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新作映画
 天国はまだ遠く
『天国はまだ遠く』
〜チュートリアルの舞台挨拶に触発されて〜


(2008年 日本 1時間57分)
監督・脚本:長澤雅彦
出演:加藤ローサ、徳井義実(チュートリアル)
11/8(土)〜テアトル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、
11/15(土)〜109シネマズHAT神戸にて公開

公式ホームページ→
 本作は,大阪では11月8日から公開されているが,11月30日上映中のテアトル梅田において,チュートリアルの徳井義実と福田充徳の舞台挨拶が行われた。時間的な制約などから十分に話を聞けなかったのが少々残念だが,映画の中とは雰囲気の違うナマの芸人・チュートリアルの一端に触れることはできた。スクリーンの内と外のギャップを小さな劇場で感じるというのはなかなか得難い体験だ。そのときの話とプレスを参考に書き連ねてみた。
 田村に扮した徳井は,オーバー・アクションにならず,その抑えた演技が宮津の大自然とマッチして,いい雰囲気を出していた。田村は,両親の事故死がきっかけで突然デパートを退職して,閑静な山奥でストイックな生活を始めるが,その前に婚約者の自殺という衝撃的な体験をしている。このエピソードは,原作にはない映画独自の設定だそうだが,敢えて物質性に背を向けて精神性に向き合うような田村の姿勢にリアリティを与えている。
 徳井自身,田村は自分の素に近いと言うとおり,自然な感じで田村として映画の中の風景に溶け込んでいた。また,福田は,本作にワンシーンだけ登場して田村と顔を合わせるが,その撮影時の印象として,そこには徳井ではなく田村が存在していたと語っている。本作の中でしか観ることのできない”俳優”徳井の”素の姿”を見逃すわけにはいかない。特に,ラスト近くで田村が橋の上で「飛ぶな」と千鶴を抱き止めるシーンは見所の一つだ。
 一方,加藤ローサは,宮津まで死に場所を求めてやって来たが,自殺に失敗して田村と出会うことにより,人生をリセットしようとする千鶴に扮している。意図的に自殺しそうにないキャラに設定されているらしいが,表面的には自殺を考えるように見えなくても,リストカットではなく,わざわざ山奥までやって来るというのであれば,お気楽なマイペースの中にも寂しさが見え隠れするようなキャラに設定する方が,説得力が増しただろう。
 とはいえ,監督の意図したとおり,田村と千鶴の救い合う関係は,スクリーンから伝わってくる。止まっていた田村の腕時計は,千鶴が時計店に持ち込むことによって動き始めた。本作の中で最も象徴的なエピソードだ。そして,千鶴が救われるだけでなく,彼女との出会いが田村の心のしこりを溶かし始める。ラストシーンでは,田村と千鶴が互いに新しい人生の第一歩を踏み出していくことが示される。作り手の誠実さが伝わってくる映画だ。
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 ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて
『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』
〜最高峰の楽団を描く至極のドキュメンタリー〜


(2008年 ドイツ 1時間48分)
監督:トマス・グルベ
出演:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
サー・サイモン・ラトル(指揮)
11月29日(土)〜シネ・ヌーヴォにて公開

公式ホームページ→
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の姿をダイナミックに捉えたドキュメンタリーだ。楽団の創設は1882年だという。その楽団が2005年11月に行ったアジア・ツアーに伴走する形で,楽団とその団員の現在の様子がフィルムに収められていく。そこからリアルタイムで進行している大きな現実そのものが見えてくる。ベルリン・フィルという1個の生き物が125年もの伝統を受け継ぎながら,今なお将来に向かって変化し発展している様子だ。

  今回のツアーでは北京,ソウル,上海,香港,台北,東京の6都市を訪問する。プロローグに入団テストのシーンが置かれ,エピローグで団員の投票による候補生の合否が示される。全体は6部構成で,リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の全パートをなぞりながら,団員の様子を克明に綴っていく。内面には自分への嫌悪や劣等感,あるいは疎外感等の屈折した感情を抱えながら,最高のハーモニーを追及する人々の姿が活写される。

  最も象徴的なシーンは,ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のリハーサルの途中で指揮者ラトルが突然指揮を止めて観客席に下りるが,楽団は指揮者が存在するかのように演奏を続けるところだ。個々の団員の存在を超えて一体となったオーケストラの姿の美しさに魅了される。また,ツアーでは1971年生まれのトーマス・アデスの「アサイラ」も取り上げられる。伝統の中に安住せず,新しいものを取り込んでいく姿勢が端的に示される。

  ツアーの間もリハーサルと本番を繰り返してきた団員の休養日のシーンでは,観客もまた彼らと同じように安らぎや気分転換を体験させられる。そして,台北でのロックスター張りの熱烈歓迎シーンを経て,映画は終幕に近付いていく。東京では,最後の都市というだけではない寂しさが募ってくる。私にとって最後のツアーだと述懐する団員にはほろ苦い味がある。個々の団員の変遷は,オーケストラにとっては新陳代謝にほかならないのだ。
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 青い鳥 (喜多バージョン)
『青い鳥』
〜学校という鳥カゴの中で〜

(2008年 日本 1時間45分)
監督:中西健二
原作:重松清(新潮社『青い鳥』所収)
出演:阿部寛、本郷奏多、伊藤歩、ほか

・第21回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」正式出品作品
・文部科学省 特別選定(少年向き、青年向き、成人向き)/選定(家庭向き)


11/29(土)〜 シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸
お正月  京都シネマ にて、ロードショー

公式ホームページ→
 いじめ問題に真っ向から取り組んだヒューマン・ドラマだ。

  新学期を迎えた東ヶ丘中学校。前学期、2年1組の野口という生徒がいじめを苦に自殺未遂事件を起こして社会問題となり、学校は大きく揺れた。学校側は形だけの対応で沈静化を図り、周囲の者も、事件そのものを忘れることで都合よく解決しようとしていた。休暇中に野口が転校したことも、彼らにとって好都合だ。そこに、休職中の担任に代わって、吃音の臨時教師・村内が赴任して来る。彼は毎朝、野口の机に向かって「野口君、おはよう」と声をかけ続ける。忘れかけていた重苦しい現実を突きつけられた生徒は村内に反発するが……
 タイトルになっている“青い鳥”とは、劇中で学校側が事件への対応として設置した目安箱を指しているが、その名はモーリス・メーテルリンクが著した同名童話に由来している。幸せの象徴である青い鳥を求めて、チルチルとミチルの兄妹が過去や未来の国に旅をするが、本当の幸せは鳥カゴの中=現在にあったという教訓話である。
 村内の行動・言動は、根本的に向き合うことから逃げている者たちに対する痛烈なアンチテーゼだ。「忘れるなんて、ひきょうだな……」というセリフが、スクリーンを飛び越えて観る者の心を鋭く射抜く。村内は、学校という鳥カゴの中で、敢えて彼らに現実を突き付け、“人と向き合う姿勢”や“責任のとり方”の重要性を説く。そこで生じる反発や軋轢を全て受け止め、生徒たちに寄り添い、真剣に語り合うことこそが、教師である彼の信念なのである。

  現実と向き合うことは、痛みを伴う。しかし、そこから目を背けてはいけない。村内に現実を突き付けられた生徒たちは、心の葛藤によってのた打ち回るが、やがて「良かった…… アイツ、生きててくれて……」という言葉を発するまでに成長する。この言葉の重みが深い余韻を残し、大いなる感動に導いてくれる。


【喜多匡希の映画豆知識:『青い鳥』】
・意外に思われるかも知れないが、本作の構成は西部劇だ。風に誘われるようにやって来た流れ者が、問題を解決してまたフラリと旅立って行くというのが西部劇の王道スタイル。臨時教師である村内は、さすらいのガンマンならぬ、さすらいの臨時教師。目に見える銃撃戦こそ無いが、彼が赴任する学校では、生徒たちの心の中で火種がくすぶっており、それが村内の教育によって表出する。彼が学校を離れる時、真の平穏が学校に訪れているのだ。
  尚、西部劇のスタイルを採り入れた作品では、伊丹十三監督の『タンポポ』(1985)や、小林旭主演の“渡り鳥”シリーズ(1959〜1962 全8作)がある。
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 この自由な世界で
『この自由な世界で』
〜大切なものが見えなくなった女性の生き様〜


(2007年 イギリス=イタリア=ドイツ=スペイン 1時間36分)

監督:ケン・ローチ
出演 : キルストン・ウェアリング、ジュリエット・エリス、レズワフ・ジュリック
配給 : シネカノン
11月22日公開 梅田ガーデンシネマ、シネカノン神戸
京都シネマ 近日公開予定

原題:It's a Free World...

公式ホームページ→
 労働者階級の人々に目を向け、作品をつくり続けてきたケン・ローチ監督。本作で挑んだのは、イギリスで働く移民労働者の世界。といっても外国人労働者の側からではなく、彼らに仕事をあっせんする事業を営むイギリス人女性にスポットを当てる。仕事を紹介する側であり、立場が強いようにみえて、彼女自身も借金を背負い、両親に息子を預けて懸命に働く庶民の一人。“この自由な世界で”、どこまでが許され、何を踏み越えてはならないのか、監督は、アンジーの姿を通して、観客に問いかける。
 アンジーは、一人息子ジェイミーを育てるシングルマザー。職業紹介会社で、ポーランドに行き、移住希望者を面接したりする仕事をしていたが、あっさり解雇される。憤慨した彼女は、その経験を生かし、ルームメイトのローズを誘って、自ら職業紹介所を立ち上げる。その名も「アンジー&ローズ職業紹介所」。シンボルマークは虹。移民労働者たちを虹の向こう、彼らが想像する幸せな世界に案内することができるのか。
 仕事は軌道に乗るが、トラブルと苦労の連続。そんなとき、不法移民を入国させ、仕事をあっせんすれば儲けが大きいとの話に、アンジーの心は揺れる。お金さえあれば、仕事に追われる今の生活から解放され、息子と一緒に暮らす余裕ができる、そんな軽い気持ちからか、アンジーは違法行為に手を出してしまう。きっと人間というのは、こんなふうに何気なく、大した覚悟もなく、簡単に越えてはならない一線を越えてしまうものかもしれない。
 しかし、一旦札束を手にしてしまうと、もう元には戻れない。会社に酷使される、辛い生活は嫌だ、生き残るためには、さらにお金を稼ぎ、会社を大きくしていこうと、アンジーの欲望は加速してゆく。いつしか、働かされる側、移民労働者たちへの思いやりを忘れてしまうアンジー。大切なものが見えなくなってしまう彼女の変わりように、観終わって、やるせない、重苦しいものをつきつけられたような気持ちになる。と同時に、この厳しい経済社会の中では、アンジーのような人間は、どこにでもいそうな庶民の一人に過ぎず、悲しいけれど、人間はこんなふうに簡単に変わってしまうものだ、とも思う。
 監督は、そんなアンジーの姿を淡々と描いていく。監督のまなざしは、アンジーの父親の眼に重なる。独立した大人である娘に対し、強制はできない。優しく諭し、暖かく見守るだけ、そんな包み込むような愛。その愛は、孫のジェイミーにも向けられる。きちんと教育して、しっかりした考え方を持った人間に育てていきたい、と孫を心配する気持ちは、次世代を受け継ぐ子供達の将来にも心を向ける監督の思いにつながる。

  ラストシーンで、アンジーが面接する外国人女性の言葉が心に残る。アンジーの心に、その一言はどんなふうに響いただろう。アンジーがその後、変わるか、変わらないかは、読者にゆだねられている。あなたは一体、どんなふうに感じるだろう。ラストシーンの示唆するものは大きい。
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 ハッピーフライト
『ハッピーフライト』
〜覗いてみたい空港の舞台裏,乗り遅れるな!〜


(2008年 日本 1時間43分)
監督・脚本:矢口史靖
出演:田辺誠一、時任三郎、綾瀬はるか、吹石一恵、田畑智子、寺島しのぶ、岸部一徳

11月15日(土)〜全国東宝系ロードショー
公式ホームページ→
 矢口史靖監督・脚本のこれまでの代表作と言えば,本作のチラシにあるとおり「ウォーターボーイズ」と「スウィングガールズ」だろう。男子高生がシンクロナイズドスイミングを文化祭で発表するハメになり,あるいは女子高生がジャズバンドを結成して地方の音楽祭に出場するというもので,同じパターンの作品だった。どちらも,成り行きとはいえ,一つの目標に向かって練習に打ち込む姿が肩の力を抜いた軽妙なタッチで綴られていた。
 今回は,前二作とは群像劇でコメディという点で共通するが,巻き込まれ型の展開ではなく,主人公がティーンエイジというのでもない。空港を舞台としてホノルル行きの飛行機の運航に関わる人々,パイロットやキャビンアテンダントだけでなく,グランドスタッフ,管制官,整備士などに焦点を当てた人間ドラマである。と言っても,堅苦しさはなく,矢口監督特有の軽快な語り口は健在だし,結構スリリングなパニック映画にもなっている。
 後半は,飛行機が悪天候の中を無事に着陸できるかというサスペンスが盛り上がる。これに関連して盛り込まれたエピソードにも工夫がみられる。バードパトロールが追い払う鳥の存在や工具を紛失した整備士の不安を描写することで,飛行機のトラブルの原因は何かという疑問を上手く挟み込む。また,岸部一徳がハイテクに囲まれた管制塔の中でベテランの経験を発揮するし,乗客の一人に扮した笹野高史の表情とそのカツラが笑いを誘う。
 全体にソフトなユーモア感覚が程良く流れている。新米キャビンアテンダントの綾瀬はるかは,「僕の彼女はサイボーグ」や「ICHI」とは違う役柄で,コミカルな面を見せてくれる。田辺誠一は,まだ機長ではない気楽さだけでなく,危機的状況で操縦桿を握る逞しさをも見せてくれる。堅物と言うより不器用な感じの男を嫌みなく演じたのは,機長に扮した時任三郎だ。ちょっと疲れ気味だけど頑張る田畑智子の姿には何だかホッとする。
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 Happyダーツ
『Happyダーツ』
〜“インディーズ映画の女王”が贈る30代女性へのエール〜

(2008年 日本 1時間26分)
監督・脚本:松梨智子
出演:辺見えみり、佐藤仁美、加藤和樹、新田恵利、村杉蝉之介、DAIZO、森次晃嗣、森泉、ほか
11/15(土)〜 シネマート心斎橋にてロードショー

公式ホームページ→
 仕事においても、プライベートにおいても、特にコレといった目標がなく、ただなんとなく日々をテキトーにやり過ごしていた30代の派遣OL・美奈子が、同僚で親友の麻衣と共にフラリと立ち寄ったのがダーツ・バー。そこで年下のイケメン従業員・慶介に一目惚れした美奈子は、下心からダーツを始めるのだが……

 “目標”についての映画だ。親友が呆れ返るほど怠惰な生き方をしている美奈子が、慶介に恋心を抱いたことをきっかけとして徐々に変わっていく。とは言え、決して一朝一夕に魅力的な女性として生まれ変われるわけではない。継続して日々積み重ねる努力あってこそ、人は輝くことが出来るのである。

 本作では、ダーツという競技が美奈子の目標と努力の象徴として描かれる。当初の美奈子は、慶介という的(=恋愛成就)に向けてダーツを放つ。「ハートを射抜く」という言葉があるように、矢は恋心の象徴。この時、美奈子が放つのは恋の矢であるのだ。しかし、ダーツは見当違いの方向に飛んでいき、思うように的を射ることが出来ない。これまでの美奈子ならば、ここで「あ〜、面白くない! やめた!!」となったところであろうが、今回ばかりは想いの度合いが異なるようで、投げ出すことなく、より懸命に練習を重ねることに。その後、単身で道場破りならぬダーツ・バー破りの旅に出、やがて全日本ダーツトーナメントに参加。快進撃を続けていくのだが、そういった中で、美奈子が狙う的は、いつしか慶介から自分自身へと移行しているのだ。当初、ブランドものばかりを身に着けていたのが、Tシャツとジーンズにスニーカーというシンプルなものになっていくという服装の変化に内面の変化を重ねた演出は、女性監督ならではの上手さ。

 30代の美奈子に松梨監督は自分自身を投影しているに違いない。“インディーズ映画の女王”の異名を取る松梨は、商業映画デビュー作である本作で、マンガチックな表現を採り入れるなど、才気迸る個性的な演出を施しながら、同時にリアルな現代女性像を活写してみせた。監督の意図を演技で体現した辺見えみりの好演も気持ちが良い。

 スポ根映画であると同時に、ラブコメ映画としても、昨今流行りの“アラサー(アラウンド・サーティー)”の女性映画としても楽しめる。わかりやすく、肩の力を抜いて楽しめる拾い物。快作と言えよう。
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 青い鳥 (篠原バージョン)
『青い鳥』
〜伝えようとしている想いを「本気で受け取る」ことの大切さ〜
監督:中西健二  (2008年 日本 1時間45分)
原作:重松清
出演:阿部寛、本郷奏多、伊藤歩
11/29〜 シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマ(正月)
公式ホームページ→
 いじめを苦に男子生徒の野口が自殺未遂をした東ヶ丘中学校に、村内という1人の臨時教師がやって来る。彼は、転校していった野口の机と椅子を教室に戻し、誰もいない席に向かって「野口君おはよう」と声をかけた。“事件”のことを忘れようとしていた生徒たちは動揺し、反発する…。

 村内先生は吃音で、うまく話すことができない。その分、温かくも強い信念に満ち溢れたまなざしで生徒たちをまっすぐに見つめ、“本気”で向き合おうとする姿が印象的だ。また、野口の友人でありながらいじめに加担してしまったことに思い悩む園部が、その苦しい胸の内を先生にぶつける場面では、教えるのではなく、伝えようとする先生の「言葉」の重みや優しさが一言一言、観る者の心に響いてくる。
 他者への「思いやり」の大切さ。そして、人として負うべき「責任」の本当の意味。それは、14歳の子供たちだけにではなく、私たち大人にこそ向けられたメッセージなのかもしれない。                  
(篠原 あゆみ)ページトップへ
 ダイアリー・オブ・ザ・デッド
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』
〜ポスト9.11.の情報社会を描いた本家ゾンビ・サーガ最新章〜

(2007年 アメリカ R-15指定作品 1時間35分)
監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ
出演:ミシェル・モーガン、ジョシュ・クローズ、エイミー・ラロンド、ジョー・ディニコル、ほか
11/29(土)〜 敷島シネポップ、新京極シネラリーベ、三宮シネフェニックスにてロードショー

公式ホームページ→
 現代におけるゾンビのイメージを決定付けたのは紛れも無くジョージ・A・ロメロ監督だ。記念すべきゾンビ・サーガは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生』(1968)に始まり、以後『ゾンビ』(1978)、『死霊のえじき』(1985)と作を重ね、ここで当初の三部作構想が完結した。しかし、20年後、更なる続編『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005)を発表。復活の背景には、『バイオハザード』シリーズ、『28日後...』シリーズ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』、『アイ・アム・レジェンド』などといったロメロをリスペクトする後発の映画作家たちによる新作ゾンビ映画群のヒットがある。ロメロ・ゾンビが21世紀の現在も大きな興行力を有していることが証明されたのだ。 

 70・80年代に無数に作られた亜流作品群が徹底して消費されたのに対して、ロメロ・ゾンビが40年に渡って信奉され続けているのは、ロメロが優れた映画作家であるからに他ならない。
 ロメロのゾンビ映画はただ単なるゲテモノではなく、確固とした哲学=文明批判・戦争批判・人間批判を貫く。ベトナム戦争と黒人差別へのアンチテーゼとして始まった本シリーズは、以後、物質文明・格差社会への批判をも盛り込んでいった。そして、最新作である『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』では、9.11アメリカ同時多発テロを踏まえ、情報社会を痛烈に風刺している。 本作は、終始、登場人物が構えるビデオカメラによって捉えられた主観映像によって語られる。この手法は<ポイント・オブ・ビュー=P.O.V.>と呼ばれ、古くは『食人族』(1981)で、最近では『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)、『ノロイ』(2005)、『クローバーフィールド』(2008)でも取り入れられたドキュメンタリー・タッチの撮影技法だ。ロメロは、本作でインターネットの普及によって誰もが情報の発信者=メディアと成り得る現代社会を舞台に、これまでと同じテーマを描ききってみせた。常に時代と寄り添う映画作家の姿がここにある。
 CG技術の発達により残酷描写もパワー・アップしているため、スプラッター映画ファンには問答無用の必見作と言えるが、決して単なるゲテモノ作品ではない。現代人が一考するに足る問題提起が成された社会派ホラーである。

【喜多匡希の映画豆知識:ダイアリー・オブ・ザ・デッド』】
・ 序盤で「オーソン・ウェルズのラジオみたいだ」というセリフがある。これは1938年10月30日(ハロウィン)に、オーソン・ウェルズがラジオ・ドラマ『宇宙戦争』において、火星人襲撃をニュース速報形式の演出として採り入れたところ、リスナーが本物の報道だと思い込み、アメリカ全土が大パニックに陥ったという事実を指している。

・ 11/22(土)公開のフェルナンド・メイレレス監督作品『ブラインドネス』も、黒人差別批判を盛り込んでいる他、スーパーマーケットでのサバイバル劇も展開される。この作品も、明らかにロメロ・ゾンビ映画の影響を受けている。メイレレスもロメロ信奉者の一人なのだ。どうです、ロメロって凄いでしょ?
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 D−WARS ディーウォーズ
『D-WARS ディー・ウォーズ』
〜ロサンゼルスを怪獣たちが大破壊!!〜

(2007年 韓国 1時間30分)
監督・脚本・製作総指揮:シム・ヒョンレ
出演:ジェイソン・ベア、アマンダ・ブルックス、ロバート・フォスター
・第21回東京国際映画祭特別招待作品
11/29(土)〜 敷島シネポップ、TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、TOHOシネマズ西宮OS その他全国ロードショー

公式ホームページ→
 韓国資本だが、出演者・スタッフの殆どがハリウッド映画人という怪獣パニック映画。韓国映画史上最大となる35億円の制作費をつぎ込み、2007年度韓国国内最大の大ヒットを記録。全米でも大々的に公開され、全米ボックスオフィス初登場5位の快挙を成し遂げた。

 コメディアン出身のシム・ヒョンレ監督は、幼少期からの怪獣好きが高じて映画監督になったというから筋金入りの怪獣マニアだ。そのため、「怪獣が好き!」という情熱一本の力技で押し切っている。言わば、本作は“大人の怪獣ごっこ”なのだ。特撮映画ファン&怪獣好きならばたまらなく嬉しい作品と言える。

 監督の興味が、怪獣パニックに集中しているため、物語はあってないようなもの。韓国に伝わる龍の戦士の伝説がベースとして語られるが、これは無理矢理のお膳立てに過ぎず、とってつけた感が大である。竜の戦士がなぜ現代アメリカに生きる白人男性として生まれ変わるのか、さっぱりわからない。アメリカにとっては、傍迷惑極まりない話だ。とどのつまりが、「アメリカの大都市で怪獣が大暴れする大スペクタクル・シーンを見たい! 撮りたい!!」という興味と熱意だけが先走りまくっているのである。だから、こうなる。ただし、そこに史上最低の監督として世界中で愛される故・エド・ウッド(エドワード・ウッド・D・Jr)並みの映画愛が存分に窺えるため、どこか微笑ましいのである。

 巨大な蛇状の怪獣や、翼竜、バズーカ砲を背中に背負った戦車様の怪獣などが次から次へと登場し、惜しげもなく展開される大都市ロサンゼルス大破壊は圧巻。是非、大画面・大音響で御覧いただきたい。オリジナリティは皆無で、『GODZILLA ゴジラ』(ハリウッド版)や『ロード・オブ・ザ・リング』『ジュラシック・パーク』『キング・コング』、果ては『海底軍艦』や『大蛇大戦』といった世界中の怪獣&ファンタジー映画からのイタダキばかりなのだが、ここまで徹底されると思わずウキウキ&ニンマリしてしまう。


【喜多匡希の映画豆知識:『D-WARS ディー・ウォーズ』】
・ シム・ヒョンレの監督第一作は、やはり怪獣大暴れの『怪獣大決戦 ヤンガリー』(2000)。韓国の昔話『大怪獣ヨンガリの伝説』が下敷きだが、こちらも宇宙から飛来した大怪獣がアメリカで暴れまくるというSFパニック作品だ。シム

・ヒョンレ監督には、いっそこの路線を徹底して突き進んでいただきたい。
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 The ショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった
『Theショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった』
〜日本映画界の才人監督たちが描く五者五様のコドモ像〜

(2008年 日本 1時間32分)
11/26(土)〜 TOHOシネマズ西宮OSにてオープニング先行ロードショー
2009年1月、梅田ガーデンシネマ、京都シネマにて順次公開

公式HP→http://www.asahi.co.jp/films/
・第13回 釜山国際映画祭 正式招待作品
・第6回京都映画祭正式招待作品

公式ホームページ→

 現代日本映画界を代表する5人の監督が“こども”をテーマとしたショートフィルムを競作したオムニバス作品。
朝日放送新社屋完成記念事業の一環として製作された本作は、2008年7月に監督&出演者のトーク付きのイベント上映が無料招待制で行われた。当初、上映はこの一回きりの予定であったが、劇場公開を望む多くの声を受け、急遽公開が決定したと聞く。映画ファンの「観たい!」という声に映画興行界が応えた。いやあ、めでたい!

1.『展望台』
監督・脚本:阪本順治(『闇の子供たち』『亡国のイージス』『王手』)
出演:佐藤浩市、ほか

トップバッターは『展望台』の阪本順治。一日の営業が終了した通天閣の中で、自殺志願の中年男と母親に捨てられた男の子の交流を描く。『どついたるねん』『王手』『ビリケン』の“新世界三部作”を手がけた阪本が、再び新世界に舞い戻ってきたのが嬉しい。ただ、佐藤浩市の上手さは光るが、一夜の再生劇として密度が薄く、説得力に欠けるのが難。
2.『TO THE FUTURE』
監督:井筒和幸(『パッチギ!』『岸和田少年愚連隊』『ガキ帝国』)
脚本:羽原大介、吉田康弘
出演:光石研、ほか

続いて井筒和幸の『TO THE FUTURE』。ある小学校を舞台に、型破りな担任教師に戸惑いつつもたくましく生きるこどもたちの姿を描く。「未来へ」というタイトルが示す通り、本作にはこどもたちのたくましさがパワフルに描かれる。これぞ井筒流作劇術! 乱暴・残酷ともとれるラスト(劇場で確かめていただきたい)をどう受け止めるかで評価が分かれるだろうが、そこにある破天荒な暴力は、井筒和幸による9.11.以後世代に対する一つの回答として重要だ。目下大注目の光石研が繰り広げる抱腹絶倒の怪演も見どころ。
3.『イエスタデイワンスモア』
監督・脚本:大森一樹 (『T.R.Y.』『風の歌を聴け』『ヒポクラテスたち』)
出演:高岡早紀、佐藤隆太、岸辺一徳、ほか

関西出身の監督が続く。3番手に登場するのは大森一樹の『イエスタデイ・ワンスモア』。5作品中唯一の時代劇で気を吐く。東映京都の底力漲るセットで気分は一気に江戸時代にタイムスリップ。女手一つで頑張る母親の助けになりたいと、幼い息子が浦島太郎の子孫が持つ玉手箱を使って大人になる。トム・ハンクスの出世作『ビッグ』を彷彿とさせるストーリーを、落語の人情噺風にフンワリとしたタッチでまとめあげている。高岡早紀、佐藤隆太、岸辺一徳がいずれも好演。快作である。
4.『タガタメ』
監督・脚本:李相日(『フラガール』『スクラップ・ヘヴン』『69 sixty nine』)
出演:藤竜也、宮藤官九郎、川屋せっちん、ほか

参加監督中、最年少の李相日(イ・サンイル)が4番打者を任された格好だが、その期待に見事に応えたと言って良い。末期癌を宣告された70代の男。妻に先立たれ、知的障害を抱える中年息子と二人きりの彼は、「俺はいいよ。でも、アイツは一人では何もできない・・・・・・」と絶望する。そんな中、目の前に“死神”が現れ…… 主演の藤竜也が渾身の熱演を見せ、死神役の宮藤官九郎が持ち前の軽味を発揮している。そのコントラストが豊かに昇華された。重苦しい話にファンタジーの要素を盛り込んでいるが、絵空事に終わらせず、心に深い余韻を残す。白眉の一篇。素晴らしい!
5.『ダイコン〜ダイニングテーブルのコンテンポラリー〜』
監督・脚本:崔洋一(『血と骨』『マークスの山』『月はどっちに出ている』)
出演:小泉今日子、樹木希林、細野晴臣、山本浩司、ほか

トリを飾るのは映画監督協会会長を務める崔洋一。樹木希林と小泉今日子が母娘を演じるというだけで見逃せない。演出・演技ともに冴えた一級の会話劇。年金生活目前の母と、夫と別居中の娘を中心としたリアルな人間模様は身につまされる。二大演技派女優の脇で、細野晴臣、山本浩司をチョイチョイと配するキャスティング・センスにも唸った。

多才かつ多彩な監督陣が、それぞれの持ち味を発揮。オムニバス映画の醍醐味を存分に味わった。

【喜多匡希の映画豆知識:『Theショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった』】
・ “オムニバス”とは、元々ラテン語で“全ての人のために”という意味の言葉“オムニブス(omnibus)”が語源。これを英語読みして“オムニバス”。これが、近代フランスで乗合馬車を指す言葉として定着したことから、やがて現在の“独立した短い作品を一つにまとめた形式”をこう呼ぶようになった。

(喜多 匡希)ページトップへ
 マルタのやさしい刺繍
『マルタのやさしい刺繍』 
〜偏見を乗り越え、諦めない力こそ、夢につながる〜

(2006年 スイス 1時間29分)
監督:ベティナ・オベルリ
出演:シュテファニー・グラーザー、ハイディ・マリア・グレスナー、アンネマリー・デュリンガー、モニカ・グブザー
11月15日(土)〜梅田ガーデンシネマ、京都シネマ、
2009年2月7日(土)〜OSシネマズミント神戸  にて公開

原題:Die Herbstzeitlosen

公式ホームページ→
 周囲の偏見に負けず、自分たちの夢を実現させていくおばあちゃん達の姿がさわやかで、観る者を大いに元気づけてくれる作品。

 スイス丘陵部の小さな村。最愛の夫に死なれ意気消沈の80歳のマルタ。ふと「自分でデザインし、刺繍したランジェリーショップを開く」という結婚前の夢を思い出す。刺繍にかけてはすご腕。女友達の協力を得て、ついに開店にこぎつける。しかし、保守的な村の人々や息子までもが、下着なんて嫌らしいものをと大騒ぎに……。
 村中から冷たい視線を受けるマルタにとって唯一の理解者は、三人の女友達。それぞれに家庭の事情を抱えつつも、店を軌道に乗せるために、力をあわせる。それぞれの家族の心模様が、ユーモアを交えて丁寧に描写され、マルタの夢を自分のことのように応援する彼女たちの暖かい思いが胸に迫る。

  マルタを演じるのは1920年生まれのスイスの人気女優シュテファニー・グラーザー。刺繍について語る時の、マルタの目のなんときらきらしていること。夢について語るのに年齢なんて関係ない。彼女の生き生きした姿は、夢を持ち続ける限り、人は老いることはないと教えてくれる。
 まわりの偏見に屈せず自己実現していく熟女たちの姿を描いた作品として思い浮かぶのは、『カレンダー・ガールズ』(2003年・イギリス)。婦人会のカレンダーに自分たちのヌード写真を使うというユニークな物語。比較すると、本作は地味ではあるが、それぞれの人物を丁寧に描きこみ、より身近で、親しみ深い人間ドラマとなった。
 監督は、長編2作めで、35歳と若き女性ベティナ・オベルリ。原題の「Die Herbstzeitlosen」は、コルチカムというユリ科の花の名前で、鉢植えせず、土や水がなくても球根だけで花が咲く丈夫な植物。何度も執拗に繰り返される嫌がらせにもめげず、手を携えて夢を実現させようと奮闘するマルタたちの姿は、観る者を大いに勇気づけてくれる。幾つになっても、自分の大好きなことを持ち続け、夢に向かってあきらめないことこそ、最も人を輝かせてくれるのだ。
(伊藤 久美子)ページトップへ
 かけひきは恋のはじまり
『かけひきは、恋のはじまり』 LEATHERHEADS
〜恋もアメフトも最後はタッチダウンで決まり!〜

監督 ジョージ・クルーニー(2008・アメリカ/113分)
出演 ジョージ・クルーニー レニー・ゼルウィガー ジョン・クラシンスキー
11月8日(土)〜 TOHOシネマズ梅田 敷島シネポップ TOHOシネマズ二条 三宮シネフェニックス TOHOシネマズ鳳
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 『グッドナイト&グッドラック』『シリアナ』以来すっかり社会派のイメージが定着したジョージ・クルーニーがラブコメを監督&主演。1920年代。NFLが花形スポーツになる以前の“泥仕合”をベースに、中年アメフト選手と女性記者の恋の行方を探る。

 見所は男女のウィットにとんだ会話劇。皮肉を皮肉で返す言葉のキャッチボールは痛快で、そこに大人の余裕と愛を感じる。やはりジョージには“口八丁な紳士”が一番よく似合う。男勝りな記者が女の顔に戻るダンス&キスシーンにも注目。
(中西 奈津子)ページトップへ
 その土曜日、7時58分
『その土曜日、7時58分』
〜名匠シドニー・ルメットがあぶり出す非業のメロドラマ〜

(2007年 アメリカ/イギリス R−18指定作品 1時間57分)
監督:シドニー・ルメット
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、イーサン・ホーク、マリサ・トメイ、アルバート・フィニー、ローズマリー・ハリス、エイミー・ライアンほか
11月1日(土)〜梅田ガーデンシネマにてロードショー
以降、京都シネマ、シネ・リーブル神戸にて順次公開予定

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 一見裕福な会計士の兄・アンディが、離婚後の養育費にさえ事欠いている弟・ハンクに大胆な儲け話を持ちかける。両親が経営する宝石店を襲撃しようというのだ。店番は老母のみ。店は保険に入っているため、実質的な損害はゼロ。計画は完璧のはずだった。しかし、一発の銃声が運命を狂わせる。その土曜日、7時58分―。
 時間軸を錯綜させた『パルプ・フィクション』風の構成は、まるでジグソーパズルのよう。ピースの一つ一つがサスペンスを盛り上げ、やがて家族を巡る闇のメロドラマが浮かび上がってくる様は正にルメット・マジック。名優たちが織り成す演技のアンサンブルも絶品。芳醇な香りを放つ真紅の毒酒のような傑作である。大人の映画だ。
(喜多 匡希)ページトップへ

 ジーニアス・パーティ ビヨンド

『Genius Party Beyond』   (2008年 日本 1時間29分)
〜五色の創造 “天才の饗宴”再び!〜

11/26(水)〜 TOHOシネマズ 西宮OS(11月26日OPEN予定!)にて関西地区独占公開!  

【舞台挨拶&劇場プレゼント情報】
・11/28(金)前田真宏監督(『GALA』)、田中達之監督(『陶人キット』)、森本晃司監督(『次元爆弾』)による舞台挨拶決定!
・初日3日間(11/26〜28)、『Genius Party Beyond』B1ポスターと森本晃司監督描きおろし"スペース少女"B1ポスターを2枚組セットにして、『Genius Party Beyond』の観客先着50名にプレゼント!


公式ホームページ→

♯1:『GALA』 
監督:前田真宏
音楽:伊福部昭
声の出演:高野麗、江戸屋小猫、ほか


♯2:『MOON DRIVE』 
監督:中澤一登
音楽:ワルシャワ・ヴィレッジ・バンド
声の出演:古田新太、高田聖子、ほか

♯3:『わんわ』
監督:大平晋也
音楽:野崎美波
声の出演:鈴木晶子、一条和矢、ほか

♯4:『陶人キット』
監督:田中達之
音楽:JUNO REACTOR
声の出演:佐野史郎、水原薫、ほか

♯5:『次元爆弾』
監督:森本晃司
声の出演:菅野よう子、小林顕作

 『鉄コン筋クリート』『マインド・ゲーム』のSTUDIO4℃製作によるオムニバス・アニメーション・プロジェクト待望の第2弾。“映像よ街に出よう”をテーマに、日本が世界に誇るアニメーション界の気鋭クリエイター5人が結集し、それぞれの才能を遺憾なく発揮している。

 オムニバス映画の場合、特定のモチーフやテーマに沿って競作がなされるケースが多いが、本シリーズはそういった縛りが全く無い。「制約=ゼロ」というコンセプトのもと、今回も全く毛色の異なる作品群が揃った。この、一見野放しとも思える画期的なコンセプトが最大限に効を奏し、5作品共に全く異なる魅力を振りまいている。さながら、アニメーションの万華鏡とでも言うべきイマジネーションの洪水は“映像体験”という言葉こそふさわしい。
 その先陣を切る『GALA』は、『ゴジラ』のテーマ曲で知られる伊福部昭(故人)の音楽に彩られたオリエンタル・ファンタジー。神々の暮らす地に落ちてきた巨大な隕石状の“何か”を巡る、祝祭感覚に溢れた神話的世界観に目を見張った。壮大なオーケストラ音楽が、やがて大いなる生命讃歌に到達する様は圧巻。
 個性豊かな無法者4人が月面で繰り広げるドタバタ劇を独特の画調で描いた『MOON DRIVE』は、ポップでトンガったセンスが光る。マンガの手法を取り入れたり、登場キャラクターの見た目と声にギャップを持たせたりという、実験的な演出が面白い。

 続く『わんわ』は、手描きアニメーションの魅力がビンビン伝わってくる収穫の一本。幼ない男の子の夢が紡ぐ生と死を巡る物語。鬼の存在が日本の昔話を思わせ、怖さの中にどこかあたたかい感触を感じた。技術・内容共に驚くほどの充実振りに太鼓判を押したい。
 打って変わって、グレーを基調としたダークな近未来SFサスペンス『陶人キット』は、世界に羽ばたくジャパニーションの王道的スタイルで、最も物語性がくっきりした作り。“陶虫”と呼ばれる謎の生物を人形の中に埋め込んで育てている少女と、彼女を追い詰める管理局捜査官・島田の攻防から目が離せない。緻密な背景の描き込みが雰囲気を更に盛り上げる。
 トリを飾るのは、5作品中最も感覚的なアニメーションによる映像詩『時限爆弾』。個人的にはこの作品が白眉だ。仲良くなった少女に「もう、キライ」という言葉を浴びせかけられた少年シン。甘く温かい愛情の記憶が、冷たく鋭い言葉のナイフに変わり、シンの心を切り裂く。その感情の波を、どこか郷愁を誘う夢幻的な映像で表現してお見事! さすらう魂を自由自在に変貌するイメージで表現しており、何度も繰り返し鑑賞したくなる素晴らしさだ。

 5作品のいずれもがオンリーワンの輝きを放っている。それぞれの好みに合った作品を見つける宝探し感覚も楽しい。
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 デス・レース
『デス・レース』
〜カルト・アクション『デス・レース2000年』が新世紀に蘇る!〜

(2008年 アメリカ 1時間45分)
監督・製作・原案・脚本:ポール・W・S・アンダーソン
製作総指揮:ロジャー・コーマン
出演:ジェイソン・ステイサム、ジョアン・アレン、イアン・マクシェーン、タイリース・ギブソン、ナタリー・マルティネス、マックス・ライアン、ジェイソン・クラーク、ほか
11/29(土)〜 TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、 OSシネマズミント神戸、TOHOシネマズ橿原、ほか全国一斉ロードショー!

公式ホームページ→
 1975年製作のカルト作品『デス・レース2000年』(DVDタイトル『デス・レース2000』)のリメイク。オリジナル版は、“B級映画の帝王”と呼ばれる大プロデューサー:ロジャー・コーマンが、ブラック・コメディを得意とするポール・バーテル監督を起用して撮り上げた低予算カー・アクション作品で、モラル無視の殺戮カー・レースを通して痛烈な社会風刺を試みた異色作だ。

  【近未来(リメイク版では2012年)のアメリカでは、年に一度“デス・レース”と呼ばれる3日間の殺戮カー・レースが行われ、全世界に生中継される高視聴率TV番組となっている】という大枠はそのままだが、本作では細部に大幅な脚色が加えられている。オリジナル版ではアメリカ合衆国大統領がレースの主催者であり、歴戦の猛者であるレーサー達はアメリカ大陸を東西に縦断するレースを繰り広げていたが、本作では民間運営となった刑務所がレースを取り仕切り、半ば強制的にレーサーに任命された囚人たちが刑務所の敷地内を疾走する。
 この改変によって、広大な大地を猛スピードで駆け抜ける様が開放的でありながら、それでいて全てテレビ中継によって監視されているという近未来管理社会の恐怖が目減りしてしまったことは否めない。閉鎖空間である刑務所敷地内を活かすアイデアにも乏しく、見た目の派手さを追求したのだろうが、肝心のレースそのものが盛り上がらず、行き当たりばったりの印象を受けた。このレースが、世界中でどれだけ熱狂的に受け入れられているのか、メディアや観客・視聴者の姿を通して示さなくてはリアリティが生まれない。であるのに、本作は視点を刑務所内に限定してしまうため、まるでこのレースが刑務所の年間行事であるようにしか見えないのだ。加えて、細かすぎる編集が肝心のスピード感を殺してしまっており、アクションが流れるように展開されないもどかしさも感じた。
 とはいえ、主演のジェイソン・ステイサムが持つ、無骨であるがどこか温かい魅力や、冷酷な刑務所長を演じる演技派女優ジョアン・アレンの憎々しい芸達者振りは見ものだし、クライマックスに用意された改造車VSヘリコプターの追跡劇は手に汗を握らされる。

もちろん、フォード・マスタング、クライスラー、ポルシェ、ジャガー、BMWといった高級マシンを改造したモンスター・カーは世のカー・マニアにとって必見と言える。

【喜多匡希の映画豆知識:『デス・レース』】
・『デス・レース2000年』の完全リメイクではないが、大きな影響を受けた作品としては、クエンティン・タランティーノ監督作品『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)が忘れられない。こちらも多くの有名車が登場し、怒涛のアクションを繰り広げる。『デス・レース』鑑賞の予習・復習にも最適な一作だ。

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 夢のまにまに
『夢のまにまに』
〜美術の大ベテランが長編劇映画を監督!〜


(2008年 日本 1時間46分)
監督:木村威夫
出演:長門裕之、有馬稲子、井上芳雄、観世榮夫、宮沢りえ、桃井かおり、永瀬正敏、上原多香子
11/29(土)?第七芸術劇場、1月京都シネマにて公開

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 主人公・木室創(長門裕之)の夢のシーンで始まる。若い彼とエミ子(永瀬正敏,上原多香子)が空襲に遭っている。燃える炎が大きな木に投影されて怖いほど美しい。また,エミ子は広島で姉を失った過去を抱えている。
 戦争の影が濃い映画だ。その中で,宮沢りえの明るさがまばゆい。彼女は,過去の飲み屋のママと現在の銅版画家・中埜潤子の二役を務めている。過去の宮沢りえが初めて登場するシーンは,彼女の姿と現在の木室の姿をそれぞれ捉えた短い4つのカットを交互に重ねるだけで,過去と現在を瞬時に繋ぐと共に,木室の思いを浮かび上がらせる。そして,上野駅での別れのシーンでは,マスクをした宮沢りえの目に深い悲しみが宿っている。彼女がスクリーン中央にすっと吸い込まれていくような,ちょっとシュールな映像は,彼女が木室の手の届かない場所へ行ってしまったことを示すようだ。また,彼女と中埜潤子が同一人物のように見える曖昧さもまた面白い。
 彼女が過去の象徴だとすれば,村上大輔(井上芳雄)は未来への架け橋かも知れない。だが,彼もまた木室の手の届かない所へ行ってしまうのはどうしたことだろう。ともあれ,彼は,木室が学院長に就任した映画学校の生徒で,マリリン・モンローの幻影に導かれて生きているようだ。また,彼は,戦没画学生慰霊美術館・無言館を訪れ,戦争のため志半ばで死んでいった若者たちの思いを全身で受け止める。「なぜ戦争なんかしたんだ」という彼の言葉は木室の心情を吐露したものに違いない。人は,生まれて死んで,また生まれて死んでいく。その繰り返しの中で未来へ伝えなければならない過去がある。だが,思うように伝えられず苦渋しているかのようだ。
 木室は,監督自身の分身だという。木室とその妻エミ子(有馬稲子)を軸として,彼の体験した過去の出来事や思い出,未来へ託そうとする思いが綴られていた。だが,決して懐古調ではなく,確かに未来を見据えている。
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 空想の森
『空想の森』
〜土のついたままのジャガイモ。その素朴で深い味わい〜

(2008年 日本 2時間9分)
監督・撮影・ナレーション:田代陽子
11/22(土)〜 大阪:十三第七藝術劇場にてモーニングショー

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 “空想の森”というタイトルからは、どこか神々しい雰囲気の中で緑豊かな木々が林立している光景が思い浮かばれる。そこには、燦々と輝く太陽と豊かな栄養を含んだ大地、清らかな水によって育まれた力強い“生命(いのち)”のイメージがある。
 1996年、北海道のほぼ中央部に位置する新得町で“SHINTOKU空想の森映画祭”という映画祭が立ち上げられた。廃校となった赤い屋根の小学校校舎を利用して行われるこの小さな手作りの映画祭は、年に一度のお祭りとして定着し、今年で13回目を迎えた。その記念すべき第1回大会で、本作の監督である田代陽子は故・佐藤真監督の『阿賀に生きる』(1992)と出会い、大きな感銘を受けたそうだ。
 といった前知識から、てっきりこの小さな映画祭についてのドキュメンタリー映画とばかり思い込んでいたが、違った。『阿賀に生きる』は、新潟水俣病が発生した阿賀野川流域に生きる人々の暮らしを、その地で共生しながら追いかけたドキュメンタリーである。「これまで映画に関心がなかった」という田代陽子は、ここで“映画の力”という名の洗礼を受け、ドキュメンタリー映画製作の道に入っていった。そして2002年、本作の撮影を始めた。7年がかりで完成した本作もまた、新得町新内に暮らす人々とその生活に寄り添った“営みの映画”であった。
 心や体に障がいを持つ人たちや、社会になじめない人々が共に生きていこうという趣旨のもとに設立された農場“共働学舎”に暮らす人々や、関東・関西から入植してきた人々が、野菜やチーズを作り、それらを売って生活している新得町。その生活は、一見するとユートピアのような感触を与えるが、その中には悩みもあり、自省もある。そこに“人間”が浮かび上がる。
 7年間撮ったが、実際に使った映像素材は最後の1年間分という。しかし、その前の6年間が完成した本作に確実に活かされている。資金難によって撮影中断を余儀なくされながら、投げ出さなかった理由を監督に尋ねたところ「新得の野菜が本当に美味しかったから」という答えが返ってきた。新得の四季を通して育まれた本作は、水と土の香りのする、無農薬野菜と同じ素朴で深い味わいがある。まるで土のついたままのジャガイモのようだ。

 決して重苦しくなく、清々しい感触を与える本作には、冒頭で記したような“生命(いのち)”のイメージに溢れている。産地直送の恵みに心打たれる一作だ。
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 ブラインドネス
『ブラインドネス』
〜見にくさが醜さに変わった裏側の美しさ〜

(2008年 カナダ・ブラジル・日本 2時間01分)
監督:フェルナンド・メイレレス
出演:ジュリアン・ムーア、マーク・ラファロ、アリス・ブラガ、伊勢谷友介、木村佳乃、ダニー・グローバー、ガエル・ガルシア・ベルナル
2008年11月22日(土)〜梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 他にて公開
公式ホームページ→
 冒頭で信号機の表示がアップで映し出される。大きな赤い目と青い目だ。まるで人間社会を監視しているようで,不気味な感じさえ湧き上がってくる。そのとき,突然,その目に注意を払うべき人間の目から視力が奪われ,交通秩序が乱れる。しかも,その症状が大勢の人間に広まっていき,渋滞だけでなく,重大な死傷事故も発生する。人間社会が得体の知れない恐怖に包まれていく。その後の展開を暗示するような鮮やかなオープニングだ。
 視力を失った人は,目の中に白いものが広がって見えなくなったと訴える。原因不明の感染症として強制的に隔離され,軍により監視される。理解できないものの存在を無視するかのようだ。目をつぶれば世界がなくなるといった発想が見える。愚かしいが,それもまた人間的だといえよう。そして,閉塞感に包まれた社会の中には,やがて独裁的なリーダーが生まれてくる。この点は,以前にも繰り返し指摘されてきたことで,新鮮さはない。
 だが,映像には工夫が凝らされている。人間の姿がガラスを通して二重にダブって見えたり,鏡に映って左右対称に見えたりする。通常なら現実と虚像の区別があいまいでも不自由することはない。ところが,現実が見えなくなると,虚像だけが広がり,不安や恐怖に心が浸食されていく。画面全体に白濁した世界が広がる様子や,目が見えていたときの朧気な記憶のように動く影を映し出すことにより,現実を認識できない状態を視覚化する。
 また,目の見えない人々が収容された閉鎖的な社会の中に目の見える人間が1人だけ入り込んでいるという設定が秀逸だ。彼女の選択と行動,ひいては責任に焦点が当てられる。目の見えない人々の中には,次第に秩序や倫理を見失い,欲求のみに従って行動する者が現れる。目の見える者もその社会に適応しなければ生きていけない。更に,同じ事態が収容所の中だけでなく,外の世界にも広がっていたとしたら…。人間の本質が抉り出される。
 もっとも,”白い闇”に象徴される不安や恐怖を突き抜けた先に”白い光”という希望が見えてくるので,救われる。たとえば,不和だった日本人夫婦が極限的な状況を体験する中で宥和する。秩序と倫理を守ろうとした医者は,自らの無力さに直面し,目の見える妻との関係もぎくしゃくするが,やがて元通りの絆を取り戻す。絶望感に打ちひしがれることはなく,かえって神々しいまでの明るさに包まれるような不思議な感覚が残る映画だ。
(河田 充規)ページトップへ
 レッドクリフ PartT
『レッドクリフ PartT』
〜古今東西,戦いの影には絶世の美女が…〜


(2008年 アメリカ・中国・日本・台湾・韓国 2時間25分)
監督:ジョン・ウー
出演:トニー・レオン(周瑜)、金城武(孔明)、チャン・フォンイー(曹操)、チャン・チェン(孫権)、ヴィッキー・チャオ(尚香)、フー・ジュン(趙雲)、中村獅童(甘興)リン・チーリン(小喬)

11月1日(土)〜全国ロードショー
公式ホームページ→
 ジョン・ウー監督と言えば,「男たちの挽歌」(1986・香港)や「M:I-2」(2000・米)を思い出す。だが,彼の出身は中国・広州だという。しかも,映画の題名がレッドクリフ(赤壁),つまりは三国志である。正に真打ちの登場といった感じで期待が募るし,その期待に違わない作品だ。アクションだけを取り出した軽薄さや歴史物が陥りがちな重苦しさは感じられず,スケールが大きく内容の豊かなエンターテインメントとなっている。
 3世紀末に編纂された公式の歴史書が「三国志」であり,これに基づいて14世紀に書かれた中国の長編歴史小説が「三国志演義」だという。1999年にはスーパー歌舞伎「新・三国志」が上演された。関羽が主人公で,劉備が実は玉蘭という女性だったとの設定で,2人のロマンスを絡ませて独自の三国志の世界が描かれていた。ジョン・ウー版の三国志では,人を敬愛し友情を育むことで勇気が生まれるという,人間ドラマが中心に据えられている。
 魏,蜀,呉の三国時代の少し前,中国では漢王朝が衰退し,北の曹操と南の孫権が力を持っていた。そんな時代に”桃園の誓い”と言われる義兄弟の契りを交わした劉備,張飛,関羽の3人が,曹操に攻められて敗退する。更に曹操は孫権に矛先を向けるが,孔明の働きで劉備と孫権が同盟を結び,西暦208年の赤壁の戦いで曹操を敗走させる。11月1日公開予定の前編では赤壁での水上戦に至るまでが描かれ,続きは来年の公開だそうだ。
 冒頭,民を守るため撤退が遅れた劉備軍の張飛,関羽や趙雲の奮闘が鮮やかなスピード感で描かれる。同盟への説得のため孫権の下を訪れた孔明が周瑜と琴を共演するシーンでは巧みなカメラワークが緊迫感を生み出す。また,象徴として虎や亀が巧みに用いられる。赤壁での陸上戦は壮大なスペクタクルで正に圧巻だ。じゃじゃ馬な性格の孫権の妹・尚香や曹操から密かに狙われている周瑜の妻・小喬にも重点が置かれ,後編の展開が楽しみだ。
(河田 充規)ページトップへ
 ブタがいた教室

『ブタがいた教室』

監督:前田哲(2008年 日本 1時間49分)
出演:妻夫木聡 大杉漣 原田美枝子 田畑智子
11月1日〜シネリーブル梅田、京都シネマ、ワーナーマイカルシネマズ茨木 他
第21回東京国際映画際コンペティション部門にて観客賞を、また主要部門新作を対象にした本年度新設のTOYOTA Earth Grand PrixをW受賞いたしました!!!
公式ホームページ

前田監督記者会見

 私たちの命は、多くの犠牲の上に成り立っている。しかし、普段そのことを意識することは少ない。これはごく普通の子どもたちが初めてそのことに触れ、正面からぶつかり、悩み、最後に大きな決断をした、18年前に大阪であった出来事を映画化したものだ。
 ある日、6年2組の担任教師・星ベェ(妻夫木聡)は教室に仔豚を連れてくる。教卓に載ってしまうほど小さな、ピンク色をした生き物に子どもたちは夢中になった。星ベェは言い放つ。このブタをクラスで飼おうと思います。ただし1年後、みんなが卒業するときに食べようと思います、それでも飼いたいという人は手を挙げてください。仔豚は成長し、いつしか“Pちゃん”としてクラスのマスコット的存在になっていった。
 生き物の世話は楽じゃない。なにしろ、食べて、排泄して、眠って、言葉が喋れないだけで人間とまったく同じ生命維持活動をするのだ。しかし、手がかかればそれだけ情も移るもの。Pちゃんのヒヅメがリノリウムの床を滑る様子は何とも愛らしく、校舎の廊下をおしりを振り振り歩く後ろ姿はユーモラスで憎めない。しかし、別れは必ずくる。どんな形であっても。
 6年2組のみんなが直面した、大人にとっても難しいこの問題にあなたならどんな答えを出すだろう。星ベェは言う。正しいとか間違っているとかの問題ではない、と。妻夫木は初挑戦となる教師役に文字通り教師として挑んだ。子どもたちが実際にPちゃんを育てた児童たちの心情を心から理解できるよう、時に叱り、時に芝居を離れて子どもたちに命についての問いかけをした。その結果、前田監督も予期しなかったほどの成果が得られた。原案となった「豚のPちゃんと32人の小学生」の著者であり、この“命の教育”を実践した黒田泰史氏は、当時自らが下した決断についてこう語る。「それで良かったのかどうか、いまだにわかりません。」
 都会育ちの子どもたちにとってスーパーでパック詰めされた精肉とPちゃんはまったくの別物だった。しかし、何度もクラスでの話し合いを続けるうち、子どもたちのなかで変化が生まれ始める。思えば私たちは日頃、多くのことに目をつむって生きている。そうしなければ生きていけない側面も確かにある。しかし、直視しないこと=無関係でいることではない。大切なのはその事実を引き受けることではないか。黒田氏が20年前に行った実践教育が当時の児童たちに残したものは、今回の映画に携わった子どもたちに確かに引き継がれた。そして、この映画を観た子どもにも大人にも、大切なものを残してくれるだろう。 
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 僕は君のために蝶になる
『僕は君のために蝶になる』
〜決して見失ってはならない大切なものとは?〜

(2007年 香港 1時間28分)
監督:ジョニー・トー
出演:ヴィック・チョウ、リー・ビンビン
ヨウ・ヨン、マギー・シュー、ラム・シュー、ロイ・チョン、フォン・イーケイ、ウォン・ヤウナン
11/8〜シネマート心斎橋、テアトル梅田、11/18〜京都みなみ会館
11/22〜 三宮シネフェニックスにて公開

公式ホームページ→
 女子大生のエンジャは,同級生のアトンと付き合っていたが,彼を交通事故でなくしてしまう。その3年後,彼がエンジャの前に現れる。このプロットからは「ゴースト ニューヨークの幻」(1990・米)が思い浮かぶ。パトリック・スウェイジがデミ・ムーアを守るために幽霊となって現れるというラブ・ストーリーで,アンチェインド・メロディと結び付いて脳裡に蘇る。ところが,本作では,そのような切ないロマンスは描かれていない。
 脚本は「ラヴソング」(1996・香港)のアイヴィ・ホーだ。レオン・ライとマギー・チャンの10年にわたる軌跡が丁寧に綴られ,テレサ・テンの名曲と分かちがたく結び付いている。その監督はピーター・チャンだった。本作でも,確かに男女の愛が描かれている。しかし,恋愛ものとはかなり趣が違っている。監督のジョニー・トーは,ラブ・ストーリーが嫌いなのか苦手なのか,あるいはオリジナリティを発揮しようとしたのかも知れない。
 始めから終わりまで,映像から甘美な香りは全く漂ってこない。かえって,アトンの幽霊が登場してからしばらくは,スリラーっぽくてサスペンスのようだ。何しろ,アトンがいきなり上半身裸で,しかも傷だらけの状態で姿を現すし,エンジャに「本当に俺を好きだったのか」と怖い目で迫るのだ。しかも,エンジャは,アトンを忘れようと精神科の診療を受けていたのに目の前にアトンが現れたため,幻覚か悪夢かなどと震え怖がっている。
 また,エンジャの前にシューという青年が現れる。その存在感が強く,これによってファンタジー性が完全に排除される。彼がエンジャに興味を覚えたとしても,彼女がシューに恋愛感情を抱くことはない。彼の役割は,エンジャにもう一度アトンとの関係を見直させることと,彼女をアトンの父親に引き合わせることにある。本作では,アトンがエンジャの愛,そして父親の優しさを確信し,蝶となって天国へ旅立つまでが描かれていたのだ。
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