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『愛と誠』

 
       
作品データ
制作年・国 2012年 日本
上映時間 2時間14分
原作 梶原一騎/ ながやす巧 『愛と誠』
監督 三池崇史
出演 妻夫木聡、武井咲、斎藤工、大野いと、安藤サクラ、市村正親、余貴美子、伊原剛志
公開日、上映劇場 2012年6月16日より新宿バルト9ほか全国一斉公開
       

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~「君のためなら死ねる」って、ホンマかいな!?~

  誠(妻夫木聡)のライバル岩清水(斎藤工)の大真面目なセリフ「僕は、君のためなら死ねる」には笑えた。映画で38年ぶりに帰ってきたセリフの意味は変わらないはずだが、もはやまともに受け取れる時代じゃない。

 40年の歳月が一番変えたのはおそらく“愛の理念”ではないか。希望に満ちた青年だった団塊世代がオヤジになっただけ、ではないだろう。愛について口にすることなどなくなった時代。ましてや“愛と誠”など、かつてあるタレントが「誠意」の旗を振りかざして恋人の父親にアピールしたように、マンガの世界かせいぜいパロディーでしかあり得ない。

    何でも撮れる才人・三池崇史監督が「十三人の刺客」、「一命」に続いて作り直(リメイク)したのは純愛ものの極致というべき梶原一騎原作「愛と誠」。どんなものになるのか、恐れつつ興味津々だったが、さすが自称「大阪・八尾の代表監督」、愛も誠も徹底的に笑いのめし、70年代ヒット曲をかぶせて懐メロダンス大会に仕立てて見せた。達人ワザに笑いもこわばる純愛編というところ。

aitomakoto-2.jpg 誠を一途に思う令嬢・愛(武井咲)のセリフの数々は昭和初期のメロドラマですら裸足で逃げ出す。若さゆえの言葉は嘘など突き抜けてギャグの域だ。冒頭、いじめられている愛と、彼女を助ける誠は漫画で登場する。愛には“白馬の王子”との運命の出会い。この時に誠の眉間に「月光仮面のような傷」がつく。15年後、眉間の傷のせいでか手の付けられない不良になった誠は、東京で名家の一人娘、正真正銘のお嬢様・愛と再会する。

 けんかの最中に初代・誠=西城秀樹の「激しい恋」やにしきのあきら「空に太陽があるかぎり」といった歌謡曲が大そうに愛を歌いあげて踊りだす。趣向はあの「ウエストサイド物語」のパロディーか!?フォークルの名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」を可憐な武井咲が清らかな声で歌うところはハマりすぎなほどハマる。なんとピッタリなんだろう、てな具合だ。

  aitomakoto-3.jpg誠はそんな愛がうっとうしい。誠のけんかを止めに入ったつもりが、愛が体を張って止めようとするたびに誠がパンチを食らうあたり、迷惑でさえある。愛が拉致されても、誠は無関心を貫くのに「私のために来てくれたのね」と喜ぶ愛の思い込み、勘違いは秀逸すぎるギャグでもある。それをことごとくはずす誠の無関心もたいしたもの。映画初出演の武井咲のコメディセンスにも感心。

   愛一筋のメガネ優等生・岩清水、誠に惚れるスケバン(安藤サクラ)、裏スケバンの悲しい女(大野いと)たちがそろって純愛志向。「顔がおっさんに見える病気」の番長・伊原剛志に至っては、ホンマのおっさんが真面目くさってやるからもう吹き出すしかない。

 70年代、文学も映画も主要なテーマは「愛(性)と暴力」だった。すでに60年代から大江健三郎、石原慎太郎らの作家たち、今村昌平、大島渚ら“新しい波”の監督たちが社会を騒がせる作品を送り出してきた。そんな動きを大衆文化として象徴的に描いたのが漫画「あしたのジョー」であり「愛と誠」だった。ハイティーンだけでなく、多くの学生や社会人の心をとらえたものだ。

 映画は漫画から「愛は平和ではない。戦いである…自らを捨ててかからねばならない戦いである」という言葉から始まる。このゲキにも似た過激さがドラマを貫く。当時の社会に渦巻いていた“一途な思い”が、原作発表の前年(1972年2月)に起こった連合赤軍浅間山荘事件の影響をも受けている、と考えると「愛と誠」は70年代を見事に切り取っていた。三池映画はその鮮やかな現代版といえる。

(安永 五郎)

(C) 2012「愛と誠」製作委員会