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【シネルフル】
HP管理者:

河田 充規
河田 真喜子
原田 灯子
藤崎 栄伸
篠原 あゆみ

〒542-0081
大阪市中央区南船場4-4-3
心斎橋東急ビル9F
(CBカレッジ心斎橋校内)
cine1789@yahoo.co.jp
シネルフレ担当(河田)
TEL&FAX:06−6242−0368


新作映画
 ちーちゃんは悠久の向こう
『ちーちゃんは悠久の向こう』
〜新感覚のミラクルワールド,不思議で爽快!〜

(2007年 日本 1時間34分)
監督:兼重淳
出演:仲里依紗(なか りいさ)、林遺都(はやし けんと)、高橋由真、堀部圭亮、西田尚美

公式ホームページ→
 学園ホラー,ファンタジー,ラブストーリー,家族のドラマなど,色々な要素を盛り込みながら,決して散漫になることなく,鮮やかにラストに収れんしていく。

  オープニングからしばらくの間は,まるで高校1年になった主人公モンちゃんと幼馴染みのちーちゃんの初恋ものというような,どこにでもありそうな表情をしている。だが,1年間休学していたという怪しげな同級生が出て来たり,ちーちゃんがオカルト研究会に入って学校の七不思議を発見したりすると,ホラーっぽい色調を帯びる(しかも,ちーちゃんの母親役であの”学校の怪談”シリーズの西田尚美が登場する。)。また,やや中途半端ながらもモンちゃんの両親の離婚問題も挿入されている。細部にこだわると不満が残ってしまうかも知れないが,全体の大きな流れの中では,実に不思議な感覚を味わえる。
 かなり前になるが,映画全編が壮大なアヴァンタイトルとなって閉じられた夢の世界を描いたアニメ「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(監督・脚本:押井守)があった。本作でも,ラスト近くになって漸くタイトルが映し出される。その後はモンちゃんの自宅のシーンと学校の屋上のシーンだけで,10分に満たない。これを蛇足と受け取るか,この2つ,特に後のシーンにドラマの全てが集約されていると受け止めるか,それは観る人の感性に委ねられているといえよう。
 ただ,まるでサイレント映画の字幕のように,しかも絶妙のタイミングで,タイトルが目に飛び込んでくることだけは間違いない。この瞬間に全てが納得できる。さり気なく全編に散りばめられた数々の疑問が一挙に氷解するというカタルシスを味わえるのだ。
 学校の屋上,苔地蔵の前,バスの中などでちーちゃんの存在がモンちゃん以外の人の目に入っていないようなシーンがある。モンちゃんが前述の怪しげな同級生から「それ,うっとうしくない?」とか「気を付けて」とか言われるシーンがある。モンちゃんとちーちゃんが遊ぶ1997年の,本来ならこの部分だけがアヴァンタイトルになっていたはずのオープニングのシーンは,その後の本編というべき,高校1年になった2人の学校生活を描く2007年のシーンと,どのように関連するのか。
 真の主役は美しく咲き誇る桜の木なのかも知れない。かつての「桜の森の満開の下」や「ツィゴイネルワイゼン」,最近の「花影」同様,桜の花が作り出した幻影に眩惑される。
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 Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!
『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』
〜ローワン・アトキンソン風フレンチテイスト・ムービー〜

(2007年 イギリス 1時間29分)
監督:スティーヴ・ベンデラック
出演:ローワン・アトキンソン、エマ・ドゥ・コーヌ、マックス・ボルドリー
ウィレム・デフォー、カレル・ローデン、ジャン・ロシュフォール
1月19日(土)〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸 他にて全国一斉ロードショー

公式ホームページ→ 

 知る人ぞ知るMr.ビーンが久しぶりに帰ってきた。今回は,彼が懸賞に当たって,ロンドンからユーロスターに乗ってパリへ行き,さらにカンヌを目指してフランスを縦断するロードムービーだ。賞品の旅行にオマケのように付いてきたビデオカメラでやたらと撮りまくっている。その映像がクライマックスのカンヌ映画祭のシーンで思わぬ威力というか,魔力を発揮するのが,本作の大きな見所になっている。そして,映画について深〜く考えさせられるのだ。コメディの衣をまとっているが,案外シビアな映画なのかも知れない!?
 フランスでのMr.ビーンは,”ウィ”と”ノン”となぜかスペイン語のありがとう”グラーシアス”しかしゃべらない。ひょんなことから旅の道連れになるのは,ロシア語しかしゃべらない少年だ。2人の珍道中で最も楽しませてくれるのが,カバンはもちろんパスポートもサイフもなくして無一文となったMr.ビーンが金を稼ぐために即席のボードビルに挑むシーンだ。スピーカーから流れる色々な音楽に合わせてマイムを披露していくのだが,圧巻はオペラ「ジャンニ・スキッキ」の”わたしのお父さん”に合わせて踊る?シーンだ。少年も巻き込んで至芸を見せてくれる。
 もちろん,ロードムービーだから,色々な旅の風景を味わうこともできる。パリではリヨン駅の”ル・トラン・ブルー”でMr.ビーンが食事をする。「ニキータ」で登場したレストランで,駅構内にあるとは思えないほどシャンデリア等の内装が豪華で,その店内を惜しみなく見せてくれる(ちなみに,かつて「髪結いの亭主」だったジャン・ロシュフォールがなんとここではウェイターの仕事をしていた!)。また,風に飛ばされたバスのチケットを追うMr.ビーンがたどり着く先は「いのちの食べ方」で見たような,見渡す限り鶏だらけの養鶏場だ。そして緑の果ての地平線を見ていると,広大なフランスの田舎の素朴な良さがじわっと伝わってくる。
 こうして,Mr.ビーンは,映画に端役で出演しているサビーヌという途中で知り合った女の子を含めて3人で,いよいよカンヌに到着する。しかも,これまでのイメージを打ち破って,ミュージカル仕立てになっていく。先に触れた見所のほか,ローワン・アトキンソンが映画祭の会場に入るために女装したり,ウィレム・デフォーが自己陶酔の映画監督を悦に入った感じで演じたり…。そして,ビデオとフィルムが合体し,スクリーンと現実が融合した感動のシーンを経て,Mr.ビーンが「雨に唄えば」風に海岸にたどり着くと,そこにはミュージカル風の結末が待っている(さらに,エンドロールが終わった後,海岸の砂浜で何かが起こる!)。
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 夜 顔
『夜顔』
〜老優のユーモアと哀愁あふれる演技に酔う〜

( 2006年 ポルトガル・フランス. 1時間10分)
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ 
出演:ミシェル・ピコリ、ビュル・オジエ、リカルド・トレパ
1月19日(土)〜テアトル梅田 にて公開

公式ホームページ→ 
 老優ミシェル・ピコリが、貫録ある、それでいてユーモアと老いの哀愁を漂わせた演技を披露。極上のワインを飲んだ後のように、豊かでふくよかな世界に浸った気がして、観終わった後、心地よい気持ちにさせられる。

  ルイス・ブニュエル監督の名作「昼顔」(1967年)の登場人物たちのその後を描く。かつて、セヴリーヌが、愛する夫を裏切り、娼婦としての顔を持っていたという秘密を知っているのは、夫の友人のアンリだけだった。
そのアンリが、38年後、パリのコンサート会場で、今は未亡人となったセヴリーヌを、偶然、客席に見つける。その途端、アンリの顔はほころび、そわそわと落ち着きを失い、演奏が終わるや否や彼女を追いかける。過去を思い出したくないセヴリーヌは彼から逃げまどい、いそいそと車に乗り、去ってしまう。意気消沈するものの、ホテルのフロントマンや、バーのバーテンダーに尋ねては、姿を見つけ、また見失い、が繰り返される。その一途さは、まるで初恋の相手を追いかけているようで、アンリを演じるミシェル・ピコリの一喜一憂ぶりが、なんとも微笑ましい。

  そしてついに、かつての秘密をめぐる真実を打ち明けたいと、食事の約束をとりつける。シックで豪華なホテルの一室でディナーを共にすることになる二人‥‥。

  一つひとつの画面の美しさ、その細部に注目し、映像の豊かさを楽しんでほしい。アル中になりかけのアンリが、ウイスキーを何杯もお代わりしながら、バーテンダーとの会話を楽しむ。この何度も繰り返されるシーンを、カメラは、鏡に映った映像を用いて長回しにしたり、カットバックにしたりと、その都度、角度を変えて切り取ってゆく。二人の間に流れる濃密な空気をとらえるためになされた工夫が興味深い。

  クライマックスのディナーのシーンでは、ホテルの豪華な調度をバックに、二人の顔がろうそくの灯りに照らし出される。話が核心部分に及ぶや、カメラは遠ざかり、闇に浮かんだシルエットとして二人をとらえる。真実は闇の中へ‥?最後は、二人の物語に唐突に幕を引いてしまう監督の鮮やかな話術には感心した。

  冒頭に流れるドヴォルザークの「交響曲 8 番」の美しい調べと、随所に挿入されるパリの街の遠景ショットが心に残る。

  99歳のマノエル・ド・オリヴェイラが、ブニュエル監督にオマージュを捧げた本作。飄飄とした作風に、まるですてきな一幕物の演劇を観たような、充実した気分になった。
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 待つ女
『待つ女』
〜男女の機微を描いた一つのヴァリエーション〜

(2006年 フランス 1時間26分)
監督:ジャン=パスカル・アトゥ
出演:ヴァレリー・ドンゼッリ、ブリュノ・トデスキーニ、シルル・トロレイ、
パブロ・ドゥ・ラ・トーレ、ナディア・カシ
1月26日〜第七藝術劇場、近日公開〜京都みなみ会館
公式ホームページ→ 
 男女の機微は,フランス映画の十八番ともいえる。本作では,甘美ではなく,もちろん耽美的でもない,宝石のような硬質の美しさを湛えた映像の中に,”待つ女”と彼女を愛する2人の男のそれぞれの心模様が描き出される。身体の自由を奪われた男の屈折した愛情の表現,その男を捨てて自由になれない女の揺れ動く心,その女を愛してしまった心を封印しなければならない男。この3人の男女の姿が特異な設定の中で細密に描かれていく。
 本作は,メイテが服にアイロンを当て香水を振りかけ,それをバッグに詰めるシーンから始まる。バッグを持って彼女が向かう場所は刑務所だ。順番待ちの列に並びながら念入りに化粧をしている。夫ヴァンサンは7年の刑で服役中だ。愛を確かめ合うには面会時間は短すぎる。そんな生活が1年近く続いたが,最近2人は互いに愛を失うかも知れないという不安が頭をよぎる。そんな状況の中で,メイテが実は看守のジャンに声を掛けられる。
 ヴァンサンは,自分の不自由さをジャンの肉体で埋め合わせるため,彼にメイテを「俺がやるみたいに抱け」と言う。相手を屈服さる強さと同時に脆さも抱えたヴァンサンと,繊細で相手の心情を鋭敏に感じ取るジャン。2人の男優がそれぞれのキャラクターを的確に演じているので,不自然さは感じられない。また,この2人が並んで黙ったままタバコを吸う姿を捉えたシーンは,セリフよりも雄弁にそれぞれの思いが渦巻く様を示して見事だ。

  また,メイテ役の女優も,心の拠り所を求めてジャンに心を傾けていく様子を好演している。しかも,彼女が本当のことを知ったときの,驚きながらも何かを考える表情を捉えたショットが素晴らしく,その後の展開を説得力のあるものにしている。彼女は,夫から距離を置くため,隣人に夫との面会を頼んで旅に出る。そこで,彼女はどのような決断を下したのか,それがラストで示される。エンディングのB.Perryの「Medusa」が心に染みる。
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 ジャーマン+雨
『ジャーマン+雨』
〜何だか憎めない主人公の人を食ったような話〜

(2006年 日本 1時間11分)
監督・脚本:横浜聡子
出演:野嵜好美、藤岡涼音、ペーター・ハイマン、ひさうちみちお
1月12日〜梅田ガーデンシネマ、2月上旬神戸アートヴィレッジセンター、2月下旬 〜 京都みなみ会館
 にて公開
公式ホームページ→ 
 歌手を夢見ている自分に恋しているわけではない。恋愛をしている自分に陶酔しているわけでもない。世の中はこんなものだと妙に覚めているわけではない。自分を認めない世の中に怒りを募らせているわけでもない。自分の居場所を見失って途方に暮れているわけでもない。人を食ったようで,あり得なさそうなストーリーの中に,精一杯生きているようで,肩の力が抜けたような,何だか憎めない主人公が描かれて,不可思議な魅力がある。
 主人公の名前はゴリラーマン…と罵られているのか,親しまれているのか,どっちにしても絶対に誰からも嫌われていないことだけは間違いなさそうな,彼女の名前は林よし子。ゴリラのような顔で,強引でワガママな女の子で,おんぼろの家に住み,一人で生きている。仕事をしても棟梁に怒鳴られ,オーディションも書類選考で落とされてばかりだが,彼女の側には同世代の女の子やドイツ人がいて,タテ笛教室の男の子らにも慕われている。

  オープニングでいきなりストーリーの途中かラストシーンかと間違えそうなシーンが映し出される。よし子の生活のほんの一部をぶっきらぼうに切り取ったようなイメージを抱かせる効果がある。また,その後の展開の中では,オーディションとドッジボールの2つのエピソードが特に印象に残る。よし子のひたむきな姿勢が良く出ている。そして,やはり彼女は成功という二文字とは縁がないのだ,それが彼女なのだと,なぜか安堵させられる。
 また,父親の存在が本作を温かいものにしている。医師からは,死ぬか死なないかどちらかで,生きることはないと言われた,そんな父親だ。よし子は,父親をダンゴムシと言って嫌っている,というより存在を否定しているように見えるが,意識の底では父親の存在を感じながら生きてきたのではないだろうか。ラストのよし子の微笑みを見ると,そんな思いが浮かぶ。無愛想な感じだが,よく見るとスルメのような味のある映画が登場した。
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 ゼロ時間の謎
『ゼロ時間の謎』
〜エレガントで豪華な館で繰り広げられる心理劇〜


監督:パスカル・トマ
(2007 フランス 1時間48分)
出演:メルヴィル・プポー、キアラ・マストロヤンニ、ローラ・スメット、
ダニエル・ダリュー
1月12日からテアトル梅田、陽春〜京都シネマ にて公開

公式ホームページ→ 
 フランスのブルターニュ地方、青く美しい海が広がる避暑地で殺人事件が起こる。
 名テニスプレーヤーのギョームは若く美しい新妻キャロリーヌと、海辺の島にある、富豪の叔母カミーラの別荘を訪れる。そこには彼の前妻オードも滞在。キャロリーヌの幼なじみでジゴロのフレッド、オードを想い続けている生真面目な青年トマも、相次いでやってくる。莫大な財産の相続権も絡んで、男たち、女たちの間に、愛と嫉妬と恨みと、様々な感情がぶつかりあい、そして‥‥。
 『オリエント急行殺人事件』、『そして誰もいなくなった』のアガサ・クリスティーが、生涯のベスト10として選んだ傑作ミステリーの1本『ゼロ時間へ』の映画化。
誰もが犯人となりうる状況の下での緊迫した人間ドラマが展開。互いに相手を疑い合いながらの駆け引きが繰り広げられる。
 俳優たちのきらびやかな衣装もみどころの一つ。端整なスーツに身を固め、前妻と新妻の間で揺れ動く気持ちを悟られまいとするギョームを演技派のメルヴィル・プポー、肉感的な美人で、派手な衣装で男たちの視線を集め、感情を顕わにぶつけるキャロリーヌをローラ・スメットが演じる。キャロリーヌとは対照的に、エレガントでシンプルなドレスに身を包んだオードをキアラ・マストロヤンニが演じ、落ち着いた佇まいと美しさは目を離せない。
コミカルな所作が楽しい、カミーラの世話係のマリ、名探偵バタイユ警視とその甥レカのユーモラスなコンビが、笑いを添える。メリーゴーランドに乗った音楽隊が、ドラマとは無関係に何度も唐突に登場し、幻想的な光景が繰り広げられる。
ゼロ時間とは一体何を意味するのか、この映画を観て、確かめてほしい。
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 野田版 研辰の討たれ (のだばん とぎたつのうたれ)

写真提供:松竹株式会社
『野田版 研辰の討たれ』
〜シネマ歌舞伎という新しい映像作品に注目!〜

(2007年 日本 1時間40分)
脚本・演出:野田秀樹
出演:中村勘三郎、中村福助、中村橋之助、市川染五郎、中村獅童、坂東三津五郎
1月12日(土)〜東劇、梅田ピカデリー、MOVIX京都 ほか全国順次ロードショー
公式ホームページ→ 
 松竹によるシネマ歌舞伎の第二弾として2006年2月に東京の新橋演舞場で特別上映された「野田版 研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)」がやっと大阪と京都でも公開される。本作は,2005年5月歌舞伎座で十八代目中村勘三郎襲名披露として上演された演目だ。脚本・演出の野田秀樹は,劇団「夢の遊民社」で一躍有名になった。同劇団が1985年に初演した「白夜の女騎士(ワルキューレ)」が蜷川幸雄演出,松本潤主演で東京で20年ぶりに上演されたので,名前に聞き覚えのある人は多いだろう。また,2007年末にはNODA・MAP第13回公演「キル」で健在ぶりを示してくれた。

  シネマ歌舞伎とは,歌舞伎の舞台公演をHD高性能カメラで撮影してスクリーンで上映するという映像作品で,映画ではなく,いわば映像で体験する舞台だ。松竹が創業110周年を迎えた2005年1月,シネマ歌舞伎の第一弾として2003年8月歌舞伎座で上演された野田秀樹演出,(勘三郎襲名前の)中村勘九郎主演の「野田版 鼠小僧」が東京で公開された。これを2005年5月にMOVIX京都で観たが,生(なま)の演劇空間を体験しているような臨場感を味わえるし,同じ席から舞台全体を見渡したり役者の微妙な表情をすぐ近くで見たりすることができ,かなり楽しめた。
 ところで,歌舞伎は,その語源が「傾(かぶ)く」で,徳川家康が徳川幕府を開いたのと同じ1603年,出雲の阿国が京の河原で「かぶき踊り」を披露したのが起源だと言われる。ちなみに2003年には歌舞伎発祥400年記念ミュージカル「阿国」(栗山民也演出,木の実ナナ主演)が松竹の企画により京都の南座で上演された。女性である阿国が男装して踊ったというのだから,今の歌舞伎とはかなり趣が異なり,庶民が気軽に楽しめるエンターテインメントだったのだろう。

  「野田版 研辰の討たれ」は,抱腹絶倒の喜劇であると同時に,現代社会における群衆の無名性や無責任さ,社会の大きな流れに翻弄される個人の悲しさをも実感させる舞台で,歌舞伎の原点に戻ったような楽しさを満喫させてくれる。
 また,シネマ歌舞伎の第三弾は,坂東玉三郎の「鷺娘(さぎむすめ)」,坂東玉三郎と尾上菊之助の「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」の二本立てで,既に大阪でも2006年5月に梅田ブルクで公開された。このときは伝統的な歌舞伎の「美」を存分に味わうことができた。第四弾は,2006年2月に歌舞伎座で上演された「京鹿子娘二人道成寺」(坂東玉三郎と尾上菊之助)であり,既に大阪でも2007年3月に梅田ピカデリーで公開されている。そして,2007年10月に新橋演舞場で上演された「連獅子」「人情噺(にんじょうばなし)文七元結」(いずれも中村勘三郎主演)を山田洋次がシネマ歌舞伎として撮影したそうだ。2008年秋公開予定だという。

  シネマ歌舞伎は,歌舞伎の単なる記録ではなく,舞台の臨場感と歌舞伎の美を堪能できる映像表現であり,今後の発展が楽しみだ。
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 グミ・チョコレート・パイン
『グミ・チョコレート・パイン』
〜KERAワールドを満喫できる青春映画〜

(2007年 日本 2時間07分)
監督・脚本:ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)
出演:石田卓也、黒川芽以、柄本佑、金井勇太、森岡龍、大森南朋
12月22日テアトル新宿、新春テアトル梅田他にて全国順次ロードショー
関西地区は、1月26日〜テアトル梅田、新春〜京都みなみ会館

公式ホームページ→ 
 大橋賢三が2007年に受け取った山口美甘子からの手紙にはただ一言「あなたのせいなのだから」と書かれていた。一体どういう意味なのか,観客は主人公の賢三と同じ疑問を抱えて映画の世界に入っていくことになる。時代は1986年に遡る。そのころ賢三と美甘子は高校の同級生だった。だが,青春時代を回想するという安直な展開ではなく,1986年と2007年の2つの時代が並行して描かれており,しかも見事にリンクしているのが鮮やかだ。

  KERAは,1993年から演劇ユニット「ナイロン100℃」を主宰し,2008年1月には大阪で31st SESSION「わが闇」の公演を控えている。100%ではなく100℃という名前のように,ちょっとズレ加減のセリフやリアクション等で笑わされる。本作でも,お馴染みの犬山イヌコが個性的なキャラで登場し,みのすけが強い印象を残している。「大人計画」の松尾スズキに続いて,今度はKERAが独特の個性にあふれた映画を作ってくれた。
 1年前に自殺した美甘子が賢三に残した一言のせいで,2人の関係性から目を離せなくなる。美甘子のセリフを決して聞き逃してはならない。これが本作のテーマというわけではないが,しっかりとタテ軸になって全体を支えている。ヨコ軸となるのは,賢三がタクオ,カワボンの3人で過ごす何となく無為な時間から漂う青春の匂いだ。なぜかバンドを組むことになって山之上が加わり,美甘子の残したミステリー解決に重要な役割を果たす。

 ジャンケンで勝ったとき前に進める数が違うグミチョコ遊び。勝ったり負けたりするうちにどんどん前へ進む人と全然前に進まない人との差が広がっていく。それが人生なのかも知れない。あのとき好きだと言っていたら,あるいは好きだと言われていたら,人生は違っていたか。人生,七転八倒,でも前へ進むしかない。どんどん前へ進む美甘子に置き去りにされたような賢三。本作の洒落たラストは,リストラされた賢三へのエールなのかも。

【おまけ】
@  映画ファンにとっては,高校生の賢三と美甘子が石井聰亙オールナイトに出掛けるシーンが特に面白い。ホラー映画がなぜお笑い化したのか,ATG映画に描かれた青春のリアリティなど,結構マニアックな会話をしている。もっとじっくり聞かせて欲しかったという気もする。

A  監督・脚本のKERAは,1986年から8年間「ナゴムレコード」の主宰者として,筋肉少女帯,たま,人生等のレコードやCDをプロデュースした。筋肉少女帯は,本作の原作者である大槻ケンヂが1982年に結成したロックバンドで,人生は,本作のテーマ曲を担当した電気グルーヴの前身だ。「ナゴムレコード」でKERA,大槻ケンヂ,電気グルーヴが繋がっていた!

B  タクオが高校の渡り廊下のような所で憧れの女教師に襲いかかるシーンがある。襲うと言っても,成り行き任せで真剣味のないところがいかにも彼らしい。そのシーンの途中でカメラが外に出て渡り廊下を見上げるようなカットに切り替わる。画面の上半分にもつれ合う2人の様子,下半分にありふれた高校生活の風景が映し出され,シュールな感じで面白くてジワッと怖い。ここでなぜかKERAの舞台「フローズン・ビーチ」を思い出した。これは最高に面白い!

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 眠れる美女
『眠れる美女』
〜一人芝居のような面白さで極上のミステリー〜

(2005年 ドイツ 1時間43分 R−18)
監督・脚本:ヴァディム・グロウナ
出演:ヴァディム・グロウナ、アンゲラ・ヴィンクラー、
マクシミリアン・シェル、 ビロル・ユーネル
1月26日〜シネ・ヌーヴォにて公開
公式ホームページ→
 主人公エドモンドは,15年前に妻と娘を自殺とも思える自動車事故で死なせてしまい,自責の念を抱えて生きてきた。そんな彼は,友人のコーギから「人生をきちんと生きた者に与えられるのは静かで穏やかな死だ」などという言葉と共に,謎めいた”館”を紹介される。そこのマダムが「レベッカ」のダンヴァース夫人のように怪しげな雰囲気を放っている。コーギはなぜ”館”を紹介したのか,マダムは死の使いなのか,ナゾがナゾを呼ぶ。
  ノーベル賞作家川端康成の62歳のときに刊行された同名小説の映画化だ。舞台はベルリンの洋館に置き換えられ,全編にミステリアスな雰囲気が漂い,キリスト教の精神世界を象徴するようなラストで締め括られる。妙なる快感を追究した妖しげで官能的な映画ではなく,老いと死を凝視した冷ややかな美しさに満ちた崇高な映画だ。若い娘と老いた男がエロス(生)とタナトス(死)を象徴しており,生への執着と死への希求が描かれていく。
 俯瞰で映し出されるベルリンの街並みは,どこか物寂しげな佇まいを見せている。鉛色の空を舞うカラスは,死の影を漂わせている。これらの背景に包まれた”館”では,60歳を超えたエドモンドが,生きた人形のように眠り続ける若い娘の肉体との接触を通して,少しずつ過去の記憶を蘇らせ,罪の意識や老いの孤独に絡め取られていく。観客も,知らず知らず老人の心の内側に誘い込まれ,やがて我に返ったときには慈しみに包まれている。

  エドモンドは,非日常的な世界で乳房その他女性の身体の温もりに触れるうち,子供時代に回帰し,互いに命を救ったり救われたりした母親との想い出などを追憶する。彼は,老いさらばえる前に覚悟を固めて死へと一歩踏み出し,天使によって永遠の眠りに導かれ,天に召される至福の瞬間を迎える。この世に愛だけを残し,聖母に抱かれるように消えていく。ラストは,荘厳な光に包まれ,魂がこの世から解放され救済されたことを思わせる。
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 バレエ・リュス 〜踊る歓び、生きる歓び〜
『バレエ・リュス 踊る歓び,生きる歓び』
〜バレエに生きた人々から得られる勇気と希望〜


(2005年 アメリカ 1時間58分)
監督:デイナ・ゴールドファイン,ダニエル・ゲラー
ナレーター:マリアン・セルデス
1/19日(土)〜梅田ガーデンシネマ、シネ・リーブル神戸、順次京都シネマ公開
公式ホームページ→
 
 ディアギレフは,1909年にロシアのダンサーを率いてパリ・シャトレ座での公演に成功し,欧州にバレエ・ブームを復活させ,1911年にバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を結成した。この時代の振付家にはバランシン,フォーキン,ニジンスキー,ニジンスカ及びマシーンがいた。また,当時パリで活躍していた芸術家ピカソ,マティス,ラヴェルらとのコラボにより革新的な舞台が作り出された。だが,ディアギレフは1929年に亡くなった。

  バレエ・リュスと言えば,ディアギレフ時代を指すことが多いが,本作ではその後1962年までのバレエ・リュスが描かれている。米国を始め南米やオーストラリアでバレエの観客を開拓し,現代バレエの基礎を築いた人々の物語である。80〜90歳となった元団員たちへのインタビューとバレエの貴重な映像や写真で構成された至福のドキュメンタリーだ。話を聞くだけでなく,映像で実際に踊っているシーンが映し出されるので,分かりやすい。
 1932年にバレエ・リュス・モンテカルロとして復活し,初めてのシーズンが開幕する。その当時も残っていたディアギレフ時代の振付家フォーキン,ニジンスカ,マシーンに関する,実際に振付を受けたダンサーたちの話は興味深い。また,ダンサーそれぞれの個性や特徴のほか,マシーンが史上初めて交響曲のバレエ化「シンフォニック・バレエ」に挑んだとき,音楽評論家から激しく非難されたが,観客は熱狂したことなどが語られていく。

 1938年には2つに分裂し,オリジナル・バレエ・リュスは,第2次世界大戦を挟んでオーストラリアや南米で公演を続けた後,1948年のマヨルカ島での公演を最後に幕を閉じる。一方,バレエ・リュス・モンテカルロは,ハリウッド映画に出演する。珍しいフィルムのほか,1曲の稽古にバレエ・リュスなら数日で終わるのにハリウッドでは7週間もかけるといった話が紹介されるが,1962年にはブルックリンで最後の舞台を迎えることになる。

 また,バレエ・リュスに入団した初の米国人や先住民,黒人差別と無縁ではいられなかったバレエ公演などが語られる。マシーン振付「バッカナール」の映像ではダリの美術と衣装を見ることができる。1942年には米国人振付家アブネス・デ・ミルによる「ロデオ」が上演され,”真の米国バレエの誕生”と評されたそうだ。1947年にはバランシンが自分のバレエ団としてニューヨーク・シティ・バレエの前身バレエ・ソサエティを結成する。

  色々と興味深い話と珍しい映像,そして何より元団員たちが実に楽しそうに話してくれるのがよい。バレエ・リュスで踊っていたころ,報酬はわずかだったが,踊れること自体が財産で,とてもリッチだったという。全編がバレエ一筋に生きてきた人々の輝きに満ちている。バレエが好きな人はもちろん,映画ファンも,そのどちらでもない人も,一瞬の芸術と言われるバレエに人生を懸けた人々から生きる勇気と希望を受け取ることができる。

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 スウィーニー・トッド 〜フリート街の悪魔の理髪師〜
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
〜復讐の果ては哀しみのホラー・ミュージカル〜


(2007年 アメリカ 1時間57分)
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アラン・リックマン
ティモシー・スポール、サシャ・バロン・コーエン
1月19日〜全国ロードショー
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  1979年初演のスティーブン・ソンドハイム作詞・作曲のブロードウェイ・ミュージカルの映画化だ。2007年初めには東京,大阪等で宮本亜門の演出で上演されている。そのときはスウィーニー・トッドに市村正親,ミセス・ラベットに大竹しのぶが扮していたが,本作ではそれぞれジョニー・デップ,ヘレナ・ボナム=カーターが扮している。この2人のミュージカルというのはちょっと不思議な感覚だが,なかなか深い味わいを出している。

  理髪師スウィーニーは,愛する妻子と自分の人生を奪った男への復讐に取り憑かれている。パイ店を営むラベットは,一途にスウィーニーを思い続け,その愛に絡め取られて堕ちていく。そんな2人の決して成就しない哀しいラブ・ストーリーである。同時に,スウィーニーの手がカミソリと一体となって,復讐を遂げるため,自分の過去がバレないように殺人を重ねていく。残虐だが,冷徹さは感じられず,イヤな血生臭さも鼻につかない。
 ジョニーの目と声がいい。目はもちろん,声も本人のものだ。キャスト全員が自分で歌っているそうだ。彼の目が深い哀しみを湛え,声に優しさが宿っているため,冷酷非情な殺人鬼という印象がない。それがストーリーによくマッチしている。また,ヘレナは,10代からラベットを演じたいと思っていたらしく,怖さ,可憐さ,哀れさなどラベットの多面性を巧みに表現している。この2人が適役で,ラストでは復讐の愚かさと悲しみが増幅する。

 これにはティム・バートン独特の映像も大きく貢献している。背景となる18世紀後半のロンドンのスラム街が眼前に現れる。モノクロの色彩が音楽と相俟って怪奇・幻想的なトーンを醸成していく。その中でラベットの夢が語られるシーンは,突然明るく茶目っ気のある雰囲気に包まれる。ヘレナが可憐に見えてくる。ラベットの純粋さが映像的に表現された印象に残るシーンだ。これは舞台ではなく映画だからこそ味わえる醍醐味だといえる。

【おまけ】
@  あの「ウエストサイド物語」の作詞を手掛けたのはスティーブン・ソンドハイムだ。

A 映画では,スウィーニーが中盤で殺人を重ねる理由がはっきりせず,無意味に殺人を繰り返している印象を与えていたと思う。だが,彼は,ベンジャミン・バーカーという名前だったが,15年振りに復讐のためスウィーニーと名前を変えてロンドンに戻ってきたため,その素性がバレないように殺人を重ねざるを得なかったのだ。そんな彼の哀れさが映画では今一つ出ていなかったのが残念だ。

(河田 充規)ページトップへ
 迷子の警察音楽隊
『迷子の警察音楽隊』
〜迷子になって見える新たな道〜

 (2007・イスラエル=フランス合作/87分)
監督・脚本 エラン・コリリン
出演 サッソン・ガーベイ ロニ・エルカベッソ サーレフ・パクリ
1月26日〜 シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸
陽春〜京都シネマ

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世界各国から多彩なゲストとバラエティ豊かなラインナップが集結した第20回東京国際映画祭。今年の特徴の1つに、昨年は見うけなかったイスラエル・イラク・レバノン・エジプトなど、中東西アジアの作品が多くフィーチャーされていることが挙げられる。それぞれの国の文化や政治的要素を背景に撮りあげた渾身の作品が揃うなか、特筆すべきはやはり「東京サクラグランプリ」を受賞した『迷子の警察音楽隊』だ。
舞台は1990年代。イスラエルに招かれたエジプトの警察音楽隊は、見知らぬ土地で迷子になり地元の人々と一夜を共に過ごすことになる。しかし、アラブとユダヤは遡れば敵国同士で言語も違う。双方に気まずい空気が…。だが、本作はそんな民族のわだかまりも、音楽と人の思いやりで簡単に越えられることを最高のユーモアをもって示して見せる。
監督が「外と内の二面性から見えてくる、心のつながりを描いた」と言う通り、頑固一徹風の団長が地元女性と交流するうち、徐々に素顔をのぞかせていく場面が印象的だ。団長役を演じたイスラエルのトップスター・サッソンは「この役は俳優人生の集大成。観客が求める安らぎがこの映画にはある」と語ってくれた。こんなに不器用でキュートな希望ある映画は他にない。
(中西 奈津子)ページトップへ
 やわらかい手
『やわらかい手』
〜祖母として、母として、女として、輝く!〜

(2006 イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルグ 1時43分)
監督:サム・ガルバルスキ 
出演: マリアンヌ・フェイスフル、ミキ・マノイロヴィッチ、ケヴィン・ビショップ
1月19日〜梅田ガーデンシネマ、
2月9日〜京都シネマ、神戸アートビレッジセンター
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 愛する孫の治療費を作るため、ごく普通の主婦だったマギー(M・フェイスフル)は、秘かに一代決心を固める。それは、セックスショップで「接客」業をすること・・・。意外にも彼女の滑らかな手は次第に多くの男達を魅了してゆく。オーナーの信頼も得て、治療費の前借りにも成功。ところが、息子のトムが彼女の仕事を知ってしまったのだ・・・。

  やり場のない複雑な心境は、周囲の喜怒哀楽を丸ごと受け止め、人を慈しむことをやめないマギーの包容力にいつしか救われている。「祖母」としてのマギーが、「女」として輝くラストシーンは至福。
  「女性」の魅力とは、何が一番大切かを見極め、無償で愛することなのかも。「女」の引き出しを増やしてくれる作品。
(原田 灯子)ページトップへ
 僕がいない場所
『僕がいない場所』
〜少年の孤独が胸に迫る、静かなる秀作〜


(2005 ポーランド 1時間38分)

監督・脚本:ドロタ・ケンジェルザヴスカ
出演:ピョトル・ヤギェルスキ、アグニェシカ・ナゴジツカ
撮影:アーサー・ラインハルト
音楽:マイケル・ナイマン
1月5日〜第七芸術劇場にて公開

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 どんなに母の愛を求めても、愛してもらえない少年の孤独が突き刺さるようだ。
 
  11歳の少年は孤児院を抜け出し、母に会いに行く。しかし、男たちの目を気にして、少年を遠ざけようとする母の素振りに傷つき、母のもとを去る。町はずれの古いはしけ船を住みかにし、缶や鉄くずを集めて小遣いを稼ぎ、一人で生き抜こうとする。人の心を射抜くような鋭い目、堅く閉ざされた表情からは、大人達の同情を拒み、寂しさや弱さを押し隠し、たくましく生きる少年の誇りが、伝わる。

  そんな少年に唯一の友達ができる。近所の裕福な家に住む少女は、美人で賢い姉に対する劣等感や、愛されないという思いで、傷ついている。二人が心を通わせ、無邪気に笑いあう様子が切ない。拾ってきた手回しのオルゴールを鳴らし、二人だけの、宝物のような時間を楽しむ。白い帽子をかぶった少女の笑顔のなんと可愛らしいこと。

  セリフは最小限、マイケル・ナイマンのピアノが美しい旋律を奏でる。手持ちカメラの揺れは少年の不安を伝える。写真のように美しい水辺の風景は観る者の心を魅了する。

  原題は「I am/Jestem」。大人たちに受け容れられなくとも、“僕”の居場所は僕自身の中にある、“僕”は僕だ、という力強い思いが、少年の最後の言葉となって力強く響き、未来への確かな可能性を感じさせた。
ケンジェルザヴスカ監督が新聞記事で見つけた実話に基づく。国際的に活躍するラインハルト撮影監督の腕が冴えわたり、一枚一枚の絵のように美しい映像に、きっと誰もが魅了されるにちがいない。
(伊藤 久美子)ページトップへ
 アヴリルの恋
『アヴリルの恋』
〜正に人生の目覚めを実感!驚きのラスト〜

(2006年 フランス 1時間36分)
監督・脚本:ジェラール・ユスターシュ=マチュー
出演:ソフィー・カントン、 ミュウ=ミュウ、 ニコラ・ドゥヴォシェル
クレマン・シボニー、 リショー・ヴァル
2008年1月26日〜第七藝術劇場
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 アヴリルは,修道女になるための儀式を目前に,外の世界に触れて人生に目覚める。彼女は絵が得意で,彼女をサポートする役割の青年ピエールは画材店に勤めているという設定だ。また,映像が瑞々しく,時には荘厳な絵画のような美しさを湛えている。本作では全編を通して絵が重要な意味を持っている。

 たとえば,絵を媒介に2人が打ち解けるシーンやピエールがアヴリルに顔料の使い方を教えるシーンがある。何よりも,ラスト近くの修道院での儀式のとき,アヴリル,ピエール,アヴリルの兄ダヴィッド,その”恋人”ジムの4人で創り出す”絵”が,人生の躍動を感じさせるような素晴らしさで迫ってくる。
 ちょっと奇妙な時代感覚もまた魅力的だ。アヴリルとダヴィッドは1968年4月24日生まれという設定で,映画で描かれているのはその約20年後のはずだ。ところが,映画で使われている音楽は,その時点で懐メロだし,風景もまた,中世を思わせる山あいの修道院であり,地の果てと言われるような南仏の人気のない海岸である。これらが時代を超えた普遍的な人生を想起させる効果を上げている。
 シーンの展開も凡庸ではない。ベルデナット修道女(フロール)がアヴリルに双子の兄の存在を打ち明けて会いに行くように勧めるところから物語は動き始める。そのときのアヴリルの驚きの表情を映し出したショットの次に,いきなり車を運転しているピエールの姿が映し出される。このような大胆とも言えるシーンの展開が驚きを伴って小気味よい。

  特に冒頭の展開は早すぎるくらいだ。そして,ちょうど展開が早いと感じたとき,アヴリルの口から「展開が早すぎるわ」というセリフが出てくる。ツボを押さえたようなちょっとコミカルなセリフだ。また,アヴリルがピエールの車に同乗しているとき,対向車を見て「犬が運転してる」と言い,ピエールに英国車は右ハンドルだと教えられる。このちょっと外した感覚で重くなるのを避けている。
 オープニングではアヴリルの朝の目覚めがありふれた日常として映し出され,やがて青春映画の輝きを放ち始める。彼女が水着に着替え,怯えながらも初めて海に入っていくシーンなど,彼女が徐々に外の世界に踏み出していく様子が象徴的に描かれる。街中の喧噪から隔絶された田舎の静寂の中で,人生の意味を見出し,人間らしさを取り戻していく。そのアブリルの姿が生き生きと映し出される。
 その中に時折フロールの姿が挿入され,彼女が何をしようとしているのかという疑問を提示する。院長が独自の考えのもとに修道院を開いて運営していることも示されていた。これらが見事にエンディングに収れんしていく様が鮮やかで,意表を突かれ胸を貫かれる。

  ラストでは,彼女の人生の目覚めが神々しさの中で鋭く捉えられ,清々しさと荘厳さが余韻として残る。アヴリルが20年間の深い眠りから目覚めたことが象徴され,その素晴らしさによって本作は忘れ難いものとなった。
(河田 充規)ページトップへ
 銀色のシーズン
『銀色のシーズン』
〜雪・猿・参・上!〜

(2007年 日本 1時間48分)
監督:羽住英一郎
出演:瑛太 田中麗奈 玉山鉄二 青木宗高
2008年1月12日(土) TOHOシネマズ梅田 他 全国東宝系ロードショー
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 白銀の世界を縦横無尽に暴れまわる元モーグル選手、その名もシロヤマ銀(瑛太)。脇を固めるのは道産子の祐治(玉山鉄二)とコテコテの大阪人・次郎(青木宗高)。この三人が集まればたちまちゲレンデは事件の連続だ!

 まず、オープニングで度肝を抜かれる。ここはスイス!?と見紛うほどの冠雪連山を颯爽と滑り降りる三人のスキーヤー。ケモノすら足を踏み入れない山肌を、粉雪を舞い上げながら滑走するその様子はまるでサーファーのよう。“雪猿”のネーミングも“海猿”をもじっただけのものではなさそうだ。
 下界が近づくと今度はジャンプ台を、ロッジの屋根を、手すりを、滑る、滑る、滑る。少しでも雪を被っているところならどこへでも、自由自在に板を操る。しまいには川まで滑って渡ろうとする。このアクロバットシーンは文句なく楽しい!タイトルが出る前にすっかりその世界に引き込まれてしまう。
 そこへ現れる謎の美女。七海(田中麗奈)は3日後に結婚式を控えたプレ花嫁だ。彼女を交え三人が繰り広げる大騒動は、やがて町全体を巻き込んでゆく。

  「LIMIT OF LOVE 海猿」で空前のヒットをとばした羽住英一郎の監督最新作は初のオリジナル作品だが、構想は意外にも早く「海猿」撮影中から温めていたという。羽住組常連の青木は弾けつつも安定感のあるパフォーマンスで存在感を示し、瑛太の、今が楽しければいいとばかりに無茶ばかりやるその陰に見え隠れする繊細さが光る。あの「スパイダーマン」で使用された“スパイダーカム”を日本映画界で初めて使ったモーグルシーンは必見だし、世界中から集まったプロスキーヤーたちの妙技や、三人の連日のスキー実習の成果、さらには体感温度が氷点下15度というすさまじいロケを敢行しながらも軽妙さを失わない作風がアッパレ!
(山口 順子)ページトップへ
 ぜんぶ、フィデルのせい(河田バージョン)

『ぜんぶ,フィデルのせい』
〜アンナ9歳,大人の不可解な世界に挑む〜

(2006年 フランス 1時間39分)
監督・脚本:ジュリー・ガヴラス
出演:ニナ・ケルヴェル、 ジュリー・ドパルデュー
ステファノ・アルコシ、 バンジャマン・フィエ
2008年1/19
〜梅田ガーデンシネマ、 1/26〜シネカノン神戸
3月〜
京都シネマにて
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 予告編では,アンナが固い決意を秘めた表情で弟の手をしっかり引っ張りながら,ひたむきに歩くシーンがあった。本編では,アンナが目の前で両親がけんかするのを見た直後に家を飛び出したときのシーンであることが分かる。彼女は,自分をしっかりと持った少女であり,1970年から71年にかけて1年足らずの間に様々な世界観に接し,それを糧として大きく成長していくのだが,その転機となり,ドラマが終幕に向かう重要なシーンだ。

  1970年,スペインでは反共主義のフランコ独裁政権が続いていた。一方,南米では,フィデル・カストロによるキューバ革命後,共産主義運動が高まり,チリではアジェンデが労働者の支持を受け,自由選挙による初の社会主義政権が誕生しようとしていた。そのとき,アンナは,弁護士のフェルナンドを父親に,雑誌マリ・クレールのライターのマリーを母親に持ち,カトリックの小学校に通い,何ら不自由のない快適な生活を送っていた。
 だが,伯母マルガが娘ピラルを連れてスペインから逃れてきた後,その生活が変化する。父親は,1968年の五月革命で何もしなかった後悔からチリへ行くなど,突然共産主義に目覚め,住まいも庭付きの一軒家からアパートに変えてしまう。アンナは,大好きな宗教の授業を受けられなくなるなど,不満を募らせる中で,キューバから逃れてきた家政婦フィロメナの話を聞き,全てヒゲの革命家でキョーサン主義者のフィデルのせいだと考える。
 彼女の周囲では,フィロメナが去った後,ギリシア人のパナヨタが家政婦としてやって来て,ギリシア神話を聞かせてくれる。彼女がギリシアに帰った後は,ベトナム人のマイ・ランがやって来て,団結すれば上手くいくという寓話を聞かされ,学校で実践しようとする。だが,人のマネをすることを団結の精神と混同して失敗してしまう。それでも,アンナは,「パパも昔間違ったでしょ」と言い,大人だって失敗すると指摘して,挫けない。

  彼女は,家庭の中で自分の居場所を探し続ける。彼女の見据えるような眼差しや懸命に物事を理解しようとする表情が印象的だ。ヒゲの革命家から富の公平分配について説明されても,納得できないものには妥協しない。また,父親に「なぜ今は間違ってないと言えるの?」と鋭い疑問を投げかける。だが,文句を言っているだけでは解決しないことも覚えていく。団結の精神かどうかはともかく,視野の広さや寛容さを身に付けていくのだ。

  アンナは,毅然とした態度で大人と対等にわたり合える利発な女の子だが,妙に大人びているわけではなく,年齢相応に周囲の大人たちから色んな知識や経験を吸収しようとする好奇心の旺盛な女の子として描かれる。一方,弟のフランソワは,純粋無垢で愛らしく,アンナが家を飛び出したときには重要な役割を果たしている。ともあれ,アンナと両親ら大人たちのやり取りが面白く,しかも時代背景をしっかり取り込んだ完成度の高い映画だ。
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 ぜんぶ、フィデルのせい(山口バージョン)
『ぜんぶ、フィデルのせい』
〜9才の目に映る社会の変革〜


監督:ジュリー・ガヴラス(2006年 フランス 1時間39分)
出演:ニナ・ケルヴェル ジュリード・パルデユー ステファノ・アコルシ
2008年1/19〜梅田ガーデンシネマ、 1/26〜シネカノン神戸
3月〜
京都シネマにて
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 アタシ、アンナ9才。弟のフランシスはチビのくせに生意気。パパは弁護士、ママは雑誌「マリ・クレール」の記者なの。家族で過ごす日曜日が大好き。バカンスはいつもボルドー。おばあちゃんの家はお城みたいに広くてサイコー。ずっとあそこに住みたいな。だけど、そんな毎日がスペインから来たパパの妹のおかげですっかり変わっちゃった・・・・・・

  庭付きの広い家から狭いアパートへ、慣れ親しんだお手伝いさんから変な料理を出す外国人のお手伝いさんへ、ミッションスクールで一番得意だった宗教の授業は何故か一人だけ免除され、家のなかにはいつもひげ面の大人たちが出入りしている。それもこれも、みんなフィデルのせい?
 “フィデル”とはカストロ議長として知られるキューバの国家元首。彼がチェ・ゲバラとともに起こしたキューバ革命によって中南米では共産主義運動が高まり、1971年、チリでは初の社会主義政権が誕生しようとしていた。一方、フランコによる独裁政権が続いていたスペインでは、反体制派による闘争と弾圧が繰り返されていた。
 アンナのちいさな視界のなかにはすべてが映っている。いわゆるブルジョアである母方の祖父母に運動家だった伯母一家、祖国を追われたお手伝いさんなど、役者は揃っている。そして、それぞれが“ナントカ主義”で片付けられない愛情の対象であるところに幼い彼女の混乱は生まれる。その戸惑いは政治運動にあまりなじみのない今日の日本に住む私たちにも想像がつく。こんがらがった糸が団子になって、もつれながら、最後にするりとほどけるとき、少女の視界は少し広がりを見せる。

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 テラビシアにかける橋

『テラビシアにかける橋』
〜人生と向き合うためのファンタジー〜


(2007年 アメリカ 1時間35分)
監督:ガボア・クスポ
出演:ジョシュ・ハッチャーソン、アナソフィア・ロブ
ズーイー・デシャネル、 ロバート・パトリック
2008年1/26 〜梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、OSシネマズミント神戸
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 小学5年生の男の子ジェスは,家庭では姉2人と妹2人の真ん中で居心地が悪く,学校でもイジメに遭って居場所を見付けられず,アンニュイな日常を送っていた。転校生の女の子レスリーは,ジェスとは家が隣で,しかも友達のいない者同士で意気投合するうち,少しずつ彼の心の扉を開いていく。彼女は,目を閉じて心の扉を開いたときに見えてくる幻想の世界を”テラビシア”と名付けるが,そこには現実がしっかりと反映されていた。
 その世界は,初めはぼんやりとおぼろげな姿で,見えるというより感じるだけの存在にすぎない。それがジェスの心の扉が開かれていくに従い,はっきりとした形を見せるようになる。このようにテラビシアが少しずつ変容していく様子が,正にジェスの心の変化を照らし出すように視覚化される。ラストでテラビシアがどのような世界になっているのかを想像するのも楽しみの一つだ。だれも皆,心の扉が開放された爽快さを感じるだろう。
 だが,そこに至る過程は決して平坦ではない。レスリーの個性的で柔軟な発想や行動が新鮮で,その様子を気持ちよく見ているうち,ちょっとした不安や大きなショックを体験させられる。冒頭から何気ないようで重要なエピソードが要領よく積み重ねられていくので,分かりやすい。また,子供だけでなく大人も,家庭や勤め先で色々と不満を抱きながら我慢を重ねている人が少なくないだろう。その意味で親子でリラックスして楽しめる映画だ。

  ひたすら我慢してストレスがたまると,どこかで限界を超えてしまう。そうならないためには心に潤いを持つことが肝要だ。心の扉を開くと,いつもと同じはずの世界がそれまでとは違った意味合いを帯びていることに気付くだろう。イヤだと思っていたものに対して寛容になれるかも知れない。子供のころはもちろん,大人になっても,柔軟な発想を忘れないようにすれば,生きていることがきっと楽しくなると,レスリーが教えてくれる。
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 愛の予感
『愛の予感』

〜対立しながらも同じ痛みを抱えた男と女〜

(2007年 日本 1時間42分)
監督・脚本:小林政広
出演:小林政広、 渡辺真起子

【上映予定】
1. 第20回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門 
    2007年10月21日12時50分TOHOシネマズ六本木ヒルズ
2. 大阪アジアン映画祭2007メイン映画祭 
    2007年11月2日(金)
18時〜そごう劇場
   (
小林政広監督と渡辺真起子さんの舞台挨拶の予定あり)
3. 大阪での劇場公開予定  2008年1月1日〜シネ・ヌーヴォ


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 小林政広監督は,前作の「バッシング」と同様,今回もまた,事件が起こった後の様子を描いている。前作では,イラクで人質となった女性の帰国後の姿を描いたが,今回は,女子中学生が同級生を殺害した後の,娘を殺された父親とその加害者の母親の姿をカメラに収めていく。同じ事件でも,少し角度を変えることにより,それまで気付かなかった別の側面が見えてくる。これに表現のユニークさが加わって,個性の豊かな作品が生まれた。
  これは,被害者側と加害者側という単純な図式を超えたオトコとオンナの映画だが,2人が言葉を交わすシーンはない。冒頭で,2人が別々にインタビューに答えるシーンがあるが,その後はラストのモノローグまで全くセリフがない。被害者の父親に直接会って謝りたいと言っていたオンナとそれを受け入れられなかったオトコ。ようやくオンナが顔を上げてオトコと対峙したとき,実に効果的に過去のインタビューのシーンが挿入される。
  事件から約1年後,オトコは鉄工所の溶鉱炉で働き,オンナはオトコが住む民宿の厨房で働いている。オトコは生卵と醤油をかけてご飯を食べ,オンナはコンビニでジュースとサンドイッチを買ってくる。2人の日常が単調なら,それを捉えるカメラもまた頑なに同じポジションを守り続ける。映像が観る者の生理的な限界ギリギリまで迫ってくる。ひたすら耐えながら生きながらえている,そんなオトコとオンナの姿が画面に浮かび上がる。

  被害者側と加害者側のオトコとオンナは,視線を交えることさえないが,互いに意識せずにはいられない微妙な関係にある。少しずつ変化する2人の日常をカメラが坦々と捉えていく。オトコは,生きる意欲を取り戻したかのように,おかずを平らげる。そして,ようやく心情を吐露する。ボクは,あなたなしでは生きられないが,あなたと一緒に生きていく資格がない。だから,ボクはあなたと…。そして,劇的なラストを迎えることになる。
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