――『ひかりのおと』というタイトルの意味は?
トマトの栽培をやっていると、太陽がでたら、葉が元気になります。葉っぱをよく見ると、光の粒子がみえて、きらきらしたり、ちかちかしたり、とてもきれいで、おそらく光合成をやっているのでしょう。太陽があったら作物は大きくなって、食べ物ができ、生きてはいけます。太陽があれば生きてはいけるというのを、ひかりを「みる」というのでなく、より積極的に、その感覚を「とりこむ」というか、とらえられればと思います。光をそんなふうにとらえた時に、本来聞こえない音が鳴り始める、というか、雄介自身、太陽があれば生きてはいけるというか、小さな葛藤や悩みに向かって、光の音を聞いて一歩を踏み出すという思いを込めました。
ただ、大震災が起きてからは、太陽があっても作物をつくれない地域ができてしまい、僕の中でもどうとらえればいいのかわかりません。本作は震災前につくった映画なので、次の課題ということになるかもしれません。
――家族というのもこの映画のテーマですよね?
僕が真庭にいて、いろんな農家を見ながら思うのは、家族経営しているところはやっぱり強くて、酪農にしても最後まで残っています。家族もいろんなありようがあっていいと思うのですが、農業に限らず、家族経営が一番強いと思います。いろんな外的な状況の変化に耐え、柔軟に対応できるのは、家族という一つのチームで一緒に仕事する規模だろうなと思います。
――牛の出産シーンもよかったですし、男性が「父親になること」はすてきなことだなと感じました。
映画だからやっていいことと、やっていけないことがあると思います。そこのところは、僕の中で明確に線引きができていて、今回の映画に関しては、映画だからやらなくていいところは、そこまでみせなくていいと避けましたし、ドラマに抑揚をつけるために実際にないことを組み入れたりはしていません。実際の牛の出産シーンがなくても、映画として成立することは成立しますが、僕はあの場面が必要と考えました。産まれてくるときの音もすごくリアルです。生まれることとか、死ぬこととかは、農業にしてもそうですが、普遍的なことだと思います。
――年始の山登りをはじめ、家族の営みが描けていますね?
あの地域では正月に山に登るという習慣があります。僕が実際に知っていたり、経験したり、具体的に聞いた話でないと、演出はなかなか難しく、実際に経験して聞く話は、そこに住んでいる者と住んでいない者とでは全く違う解釈になると思います。今回は、実際に僕がこの土地で聞いた話、見たことを基にシナリオを書いており、この地域で、この人たちと、という限られたところでつくっていて、自分では、ドキュメンタリーに限りなく近いとは思っています。実際雄介のモデルになった酪農家の青年も音楽をやっていて、ああいう環境で育ち、実際あそこに住んでいると高速道路の音がすごくしていて、彼の部屋の窓ガラスも二重になっていて、爆音で音楽を聞いたり、音楽にこだわりをもっています。雄介の母のオルガンも実際にあった話で、地域では、出て行く女の人というのは、わりと目に付くのです。
――スピーカーを牛舎に持っていくところもいいですね。
雄介のモデルになった青年も牛舎にスピーカーを設置して、ヘビメタを聴いているんです(笑)。ミュージシャンの菊地成孔さんに一度真庭に来てもらい、ちょうどシナリオの段階で、映画の話をしたら、牧場まで一緒に来てくれて、場所にはすごく興味をもってくれました。高速道路がうるさいのとスピーカーはおもしろいと言って、「僕だったら高速道路にスピーカーを向けて、高速道路のノイズに対して、爆音で音楽を流す」と言われたのがずっとひっかかっていました。それがラストの、雄介が音楽を奪還して、牛舎にスピーカーを持ち込む行為、酪農のために都会の音楽を捨てて、こもっていたけれど、どちらかを選ぶのでなく、酪農しながら音楽もやっていくという宣言としてスピーカーを置くという行為に、つながりました。
■上映について
――地元の岡山県で約5か月間かけて51会場で巡回上映されたのですね?
東京で公開して大阪でやるという順当なルートも初めは考えていましたが、もともと東京の人達が地域に行って撮って、東京に持って帰って上映するということに違和感があって、住まないとわからない部分もあるだろうし、生活したがゆえにできる環境というのもあり、まず地域で先に上映したいというのは早くから、2期目の撮影開始前には思っていました。映画をつくった地域から上映を行うというのは、ごく普通の当たり前のことだと思います。
ここまでやろうと思ったのは3.11の大震災の後、僕らに唯一できることは、何が起こるかわからないの中で、いざという時のために、何かあらがえるようなネットワーク、人間関係みたいなものを、この映画をきっかけにつくっていきたいと思いました。映画だけじゃなく、なにかやりたいと思った人が手を上げれば、そういうものが動くようなネットワークができないかなと。
――地元での反応は?
頑張らないといけないと思ったとか、ひかりのおとが聞こえたような気がするとか、もちろん、難しかったとかわかりにくかったという感想もありました。今回、51会場で、100回以上上映し、毎回アンケート用紙を渡しましたが、アンケートの回収率がすごくよくて、半分の千枚以上が返ってきました。観たら何か言いたくなる映画なのかなと思いました。映画を観て終わりでは、もったいないと思い、「人と出会っていく」という意味でよかったと思います。
――観客の方々へのメッセージをお願いします。
本当は上映中全部行きたいのですが、農業が始まっていますので、限られた日しか劇場に行けません。一つのきっかけとして出会えればなあと、ぜひ僕にも牛にも会いにきてほしいと思います。映画をかろんじていうわけではないですが、映画をきっかけに人と人が出会っていくという、映画の一つの機能はやはりあっていいと思います。
――次の作品のイメージは?
時代劇で、今準備しているところです。江戸時代に、真庭を中心に美作地方で、山中一揆という大きな一揆が起こり、若者を含め50人ぐらいが処刑され、犠牲になりました。一揆というのは、怒りを表現したもので、いろんな感情を表に出せた時代といえます。今は、何によって封じられているかわかりませんが、なかなか感情を出せない時代のように思います。一種の感情を出せた時代の豊かさみたなことを描ければと考えています。
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「映画をつくりたいという気持ちが根本的にあり、農業もなかなかおもしろくて、まだまだ半人前ですが、農業をしながら映画を続けていこうと思っています。住みながらじゃないとつくれないという部分もあり、生活からあふれだすものがなければつくらなくていいとも思います」と語る山崎監督。最後、牛が横になって寝ているところを撮影するのも、結構大変だったそうだ。
牛のものいわぬ瞳に宿る光の奥深さも、本作の魅力の一つ。悩みや葛藤を抱え、これからまだ長い人生を生きてゆく雄介が次の一歩を踏み出す姿からは、答がすぐ見つからなくても探し続けることが大事だという心強いメッセージが伝わり、家族や人生についても深く考えさせられた。多くの人に観てもらい、映画づくりのあり方についても一考してほしい作品だ。