この”嘘の世界”に黙って身を委ねよう〜

(2008年 アメリカ 2時間08分)
監督:リドリー・スコット

出演:レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウ、マーク・ストロング、ゴルシフテ・ファラハニ、オスカー・アイザック
2008年12月20日(土)〜梅田ピカデリー他全国ロードショー

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 本作は,CIA工作員フェリスを主人公としたスパイ・アクションだ。彼は,アラビア語に堪能で,上司のホフマンから電話で指示を受けながら,イラクやヨルダンを駆け回り,テロ組織のリーダーを捕まえるために奮闘する。CIAと中東問題に詳しいジャーナリストの小説を基にしているそうだ。脚本のウィリアム・モナハンは,アカデミー賞脚色賞を獲得した「ディパーテッド」(06)を思い出させる,速射的な展開でドラマを構築していく。
 そして,フェリスに扮するのは「ディパーテッド」に「ブラッド・ダイヤモンド」(06)と大活躍のレオナルド・ディカプリオだ。上司の非情さや現場の苛酷さに囲まれながら,なお人間としての情を保ち続けているという,好感の持てる役柄だ。そんな彼と心を通わせる看護師アイシャには,イラン人女優ゴルシフテ・ファラハニが扮している。彼女は,本作がアメリカ映画デビューだそうで,嘘の世界の中できらりと光る誠実さを見せてくれる。
 監督のリドリー・スコットは,「エイリアン」(79)で,宇宙船という密室を舞台に正体の見えない敵に対する不安と恐怖,「ブレード・ランナー」(82)で,レトロな感覚の近未来を舞台に限りある生命の輝きと哀切を描いている。いずれも忘れ難い異色のSFだ。その後は「テルマ&ルイーズ」(91),「グラディエーター」(00),「ブラックホーク・ダウン」(01)という違ったジャンルの作品でアカデミー賞監督賞に3回ノミネートされている。

 今度の新作は,期待外れだと思う向きがあるかも知れない。個人的なレベルから国家的な規模に至るまで,様々な嘘を交えた駆け引きの面白さを堪能させてくれるわけではない。だが,「アメリカン・ギャングスター」(07)で見られたような重厚感のある映像で,激しい銃撃戦や軍用ヘリによるミサイル攻撃というアクションから,フェリスがGID(ヨルダン情報局)局長らとの間で見せる人間ドラマまで,手際よく描かれているのはさすがだ。
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 WALL・E/ウォーリー
『WALL・E/ウォーリー』
〜肥えた土の匂いと温もりに募る懐かしさ〜

(2008年 アメリカ 1時間43分)
監督:アンドリュー・スタントン
声の出演:ベン・バート、エリッサ・ナイト
ジェフ・ガーリン、フレッド・ウィラード、ジョン・ラッツェンバーガー、キャシー・ナジミー、シガニー・ウィーバー
2008年12月5日(金)より日比谷スカラ座他全国ロードショー
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 29世紀の地球,そこで黙々と健気に働く一体のロボットが存在した。しかも,700年間にもわたって地球上のゴミをキューブ状に固めて高層ビル群のように積み上げている。彼の名前がウォーリーだ。人間は,汚れきった地球を捨て,宇宙空間へ脱出して生き続けていた。地球にはウォーリーだけが残されてしまった。彼は,どこで拾ったのか,「ハロー・ドーリー!」のビデオを見て,他の誰かと手を繋ぐことに憧れている。このように彼の生活状況が映像で紹介されるのだが,実写映画を観ているような錯覚に陥ってしまう。それほど見事にウォーリーの存在に生命が吹き込まれている。もちろん,イヴも同様だ。
 彼女は,大きな目がチャーミングだが,なかなか気が強くて鋭い表情を見せるときもある。と言っても,イブは,卵の形をした流線型のロボットで,宇宙船に乗せられて地球へやって来た。何かの探査を命じられているようだ。久しぶりに出会った仲間にウォーリーが興味を持たないはずがない。2人が次第に打ち解けていく様子がまるでラブストーリーを描くような感覚で展開されていく。というより,これは紛れもなくラブストーリーだ。ラストでは愛の魔法によってハッピーエンドを迎えるのだから,ファンタジーでもある。
 そしてまた,同時にこれはSF映画でもある。宇宙空間で生きる人間は,コンピュータに管理され,互いに接触することもない…培養されているようで,どこかで見た光景だ。それに,明らかに「2001年宇宙の旅」を意識した音楽の使い方が見られる。特に”ツァラトゥストラはかく語りき”が流れるシーンは,猿が頭上に放り投げた骨片が宇宙船になるというカットのつなぎを思い起こさせるほどで,人類の新たな第一歩が踏み出された瞬間をイメージしているようだ。コンピュータが人間に”反乱”を起こすという展開も見られる。この映画はパロディ,あるいはコメディと言ってよいかも知れない。色んな味わいがある。
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