原題 | Nader and Simin, A Separation |
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制作年・国 | 2011年 イラン |
上映時間 | 2時間3分 |
監督 | アスガー・ファルハディ |
出演 | レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、シャハブ・ホセイニ |
公開日、上映劇場 | 2012年4月7日(土)~Bunkamuraル・シネマ、4月14日(土)~梅田ガーデンシネマ、4月28日(土)~京都シネマ、5月5日(土)~神戸元町映画館にて公開 |
受賞歴 | 第84回アカデミー賞外国語映画賞、第61回ベルリン国際映画祭金熊賞、銀熊賞、銀熊賞、エキュメニック賞他世界各国の映画祭受賞歴多数 |
(C)2009 Asghar Farhadi
~小宇宙を描き大宇宙を映すような匠の技~
本作は,イランに住む二組の家族が抱える内部の問題やそこから派生する相互の衝突を描きながら,社会的存在としての人間の心理を凝視している。ある夫婦の離婚問題が娘に波及するのはもちろん,他の夫婦にまで影響を及ぼしていく。その様子が実にサスペンスフルに描かれる。前半で示される日常的な出来事が後半の展開の伏線となっている上,登場人物の性格がしっかり描き込まれており,緻密に練り上げられた脚本に感服させられる。
中流階級の一組の夫婦の出来事が大きな波紋を招くことになる。夫ナデルと妻シミンは14年連れ添った夫婦で,2人の間にはもうすぐ11歳になる利発な娘テルメーがいた。シミンは娘の将来のために外国への移住を望んだが,ナデルは認知症の父を介護する必要からこれを拒否した。シミンは,裁判所で夫の同意がないと離婚できないと言われ,やむを得ず実家に戻って夫と別居する。娘は,母親に戻って欲しいとの思いから父親の下に残った。
下層階級の一組の夫婦が彼らと接したことで歯車を狂わせる。妻ラジエーは,失業中の夫ホッジャトと4歳の娘ソマイェを抱え,夫に内緒でナデルの家で仕事を始めた。初日はナデルの父が家を出て車道を横切ろうとするハプニングがあり,翌日は彼の手をベッドに縛って外出したためナデルと口論になりドアの外に押し出された。その後,ラジエーが流産したため,ナデルが殺人罪の嫌疑を受け,妊娠を知りながら押したのかが問題とされる。
ラジエーが敬虔なムスリムであること,19週目の胎児が人間として扱われることなど,イラン社会の特殊性が色濃く反映している。同時に,子の養育,老人の介護,貧富の格差など,どこにでも存在する状況が織り込まれる。しかも,これらを背景としながら,人間が抱えてしまう秘密と嘘,そしてこれによって生じる不可逆な波紋の怖さと切なさを暴いているのが凄い。ナデルもラジエーも事態の成行きの中で秘密を抱えて苦しむことになる。
また,ナデルもシミンも幸せを求めているが,2人の視線がすれ違ったまま,問題は何も解決しない。冒頭で,2人が横に並んでカメラ(裁判官)に向かって各々自分の主張を述べる。ラジエーとは円満な解決に至らず,家族内部でもテルメーの願いは通じない。そして,テルメーが裁判官に両親のどちらと暮らすかの決断を話す間,両親が廊下で待っているシーンで終わる。思い通りにならない現実にやり切れなさを抱えて,なお人生は続く。(河田 充規)
~真実を見据える勇気~
家族のためについた嘘、言えずにいた秘密が、予期せぬ争いごとの中で、かえって自分を苦しめることになる。人はどうしたら真実を打ち明ける勇気を持てるのだろう。
娘の教育のため国外移住を望む妻と、認知症の父の介護があるからと反対する夫。ヘルパーとして雇った女性が流産してしまったことから、裁判騒動が起きる。離婚の危機にある中産階級の主人公夫婦と、貧しく信心深いヘルパーの家族の姿を通して、介護、信仰、女性差別、貧富の格差など、イランの人々が抱える様々な社会問題が浮き彫りになる。
実家に戻った妻に帰ってきてほしいと言えず、意地を張り続ける夫。家に残り、懸命に両親の仲を取り持とうとする11歳の娘が痛々しい。ガラス越しに両親を見守る不安げな眼差しが、繊細な心情を伝える。ラスト、一転して、自分の決心は固まったと裁判官に告げる娘のすがすがしい表情がすばらしい。大人達を見て、確実に学び成長していく子どもの姿に力強い未来を感じた。
『彼女が消えた浜辺』の監督が、本作でも音楽を用いず、登場人物達の迷い悩める心模様をリアルに描く。あえて結末を描かず、観客に委ねた展開が心憎い傑作。(伊藤 久美子)
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(C)2009 Asghar Farhadi