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 ★イタリア映画祭2010★
 
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★ 『イタリア映画祭2010』レポート

 『イタリア映画祭2010』
〜映画館で上映されなくても元気いっぱい〜


東京:2010/4/28(水)〜5/4(火・祝) 有楽町朝日ホール(マリオン11階)
 始まりは“イタリア映画祭2001「イタリア旅行」90年代秀作選”だった。2001年は「日本におけるイタリア年」ということで,このときだけ第3回京都映画祭でも上映された。
 その後,イタリア映画祭は,東京では毎年GWの恒例となり,10回目を迎える。今年は,12人の監督による新作12本が5月1日の座談会を挟んで前後1回ずつ計2回上映された。
 特にマルコ・ベロッキオ監督の人気が高く,新作「勝利を」と特別上映作品「母の微笑」のチケットが完売している。抱腹絶倒のコメディ「元カノ/カレ」の2回目も完売だった。

公式ホームページ⇒
 http://www.asahi.com/italia/2010/
 
 ジョルジョ・ディリッティ監督の「やがて来たる者」は,ボローニャ近郊の山村を舞台として,ナチスによる村民の虐殺事件を扱った作品だ。決して歴史的な悲劇の現象面を写しただけの陳腐なものではない。山村で暮らす人々の日常生活が丁寧に味わい深く描かれる。次第に人間の運命の皮肉をも感じさせる透徹した視線は,清々しく,かつ厳しい。マルティーナという8歳の少女の視点を主軸に据えたことで,余韻がより一層大きくなった。

 村民にとっては,ナチスやパルチザンが敵か味方かよりも,まず生き残ることが先決だった。そんな中で,マルティーナは,パルチザンがドイツ兵を撃ち殺す場面を目撃して逃げるように駆け出す。その後ろ姿を追うカメラは,彼女の心のざわめきをスクリーンに映し出す。また,特定の人物に近付きすぎないで一定の距離を保っているため,機械的・事務的に生命を扱う人間の冷たさが際立ったようだ。ラストは,清らかな静けさに包まれる。

 ファウスト・ブリッツィ監督の「元カノ/カレ」は,抱腹絶倒のイタリア版「ラブ・アクチュアリー」だ。監督は,コメディを数多く手掛けてきたというだけあり,ツボを押さえて大いに笑わせてくれる。「イタリア式離婚協奏曲」など艶笑喜劇がイタリア映画の十八番だったことが何だか懐かしい。夫婦や恋人の熾烈な争い,擦れ違いなど,6つのエピソードが絶妙に交差する。それでも人はそれぞれの幸せを手に入れていく…見事な着地だ。
 ジュゼッペ・カポトンディ監督の「重なりあう時」は,推理と恋愛のサスペンスを融合させ,男女の機微を描いていく。開巻後しばらくグイドの視点が続き,強盗事件後その手引きをしたと疑われるソニアの主観に転じる。幻覚に怯えるソニアを捉えた映像はスリラーの様相をも帯びる。そして,もう一捻りのある重層的な展開に魅せられる。ソニアがグイドを意識しながらエレベーターに乗るシーンがあり,その彼女の表情に全てが集約される。
 ところで,1957年スプートニクに乗せられたライカ犬が宇宙へ旅立ち,1961年ガガーリンが人類初の宇宙飛行を成功させ,1963年テレシコワが女性初の宇宙飛行士となる。スザンナ・ニッキャレッリ監督の「コズモナウタ−宇宙飛行士」は,そんな時代を背景として,自分が女性であることを意識し始めた10代の少女ルチャーナの心の揺れを描いている。そのころ,「地球は青かった」「私はかもめ」のフレーズと共に夢が溢れていたに違いない。
 ダヴィデ・フェラーリ監督の「それもこれもユダのせい」は,受刑者を役者に舞台を演出することになった若い女性イレーナの姿を,ドキュメンタリーのような感覚で描いた作品だ。突然歌ったり踊ったりするというミュージカル仕立てだが,カラフルでぎらぎらしたパワーではなく,淡色系の軽さがある。ダンスシーンが美しく,穏やかに心の内側から湧き出してくる曲線の流れが印象に残る。最後の晩餐の合唱シーンも割といい味が出ている。
(河田 充規)ページトップへ
   
             
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