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【シネルフル】
HP管理者:

河田 充規
河田 真喜子
原田 灯子
藤崎 栄伸
篠原 あゆみ

〒542-0081
大阪市中央区南船場4-4-3
御堂筋アーバンライフビル9F
(CBカレッジ心斎橋校内)
cine1789@yahoo.co.jp


新作映画

 belief

『belief』
〜ある家族の物語‥‥失敗を乗り越えて〜


監督:土居哲真
(2007 日本 62分)
出演:土居幸子、土居健一、土居りえ子、浅見定雄、山口広、パスカル・ズィヴィ、西田公昭

10 月20 日(土)〜 11 月9 日(金)シネ・ヌーヴォXにて上映決定!

公式ホームページ→
 ある日の朝、母がカルトと呼ばれる宗教に入っていたことを知る息子。母の気持ちを理解し、きちんと母に向かい合おうとして、息子はカメラを回し始めた。

 本作は、当時弱冠28歳の大学院生だった土居監督が自ら全編撮影。母、兄夫婦とその子供、心理学者、弁護士、信者らと監督の対話で構成された、セルフ・ドキュメンタリー。
母が、訪問販売、運勢占いをきっかけに、魔除けの印鑑を購入したばかりか、宗教団体に驚くほど多額の寄付金をしていたこともわかる。入信したのは父が亡くなってからで、監督自身もうつ病を患い、苦しんでいた時期。「家族の今が、少しでも良くなればいいと思って‥‥」、「遠くで下宿し、うつに苦しむ息子が心配で‥‥」という母の言葉は監督の心に深く突き刺さる。
 はじめは、どこか攻めるように質問していた監督も、母の“思い”がわかるにつれ、温かかい言葉を投げかけるようになる。そして最後には「母は宗教に依存し、自分は母に依存していた」と自分自身のありように気付く。

 カルト宗教は、人の不安をあおり、巧みに誘い込む。そして、お金を出すことで、現実の悩み、苦しみから救われると思い込ませてしまう。人間関係が希薄になり、強いストレスを感じる現代社会においては、カルトに逃げ道を求めてしまう可能性は、誰にもある。母もその犠牲者の一人に過ぎなかった。
 完璧な人間は世の中にはいない。誰もが間違いをし、失敗もする。そのとき、間違いをした者が家族にわび、家族もそれを許し、わかってあげること‥‥。そこから再生の道が始まるのではなかろうか。

  「私は私なりに学んだことを活かしていく」と話す母はたくましい。孫のおむつを換えたり、食事をさせたり、甲斐甲斐しく世話をしている様子をカメラはじっととらえ続ける。母の生き生きとした姿は、どこかまぶしい。監督が母を見つめる優しいまなざしは、やり直しに向けての励ましであり、愛の告白でもある。

  きわめて私的ドキュメンタリーでありながらも、母について、そしてカルト宗教について知ろうとする監督の試みは、観客に、家族のありようを改めて考えさせる作品として結実した。

  2人目の孫の誕生を迎え、今、母と息子との対話は始まったばかりだ。
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 ミリキタニの猫

『ミリキタニの猫』

〜日系人画家を通して見えてくる現在のアメリカ〜


(2006年 アメリカ 1時間14分)
監督:リンダ・ハッテンドーフ
出演:ジミー・ツトム・ミリキタニ、 ジャニス・ミリキタニ、
    カズコ・ナガイ、 ロジャー・シモムラ、 猫のスティンキー

10月20日(土)〜シネ・ヌーヴォ、 11月6日(火)〜京都みなみ会館
12月7日(金)〜神戸アートビレッジセンター

公式ホームページ→

 ミリキタニ(三力谷)は,2001年1月,ソーホーで路上生活をしながら絵を描いていたとき,監督のリンダ・ハッテンドーフと出会う。彼の絵を見ると,曲線が美しく,動物たちはどこか愛嬌がある。日本の故郷・広島の柿の絵では,その赤色が火炎を思わせる迫力がある。彼は,1920年6月カリフォルニア州サクラメントで生まれ,3歳のとき日本へ渡り広島で育った。5歳で墨絵の一筆描きを独学し,絵のグランドマスター,天性の画家と称しているが,飄々とした感じで驕りはない。
 1937年,海軍兵学校へは行かず,自分はアーティストだと言ってアメリカに戻ったが,やがて日米開戦となって日系人強制収容所に入れられる。そのとき財産は全て没収され,収容中に市民権も放棄させられる。収容所では絵を教えたが,生徒47人中戦争で生き残ったのは7人だけだそうだ。姉カズコは別の収容所に入れられ,それ以来全く会っていないという。その姉と電話で話すシーンがいい。ジミーの従兄弟の娘ジャニスは,収容所の詩を書いていた。その中の「砂漠の風の刃がへその緒を断ち切る」というフレーズが痛切だ。
 彼は,2001年9月11日のテロ事件後,監督の家に住まわせてもらうことになる。ブッシュ大統領がテレビで,米国は自由の旗手で世界の希望ゆえ標的となったが,希望の灯を消してはならないと述べている。一方,同じ米国内でアラブ系住民が敵視され攻撃の対象となってしまう。このような状況下で監督からニュースを見るかと聞かれたジミーの「昔と変わらん」というセリフが耳に残る。確かに,昔は日系,今はアラブ系という違いはあるが,それ以外は全く同じ状況が再現されている。
 ジミーは,自国民を適性外国人として強制収容所に隔離したアメリカ国家を,ふざけた政府,ひどい政府,汚い政府と非難し,社会保障を受けることを頑なに拒否する。「ワシは日本に帰って日本で死ぬ」とまで言う。その彼が日本に帰らず,ソーホーで絵を描きながら路上生活を続けていたのはなぜか。やがて明らかになる,アメリカの人々の懐の深さ,助け合いの精神が彼を救ったと言えようか。

  監督は,1959年にジミーの市民権が法的に回復されていたことを調べるなど,ジミーのために尽力していた。その結果,彼は高齢者用ケア付マンションへ入居できるようになる。また,彼は,かつて3年半を過ごしたツールレイク強制収容所の跡地を60年ぶりに訪れることもできた。そのとき,彼の心に平安が訪れる。もう怒ってはいない,思い出を通り過ぎるだけだと言う。優しさに包まれた映画だ。
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 サルバドールの朝
『サルバドールの朝』

〜権力と闘い続けた青年の魂に迫る実話の重み〜

(2006年 スペイン 2時間15分)
監督:マヌエル・ウエルガ
出演:ダニエル・ブリュール、レオノール・ワトリング、 レオナルド・スバラグリア 、

10月27日から梅田ガーデンシネマ、京都シネマ、三宮シネフェニックスにて公開

公式ホームページ→
 つい30年前まで、スペインでは、フランコ独裁政権の下、弾圧的な政治体制が続き、民主主義とはほど遠い状況にあった。その政権末期、1970年代初頭、一人の若者が反体制運動に身を投じる。自由を求め、世の中を変えたいと願い、政治活動を始めた青年サルバドール。警察との乱闘で、誤って発砲した銃弾が警官の命を奪ってしまう。遺体からは警察による銃弾も発見されたが、十分な捜査もないまま死刑判決が下される。

 前半は、ごく普通の学生だった彼が、地下活動に入り、闘争資金を稼ぐため仲間達と銀行強盗を繰り返すようになるまでをロックにのせ、スタイリッシュな映像で描く。

  みどころは、獄中に入れられてからの後半。サルバドールと家族、弁護士、看守と、彼の身の回りにスポットをあて、その内面に迫った。周囲の敵意と無視の中で彼を励まし続けた家族。自分を信じ、家族を愛し、最後まで生きる希望を失わなかったサルバドール。敵意を露にしていた看守も彼の純粋さに触れ、次第に打ち解けていくくだりは心温まる。
 死の恐怖にさいなまれながらも、文学を愛し、まっすぐな心を持ち続けようとするサルバドールの姿が淡々と描かれ、過激なアナーキストというより、誠実で繊細な若者としての素顔に触れれば触れるほど、不正な裁判により25歳の若き命を奪おうとする権力の横暴さに怒りがこみあげてくる。
 最後の数分、史実を忠実に再現したと思われる、刑の執行シーンには絶句した。あまりに辛く、むごい。しかし、実話の重みと、真実を伝えようとするつくり手の真摯な思いが伝わり、まさに迫真の場面。死刑を執行する側への憤りと、死刑を執行される側の無力さ、無念さが一気に押し寄せ、強烈に心に刻みつけられる。最後まで穏やかだった青年の心持ちがわずかながら救いとなる。

  市井の人々がサルバドールの葬儀に参列しようとして、権力と衝突。この事件がフランコ独裁政権崩壊のきっかけとなったというエピローグが心にしみる。
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 恋 空
『恋 空』

〜恋は人を弱くする。でも、それ以上に強くする。〜

 (2007年 日本 2時間9分)
監督:今井夏木  
出演:新垣結衣、三浦春馬、小出恵介

11月3日〜TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸、他

公式ホームページ→
 著者・美嘉が自らの体験をもとに綴った「恋空」は、数あるケータイ小説の中でもダントツの人気を誇り、原作も凄まじい売れ行きを見せている。正直、このタイトルを最初に聞いた時は、まるで何かを略したかのような言葉だったため、「あぁ、これはきっとイマドキの若者の恋愛事情的作品なのだろう」という先入観を持ってしまった。だが、原作と映画で物語の世界を知り尽くすと…確かに“若者”のハナシではある。なりふり構わず恋に突っ走ることができるのも、恋に“永遠”を感じることができるのも若さゆえの特権。

  しかし、そこにはわざとらしい純粋さもなければ、今が良ければそれでいいなんていうお気楽さもない。時に不器用なまでに傷つけ合って、すれ違って、けれど好きでたまらずに諦めきれない…。そんな、“恋をすることのどうしようもなさ”が決して飾ることなく、ありのままに描かれているのだ。
 ごく普通の女子高生・美嘉は、見た目は派手だが、優しい心を持った同級生・ヒロと付き合う。次々と悲劇が降りかかっても、2人の絆が揺らぐことはなかったのに、突然ヒロから別れを告げられ、ボロボロになる美嘉。そんな彼女を救ってくれたのは、年上の青年・優だった。2度目の恋を大事にしようとする美嘉だったが、思いもよらなかったある“事実”を知ってしまう…。
 原作に比べると、美嘉と優や、美嘉と友達との結び付きが薄いし、とても印象的だったみかんキャラメルのエピソードも“顔出し”程度で終わってしまう。だが、図書室の伝言ボードのメッセージは後半にうまく活かされていたし、美嘉とヒロの想い出の場所である川原の風景や、ちらちらと降る白い雪、青い空などは映画だからこそ味わうことのできる美しさだ。それが想像以上に魅力的だったために、ストーリーを凝縮しすぎているのがもったいなく感じられた。

 何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。そして、自分が傷つくことよりも誰かを傷つけてしまうことの方がはるかに辛いということ。けれど、それでも決断しなければいけない時がある。美嘉が選んだ道を見守る観客は、苦しいことから目を背けずに前に進んでいくことの難しさと大切さをひしひしと感じることだろう。

 たった2文字のタイトルに込められた切なさと温かさに気付くとき、恋に迷い、悩む全ての人がその背中をそっと押してもらえるはずだ。 
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 象の背中
『象の背中』

〜役所広司、渾身の演技がスクリーンにみなぎる〜

(2007年 日本 2時間4分)
監督:井坂聡  原作:秋元康
出演:役所広司 今井美樹 塩谷瞬 南沢奈央 井川遥 高橋克実

10月27日より、梅田ピカデリー、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ他全国松竹系にてロードショー

公式ホームページ→
 いまや世界を舞台に活躍する役所広司が、減量に挑み、迫真の演技を披露。

  息子、娘に恵まれ、不動産会社の部長となり、順風万帆の人生を送ってきた48歳のサラリーマン藤山(役所広司)。肺ガンであと半年の命と宣告される。藤山は、残された時間を有意義につかいたいと、延命治療を拒否。自分の人生を振り返り、初恋の人や、喧嘩別れした旧友、絶縁していた兄、言い残したことがある人達に会いに行き、別れを告げる。高校野球部で共に練習に励んだ旧友とのキャッチボールのシーンが切ない。

  激しい咳や背中の激痛に耐える役所の演技はリアルで痛々しいほど。ガンが末期を迎え、見舞いに来た兄に「悔しい。死ぬにはまだ早過ぎるよ」と弱音を吐く姿はつらく、悲しい。
 海の見えるホスピスに入り、柔らかな日差しの下、優しい波の音に包まれ、砂浜で家族と過ごす風景は、そこはかとなく美しい。一番身近にいながらこれまで向き合うことのなかった妻と残された時間を過ごし、家族への愛を通じて、生きることの喜びをかみしめる。藤山が娘を見つめる眼差しのなんと柔らかなこと。

  眼前に死を突きつけられた時、誰もが自分の人生を振り返り、自分が生きた証を、なにか残したいと考えるのではないか。
 藤山はそう考えて、旧友らに会いに行った。しかし、本当に彼が出会うべき相手は家族だったのかもしれない。普段、仕事に忙しく一緒にいられなかった家族。家族への愛こそ自分の生きた軌跡だということに気が付いたのではないか。もう見ることができないであろう娘の成長した姿、息子の将来の姿に思いを馳せつつ、今、目の前にいる家族たちを見つめる藤山のまなざしは、限りなく優しく切なく、暖かい。

  原作は、秋元康の人気小説。象は死期を悟ると群れから離れ、見知らぬ場所へ行くという。死ぬ姿を見せたくないからか、この世への未練を断ち切るためか‥‥。

  最期まで家族のそばで、夫として、父親としての生き様を見せ、あの世へと旅立っていった藤山の姿は深い感銘を残す。 死を前にして、“今”を生き抜こうとする思いが切々と胸に迫る秀作。
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 ノートに眠った願いごと
『ノートに眠った願いごと』

〜韓国の美しい風景の中で描かれる、喪失と再生の物語〜

監督:キム・デスン  (2006年 韓国 1時間48分)
出演:ユ・ジテ、キム・ジス、オム・ジウォン

11月24日〜 シネマート心斎橋、 12月公開予定 京都シネマ
(フリーペーパー『シネルフレVOL.12』では、公開日を間違って記載しておりました。申し訳ありません。)

公式ホームページ→
 デパートの崩壊事故で最愛の恋人ミンジュを失ったヒョヌ。それから10年の時を経て彼のもとに1冊のノートが届けられる。そのノートには、ミンジュの愛に満ちた“新婚旅行計画”が綴られていた…。

 ノート通りに行き先を巡るヒョヌ。その旅の中で出会う1人の女性が物語の鍵となり、止まったままだった彼の人生を再び動かしていくプロセスに胸を打たれる。また、海に浮かぶ砂丘、紅葉、神秘的な森など、厳選された秋香る韓国の風景がゆったりと映し出され、旅情を誘う。 
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 朧の森に棲む鬼
『朧の森に棲む鬼』

〜ゲキ×シネの驚くべき迫力と臨場感に圧倒〜

(2007年 日本 2時間57分)
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
出演:市川染五郎、阿部サダヲ、秋山菜津子、真木よう子、古田新太ほか

10月6日より公開中〜梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、109シネマズHAT神戸
公式ホームページ→
 演劇というのは、役者と観客とが劇場の同じ空気を吸い、緊張感、一体感を共にしてこそ、感動が生まれるものと思っていた。 しかし、このゲキ×シネ(演劇×映像)第5作目となる本作を観て、考えが変わった。正直なところ、驚いた。まるで生の舞台を目の前にしているかのように、役者達の熱気が伝わり、臨場感あふれる映像の世界に圧倒された。ここまでリアルに舞台を再現できるとは・・。

  それもそのはず。観客のいる本番の舞台(昼夜2回分)を、10〜15台ものデジタルシネマカメラで多角的に同時に撮影、音響も最新の機材で収録。アップあり、ロングありで、みどころをおさえた見事な編集で、映像の編集だけに3ヶ月以上もの労力をかけているという。剣と剣がぶつかる音、人が倒れる音、殴る音、雨の音と、音響効果も抜群。
 劇団☆新感線といえば、舞台転換の合間に、花道や舞台前、舞台奥を生かしてドラマが進み、息を継ぐ間もないくらいテンポよく展開していくのも魅力の一つ。ゲキ×シネにはぴったりの作品だ。歌ったり、踊ったり、跳んだり、走ったり、役者一人ひとりのエネルギーが舞台いっぱいにはじけ、迫真の演技、迫力満点の殺陣が、映画館の大スクリーンに繰り広げられる。まさにエンターテインメントだ。
 今回、人間ドラマに焦点を当てていきたいと思った作品で、シェイクスピアを基本にしている、と演出のいのうえ氏が語るだけあって、ドラマとしてもみごたえ十分。

 野心に満ち、どんな嘘でも平気でつけるライが、いにしえの神々が棲む森で魔物《オボロ》達に出会い、自分の命と引き替えに王の座を約束される。

 最初は、小汚い少年に見えたライが、得意の嘘や裏切りを幾度となく重ね、のしあがっていくにつれ、貫禄もつき、立ち居振る舞いも王にふさわしく、堂々たる風格を備えるようになる。ライを演じる市川染五郎の全身から伝わる異様なまでのオーラに圧倒される。

  阿部サダヲが演じる、ライの弟分キンタとライとの友情と裏切りの物語もまた、感動を呼ぶ。権力を手中に収めるため、悪と悪とが手をつなぎ、陰謀に継ぐ陰謀を繰り返す。その中で、人としての善良な心を取り戻せるのは一体誰なのか?

 とらえどころのない、ふてぶてしい悪玉親分を演じる古田新太はもとより、秋山菜津子、真木よう子と妖艶たる魅力にあふれ、個性豊かな役者達が観客を存分に楽しませる。

 ゲキ×シネは、「映画」というよりは、むしろ演劇の魅力を“新しい形”で体感してもらう新ジャンルだ。料金も通常の映画より高めだが、それだけの価値は十分ある。3時間近くの長丁場も苦にならないはず。そもそも、超人気の「劇団☆新感線」のチケットはそう簡単には手に入らないし、東京・大阪等でしか公演されない。普段、演劇に縁のない人にも、この舞台の醍醐味を知ってもらおうというのが、このゲキ×シネの企画の発端でもある。

 本物の舞台を観ていない人も、劇の世界にすっかりのめりこんでしまうのがゲキ×シネの魅力。権力を求めて、どこまでも悪の道を突き進む市川染五郎演じるライの姿は、悲しくもあり、どこか爽快ですらある。この不思議な魅力はきっと多くの人の心に強烈な印象を残すにちがいない。
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 バイオハザードV
『バイオハザードV』

〜アリスをはじめ全てがスケールアップ!〜

(2007年 アメリカ 1時間34分)
監督:ラッセル・マルケイ
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ、 オデッド・フェール
   アリ・ラーター、 イアン・グレン、 アシャンティ


11月3日(祝)〜TOHOシネマズ梅田、梅田ブルク7、TOHOシネマズなんば、なんばパークスシネマ、TOHOシネマズ二条、MOVIX京都、OSシネマズミント神戸、シネモザイク、MOVIX六甲、109シネマズHAT神戸 ほかロードショー
公式ホームページ→
 「バイオハザード」(2002年),「バイオハザードU/アポカリプス」(2004年)に続き,待望の3作目がいよいよ公開される。ミラ・ジョヴォヴィッチの魅力が全開で,ポール・W・S・アンダーソンの脚本が面白く,ラッセル・マルケイ監督の手腕が光っている。1作ごとにスケールが大きくなり,パワーアップしていくので,注目すべきシリーズだ。

  舞台は,生物兵器の研究・開発を行うアンブレラ社の地下秘密研究所ハイブ(hive)から始まり,2作目ではその上にあるラクーンシティへ移り,そして今回は広大な砂漠や廃墟となったラスベガスへと広がっていく。3作目は,カメラが空間を自在に動き回り,畳み掛けるような映像の展開に目が離せない。
 アリスは,最初は自分が何者でどのような状況に置かれているのかが理解できていなかった。だが,今や自分の底知れないパワーに一抹の不安を抱きながら,自分の背負った哀しい宿命を自覚して孤高に生きている。時折アリスの表情がアップで挿入されるが,そこには使命に燃える凛々しさだけでなく,深い憂いを湛えているようで,なかなか美しい。
 クレアが率いるコンボイが砂漠の風景の中を進むシーンは,終末感の漂う近未来アクション「マッドマックス2」に通じるものがある。また,廃墟となったラスベガスのシーンは,衝撃的に自由の女神像を俯瞰した「猿の惑星」のラストを思い起こさせる。アンブレラ社が開発したT−ウイルスの感染が地球全体に広がり,大半の人間が生きる屍・アンデッドになったという,荒涼とした世界のイメージが視覚的に鮮やかにデザインされている。

  アリスらに襲いかかる敵もグレードアップしている。T−ウイルスに感染したアンデッド・カラス,スピーディに動くスーパー・アンデッド,そして最終生体兵器というべきタイラントが登場する。ヒッチコックの「鳥」を凌ぐ不気味さを醸し出したカメラワークとカッティングは見応えがある。また,アリスが2本のククリ(ネパールで使われてきた大振りの刃物)を操るアクションも見逃せない。

  3作目となる本作では一応”ファイナル・ステージ”と謳われているが,果たして本当だろうか。監督はシリーズ3作とも異なるが,1作目を監督したポール・W・S・アンダーソンが3作全ての脚本と2・3作目の製作を務めている。本作のラストは,…もしかしてTOKYOや更に広くアジアに舞台が展開し,アリスのファイナル・バトルは更に続く…?
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 サイボーグでも大丈夫
『サイボーグでも大丈夫』

〜絶望でもなく、希望でもないパク・チャヌク流「究極の愛」〜

監督:パク・チャヌク  (2007年 韓国 1時間47分)
出演:イム・スジョン、チョン・ジフン(Rain(ピ))

10月27日(土)〜ロードショー!シネマート心斎橋/京都シネマ
11/3(土)〜シネカノン神戸

公式ホームページ→
 “復讐”といえばパク・チャヌク監督。もはやそのイメージは、「韓国といえばキムチ」の域に達するほどと言っても過言ではない。それほど“復讐三部作”(『復讐者に憐れみを』、『オールド・ボーイ』、『親切なクムジャさん』)で描かれた、生々しい人間の狂気は強烈だった。そんな彼の新作はなんと“ファンタジックなラブストーリー”…と、言われてはいるが、果たして本当なのだろうか…?!
 主人公は、精神クリニックの患者で自分をサイボーグだと信じ込んでいる少女・ヨングン。“故障”を恐れてご飯を一切食べない代わりに、エネルギー源の電池を舐め続ける。自分が“消滅”してしまうのではないかと怯え、人の癖や特徴を盗んでしまう青年・イルスンは、少女を心配して何とかご飯を食べさせようとするのだが…。

 ヨングンが指先からミサイルを発射する空想のシーンなど、随所にパク監督らしい奇抜でシュールな映像を盛り込みつつ、心に大きな傷を負い、殻に閉じこもってしまったヨングンとイルスンが次第に心を通わせていく様子を繊細かつ多彩なプロットで見せるあたりの手腕はさすがだ。
 かなり癖の強い映画ではあるが、それはあくまで表面的なもの。人と違う言動をする人を否定したり、なだめたりするのではなく、ただ“受け止めてあげること”。そんな、究極ともいえる「愛」が真のテーマではないだろうか。イルスンがヨングンに、ある“手術”を施してあげる場面が、それを最も象徴している。

 「とにかく希望を捨てよう、そして元気を出そう」というイルスンの言葉が忘れられない。どんなに辛いことがあって、世の中に絶望してもとにかく生きていかなければいけない。無理はしなくていい。ありのままの自分でいればいい。そうすれば自然と生きる力も湧いてくる。

  確かに本作で“復讐”という憎しみの炎は鎮火され、“愛”という優しい火が灯された。しかし、「人間」というものに対して監督が光らせる鋭いまなざしは変わっていない。決して、甘い恋の余韻に浸ることはできないのだ。やはり、パク監督は“一筋縄ではいかない”パク監督のままだった…!     
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 ブレイブ ワン
『ブレイブ ワン』

〜心の再生と触れ合いに恍惚となる幸せを〜

(2007年 アメリカ 2時間02分)
監督:ニール・ジョーダン
出演:ジョディ・フォスター、 テレンス・ハワード
ナビーン・アンドリュース、 ニッキー・カット
メアリー・スティーンバージェン

11月1日〜全国ロードショー


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 ニール・ジョーダンと言えば「クライング・ゲーム」の印象が強烈に残っている。主人公ファーガスは,かつて経験したことのない自身の心の動きに戸惑いながらも,それに身を任せていく。愛情とは違った微妙な魂の触れ合いが巧みに描かれており,意表を突かれる展開だが,思わず納得させられる映画だった。そのときの心のとろけるような味わいが忘れられない。今また,これと似た感覚を味わうことになろうとは夢にも思わなかった。

  本作の主人公エリカ・ベインは,享楽的な暴力の犠牲となり,婚約者を奪われ,自らも瀕死の重傷を負う。身体の傷が回復しても,心は立ち直れず,やっと外出できたときには,生きる支えを得ようと拳銃を手に入れる。そんなアンバランスな心の状態がジョディ・フォスターの歩く姿からにじみ出ている。しかも,意図的に安定感を取り払われた映像と,NYの街を覆う雑然とした音響が,彼女の心の不安を増幅するような効果を上げている。
 ここでは,心に深手を負ったエリカが人生を取り戻す過程が描かれている。もっとも,彼女が拳銃を手にしたことから分かるように,ありきたりな経過はたどらない。彼女は,拳銃を発射する。1回目は遭遇した危険から身を守るためやむを得ず,2回目は危険から逃げようとせず冷静に相手を目掛けて,3回目は監禁された少女を救うために。エスカレートする自分の心理や行動にためらいを感じながらも,4回目は遂に自ら正義を実現する。
 一方,NY市警の刑事マーサーは,法律の手続に則って正義を実現するという信念を貫いている。だが,四角四面ではなく,柔軟さを兼ね備えたソフトなイメージが漂う。このテレンス・ハワードが醸し出すキャラが実に心憎い。彼は,法律の限界を感じ,心の奥底ではイラついている。そんなとき,エリカと出会う。発砲事件を重ねる犯人がエリカではないかという疑いが強くなるにつれ,その犯人の行動に惹かれていく自分を止められない。

  エリカがパーソナリティを務めるラジオ番組の中で,法を超えて悪に鉄槌を下すことの賛否がリスナーに問われる。だが,それは背景の一部に過ぎず,焦点はマーサーとエリカの心の触れ合いに絞られていく。やがて2人が救いを求めていたことが分かってくる。2人は,心の奥底で通じるものを感じ取り,互いに相手が自分を救える人物だということを本能的に悟っていたに違いない。だからこそ,この結末を違和感なく受け入れられるのだ。
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 ゾンビーノ
『ゾンビーノ』

〜題名のとおり愛らしくて怖くないゾンビ〜

(2006年 カナダ 1時間33分)
監督:アンドリュー・カリー
出演:キャリー=アン・モス、 ビリー・コノリー
  ディラン・ベイカー、 クサン・レイ、 ヘンリー・ツェーニー

10月27日〜敷島シネポップ、12月1日〜京都みなみ会館にて公開
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 宇宙から来た放射能の雲が世界中の死体を蘇らせ,ゾンビが人間を襲う。人間は自衛のためゾンビとの戦争に突入し,不死の敵との過酷な戦いが続く。その中で,ゾムコン社の創立者ガイガー博士が脳を破壊されたゾンビは完全に死ぬことを発見し,人間が勝利した。ゾムコンは,町をフェンスで囲い安心して暮らせる社会を確立する。だが,残留放射能のせいで人は死ぬと皆ゾンビになる。そこで,ゾムコンが開発した首輪が威力を発揮する。

 この冒頭のモノクロの映像は,ゾムコン社のPR映画であり,端的に物語の背景を説明している。一本の短編映画としてなかなか面白い。1950年代の低予算SF映画の雰囲気が漂っている。また,ゾムコンの警備主任ボトムズの部屋にゾンビ戦争中のボトムズの勇姿が飾られているのを見たとき,ゾムコン社がアメリカ国家とダブってくる。実は,冒頭の映像は,人々の安全を保障する国家アメリカのプロパガンダ映画だったのかも知れない!?
 ゾーンと名付けられた外の世界では野生のゾンビがうごめいている。町中のゾンビは,首輪に赤ランプがついている限り,人肉を食べたい欲求が押さえられ,ペットのように大人しく,人類の支配下に置かれている。しかも,町の人々は白人ばかりで,かつてのアメリカ社会のメタファーのようにも思えてくる。カナダから見たアメリカ社会が本作の端々に反映されているというのは,深読みだろうか。だが,それもまた映画を観る楽しみの一つだ。
 また,主人公の少年ティミーは,ゾンビは死んでるのか生きてるのかという疑問を持つ。確かに,ガイガー博士は妻を失いたくなくて首輪を開発したらしいし,ティミーの近隣の1人はゾンビの恋人と同居している。もちろんゾンビとしてこの世に残りたくない人もいる。そんな人にはクビを埋葬する葬式で永遠の眠りが約束されているが,葬式をする人は1割だという。生と死の境界が曖昧になった社会では生きることの意味が問い直される。

  もちろん,ファンタジーとしての見所もある。ティミーの母ヘレンは,近所に対する見栄も手伝って,夫ビルがゾンビを恐れているにもかかわらず,ゾンビを買ってくる。ティミーは,ゾンビをファイドと名付ける。妻の妊娠にも気付かないビル。ビルに踊ってもらえないヘレンは,代わりにファイドと踊る。ファイドに対するティミーの友情とヘレンの情愛は,ファイドに首輪の赤ランプが消えても欲求をコントロールできる力を与えるのだ。
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 めがね
『めがね』

〜 思いっきり心をゆるめて、たそがれてください。〜

(2007年 日本 1時間46分)
脚本・監督:荻上直子
出演:小林聡美、もたいまさこ、市川実日子、光石研、加瀬亮

9月22日〜梅田ガーデンシネマ、なんばパークスシネマ、京都シネマ、MOVIX京都、シネ・リーブル神戸他にて全国ロードショー

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 待ってました! 荻上監督の最新作。前作「かもめ食堂」で多くの人々を虜にした不思議な魅力は健在で、確実に心のツボを押してくる。

 春。柔らかな光に、エメラルドグリーンの海がキラキラ輝き、風がそよそよと吹きぬける・・・。そんな海辺の小さな町にふらりとやってきた、自称「きちんとしているが面白くない」女・タエコ(小林聡美)。そんな彼女に、宿の主人・ユージ(光石研)は「ここにいる才能がある」と微笑む。ここでは出会う人も、出来事も不思議なことばかり! 春限定でやって来る常連客のサクラ(もたいまさこ)、いつもブラブラして
いる高校教師のハルナ(市川実日子)、タエコを先生と呼ぶヨモギ(加瀬亮)。めがねの5人は、お互いをよく知らないまま、ビールを酌み交わし、氷を食べ、メルシー体操をし、たそがれる。始めは戸惑っていたタエコだが、いつしか肩の力が抜けてゆくのだった。

  さり気なく心に入ってくる台詞は、今まさに悩んでいたことの答えだったりして、とびきりステキだ。そして、ぬくもりが適温になる近すぎず遠すぎない人と人との距離感が、この作品をどっしりと支えている。見終わった後の満ち足りた気持ちは、やはり癖になりそうだ。
(原田 灯子)ページトップへ
 クローズド・ノート
『クローズド・ノート』

〜出会いと別れの向こうに・・・〜

(2007年 日本 2時間18分)
監督:行定 勲
出演:沢尻エリカ、伊勢谷友介、竹内結子

9月29日〜ナビオTOHOプレックス(10/1よりTOHOシネマズ梅田)、TOHOシネマズなんば、アポロシネマ8、TOHOシネマズ二条他にて全国ロードショー

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 一期一会という言葉がある。“その人”と出会うことは、一生の宝物。その出会いを自分の中でどう育てていくかは、自分次第。たとえ失恋で終わっても、その人から得たものは、自分の中で生き続けるのだから。

  引っ越し先のアパートの、前の住人が置き忘れていった日記帳。ふと手にとって、読んでいくうちに、香恵(沢尻エリカ)は、書き手である伊吹先生(竹内結子)のことをどんどん知りたくなる。そこには、新米教師として悩みながらも、前向きにぶつかっていこうとする熱い思いと、恋人“隆”への淡い想いが綴られていた‥。
 他人の日記を勝手に読むという行為自体、あまりほめられたものではない。でも、日記を読むことで香恵は伊吹先生と出会い、自分を見つめなおすことになる。知り合ったばかりのリュウ(伊勢谷友介)へのときめきを、伊吹先生の恋に重ね、共感しながら、育んでいく。そして、最後に、恋の行方を受け止め、新しい一歩を踏み出すまでの香恵の成長の物語。
 リュウにとっては再生の物語。自分の中にその人から受け取ったものを自覚できたとき、自分の中のその人とともに、もう一度、前に歩き出す勇気が湧いて来る。

  自分の気持ちに正直に、果敢に行動していく香恵は、いかにも現代っ子。香恵をモデルに、リュウが他の女性の絵を描いていたことを知っても、動揺をみせず、虚勢を張る。自分中心にみえて、どこか素直で一途で、憎めない。沢尻の等身大の演技がいい。
 回想シーンの中に現われる伊吹先生を、観客は、香恵と同じ目線で見つめることになる。いつも笑顔を絶やさず、真摯な姿がすがすがしく、竹内の優しい表情が心に刻み込まれる。

  最後に校庭で空を見上げる香恵とリュウの姿からは、人と人との出会いの尊さが暖かく、力強く伝わる。出会いも別れも全てを受け入れ、新しく未来を見つめようとすることのすてきさが、ちょうど紙飛行機のように音をたてずに、すうっと心の中に入り込んできた。
(伊藤 久美子)ページトップへ
 北極のナヌー
『北極のナヌー』

〜 この地球上から北極が消滅するかもしれない・・・!〜

(2007年 アメリカ 1時間24分)
監督:アダム・ラヴェッチ、サラ・ロバートソン
日本語ナレーション:稲垣吾郎

10月6日〜梅田ブルグ7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、OSシネマズミント神戸 他


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 「省エネ」という言葉を初めて聞いたのはいつのことだったろうか?地球温暖化が叫ばれて久しいが、この星の温度は刻々と上昇を続け、北極では氷の融ける時期が年々早まってきていると言う。そして、この状態が続けば2040年−北極圏は極寒の地にしか棲むことのできない生き物たちとともに、その姿を消す・・・・・・

  “ナヌー”とは、イヌイットの言葉で白くまを意味する“ナヌーク”にちなんでつけられた。雪に覆われた巣穴で産声を挙げたナヌーは双子のお姉さん。通常約3年で独り立ちする白くまだが、温暖化の影響で季節の移り変わりが早まり、ナヌーは狩りなどの充分な訓練を積まぬまま巣立ちのときを迎えた。弱かった弟は自然の猛威の前に朽ちていった。
 北極には約3000種の生き物が生息している。これも温暖化によるものだが、地形の変化で餌場を追われた彼らは、やがて予想もしなかった攻防を繰り広げるようになる。アザラシを主食とする白くまがセイウチを狩るという非常に珍しい姿をカメラが捉えたのだ。

 「ナショナルジオグラフィック」のドキュメンタリー撮影がきっかけで北極に通い始めたアダム・ラヴェッチ(監督・カメラマン)は、パートナーのサラ・ロバートソン(監督・カメラマン)とともに北極に棲む生き物たちの営みを10年に渡り追い続け、800時間ものフィルムに収めた。その集大成がこの作品である。

 子どもの頃に聞いた「ノストラダムスの大予言」−1999年に地球は滅亡する−あの時の20年後は遠い未来だった。いくばくかの人生経験を積んだ今、みつめる30年後はすぐそこだ。そして、今度の危機こそ本物だ。極寒の地で餌場を追われ、飢えに苦しむナヌーの姿は、私たち人間を含めた地球上に棲む生き物すべての姿なのだから。 

  2006年、国際自然保護連合が発行している「レッドリスト」に絶滅の恐れがある動物として新たに白くまが加えられた。それでも家族をつくり命を繋いでゆこうとする姿を見たとき、心が震えた。エンドロールが流れ出す直前にスクリーンに浮かんだ“LEARN MORE,TAKE ACTION”(もっと学び、行動を起こそう)の文字が今も残像として瞼に残っている。この映画を映画館で、地域で、学校で、多くの人に繰り返し観てもらいたいと願う。

(山口 順子)ページトップへ
 青空のルーレット
『青空のルーレット』

〜金はないけど夢はある!〜

(2007年 日本 1時間43分)
監督:西谷真一
出演:塩谷瞬、貫地谷しほり、忍成修吾

11月3日〜テアトル梅田ほかにて公開

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 「オレたちもう何枚ぐらい窓ふいたんスかねぇ」 「10万枚ぐらいだろ」
「なんか、無意味で自由スねぇ」 
“無意味で自由”・・・そんな時間は人生のうちにどのくらい用意されているのだろう?
青い空をバックに青年たちは今日も窓を拭いている。高層ビルの屋上から命綱のロープをたらして、ロッククライマーのように、一枚一枚、窓ガラスに向かっている。
 キャバレーで酔客相手に演奏しながらデビューを目指す“エアーブランコ”のボーカル・タツオ(塩谷瞬)とベースの勇介(忍成修吾)。漫画家志望の工藤(脇知弘)に、キャバレーのホステス・シルビア(中島知子)を一途に想う一馬(川村陽介)。彼らはみんな窓拭きのバイト仲間だ。一発逆転を目指す者もいれば、窓拭きでやっていこうと決意を固める者もいる。そんな彼らを大きく包んでいるのが小説家志望の中年男・萩原(嶋尾康史)だ。

 タツオは耳の不自由な女性・加奈子(貫地谷しほり)との出会いによって、一馬はシルビアへの想いによって、萩原も、そして誰もが何らかのきっかけで人生のルーレットを回し始める。
 辻内智貴の同名小説を「陽気なギャングが地球を回す」の丑尾健太郎が脚本化。窓拭きも音楽活動も若かりし頃の辻内氏の実体験だ。そこに小説家という現在の姿を仲間入りさせた、言わば辻内氏の分身のような作品だが、それを、やはり小説の映画化であった「花」で高い評価を得た西谷真一監督が、丁寧なまなざしの感じられる映画作品に仕上げた。

 ここで言う青空は真夏の真っ青な空ではない。どちらかというと、白を含んだ秋から冬にかけての高い空だ。その空に吸い込まれるように響く路上ライブの歌声からは、明日のことなどわからないけれど、いまを精一杯生きている確かな手ごたえがあふれ出ている。
 加奈子にはその歌声は聴こえないけれど、魂が共鳴したのだろう。ギターに頬をくっつけて、音の響きを体で感じようとする、ひたむきな表情が胸に残った。

  窓は拭いても拭いてもまた汚される。それはいっそ“無意味”かもしれない。しかし、そこに“自由”をくっつけると何とも軽やかな響きになる。曲は風に乗って空気に溶け、綴った言葉は紙くずになる、でも、きっと誰かの心に何かを残すだろう。

(“エアーブランコ”の楽曲は京都出身の若手バンド「MOLE HILL」が提供。一部メンバーは本編にも出演している。)
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