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★マイ・バック・ページ

(C) 2011映画『マイ・バック・ページ』製作委員会
『マイ・バック・ページ』
〜新左翼運動にジャーナリストはどこまでコミット出来るか〜
(2011年 日本 2時間21分)
監督:山下敦弘
出演:妻夫木聡 、松山ケンイチ、忽那汐里、石橋杏奈、中村蒼、韓英恵、長塚圭史、山内圭哉、古館寛治、あがた森魚、三浦友和

2011年5月28日〜新宿ピカデリー、丸の内TOEIほか全国にて公開
・記者会見レポート⇒ こちら
・公式サイト⇒
 http://mbp-movie.com/
 元週刊朝日、朝日ジャーナル記者で現映画評論家の川本三郎の原作を、大阪芸大出身の期待の星、山下敦弘監督が映画化した“70年代映画”。新左翼運動にジャーナリストはどこまでコミット出来るか、という重い命題に真っ向から挑んだ作品。原作を読んだ時から熱く期待したが、若松孝二ならざる若い山下監督にはちと荷が重かったか。だが、あの時代はそうだった、とうなずいてしまうシーンもふんだん。団塊ノスタルジーか。

 60年代末、ジャーナリスト志望の沢田(妻夫木聡)は、週刊東都に就職。東大安田講堂が陥落した翌年、日本中を吹き荒れた全共闘運動も収束しかけていた。沢田は全共闘運動に惹かれながら「500円持って東京放浪」といったヒマねた専門だったが、先輩記者から指名手配中の東大全共闘議長を全国全共闘結成大会に連れてゆく危ない仕事も引き受ける。

 沢田の楽しみはオールナイト映画。記者の本能としてニュースを求める沢田は、武力闘争に移りつつあった運動家取材に首を突っ込んでいく。“京西安保”の幹部を名乗る青年・梅山(松山ケンイチ)のタレコミを取材。「4月決起」という梅山を先輩記者は偽物と判断するが、ひと晩語り合った沢田は意気投合。彼が青年を信用した極め手はクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨を見たかい」を梅山の弾き語りで一緒に歌ったたこと。「雨とはナパーム弾のことなんだ」という“団塊、ロック世代”の常識を梅山が口にする。宮沢賢治の本もまた当時の青年のアイテムだった。活動家として胡散臭い梅山にコミットしてニュースをモノにする野心が、沢田を泥沼にひきずりこんでいく…。

 あのころ、売店で買うのは朝日ジャーナルか週刊プレイボーイ、それにやたら難解な映画芸術(月刊)。朝日新聞や週刊朝日と違って朝日ジャーナルは“造反のススメ”として学生には新左翼への案内書、学生の小道具、ある種ファッションだった。あんな雑誌があったのが60年代文化だった。映画では「東都ジャーナル」内が大幅人事異動され、親過激派記者が一掃された時期、沢田がジャーナルに異動になる。これが遅れてきた青年記者の不幸の始まり。全共闘運動の最盛期を逃した男だった。

 原作者は現在、映画評論家。当時から映画、音楽など軟派系志向で社会部記者との違いは歴然。川本=沢田はあくまで文化・学芸部系記者で、そこに不幸があった。梅山が本物か偽物か、裏を取るよりも、CCRの1曲で信用してしまうのは記者としては甘く、社会部失格。川本系ライターとしては気持ちは分かる、けれども…。

 梅山が「赤邦軍」として部下たちを指示して武器奪取目的で自衛隊基地に侵入、自衛官を殺害した時、沢田は「ニュース」の功名心から冷静な判断力を欠いてしまう。これまでの生き方から見れば当然の選択だった。証拠となる血の付いた腕章を預かり、上司に報告するが、事態を重視した社幹部は掲載を却下。警察に通報。沢田も警察の聴取を受けるよう求められる。「取材源の秘匿」という記者の鉄則を上司や警察の前でも主張する彼は裁判で実刑を食らい、解雇される。編集トップの三浦友和が言う。「学生新聞作ってんじゃねえぞ」。心情三派の青年記者と大新聞という大人社会の段差は歴然。ジャーナルが“行き過ぎ”と判断するとさっさと方針変更するのが大新聞の常識。活動家学生から「ブル新聞」と罵られるのも当然だった。

 原作のハイライト、事情聴取→懲役→解雇という転落の経過、週刊誌のグラビアアイドルの自殺が、映画ではエンディングにサラリと触れられただけだったところに、原作者と監督との意識の差が見える。オールナイト映画館やバリケード封鎖内部のアジなど、70年代はよく再現しているが、ノスタルジーにひたるにはあまりにも痛切な記憶。川本三郎ほどではないにしても、あの時代の多くの学生(少なくとも半分)がくぐった痛みの記憶を背景にした時代の証言としてはいささか不満だった。若松「連赤」と比較など出来ないにしても、30代の山下監督の理解はそこまでだったのだろうか?

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